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道楽と職業(どうらくとしょくぎょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 9:05:25  点击:  切换到繁體中文

ただいまは牧君の満洲問題――満洲の過去と満洲の未来というような問題について、大変条理の明かな、そうして秩序のよい演説がありました。そこで牧君の披露に依ると、そのあとへ出る私は一段と面白い話をするというようになっているが、なかなか牧君のようにうまくできませぬ。ことに秩序が無かろうと思う。ただいま本社の人が明日の新聞に出すんだから、講演の梗概こうがいを二十行ばかりにつづめて書けという注文でしたが、それは書けないと言って断ったくらいです。それじゃアしゃべらないかというと、現にこうやってしゃべりつつある。しゃべる事はあるのですが、秩序とか何とかいう事が、ハッキリ句切くぎりがついて頭に畳み込んでありませぬから、あるいは前後したり、混雑したり、いろいろお聴きにくいところがあるだろうと思います。ことにあなた方の頭も大分つかれておいででしょうから、まずなるべく短かく申そうと思う。
 私の申すのは少しもむずかしいことではありません。満洲とか安南とかいう対外問題とは違ってごくやさしい「道楽と職業」という至極しごく簡単なみだしです。内容も従って簡単なものであります。まあそれをちょっとわずかばかり御話をしようと思う。
 元来こんな所へ来て講演をしようなどとは全く思いもよらぬことでありましたが、「是非出て来い」とこういう訳で、それでは何か問題を考えなければならぬからその問題を考える時間を与えてくれと言いましたら、社の方ではよろしいと云って相応の日子にっしを与えてくれました。ですから考えて来ないということも言えず、出て来ないということも無論言えず、それでとうとうここへ現われる事になりました。けれども明石あかしという所は、海水浴をやる土地とは知っていましたが、演説をやる所とは、昨夜到着するまでも知りませんでした。どうしてああいう所で講演会を開くつもりか、ちょっとその意を得るに苦しんだくらいであります。ところが来て見ると非常に大きな建物があって、あそこで講演をやるのだと人から教えられて始めてもっともだと思いました。なるほどあれほどの建物を造ればその中で講演をする人をどこからか呼ばなければいわゆる宝の持腐れになるばかりでありましょう。したがって西日がカンカン照って暑くはあるが、せっかくの建物に対しても、あなた方は来て見る必要があり、また我々は講演をする義務があるとでも言おうか、まアあるものとしてこの壇上に立った訳である。
 そこで「道楽と職業」という題。道楽と云いますと、悪い意味に取るとお酒を飲んだり、または何か花柳社会へ入ったりする、俗に道楽息子と云いますね、ああいう息子のする仕業しわざ、それを形容して道楽という。けれども私のここで云う道楽は、そんな狭い意味で使うのではない、もう少し広く応用のく道楽である。い意味、善い意味の道楽という字が使えるか使えないか、それは知りませぬが、だんだん話して行くうちに分るだろうと思う。もし使えなかったら悪い意味にすればそれでよいのであります。
 道楽と職業、一方に道楽という字を置いて、一方に職業という字を置いたのは、ちょうど東と西というようなもので、南北あるいは水火、つまり道楽と職業が相闘うところを話そうと、こういう訳である。すなわち道楽と職業というものは、どういうように関係して、どういうように食い違っているかということをまず話して――もっともその道楽も職業も、すでに御承知のあなた方にそういう事を言う必要もなし、私もいてやりたくはないが、しかしぜん申したような訳でわざわざ出て来たものだから、そこはあなた方にすでに御分りになっている程度以上に、一歩でももう少し明かに分らせることが、私の力でできればそれで私の役目は済んだものと内々たかをくくっているのであります。
