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子猫(こねこ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-2 10:22:50  点击:  切换到繁體中文


 ある日学校から帰った子供が見慣れぬ子猫こねこを抱いて来た。うちの門前にだれかが捨てて行ったものらしい。白い黒ぶちのある、そしてしっぽの長い種類のものであった。縁側を歩かせるとまだ足が不たしかで、羽二重はぶたえのようになめらかなあしうらは力なく板の上をずるずるすべった。三毛を連れて来てつき合わせると三毛のほうが非常に驚き恐れて背筋の毛を逆立てた。しかしそれから数時間の後に行って見ると、だれかが押し入れの中にオルガンの腰掛けを横にして作ってやった穴ぼこの中に三毛が横に長くねそべって、その乳房ちぶさにこの子猫が食いついていた。子猫はポロ/\/\とかすかに咽喉のどを鳴らし、三毛はクルークルーと今までついぞ聞いた事のない声を出して子猫の頭と言わず背と言わずなめ回していた。一度目ざめんとして中止されていた母性が、この知らぬよその子猫によって一時に呼びさまされたものと思われた。私は子を失った親のために、また親を失った子のために何がなしに胸の柔らぐような満足の感じを禁じる事ができなかった。
 三毛の頭にはこの親なし子のちびと自分の産んだ子との区別などはわかろうはずはなかった。そしてただ本能の命ずるがままに、全く自分の満足のためにのみ、この養児をはぐくんでいたに相違ない。しかしわれわれ人間の目で見てはどうしてもそうは思いかねた。熱い愛情にむせんででもいるような声でクルークルーと鳴きながら子猫こねこをなめているのを見ていると、つい引き込まれるように柔らかな情緒の雰囲気ふんいきにつつまれる。そして人間の場合とこの動物の場合との区別に関する学説などがすべてばからしいどうでもいい事のように思われてならなかった。
 どうかすると私はこのちびが、死んだ三毛の実子のうちの一つであるような幻覚にとらえられる事があった。人間の科学に照らせばそれは明白に不可能な事であるが、しかしねこの精神の世界ではたしかにこれは死児の再生と言っても間違いではない。人間の精神の世界がNディメンジョンのものとすれば、「記憶」というものの欠けている猫の世界は(N-1)ディメンジョンのものと見られない事もない。
 ちびは大きくなるにつれてかわいくなって行った。彼は三毛にも玉にもない長いしっぽをもっていると同時に、また三毛にも玉にもない性情のある一面を備えていた。たとえば三毛が昔かたぎの若い母親で、玉が田舎出いなかでの書生だとすれば、ちびには都会の山の手のぼっちゃんのようなところがあった。どこか才はじけたような、しかしそれがためのいやみのない愛くるしさがあった。
 小さな背を立てて、長いしっぽをへの字に曲げて、よく養母の三毛にけんかをいどんだが、三毛のほうでは母親らしくいいかげんにあやしていた。あまりうるさくなると相手になってかなり手荒く子猫の首をしめつけてころがしておいて逃げ出す事もあった。しかしそんな場合に口ぎたなくののしらないだけでも人間の母親のある階級のものよりははるかに感じがよかった。また子猫のほうでもどんなにひどくされてもいじけたり、すねたりしない点がわれわれの子供よりもずっと立派なように思われた。
 もう一人立ひとりだちができるようになって、ちびは親戚しんせきの内へもらわれて行った。迎いのじいやが連れに来た時に、子供らは子猫こねこを三毛のそばへ連れて行って、別れでも惜しませるつもりで口々に何か言っていたが、こればかりはなんの事とも理解されようはずはなかった。ちびが永久に去った後に三毛はこの世界に何事も起こらなかったかのように縁側の柱の下にしゃがんで気持ちよさそうに目をしょぼしょぼさせていた。それが罪業の深いわれわれ人間には妙にさびしいものに見えるのであった。それから一両日の間は時々子猫こねこを捜すかと思われるような挙動を見せた事もあったが、それもただそれきりで、やがて私の家の猫にはのどかな平和の日が帰って来た。それと同時に、ほとんど忘れられかかっていた玉の存在が明らかになって来た。
 子猫に対して玉は「伯父おじさん」というあだ名をつけられていた。そしてはなはだ冷淡でそっけない伯父さんとして、いつもながら不利な批評の焦点になっていたが、もうそれも過去になって、彼もまたもとの大きな子猫になってしまった。子猫に対して見るといかにも分別のある母親らしく見えていた三毛ですらも、やはりそうであった。いちばん小さい私の子供に引っかかえられて逃げようとしてもがきながら鳴いているところを見たりすると、なおさらそういうディスイリュージョンを感じるのであった。
 夏の末ごろになって三毛は二度目の産をした。今度も偶然な吻合コインシデンスで、ちょうど妻が子供を連れて出かけるところであったが、三毛の様子がどうも変であったから少し外出を見合わして看護させた。納戸なんどのすみの薄暗い所へいつかの行李こうりを置いてその中に寝かせ、そしてそろそろ腹をなでてやるとはげしく咽喉のどを鳴らして喜んだそうである、そしてまもなく安々と四匹の子猫を分娩ぶんべんした。
 人間のこしらえてやった寝床ではどうしても安心ができないと見えて、母猫ははねこはいつのまにか納戸なんどの高いたなの奥に四匹をくわえ込んだ。子供らはいくら止めても聞かないで、高い踏み台を持ち出してそれをのぞきに行くのであった。私はなんとはなしにチェホフの小品にある子猫と子供の話を思い浮かべて、あまりきびしくそれをとがめる気にもなれなかった。
