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かめれおん日記(かめれおんにっき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-17 11:25:01  点击:  切换到繁體中文

蟲有※(「虫+尤」、第3水準1-91-52)者。一身兩口、爭相※(「齒+乞」、第4水準2-94-76)也。遂相食、因自殺。
――韓非子――


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          一

 博物教室から職員室へ引揚げて來る時、途中の廊下で背後うしろから「先生」と呼びとめられた。
 振返ると、生徒の一人――顏は確かに知つてゐるが、名前が咄嗟には浮かんで來ない――が私の前に來て、何かよく聞きとれないことを言ひながら、五寸角位の・蓋の無い・菓子箱やうのものを差出した。箱の中には綿が敷かれ、其の上に青黒い蜥蜴のやうな妙な形のものがつてゐる。
「何? え? カメレオン? え? カメレオンぢやないか。生きてるの?」
 思ひ掛けないものの出現に面喰つて、私が矢繼早やに聞くと、生徒は「ええ」と頷いて、顏を赭らめながら説明した。親戚の船員のものがカイロか何處かで貰つて來たのだが、珍しいものだから學校へ持つて行つてはと云ふので、博物の教師である私の所へ持つて來たのだといふ。
「ほう、そりや、どうも」有難うとも言はないで、私は其の箱を受取り、龍に似た小さな怪物を眺めた。蜥蜴よりもずつと立體的な感じで、頭が大きく、尾が長く捲き、寒さで元氣が無いらしいが、それでも、眞蒼な前肢で、しかつめらしく綿をふんまへてゐる。
 生徒は私にカメレオンを渡して了ふと、それ以上私の前に立つてゐるのを羞しがるやうに、ぴよこんと頭を下げてから行つて了つた。
 職員室へ持つて行つてから、始めて、飼育の困難に氣がついた。學校には温室がない。取敢へず火鉢の側の鉢植の朴の木の枝にとまらせた。はじめはジツと動かなかつたが、そのうちに、傍の火の温かみで元氣が出たと見え、少しづつ動き出した。眼窩はかなり大きいのだが、眼玉が外を覗くあなは極めて小さく、その小さな孔をぐる/\方々に向けて※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)しながら、その奧から見慣れぬ風景を探つてゐるらしい。朴の枝から葉の方へと匍ひ出しては身體の重みで滑りさうになり、葉の縁を趾指あしゆびで掴んで支へようとするが、到頭落ちてしまふ。何度も鉢の土だの床だのの上に落ちた。落ちる度に、自分の失策を嘲笑わらはれて腹を立てた子供のやうに眞劍な顏付で起上つて、(背中に立つてゐる裝飾風なギザ/\が、もの/\しい眞面目な外觀を與へてゐる)めくらめつぽふに歩き出す。
 職員達はみんな珍しがつて見にやつて來た。大抵は、何ですかと不思議さうに訊ねる。國漢の老教師は、どう勘違ひしたか、「それは何でも花柳病の藥になるやつでせうがな。蔭干かげぼしにして、煎じてな」などと言ひ出した。
 誰かが何處からか蠅をつかまへて來て、片翅をもいでから掌にのせて前に出した。カメレオンの口からサツとうす朱色の肉の棒が繰出された。舌の先端に蠅がくつつくと同時に、もう口は閉ぢられてゐる。
 結局この生物いきものをどう扱はうかと、他の博物の教師達と相談する。どうせ長くは生きないだらうが、カナリヤの箱のやうなものでも作つて、なるべく暖い所へ置いて、この儘學校で飼つて見よう。餌は、生徒等に季節外れの蠅でも探して持つて來させれば、どうにかなるだらう、といふことになる。併し、とにかく其の簡單な設備が出來る迄は、夜の寒さと、猫などに襲はれる心配のために、私が預かつてアパアトで養ふことにした。