 それで我々は一口によく職業と云いますが、私この間も人に話したのですが、日本に今職業が何種類あって、それが昔に比べてどのくらいの数にえているかということを知っている人は、おそらく無いだろうと思う。現今の世の中では職業の数は煩雑はんざつになっている。私はかつて大学に職業学という講座を設けてはどうかということを考えた事がある。建議しやしませぬが、ただ考えたことがあるのです。なぜだというと、多くの学生が大学を出る。最高等の教育の府を出る。もちろん天下の秀才が出るものと仮定しまして、そうしてその秀才が出てから何をしているかというと、何か糊口ここうの口がないか何か生活の手蔓てづるはないかと朝から晩まで捜して歩いている。天下の秀才を何かないか何かないかと血眼ちまなこにさせて遊ばせておくのは不経済の話で、一日遊ばせておけば一日の損である。二日遊ばせておけば二日の損である。ことに昨今のように米価の高い時はなおさらの損である。一日も早く職業を与えれば、父兄も安心するし当人も安心する。国家社会もそれだけ利益を受ける。それで四方八方良いことだらけになるのであるけれども、その秀才が夢中に奔走して、汗をダラダラ垂らしながら捜しているにもかかわらず、いわゆる職業というものがあまり無いようです。あまりどころかなかなか無い。今言う通り天下に職業の種類が何百種何千種あるか分らないくらい分布配列されているにかかわらず、どこへでも融通がくべきはずの秀才が懸命にけ廻っているにもかかわらず、自分の生命を託すべき職業がなかなか無い。三箇月も四箇月も遊んでいる人があるのでこれは気の毒だと思うと、豈計あにはからんやすでに一年も二年もボンヤリして下宿に入ってなすこともなく暮しているものがある。現に私の知っている者のうちで、一年以上も下宿に立てこもって、いまだに下宿料を一文も払わないで茫然ぼうぜんとしている男がある。もっとも下宿の方でも信用しているから貸しておくし、当人もどうかなるだろうと思って安心はしているらしいが国家の経済からいうとずいぶん馬鹿気た話であります。私も多少知っている間柄あいだがらだから気の毒に思って、職業は無いか職業は無いかぐらい人に尋ねて見るが、どこにもそう云う口が転がっていないので残念ながらまだそのままになっています。けれども今言う通り職業の種類が何百通りもあるのだから、理窟りくつから云えばどこかへぶつかってしかるべきはずだと思うのです。ちょうど嫁を貰うようなもので自分の嫁はどこかにあるにきまってるし、また向うでも捜しているのは明らかな話しだが、ついうまく行かないといつまでも結婚が後れてしまう。それと同じでいくら秀才でも職業にぶつからなければしようがないのでしょう。だから大学に職業学という講座があって、職業は学理的にどういうように発展するものである。またどういう時世にはどんな職業が自然の進化の原則として出て来るものである。と一々明細に説明してやって、例えば東京市の地図が牛込区とか小石川区とか何区とかハッキリ分ってるように、職業の分化発展の意味も区域も盛衰も一目の下に暸然会得りょうぜんえとくできるような仕かけにして、そうして自分の好きな所へ飛び込ましたらまことに便利じゃないかと思う。まあこれは空想です。実際やって見ないから分らぬが、恐らくできますまい。できたらよかろうと思うだけです。非常に経済なことにはなるでしょう。
 こんな考を起すほどに私は今の日本に職業が非常にたくさんあるし、またその職業が混乱錯雑しているように思うのです。現にこの間も往来を通ったら妙な商売がありました。それは家とか土蔵とかを引きずって行くという商売なんだから私は驚いたのであります。この公会堂をこのまま他の場所へ持って行くという商売です。いくら東京に市区改正が激しく行われたって、そう毎年建てたばかりの家の位置を動かさなければならぬというように変化していやアしない。現に私の家などは建った時から今日まで市区改正に掛らずにいる。ほよど辺鄙へんぴな所にあるのだからでしょう。けれどもたとい繁華はんかな所にいたって、そう始終しじゅう家を引ッ張ッてッて貰わなければならぬという人はない。しかるにそれを専門に商売にしている者があるから、東京は広いと思ったのです。馬琴の小説には耳のあか取り長官とか云う人がいますが、ひと耳垢みみあかを取る事を職業にでもしていたのでしょうか。西洋には爪を綺麗きれいに掃除したり恰好かっこうをよくするという商売があります。近頃日本でも美顔術といって顔の垢を吸出して見たり、クリームを塗抹とまつして見たりいろいろの化粧をしてくれる専門家が出て来ましたが、ああいう商売はおそらく昔はないのでしょう。今日のように職業がいもつるみたようにそれからそれへと延びて行っていろいろ種類がえなければ、美顔術などという細かな商売は存在ができなかろうと思う。