 子猫こねこの目のあきかかるころになってから、時々棚の上からおろして畳の上をはい回らせた。そういう時は家内じゅうのものが寄り集まってこの大きな奇蹟きせきを環視した。そのような事を繰り返す日ごと日ごとに、おぼつかない足のはこびが確かになって行くのが目に立って見えた。単純な感覚の集合から経験と知識が構成されて行く道筋はおそらく人間の赤子の場合と似たものではあるまいかと思われた。そしてその進歩が人間に比べて驚くべく急速である事も拒み難い。このように知能の漸近線アシンプトートの近い動物のほうが、それの遠い人間に比べてそれに近づく速度の早いという事実はかなり注意すべき事だと思ったりした。物質に関する科学の領域にはこれに似た例はまれであろう。
 二匹の子猫はだいたい三毛に似た毛色をしていた。一つを「太郎」もう一つを「次郎」と呼んでいた。あとの二匹は玉のような赤黄色いのと、灰色と茶のしまのようなぶちのあるのとで、前のを「あか」あとのを「おさる」と名づけていた、おさるは顔にある縞がいわゆるどこかさるぐまに似ていたからだれかがそう名づけたのである。そうして背中の斑がとらのようだから「ぬえ」だというものもあった。この鵺だけが雌で、他の三匹はいずれも男性であった。
 生長するにつれて四匹の個性の相違が目について来た。太郎はおっとりして愛嬌あいきょうがあって、それでやっぱり男らしかった。次郎もやはり坊ちゃんらしい点は太郎に似ていたが、なんとなく少し無骨で鈍なところがあった。赤は顔つきからして神経的なきつねのようなところがあったが、実際臆病おくびょうかあるいは用心深くて、子供らしいところが少なかった。おさるは雌だけにどこか雌らしいところがあって、つかまりでもするとけたたましい悲鳴をあげて人を驚かした。
 玉をつれて来て子猫こねこの群れへ入れると、赤と次郎はひどくおびえて背を丸く立てて固くしゃちこばったが、太郎とおさるはじきに慣れて平気でいた。玉のほうは相変わらずきわめて冷淡な伯父おじさんで、めんどうくさがってすぐにどこかへ逃げて行ってしまった。
 四匹の子猫に対する四人の子供の感情にもやはりいろいろの差別があった。これはどうする事もできない自然の理法であろう。愛憎はよくないと言って愛憎のない世界がもしあったらそれはどんなにさびしいものかもわからない。
 子猫はそれぞれもらわれて行った。太郎はあるデパートメントストアーへ出ているという夫婦暮らしの家へ、次郎は少し遠方のあるおやしきへ、赤はひとり住みの御隠居さんの所へ、最後におさるは近い電車通りの氷屋へそれぞれ片付いて行った。私は記念にと思ってその前に四匹の寝ている姿を油絵の具でスケッチしておいたのが、今も書斎のたなの上にかかっている。まずい絵ではあるが、それを見るたびに私は何かしら心が柔らぐように思う。
 太郎の行った家には多少の縁故があるので、幼い子供らは時々様子を見に行った。おさるの片付いた氷屋も便宜がいいので通りがかりに見に行くそうである。秋になってその氷屋は芋屋に変わった。店先のかまち日向ひなたに香箱を作って居眠りしている姿を私も時々見かける。前を通るたびには、つい店の中をのぞき込みたいような気がするのを自分でもおかしいと思う。
 今でも時々家内で子猫のうわさが出る。そして猫にも免れ難い運命の順逆がいつでも問題になった。このあいだ近所の泥溝どぶに死んでいた哀れなのらねこの子も引き合いに出て、同じ運命から拾い上げられて三毛に養われ豊かな家にもらわれて行ったあのちびがいちばんの幸運だというものもあれば、御隠居さんばかりの家に行った赤がいちばん楽でいいだろうというものもあった。妻は特にかわいがっていた太郎がわりに好運でなかった事を残念がっているらしかったが、私はどういうものか芋屋の店先に眠っているおさるの運命の行く末に心を引かれた。
 ある夜夜ふけての帰り道に芋屋のかどまで来ると、路地のごみ箱のそばをそろそろ歩いているおさるの姿を見かけた。近づいて頭をなでてやると逃げようともしないでおとなしくなでられていた。背中がなんとなく骨立っていて、あまり光沢のないらしい毛の手ざわりも哀れであった。
 娘を片付けて後のある場合の「父」の心を思いながら私は月のおぼろな路地を抜けてほど近いわが家へ急いで行った。

 私はねこに対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間に対していだく事のできないのを残念に思う。そういう事が可能になるためには私は人間より一段高い存在になる必要があるかもしれない。それはとてもできそうもないし、かりにそれができたとした時に私はおそらく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。凡人の私はやはり子猫でもかわいがって、そして人間は人間として尊敬し親しみ恐れはばかりあるいは憎むよりほかはないかもしれない。

(大正十二年一月、女性)





底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年9月10日第1刷発行
   1964(昭和39)年1月16日第22刷改版発行
   1997(平成9)年5月6日第70刷発行
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
1999年11月17日公開
2003年10月22日修正
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