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手紙(てがみ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 9:03:05  点击:  切换到繁體中文


 自分はHにどんな宿屋が何軒あるかまるで知らなかったが、この旅館がそのうちでいちばんよいのだということだけは、かねて受け取った重吉の手紙によって心得ていた。なるほど奥をのぞいてみると、廊下が折れ曲がったり、中庭の先に新しい棟(むね)が見えたりして、さも広そうでかつ物綺麗(ものぎれい)であった。自分は番頭にどこか都合ができるだろうと言った。番頭は当惑したような顔をして、しばらく考えていたが、はなはだ見苦しい所で、一夜泊(いちやどま)りのお客様にはお気の毒でございますが、佐野さんのいらしったお座敷なら、どうかいたしましょうと答えた。その口ぶりから察すると、なんでもよほどきたない所らしいので、また少し躊躇(ちゅうちょ)しかけたが、もとよりこの地へ来て体裁を顧みる必要もない身だから、一晩や二晩はどんなへやで明かしたってかまわないという気になって、このあいだまで重吉のいたというそのへやへ案内してもらった。
 へやは第一の廊下を右へ折れて、そこの縁側から庭下駄(にわげた)をはいて、二足三足たたきの上を渡らなければはいれない代わりにどことも続いていないところが、まるで一軒立ちの観を与えた。天井の低いのや柱の細いのが、さも茶がかった空気を作るとともに、いかにも湿っぽい陰気な感じがした。そうして畳といわず襖(ふすま)といわずはなはだしく古びていた。向こうの藤棚(ふじだな)の陰に見える少し出張(でば)った新築の中二階などとくらべると、まるで比較にならないほど趣が違っていた。
 「こんな所にはいっていたのか」と思いながら、自分は茶をのんでしばらく座敷を見回していたが、やがて硯(すずり)を借りて、重吉の所へやる手紙を書いた。ただ簡単にK市へ用があって来たついでにここへ寄ったから、すぐ来いというだけにとどめた。それから湯にはいって出ると、もう食事の時間になった。自分はなるべく重吉といっしょに晩飯を食おうと思って、煙草を何本も吹かしながら、彼の来るのを心待ちに待っているうちに、向こうの中二階に電気燈がついて、にぎやかな人声が聞こえだした。自分はとうとう待ち切れず一人(ひとり)膳(ぜん)に向かった。給仕に出た女が、招魂祭でどこの宿屋でもこみ合っているとか、町ではいろいろの催しがあるとか、佐野さんも今晩はきっとどこかへお呼ばれなすったんでしょうとか言うのを聞きながら、ビールを一、二はいのんだ。下女は重吉のことをおとなしいよいかただと言った。女にほれられるかと聞いたら、えへへと笑っていた。道楽をするだろうと聞いたら、下を向いて小さな声をしていいえと答えた。

