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文士の生活(ぶんしのせいかつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 9:17:57  点击:  切换到繁體中文

私が巨万の富を蓄えたとか、立派な家を建てたとか、土地家屋を売買して金をもうけて居るとか、種々なうわさが世間にあるようだが、皆うそだ。
 巨万の富を蓄えたなら、第一こんなきたない家に入って居はしない。土地家屋などはどんな手続きで買うものか、それさえ知らない。此家だって自分の家では無い。借家である。月々家賃を払って居るのである。世間の噂と云うものは無責任なものだと思う。
 ず私の収入から考えてもらいたい。私にどうして巨万の富の出来ようはずがあるか――と云うと、ではあなたの収入は?とかれるかも知れぬが、定収入といっては朝日新聞から貰って居る月給である。月給がいくらか、それは私から云って良いものやら悪いものやら、私にはわからぬ。聞きたければ社の方で聞いて貰いたい。それからあとの収入は著書だ。著書は十五六種あるが、皆印税になって居る。すると又印税は何割だと云うだろうが、私のはほかの人のより少し高いのだそうだ。これを云ってしまっては本屋が困るかも知れぬ。一番売れたのは『吾輩は猫である』で、従来の菊判の本のほかに此頃縮刷したのが出来て居る。此の両方合せて三十五版、部数は初版が二千部で二版以下は大抵千部である。もっとも此三十五版と云うのは上巻で、中巻や下巻はもっと版数が少い。幾割の印税を取った処が、著書で金をもうけて行くと云う事は知れたものである。
 一体書物を書いて売るという事は、私は出来るならしたくないと思う。売るとなると、多少慾が出て来て、評判を良くしたいとか、人気を取りたいとか云う考えが知らず知らずに出て来る。品性が、それから書物の品位が、幾らかいやしくなり勝ちである。理想的に云えば、自費で出版して、同好者にただわかつと一番良いのだが、私は貧乏だからそれが出来ぬ。
 衣食住に対する執着は、私だって無い事はない。いい着物を着て、美味うまい物を食べて、立派な家に住みいと思わぬ事は無いが、ただそれが出来ぬから、こんな処で甘んじて居る。
 美服は好きである。あえて流行をう考も無いし、もう年を取ったからしゃれても仕方が無いと思って居るので、妻の御仕着せを黙って着て居るが、女などがいい着物を着たのを見ると、成程なるほどいいと思う。 
 食物は酒を飲む人のように淡泊な物は私には食えない。私は濃厚な物がいい。支那料理、西洋料理が結構である。日本料理などは食べたいとは思わぬ。もっとも此支那料理、西洋料理も或る食通と云う人のように、何屋の何で無くてはならぬと云う程に、味覚が発達しては居ない。幼穉ようちな味覚で、油っこい物を好くと云うだけである。酒は飲まぬ。日本酒一杯位は美味うまいと思うが、二三杯でもう飲めなくなる。
 其の代り菓子は食う。これとても有れば食うと云う位で、態々わざわざ買って食いたいと云う程では無い。煎茶せんちゃ美味うまいと思って飲むが、自分で茶の湯を立てる事は知らぬ。たばこは吸って居る。一事止した事もあったが、莨を吸わぬ事が別に自慢にもならぬと思ったから、又吸い出した。余り吸って舌が荒れたり胃が悪くなったりすれば一寸ちょっと止すが、なおれば又吸う。常に家に居て吸って居るのは朝日である。値段は幾らだか知らぬが、安いのであろうが、妻がこればかり買って置くから、これを飲んで居る。外に出て買う時に限って敷島しきしまを吸うのは、十銭銀貨一つほうり出せば、釣銭つりせんらずに便利だからである。朝日よりも美味うまいか如何どうか、私には解らぬ。
 家に対する趣味は人並に持って居る。此の間も麻布あざぶ骨董屋こっとうやをひやかしに出掛けた帰りに、人の家をひやかして来た。一寸ちょっと眼に附く家を軒毎のきごとのぞき込んで一々点数を附けて見た。私は家を建てる事が一生の目的でも何でも無いが、やがて金でも出来るなら、家を作って見たいと思って居る。しかし近い将来に出来そうも無いから、如何どう云う家を作るか、別に設計をして見た事はない。
 此家は七間ばかりあるが、私は二間使って居るし、子供が六人もあるから狭い。家賃は三十五円である。家主はほかとの釣合があるから四十円だと云ってれと云って居るが、別にうそを云う事もないと思って、人には正直に三十五円だと云って居る。家主が怒るかも知れぬ。地坪は三百坪あるから、庭は狭い方では無い。しかし植木は皆自分で入れたのだから、こんな庭の附いている家としたら、三十五円や四十円では借りられないだろう。植木屋と云うものは勝手なもので、一度手入れをさせたら、こっちで呼ばないのに、時々若い者を連れて仕事にやって来る。物の一月余りもこちこち其処辺そこらをいじって居る事がある。別に断わるのも妙だと思って、何とも云わずに居るが、中々金がかかる。
