您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 夏目 漱石 >> 正文

私の個人主義(わたしのこじんしゅぎ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 9:46:08  点击:  切换到繁體中文


 私はそんなあやふやな態度で世の中へ出てとうとう教師になったというより教師にされてしまったのです。幸に語学の方は怪(あや)しいにせよ、どうかこうかお茶を濁(にご)して行かれるから、その日その日はまあ無事に済んでいましたが、腹の中は常に空虚(くうきょ)でした。空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、何だか不愉快な煮(に)え切らない漠然(ばくぜん)たるものが、至る所に潜(ひそ)んでいるようで堪(た)まらないのです。しかも一方では自分の職業としている教師というものに少しの興味ももち得ないのです。教育者であるという素因の私に欠乏している事は始めから知っていましたが、ただ教場で英語を教える事がすでに面倒なのだから仕方がありません。私は始終中腰で隙(すき)があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。
 私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧(きり)の中に閉じ込められた孤独(こどく)の人間のように立ち竦(すく)んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射(さ)して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条(ひとすじ)で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢(ふくろ)の中に詰(つ)められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐(きり)さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥(あせ)り抜(ぬ)いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝(いんうつ)な日を送ったのであります。
 私はこうした不安を抱(いだ)いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越(ひっこ)し、また同様の不安を胸の底に畳(たた)んでついに外国まで渡(わた)ったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然(いぜん)として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦(ロンドン)中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足(たし)にはならないのだと諦(あきら)めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
 この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念(がいねん)を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟(さと)ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめに漂(ただ)よっていたから、駄目(だめ)であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似(ひとまね)を指すのです。一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審(ふしん)がられるかも知れませんが、事実はけっしてそうではないのです。近頃流行(はや)るベルグソンでもオイケンでもみんな向(むこ)うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬(しりうま)に乗って騒(さわ)ぐのです。ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従(もうじゅう)して威張(いば)ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴(ふいちょう)して得意がった男が比々皆是(みなこれ)なりと云いたいくらいごろごろしていました。他(ひと)の悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人が甲(こう)という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑(ふ)に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触(ふ)れ散らかすのです。つまり鵜呑(うのみ)と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔(わがものがお)にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞(ほ)めるのです。
 けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀(くじゃく)の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華(ふか)を去って摯実(しじつ)につかなければ、自分の腹の中はいつまで経(た)ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。
 たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとか云っても、それはその西洋人の見るところで、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受売(うけうり)をすべきはずのものではないのです。私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢(どひ)でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具(そな)えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。
 しかし私は英文学を専攻する。その本場の批評家のいうところと私の考(かんがえ)と矛盾(むじゅん)してはどうも普通(ふつう)の場合気が引ける事になる。そこでこうした矛盾がはたしてどこから出るかという事を考えなければならなくなる。風俗、人情、習慣、溯(さかのぼ)っては国民の性格皆この矛盾の原因になっているに相違ない。それを、普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはきっと乙(おつ)の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含(ふく)まれていると誤認してかかる。そこが間違っていると云わなければならない。たといこの矛盾を融和(ゆうわ)する事が不可能にしても、それを説明する事はできるはずだ。そうして単にその説明だけでも日本の文壇(ぶんだん)には一道の光明を投げ与(あた)える事ができる。――こう私はその時始めて悟ったのでした。はなはだ遅(おそ)まきの話で慚愧(ざんき)の至(いたり)でありますけれども、事実だから偽(いつわ)らないところを申し上げるのです。