 其の夜、私は部屋の小型ストーヴに何時もより多量の石炭を入れた。此の間死んだ鸚鵡の丸籠を下して、その中に綿を敷き、そこへカメレオンを入れた。水を飮むものかどうか知らないが、兎に角、鳥の水入も中に置いてやつた。
 滑稽なことに、私は少からず悦ばされ、興奮させられてゐた。寒さなどのためにやがては死なせねばなるまいとの考へだけが私を暗くした。どうせ永く持たないのなら、學校で飼はないで、自分の處へ置き度いと思つた。動物園へ寄贈すれば、とも思つたが、何かしら手離すのが惜しい。まるで私個人が貰つたものであるかのやうに、私は感じてゐるのであつた。
 久しく私の中に眠つてゐたエグゾティスムが、この珍奇な小動物の思ひがけない出現と共に、再び目覺めて來た。曾て小笠原に遊んだ時の海の色。熱帶樹の厚い葉の艶。油ぎつた眩しい空。原色的な鮮麗な色彩と、燃上る光と熱。珍奇な異國的なものへの若々しい感興が急に溌剌と動き出した。そとみぞれもよひの空だといふのに、私は久しぶりで胸の膨れる思ひであつた。
 ストーヴの近くに籠を置き、室の隅にあつたゴムの木と谷渡りの鉢をその傍に竝べた。私は籠の入口をあけておいた。どうせ部屋から出る心配はなし、時には木にとまり度くもならうかと思つたからである。

          二

 朝起きて見ると、カメレオンはゴムの木などには止らずに、机の下に滑り落ちた書物の上に乘つて、小さな眼孔から此方を見てゐた。思つたより元氣らしい。もつとも昨夕はかなり部屋を暖めたので、乾きすぎたせゐか、私の方が少々咽喉を痛めた。カメレオンの乘つてゐた書物はショペンハウエルのパレルガ・ウント・パラリポメナ。
 勤めの無い日なのだが、カメレオンのことで午後學校へ行く。昨晩考へたやうに、設備が無いのなら學校へ置いても同じことだから、私の處で飼はせて貰はうと思つたのである。まさか學校でも一匹のカメレオンの爲に温室を拵へてはくれまい。
 學校へ行つて其の許可を求めると、校長はじめ他の職員達はもう殆ど昨日のことを忘れてゐたかのやうな口吻だつた。「あゝ、あの昨日の蟲ですか!」といふ。私一人が、此の小爬蟲類の出現に狂喜してゐただけだつたのだ。
 生徒達の所へ行つて、昨日頼んでおいた蠅を貰ふ。思ひの外、蠅は生殘つてゐるものだ。マッチ箱に一杯集まつた。之で二三日分の餌には足りるだらう。
 蠅を持つて歸らうとしてゐると、後から國語の教師の吉田が追ひかけて來て、丁度自分も歸るからとて一緒に歩き出す。何か話し度くてたまらぬことがあるらしい。M・ベエカリイに寄つて茶を飮みながら一時間程話す。
 私とほゞ同年だが、全く此の男程精力絶倫で思ひ切り實用向きで、恥も外聞もなく物質的で、懷疑、羞恥、「てれる」などといふ氣持と縁の遠い人間を私は知らない。疲れる事を知らぬ働き手。有能な事務家。方法論の大家。(本質論など惡魔に喰はれてしまへ!)常に勇氣凜々たる偏見に充ち滿ちて、あらゆる事に勇往邁進する男。運動會、展覽會、學藝會、校友會雜誌の編輯、その他何でも彼が一人で片附けてしまふ。抽象とは彼にとつて無意味と同義である。今年の正月のこと、何處かの級のクラス會で、生徒が三四人、蜜柑や煎餅を買出しに行つた。學校の前は山手から降りて來る坂になつてゐるのだが、その坂の中途迄、風呂敷包をぶら下げた買出し係の生徒等が上つて來た時、一人の持つてゐた風呂敷が解けて、中から蜜柑がこぼれた。二つ、三つ、四つ……七つ、八つ、かなり急な坂とて、鮮かな色をした蜜柑が續々ところがり出した。その生徒は思はぬ失策にひどく顏を赭らめ、風呂敷を結び直すのがやつとで、轉がる蜜柑を追ひかけるどころではなかつた。學校以外の人々の往來も相當にあるので、一寸羞づかしかつたのであらう。丁度其の時坂の上に立つてゐた吉田は、之を見るや猛烈な勢で駈下り始めた。小石を蹴とばし、砂利で滑りさうになり、つんのめりさうになり、途中に立つ生徒を突き飛ばして、短躯の彼は背中を丸くして蜜柑を追ひかけた。一度轉んだが直ぐ起上り、砂も拂はずに又駈け出し、到頭十五六の蜜柑を悉く拾ひ上げ、坂の片側の溝に轉げ落ちることを防いだのである。生徒等も通行人達も呆氣にとられて立止り、彼の猛烈な勢に見とれてゐた。吉田は蜜柑を手に持ちポケットにも入れ、「みんなボヤーツと見とつちや駄目やないか」と生徒等に叱言こごとを言ひながら、又登つて來た。彼の顏が赧くなつてゐたのは、單に走つたからなのであつて、決して、彼がてれてゐたためではない。正に、この男こそ、私の、以て模範とすべき人物だと其の時、私はしみ/″\思つた。此の男は何時も、人間は――或ひは、生物は――斯く生くべし、と、私に教へて呉れるのだ。高等小學生的人物と彼を評した者がゐる。小學校の高等科の生徒といふものは中學生のやうな小生意氣さが無く、實に良く働いて、中學生などよりどれ程役に立つか判らないといふのである。影の薄い大學生よりも、溌剌たる高等小學生の方が遙かに立派だと、私も思ふ。
 話をしながら、吉田は、内ポケットから一枚の紙を取出して私の前に擴げた。私がそれを見せられるのは今日で二度目である。それは此の學校の全職員の俸給表で(私立學校で、職員録に明示されない)彼が何處からか聞き出して丹念に書竝べたものだ。なほ、前年度のボーナスの推定額迄、書入れてある。彼はかういふ事を探り出すことが實に上手で、又それをみづから得意としてゐる。自分と交際のある凡ての人間に就いて、彼は、一々興信所的な方法で身許調査を行つてゐるもののやうだ。殊に自分が反感をもつ人間に對しては、執拗な程徹底的に調べ上げて、彼等の疵を探し出すのである。この俸給表の中、彼よりも不當にも俸給の多い教師の名前の横には、赤鉛筆で棒が引いてある。彼はそれを誰彼に示しては、關西辯で縷々として不平を陳べるのである。
「割烹のTな、女のくせに僕よりたんと取りよるんや。はじめの交渉の仕方一つで、どうにでもなるんで、決つた標準は無いのやでなあ。目茶や、まるで。」
 この前に一度この表を見せた時も、同じやうな言葉で、Tといふ割烹の教師のことを言つてゐた。今見ると、Tの名前の上だけは、赤鉛筆に副へて青鉛筆でも濃く何本か棒が引かれてゐる。
「それで、あんまり目茶やから、僕、校長の所へ言ひに行つたんですよ。とにかく此方こつちは教育を受けた年限も長いんやから、心臟が強い云はれるかも知らんけど、なんぼでもよいからTさんより上にして下さい言うたんですよ。さうしたら、成程、尤もだから、では、Tさんより三圓だけ多くしませう、いうて。三圓やで。たつた。それでも今よりは、まあ良いけど。」