       五

 食事が済んで下女が膳(ぜん)をさげたのは、もう九時近くであった。それでも重吉はまだ顔を見せなかった。自分はひとりで縁鼻へ座ぶとんを運んで、手摺(てす)りにもたれながら向こう座敷の明るい電気燈やはでな笑い声を湿っぽい空気の中から遠くうかがってつまらない心持ちをつまらないなりに引きずるような態度で、煙草(たばこ)ばかり吹かしていた。そこへさっきの下女が襖(ふすま)をあけて、やっといらっしゃいましたと案内をした。そのあとから重吉が赤い顔をしてはいってきた。自分は重吉の赤い顔をこの時はじめて見た。けれども席に着いて挨拶(あいさつ)をする彼の様子といい、言葉数といい、抑揚(あげさげ)の調子といい、すべてが平生の重吉そのままであった。自分は彼の言語動作のいずれの点にも、酒気に駆られて動くのだと評してしかるべききわだった何物をも認めなかったので、異常な彼の顔色については、別にいうところもなく済ました。しばらくして彼は茶器を代えに来た下女の名を呼んで、コップに水を一ぱいくれと頼んだ。そうして自分の方を見ながら、どうも咽喉(のど)がかわいてと間接な弁解をした。
 「だいぶ飲んだんだね」
 「ええお祭りで、少し飲まされました」
 赤い顔のことは簡単にこれで済んでしまった。それからどこをどう話が通ったか覚えていないが、三十分ばかりたつうちに、自分も重吉もいつのまにか、いわゆる「あのこと」の圏内で受け答えをするようになった。
 「いったいどうする気なんだい」
 「どうする気だって、――むろんもらいたいんですがね」
 「真剣のところを白状しなくっちゃいけないよ。いいかげんなことを言って引っ張るくらいなら、いっそきっぱり今のうちに断わるほうが得策だから」
 「いまさら断わるなんて、僕はごめんだなあ。実際叔父(おじ)さん、僕はあの人が好きなんだから」
 重吉の様子にどこといって嘘(うそ)らしいところは見えなかった。
 「じゃ、もっと早くどしどしかたづけるが好いじゃないか、いつまでたってもぐずぐずで、はたから見ると、いかにも煮え切らないよ」
 重吉は小さな声でそうかなと言って、しばらく休んでいたが、やがて元の調子に戻って、こう聞いた。
 「だってもらってこんないなかへ連れてくるんですか」
 自分はいなかでもなんでもかまわないはずだと答えた。重吉は先方がそれを承知なのかと聞き返した。自分はその時ちょっと困った。実はそんな細かなことまで先方の意見を確かめたうえで、談判に来たわけではなかったのだからである。けれども行きがかり上やむをえないので、
 「そう話したら、承知するだろうじゃないか」と勢いよく言ってのけた。
 すると、重吉は問題の方向を変えて、目下の経済事情が、とうてい暖かい家庭を物質的に形づくるほどの余裕をもっていないから、しばらくのあいだひとりでしんぼうするつもりでいたのだという弁解をしたうえ、最初の約束によれば、ことしの暮れには月給が上がって東京へ帰れるはずだから、その時は先さえ承知なら、どんな小さな家でも構えて、お静さんを迎える考えだと話した。もし事が約束どおりに運ばないため、月給も上がらず、東京へも帰れなかったあかつきには、その時こそ、先方さえ異存がなければ、自分の言ったようにする気だから、なにぶんよろしく頼むということもつけ加えた。自分は一応もっともだと思った。
 「そうお前の腹がきまってるなら、それでいい。叔母(おば)さんも安心するだろう。お静さんのほうへも、よくそう話しておこう」
 「ええどうぞ――。しかし僕の腹はたいてい貴方(あなた)がたにはわかってるはずですがねえ」
 「そんなら、あんな返事をよこさないがいいよ。ただよろしく願いますだけじゃなんだかいっこうわからないじゃないか。そうして、あのはがきはなんだい、私はまだ道楽を始めませんから、だいじょうぶですって。本気だか冗談だかまるで見当がつかない」
 「どうもすみません。――しかしまったく本気なんです」と言いながら、重吉は苦笑して頭をかいた。
 「あのこと」はそれで切り上げて、あとはまとまらない四方山(よもやま)の話に夜(よ)をふかした。せっかくだから二、三日逗留(とうりゅう)してゆっくりしていらっしゃいと勧めてくれるのを断わって、やはりあくる日立つことにしたので、重吉はそんならお疲れでしょう、早くお休みなさいと挨拶して帰っていった。