 私はもっと明るい家が好きだ。もっと奇麗きれいな家にも住みたい。私の書斎の壁は落ちてるし、天井てんじょう雨洩あまもりのシミがあって、随分きたないが、別に天井を見て行ってれる人もないから、此儘このままにして置く。何しろ畳の無い板敷である。板の間から風が吹き込んで冬などはたまらぬ。光線の工合ぐあいも悪い。此上にすわって読んだり書いたりするのはつらいが、気にし出すと切りが無いから、かまわずに置く。此間或る人が来て、天井を張る紙を上げましょうと云って呉れたが、御免ごめんこうむった。別に私がこんな家が好きで、こんな暗い、きたない家に住んで居るのではない。余儀なくされて居るまでである。
 娯楽と云うような物には別に要求もない。玉突は知らぬし、囲碁いご将棊しょうぎも何も知らぬ。芝居は此頃何かの行掛り上から少し見た事は見たが、自然と頭の下るような心持で見られる芝居は一つも無かった。面白いとは勿論もちろん思わぬ。音楽も同様である。西洋音楽のいいのを聞いたら如何どうか知らぬが、私は今までそう云う西洋音楽を聞いた事の無いせいか、だ一度も良い書画を見る位の心持さえ起した事は無い。日本音楽などは尚更なおさら詰らぬものだと思う。ただ謡曲けはやって居る。足掛六七年になるが、これもなまけて居るから、どれ程の上達もして居ない。しもがかりの宝生で、先生は宝生新氏である。もっとも私は芸術のつもりでやって居るのではなく、半分運動のつもりでうなるまでの事である。 
 書画だけには多少の自信はある。あえ造詣ぞうけいが深いというのでは無いが、いい書画を見た時ばかりは、自然と頭が下るような心持がする。人に頼まれて書を書く事もあるが、自己流で、別に手習いをした事は無い。ほんとの恥を書くのである。骨董こっとうも好きであるが所謂いわゆる骨董いじりではない。第一金が許さぬ。自分の懐都合ふところつごうのいい物を集めるので、智識は悉無しつむである。どこの産だとか、時価はどの位だとか、そんな事は一切知らぬ。然し自分の気に入らぬ物なら、何万円の高価な物でも御免ごめんこうむる。
 明窓浄机めいそうじょうき。これが私の趣味であろう。閑適を愛するのである。
 小さくなって懐手ふところでして暮したい。明るいのが良い。暖かいのが良い。
 性質は神経過敏の方である。物事に対して激しく感動するので困る。そうかと思うと、又神経遅鈍な処もある。意志が強くて押える力のある為めと云うのでは無かろう。全く神経の感じの鈍い処が何処どこかにあるらしい。
 物事に対する愛憎あいぞうは多い方である。手廻りの道具でも気に入ったの、きらいなのが多いし、人でも言葉つき、態度、仕事のくちなどで好きな人と嫌いな人がある。どんなのが好きで、どんなのが嫌いかと云う事は、いずれ又記す機会があろうと思う。
 朝は七時過ぎ起床。夜は十一時前後に寝るのが普通である。昼食後一時間位、転寝うたたねをする事があるが、これをすると頭の工合ぐあいの大変よいように思う。出不精でぶしょうの方で余り出掛けぬが、時々散歩はする。俗用で外出をむなくされる事も、たまには無いではない。人を訪問に出る事はあるが、年始とか盆とかの廻礼などは絶対にしない。又する必要はないと考えて居る。
 執筆する時間は別にきまりが無い。朝の事もあるし、午後や晩の事もある。新聞の小説は毎日一回ずつ書く。書きめて置くと、どうもよく出来ぬ。矢張やはり一日一回で筆を止めて、後は明日まで頭を休めて置いた方が、よく出来そうに思う。一気呵成いっきかせいと云うような書方はしない。一回書くのに大抵三四時間もかかる。然し時に依ると、朝から夜までかかって、それでも一回の出来上らぬ事もある。時間が十分にあると思うと、矢張長時間かかる。午前中きり時間が無いと思ってかかる時には、又其の切り詰めた時間で出来る。
 障子しょうじに日影の射した処で書くのが一番いいが、此家ではそんな事が出来ぬから、時に日の当る縁側えんがわに机を持ち出して、頭から日光を浴びながら筆を取る事もある。余り暑くなると、麦藁帽子むぎわらぼうしかぶって書くような事もある。こうして書くと、よく出来るようである。すべて明るい処がよい。
 原稿紙は十九字詰十行の洋罫紙ようけいしで、輪廓りんかくは橋口五葉君に画いて貰ったのを春陽堂に頼んで刷らせて居る。十九字詰にしたのは、此原稿紙をこしらえた時に、新聞が十九字詰であったからである。用筆は最初Gの金ペンを用いた。五六年も用いたろう。其後万年筆にした。今用いて居る万年筆は二代目のでオノトである。別にこれがいいと思って使って居るのでも何でも無い。丸善の内田魯庵君に貰ったから、使って居るまでである。筆で原稿を書いた事は、だ一度もない。





底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房 
   1972(昭和47)年1月10日第1刷発行
初出:「大阪朝日新聞」
   1914(大正3)年3月22日
※底本は、「談話」の項におさめた本作品の表題に、かぎ括弧を付けて示している。
入力:Nana ohbe
校正:米田進
2002年4月27日作成
2003年5月25日修正
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