 吉田は其の俸給表を前に擴げたまゝ、つゞいて、職員の一人々々に就いて其の經歴やら家庭的な事情やらを話し出した。女教師の中、誰と誰とは女高師を出たといふ觸込で來てゐるが、實は臨時教員養成所を出たゞけであること。國語の主任をしてゐるNが月給を二月分前借してゐること。圖畫の老教師Hが表具屋、繪具屋等と生徒との間でえらくサヤを取つてゐること。英語のSが音樂の女教師と近頃よく連立つて歩いてゐるといふ噂のこと。他人の祕密を知つてゐることが吉田にとつて此の上なく滿足なやうな話しぶりである。彼の話によると、彼は今日、主任のNと何か口論したらしく、又別に、體操科の教師とも渡り合つたらしい。之は何でも先月おこなはれた運動會のプログラムの進行に關して、吉田と體操の教師達との間に、當時、意見の衝突があり、それが未だこじれてゐるものの由である。吉田といふ男は、事務に追はれてゐないと、胃酸過多の胃が、消化すべきものをたない時の状態みたいになつて、とかく他人ひととの間に摩擦を起すやうだ。
 一時間ばかり彼の話を聞いてから、餘り愉快ではない氣持になつて、蠅の詰まつたマッチ箱を持つて歸る。