       六

 あくる朝顔を洗ってへやへ帰ると、棚(たな)の上の鏡台が麗々と障子の前にすえ直してある。自分は何気なくその前にすわるとともに鏡の下の櫛(くし)を取り上げた。そしてその櫛をふくつもりかなにかで、鏡台のひきだしを力任せにあけてみた。すると浅い桐(きり)の底に、奥の方で、なにかひっかかるような手ごたえがしたのが、たちまち軽くなって、するすると、抜けてきたとたんに、まき納めてねじれたような手紙の端がすじかいに見えた。自分はひったくるようにその手紙を取って、すぐ五、六寸破いて櫛をふこうとして見ると、細かい女の字で白紙の闇(やみ)をたどるといったように、細長くひょろひょろとなにか書いてあるのに気がついた。自分はちょっと一、二行読んでみる気になった。しかしこのひょろひょろした文字が言文一致でつづられているのを発見した時、自分の好奇心は最初の一、二行では満足することができなくなった。自分は知らず知らず、先に裂き破った五、六寸を一息(ひといき)に読み尽くした。そうして裂き残しの分へまでもどんどん進んでいった。こう進んでゆくうちにも、自分は絶えず微笑を禁じえなかった。実をいうと手紙はある女から男にあてた艶書(えんしょ)なのである。
 艶書だけに一方からいうとはなはだ陳腐には相違ないが、それがまた形式のきまらない言文一致でかってに書き流してあるので、ずいぶん奇抜だと思う文句がひょいひょいと出てきた。ことに字違いや仮名違いが目についた。それから感情の現わし方がいかにも露骨でありながら一種の型にはいっているという意味で誠がかえって出ていないようにもみえた。最も恐るべくへたな恋の都々一(どどいつ)なども遠慮なく引用してあった。すべてを総合して、書き手のくろうとであることが、誰(だれ)の目にもなにより先にまず映る手紙であった。どうせ無関係な第三者がひとの艶書のぬすみ読みをするときにこっけいの興味が加わらないはずはないわけであるが、書き手が節操上の徳義を負担しないで済むくろうとのような場合には、この興味が他の厳粛な社会的観念に妨げられるおそれがないだけに、読み手ははなはだ気楽なものである。
 そういう訳で、自分は多大の興味をもってこの長い手紙をくすくす笑いながら読んだ。そうして読みながら、こんなに女から思われている色男は、いったい何者だろうかとの好奇心を、最後の一行が尽きて、名あての名が自分の目の前に現われるまで引きずっていった。ところがこの好奇心が遺憾なく満足されべき画竜点睛(がりょうてんせい)の名前までいよいよ読み進んだ時、自分は突然驚いた。名あてには重吉の姓と名がはっきり書いてあった。
 自分は少しのあいだぼんやり庭の方を見ていた。それから手に持った手紙をさらさらと巻いて浴衣(ゆかた)のふところへ入れた。そうして鏡の前で髪を分けた。時計を見ると、まだ七時である。しかし自分は十時何分かの汽車で立つはずになっていた。手をたたいて下女を呼んで、すぐ重吉を車で迎えにやるように命じた。そのあいだに飯を食うことにした。
 なんだかおかしいという気分もいくぶんかまじっていた。けれども総体に「あの野郎」という心持ちのほうが勝っていた。そのあの野郎として重吉をながめると、宿をかえていつまでも知らせなかったり、さんざん人を待たせて、気の毒そうな顔もしなかったり、やっとはいってきたかと思うと、一面アルコールにいろどられていたり、すべて不都合だらけである。が、平生どの角度に見ても尋常一式なあの男が、いつのまに女から手紙などをもらってすまし返っているのだろうと考えると、あたりまえすぎるふだんの重吉と、色男として別に通用する特製の重吉との矛盾がすこぶるこっけいに見えた。したがって自分はどっちの感じで重吉に対してよいかわからなかった。けれどもどっちかにきめて、これを根本調として会見しなければならないということに気がついた。自分は食後の茶を飲んで楊枝(ようじ)を使いながら、ここへ重吉が来たらどう取り扱ったものだろうと考えた。