もっとも昔はかえって今にない商売がありました。私の幼少の時は「柳の虫や赤蛙あかがえる」などと云って売りに来た。何にしたものか今はただ売声だけ覚えています。それから「いたずらものはいないかな」と云って、旗をかついで往来を歩いて来たのもありました。子供の時分ですからその声を聞くと、ホラ来たと云って逃げたものである。よくよく聞いて見ると鼠取ねずみとりの薬を売りに来たのだそうです。鼠のいたずらもので人間のいたずらものではないというのでやっと安心したくらいのものである。そんな妙な商売は近頃とんと無くなりましたが、締括しめくくった総体の高から云えば、どうも今日の方が職業というものはよほど多いだろうと思う。単に職業に変化があるばかりでなく、細かくなっている。現に唐物屋とうぶつやというものはこの間まで何でも売っていた。えりとか襟飾りとかあるいはズボン下、靴足袋くつたびかさ、靴、たいていなものがありました。身体からだへつけるいっさいの舶来品を売っていたと云っても差支さしつかえない。ところが近頃になるとそれが変ってシャツ屋はシャツ屋の専門ができる、傘屋は傘屋、靴屋は靴屋とちゃんと分れてしまいました。靴足袋屋……これはまだ専門はできないようだが、今にできるだろうと思います。現に日本の足袋屋は専門になっています。十文のをくれと云えば十文のをくれる、十一文のをくれろと云えば十一文のをくれる。私が演説を頼まれて即席に引受けないのは、足袋屋みたいにちょっと出来合いがないからです。どうか十文の講演をやってくれ、あそこは十一文甲高こうだかの講演でなければ困るなどと注文される。そのくらいに私が演説の専門家になっていれば訳はありませんが私の御手際おてぎわはそれほど専門的に発達していない。素人しろうとが義理に東京からわざわざ明石辺までやって来るというくらいの話でありますから、なかなかそううまくはいきませぬ。足袋屋はさておいて食物屋たべものやの方でもチャンとした専門家があります。例えば牛肉も鳥の肉も食わせる所があるかと思うと、牛肉ばかりのうちがあるし、また鳥の肉でなければ食わせないという家もある。あるいはそれが一段細かくなって家鴨あいがもよりほかに食わせない店もある。しまいには鳥の爪だけ食わせる所とか牛の肝臓だけ料理する家ができるかも知れない。分れて行けばどこまで行くか分りません。こんなにはげしい世間だからしまいには大変なことになるだろうと思う。とにかく職業は開化が進むにつれて非常に多くなっていることが驚くばかり眼につくようです。ところがこれは当り前のことで学問の研究の上から世の中の変化とでも云いましょうか、漠然ばくぜんたる社会の傾向とでも云いましょうか、必然の勢そういうように割れて細かになって来るのであります。これは何も私の発明した事実でも何でもない、昔から人の言っていることであります。昔の職業というものは大まかで、何でも含んでいる。ちょうど田舎いなかの呉服屋みたいに、反物を売っているかと思うと傘を売っておったり油も売るという、何屋だか分らぬ万事いっさいを売る家というようなものであったのが、だんだん専門的に傾いていろいろに分れる末はほとんど想像がつかないところまで細かに延びて行くのが一般の有様と行って差支ないでしょう。
 ところでこの事実をずっと想像に訴えて遠い過去にさかのぼったらどうなるでしょう。あるいは想像でも溯れないかも知れないけれども、この事実のうちに含まれている論理の力で後ろの方へ逆行したらどんなものでしょう。今言う通り昔は商売というものの数が少なかった。職業の数が少なくって、世間の人もそのわずかな商売をもって満足しておったという訳なのだから、あるいはかさを買いに行っても傘がない、衣物きものを買いに行っても衣物がないという時代がないとも限らない。私はかつて熊本におりましたが、或る時灰吹はいふきを買いに行ったことがある。ところが灰吹はないと云う。熊本中どこを尋ねても無いかと云ったら無いだろうと云う。じゃ熊本では煙草たばこまないかたんを吐かないかというと現に煙草を喫んでいる。それでは灰吹はどうするんだと聞くと、裏のやぶへ行って竹をって来てこしらえるんだと教えてくれました。裏の藪から伐って来て、青竹の灰吹で間に合わしておけばよいと思っているところでは灰吹は売れない訳である。したがって売っているはずがないのである。