 夜、外へ出て何氣なく東の空を仰いだ時、私は思はず「アヽ」と聲を出した。裸になつた榎の大樹の枝々を透して、春以來、半年ぶりでオリオンの昇つて來るのを見付けたからである。青い小さな蜜柑が出始めると、三つ星さまが見え出すんだよ、と幼い頃祖母によく言はれたことが記憶に甦つた。オリオンの上には馭者座カペラだの、紅いアルデバランだの、玻璃器に凍りついた水滴のやうなすばるだのが、はつきりと姿を見せてゐる。恆星達ばかりではない。南の空に高く、左から順にほゞ同じ位の間隔をおいて竝んでゐるのは、土星ザトウルン木星ユウピテル火星マルスとであらう。殊に木星の白い輝きの明るさは、燦々と、まことに四邊あたりを拂ふばかりである。
 かなり冷えるけれども、風の無い靜かな晩であつた。三つの惑星を見上げながら、私は、「詩と眞實デイヒトゥング・ウント・ワアルハイト」の冒頭を思ひ出してゐた。其處には、この詩人が誕生した日の・瑞象に充ちた星座の配置が、自己の偉大さへの自信に溢れた筆つきで記されてゐる。高等學校の理科三年の時、第二外國語の教科書として此の書物が使はれ、この冒頭の所の譯讀が私にあたつたので、はつきり覺えてゐるのである。急に、教科書に使つた其の本の緑色の表紙、それを金色で拔いた標題の文字、それを始めて手にした時の印刷インクの匂など、又、獨乙語の教師の風貌や、その聲つき、それから當時の級友達のこと迄が鮮かに頭に浮かんで來た。
 青春への郷愁に胸を灼かれるやうな思ひをしながら、私は部屋に歸つて來た。本棚や本箱をひつくり返して、まだ殘つてゐる筈の・昔使つた「詩と眞實デイヒトゥング・ウント・ワアルハイト」を探して見たが、見付からなかつた。取散らかされた書物の間で、暫くは、若さへの愛惜と、友情への飢渇とに、ぢつとしてはゐられないやうな・遣瀬ないとでもいふより言ひやうのない氣持であつた。
 二三日前にもこんなことがあつた。或る文字を引かうとして英和辭典をバラ/\とりながら、偶然開かれたページの Opera といふ文字に目がとまつた時、私は、瞬間ハツと何か明るい華やかな若々しいものが前を過ぎたやうな氣がした。田舍の暗い田圃道から、土手の上を通つて行く明るい夜汽車の窓々を見送る時に似て、今迄すつかり忘れてゐた華やかな夢の一片が、遠い世界からやつて來てチラリと前を通り過ぎて行つたやうな氣がした。私がまだ學生の頃、當時は映畫館でなかつた帝劇に、毎年三月頃になると、ロシヤとイタリイから歌劇團が來演した。カルメンやリゴレットやラ・ボエームやボリス・ゴドノフなど、私は金錢かねの許す限り其等を見に行つた。明るい照明の中で、女優達の豐かな肩や白い腕に生毛が光り、金髮が搖れ、頬が紅潮し、肉感的な若々しい聲が快く顫へて、私を醉はせた。偶然目にした Opera といふ、たつた五字が、失はれた・遠い・華やかな世界のかぐはしい空氣をちらと匂はせ、しばし私を混亂させた。所要の文字を探すことも忘れて、私は Opera といふ字を見詰めたまゝ、ぼんやりしてゐた。