       七

 そこへ宿から迎えにやった車に乗って、彼はすぐかけつけてきた。彼に対する態度をまだよく定めていない自分には、彼の来かたがむしろ早すぎるくらい、現われようが今度は迅速(じんそく)であった。彼は簡単に、早いじゃありませんか、今朝(けさ)起きたらすぐ上がるつもりでいたところをお迎えで――と言ったまま、そこへすわって、自分の顔を正視した。この時はたから二人(ふたり)の様子を虚心に観察したら、重吉のほうが自分よりはるかに無邪気に見えたに違いない。自分は黙っていた。彼は白足袋(しろたび)に角帯で単衣(ひとえ)の下から鼠色(ねずみいろ)の羽二重(はぶたえ)を掛けた襦袢(じゅばん)の襟(えり)を出していた。
 「今日(きょう)はだいぶしゃれてるじゃないか」
 「昨夕(ゆうべ)もこの服装(なり)ですよ。夜だからわからなかったんでしょう」
 自分はまた黙った。それからまたこんな会話を二、三度取りかわしたが、いつでもそのあいだに妙な穴ができた。自分はこの穴を故意にこしらえているような感じがした。けれども重吉にはそんなわだかまりがないから、いくら口数を減らしてもその態度がおのずから天然であった。しまいに自分はまじめになって、こう言った。
 「実は昨夕もあんなに話した、あのことだがね。どうだ、いっそのこときっぱり断わってしまっちゃ」
 重吉はちょっと腑(ふ)に落ちないという顔つきをしたが、それでもいつものようなおっとりした調子で、なぜですかと聞き返した。
 「なぜって、君のような道楽ものは向こうの夫になる資格がないからさ」
 今度は重吉が黙った。自分は重ねて言った。
 「おれはちゃんと知ってるよ。お前の遊ぶことは天下に隠れもない事実だ」
 こう言った自分は、急に自分の言葉がおかしくなった。けれども重吉が苦笑いさえせずに控えていてくれたので、こっちもまじめに進行することができた。
 「元来男らしくないぜ。人をごまかして自分の得ばかり考えるなんて。まるで詐欺だ」
 「だって叔父(おじ)さん、僕は病気なんかに、まだかかりゃしませんよ」と重吉が割り込むように弁解したので、自分はまたおかしくなった。
 「そんなことがひとにわかるもんか」
 「いえ、まったくです」
 「とにかく遊ぶのがすでに条件違反だ。お前はとてもお静さんをもらうわけにゆかないよ」
 「困るなあ」
 重吉はほんとうに困ったような顔をして、いろいろ泣きついた。自分は頑(がん)として破談を主張したが、最後に、それならば、彼が女を迎えるまでの間、謹慎と後悔を表する証拠として、月々俸給のうちから十円ずつ自分の手もとへ送って、それを結婚費用の一端とするなら、この事件は内済にして勘弁してやろうと言いだした。重吉は十円を五円に負けてくれと言ったが、自分は聞き入れないで、とうとうこっちの言い条どおり十円ずつ送らせることに取りきめた。
 まもなく時間が来たので、自分はさっそくたって着物を着かえた。そうして俥(くるま)を命じて停車場(ステーション)へ急がした。重吉はむろんついて来た。けれども鞄(カバン)膝掛(ひざか)けその他いっさいの手荷物はすでに宿屋の番頭が始末をして、ちゃんと列車内に運び込んであったので、彼はただ手持(ても)ち無沙汰(ぶさた)にプラットフォームの上に立っていた。自分は窓から首を出して、重吉の羽二重の襟と角帯と白足袋を、得意げにながめていた。いよいよ発車の時刻になって、車の輪が回りはじめたと思うきわどい瞬間をわざと見はからって、自分は隠袋(かくし)の中から今朝(けさ)読んだ手紙を出して、おいお土産(みやげ)をやろうと言いながら、できるだけ長く手を重吉の方に伸ばした。重吉がそれを受け取る時分には、汽車がもう動きだしていた。自分はそれぎり首を列車内に引っ込めたまま、停車場(ステーション)をはずれるまでけっしてプラットフォームを見返らなかった。
 うちへ帰っても、手紙のことは妻(さい)には話さなかった。旅行後一か月めに重吉から十円届いた時、妻はでも感心ねと言った。二か月めに十円届いた時には、まったく感心だわと言った。三か月めには七円しかこなかった。すると妻は重吉さんも苦しいんでしょうと言った。自分から見ると、重吉のお静さんに対する敬意は、この過去三か月間において、すでに三円がた欠乏しているといわなければならない。将来の敬意に至ってはむろん疑問である。



底本:「硝子戸の中」角川文庫、角川書店
   1954(昭和29)年6月10日 初版発行
   1994(平成6)年3月10日 改版21版発行
入力:柴田卓治
校正:しず
ファイル作成:野口英司
1999年9月9日公開
青空文庫作成ファイル:
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