そういう風に自分で人の厄介にならずに裏の藪へ行って竹を伐って灰吹を造るごとく、人のお世話にならないで自分の身のまわりをなるべく多く足す、また足さなければならない時代があったものでしょう。さてその事実を極端まで辿たどって行くと、いっさい万事自分の生活に関した事は衣食住ともいかなる方面にせよ人のおかげこうむらないで、自分だけで用を弁じておった時期があり得るという推測になる。人間がたった一人で世の中に存在しているということは、ほとんど想像もできないかも知れないし、またそこまで論理を頼りに推詰めて考える必要もない話ですが、そこまで行かないとちょっと講話にならないから、まあそうしておくのです。すなわち誰のお世話にもならないで人間が存在していたという時代を思い浮べて見る。例えば私がこの着物を自分で織って、このえりを自分でこしらえて、すべて自分だけで用を弁じて、何も人のお世話にならないという時期があったとする。また有ったとしてもよいでしょう。そういう時期が何時かあったらどうするという意味ではないが、まああると仮定して御覧なさい。そうしたらそういう時期こそ本当の独立独行という言葉の適当に使える時期じゃないでしょうか。人から月給を貰う心配もなければ朝起きて人にお早うと言わなければ機嫌きげんが悪いという苦労もない。生活上寸毫すんごうも人の厄介にならずに暮して行くのだから平気なものである。人にすくなくとも迷惑をかけないし、また人にいささかの恩義も受けないで済むのだから、これほど都合の好いことはない。そういう人が本当の意味で独立した人間といわなければならないでしょう。実際我々は時勢の必要上そうは行かないようなものの腹の中では人の世話にならないでどこまでも一本立でやって行きたいと思っているのだからつまりはこんな太古の人を一面には理想として生きているのである。けれども事実やむをえない、仕方がないからまず衣物を着る時には呉服屋の厄介になり、おさいを拵える時には豆腐屋の厄介になる。米も自分でくよりも人の搗いたのを買うということになる。その代りに自分は自分で米を搗き自分で着物を織ると同程度の或る専門的の事を人に向ってしつつあるという訳になる。私はいまだかつて衣物を織ったこともなければ、靴足袋くつたびを縫ったこともないけれども、自ら縫わぬ靴足袋、あるいは自ら織らぬ衣物の代りに、新聞へ下らぬ事を書くとか、あるいはこういう所へ出て来てお話をするとかして埋合せをつけているのです。私ばかりじゃない、誰でもそうです。するとこの一歩専門的になるというのはほかの意味でも何でもない、すなわち自分の力に余りある所、すなわち人よりも自分が一段とぬきんでている点に向って人よりも仕事を一倍にして、その一倍の報酬に自分に不足した所を人から自分に仕向けて貰って相互の平均を保ちつつ生活を持続するという事に帰着する訳であります。それをごくむずかしい形式に現わすというと、自分のためにする事はすなわち人のためにすることだという哲理をほのめかしたような文句になる。これでもまだちょっと分らないなら、それをもっと数学的に言い現わしますと、己のためにする仕事の分量は人のためにする仕事の分量と同じであるという方程式が立つのであります。人のためにする分量すなわち己のためにする分量であるから、人のためにする分量が少なければ少ないほど自分のためにはならない結果を生ずるのは自然の理であります。これに反して人のためになる仕事を余計すればするほど、それだけ己のためになるのもまた明かな因縁いんねんであります。この関係を最も簡単にかつ明暸めいりょうに現わしているのは金ですな。つまり私が月給を拾五円なら拾五円取ると、拾五円がた人のために尽しているという訳で取りも直さずその拾五円が私の人に対して為し得る仕事の分量を示す符丁ふちょうになっています。拾五円方人に対する労力を費す、そうして拾五円現金で入ればすなわちその拾五円は己のためになる拾五円に過ぎない。同じ訳で人のためにも千円の働きができれば、己のために千円使うことができるのだから誠に結構なことで、諸君もなるべく精出せいだして人のためにお働きになればなるほど、自分にもますます贅沢ぜいたくのできる余裕を御作りになると変りはないから、なるべく人のために働く分別をなさるが宜しかろうと思う。

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