 囘顧的になるのは身體が衰弱してゐるからだらうと人はいふ。自分もさうは思ふ。しかし何といつても、現在身を打込める仕事を(或ひは、生活を)つてゐないことが一番大きな原因に違ひない。
 實際、近頃の自分の生き方の、みじめさ、情なさ。うぢ/\と、内攻し、くすぶり、我と我が身を噛み、いぢけ果て、それで猶、うすつぺらな犬儒主義シニシズムだけは殘してゐる。こんな筈ではなかつたのだが、一體、どうして、又、何時頃から、こんな風になつて了つたのだらう? 兎に角、氣が付いた時には、既にこんなヘンなものになつて了つてゐたのだ。いゝ、惡い、ではない。強ひて云へば困るのである。ともかくも、自分は周圍の健康な人々と同じでない。勿論、矜恃を以ていふのではない。その反對だ。不安と焦躁とを以ていふのである。ものの感じ方、心の向ひ方が、どうも違ふ。みんなは現實の中に生きてゐる。俺はさうぢやない。かへるの卵のやうに寒天の中にくるまつてゐる。現實と自分との間を、寒天質の視力を屈折させるものが隔ててゐる。直接そとのものに觸れ感じることが出來ない。はじめはそれを知的裝飾と考へて、困りながらも自惚れてゐたことがある。しかし、どうもさうではないらしい。もつと根本的な・先天的な・或る能力の缺如によるものらしい。それも一つの能力でなく、幾つかの能力の缺如である。例へば、個人を個人たらしめる・最も普遍的な意味に於ての・功利主義が私には缺けてゐるやうだ。又、ものを一つの系列――或る目的へと向つて排列された一つの順序――として理解する能力が私には無い。一つ一つをそれ/″\獨立したものとして取上げて了ふ。一日なら一日を、將來の或る計畫のための一日として考へることが出來ない。それ自身の獨立した價値をもつた一日でなければ承知できないのだ。それから又、ものごと(自分自身をも含めて)の内側に直接はひつて行くことが出來ず、先づそとから、それに對して位置測定を試みる。全體に於ける其の位置、大きなものと對比した其の價値等を測つて見るだけで失望して了ひ、直接そのものの中にはひつて行けないのだ。sub specie aeternitatis に見る、といつたつて、別に哲人がる譯ではない。それ所か最も平凡な無常觀を以て見る――つまり、何事をも、(身の程知らずにも)永遠と對比して考へるために、先づその無意味さを感じて了ふのである。實際的な對處法を講ずる前に、そのことの究極の無意味さを考へて(本當は感ずるのだ。理窟ではなく、アヽツマラナイナアといふ腹の底からの感じ)一切の努力を抛棄して了ふのだ。
 考へて見れば、大體、今迄の生き方が、まあ何といふ無意味な生き方だつたか。精神の統一集注を妨げることにばかり費された半生といつてもいい。とにかく私は自分を眠らせ、自分の持つてゐるものを打消すことにばかり力を盡くして來たやうなものだ。
 曾て自分にも多少は感覺の良さがあつた時分には、私はそれにのみ奔ることを惧れて、自分の欲しもしない・無味な概念のかたまりを考へることによつて感覺を鈍くしようと力めた。さうして、結局凡ての概念が灰色だと知つた時、又、自分が苦心の結果取除くことに成功したところのものが、如何に黄金なす緑色をなしてゐたかを悟つた時には、すでにそれを取返すすべを失つてゐるのだ。私が曾て、かなり確かな記憶力をつてゐた頃、私は之を輕蔑した。記憶力しかつてゐない人間は、し算しか出來ない人間と同じだと云ひ、自分のこの力を撲滅しようとした。之は隨分無理なことだつた。で、少くとも、之を利用することだけは避けるやうにした。さて、人間生活の多くの貴い部分が、最も基礎的な意味に於て精神の此の能力に負うてゐることを、身を以て悟るやうになつた今となつては、はや(種々な藥品の過度の吸入や服用その他によつて)自分にそれが失はれてゐるのだ。
 今でもさうだが、以前から私は、夜、床に就いてから容易に睡れない。之は主に、この十年間一晩として服用しないでは濟まない喘息の鎭靜劑のせゐなのだが、結局睡眠の時間は二時間か三時間位のもので、却つて、晝間は一日中ボウツとしてゐる。床に就いてから眼が冴えてくるのに、私はそれでも無理に眠らなければいけないと考へて、恐らく私の一日中で一番頭のはつきりしてゐるに違ひない數時間を、眠らうとする消極的なくだらぬ努力のために費して了ふ。本當はさういふ時こそ、色々な思想の萌芽といつてもいゝやうなものが、どん/\湧いて來るやうな氣がするのだ。しかし、そんなものに就いて思考を集注し出したら一晩中興奮のために眠れないぞ、さうすると又、明日は發作だぞ、と、私は躍氣になつて、さうした斷片的な思惟の芽を揉み消して行く。全く私はどれ程の多くの思索の種子を寢床の闇の中でむざ/\とにじり潰して了つたことか。勿論、私は思想家でも科學者でもないから、私のひよい/\と浮かんで來る思ひつきや斷片的な考へが皆優れたものだつたらうなどといふのではない。けれども初めは極く詰まらないものであつても、後の發展によつては、案外面白いものとなり得ることがあるのは、物質界でも精神界でも屡※(二の字点、1-2-22)見られるのだ。闇の中で私に慘殺された無數の思ひつき(それらは、高く風に飛ぶ無數の蒲公英の種子のやうに、闇の中に舞ひ散つて、再び歸つて來ない)の中には、さうした類のものだつて多少は交じつてゐたらうと考へるのは、自惚に過ぎるだらうか?
 さて、數年の間斯うして、私の精神が溌剌として來ようとする時には、それを眠らせようと力め、それが眠く朦朧としてゐる時にのみ、それを働かせようとした。いや、精神をば全然働かせまいと力めたのだ。(何の爲に? 身體の爲に。それで身體はよくなつたか? どうして、どうして。少しもよくなんかなりはしない。)私はこの馬鹿げた企てに成功した。本當の睡眠も本當の覺醒も私からは失はれた。私の精神はもはや再び働く力を失ひ、完全に眠り・淀み・腐つた。精神の罐詰、腐つた罐詰、木乃伊、化石。
 之以上完全な輝かしい成功があらうか。

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