 私はそれから文芸に対する自己の立脚地(りっきゃくち)を堅(かた)めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁(えん)のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的(てつがくてき)の思索(しさく)に耽(ふけ)り出したのであります。今は時勢が違いますから、この辺の事は多少頭のある人にはよく解せられているはずですが、その頃は私が幼稚(ようち)な上に、世間がまだそれほど進んでいなかったので、私のやり方は実際やむをえなかったのです。
 私はこの自己本位という言葉を自分の手に握(にぎ)ってから大変強くなりました。彼(かれ)ら何者ぞやと気慨(きがい)が出ました。今まで茫然(ぼうぜん)と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図(さしず)をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。
 自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯(しょうがい)の事業としようと考えたのです。
 その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝(いんうつ)な倫敦を眺めたのです。比喩(ひゆ)で申すと、私は多年の間懊悩(おうのう)した結果ようやく自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘(ほ)り当てたような気がしたのです。なお繰(く)り返(かえ)していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。
 かく私が啓発(けいはつ)された時は、もう留学してから、一年以上経過していたのです。それでとても外国では私の事業を仕上(しあげ)る訳に行かない、とにかくできるだけ材料を纏めて、本国へ立ち帰った後、立派に始末をつけようという気になりました。すなわち外国へ行った時よりも帰って来た時の方が、偶然(ぐうぜん)ながらある力を得た事になるのです。
 ところが帰るや否や私は衣食のために奔走(ほんそう)する義務がさっそく起りました。私は高等学校へも出ました。大学へも出ました。後では金が足りないので、私立学校も一軒稼(けんかせ)ぎました。その上私は神経衰弱(しんけいすいじゃく)に罹りました。最後に下らない創作などを雑誌に載(の)せなければならない仕儀(しぎ)に陥(おちい)りました。いろいろの事情で、私は私の企(くわだ)てた事業を半途(はんと)で中止してしまいました。私の著(あら)わした文学論はその記念というよりもむしろ失敗の亡骸(なきがら)です。しかも畸形児(きけいじ)の亡骸です。あるいは立派に建設されないうちに地震(じしん)で倒(たお)された未成市街の廃墟(はいきょ)のようなものです。
 しかしながら自己本位というその時得た私の考は依然としてつづいています。否年を経るに従ってだんだん強くなります。著作的事業としては、失敗に終りましたけれども、その時確かに握った自己が主で、他は賓(ひん)であるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました。私はその引続きとして、今日なお生きていられるような心持がします。実はこうした高い壇の上に立って、諸君を相手に講演をするのもやはりその力のお蔭(かげ)かも知れません。
 以上はただ私の経験だけをざっとお話ししたのでありますけれども、そのお話しを致した意味は全くあなたがたのご参考になりはしまいかという老婆心(ろうばしん)からなのであります。あなたがたはこれからみんな学校を去って、世の中へお出かけになる。それにはまだ大分時間のかかる方もございましょうし、またはおっつけ実社界に活動なさる方もあるでしょうが、いずれも私の一度経過した煩悶(はんもん)(たとい種類は違っても)を繰返(くりかえ)しがちなものじゃなかろうかと推察されるのです。私のようにどこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴(つか)みたくっても薬缶頭(やかんあたま)を掴むようにつるつるして焦燥(じ)れったくなったりする人が多分あるだろうと思うのです。もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、また他(ひと)の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり附随(ふずい)しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。私のこの点を力説するのは全くそのためで、何も私を模範(もはん)になさいという意味ではけっしてないのです。私のようなつまらないものでも、自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚があれば、あなた方から見てその道がいかに下らないにせよ、それはあなたがたの批評と観察で、私には寸毫(すんごう)の損害がないのです。私自身はそれで満足するつもりであります。しかし私自身がそれがため、自信と安心をもっているからといって、同じ径路(けいろ)があなたがたの模範になるとはけっして思ってはいないのですから、誤解してはいけません。
 それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定(かんてい)しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫(さけ)び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊(こわ)されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡(もた)げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲(ぎせい)を払(はら)っても、ああここだという掘当(ほりあ)てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわり[*「こだわり」に傍点]があるなら、それを踏潰(ふみつぶ)すまで進まなければ駄目ですよ。――もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。私は忠告がましい事をあなたがたに強いる気はまるでありませんが、それが将来あなたがたの幸福の一つになるかも知れないと思うと黙(だま)っていられなくなるのです。腹の中の煮え切らない、徹底(てってい)しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠(なまこ)のような精神を抱(いだ)いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないか知らんと思うからいうのです。不愉快でないとおっしゃればそれまでです、またそんな不愉快は通り越(こ)しているとおっしゃれば、それも結構であります。願(ねがわ)くは通り越してありたいと私は祈(いの)るのであります。しかしこの私は学校を出て三十以上まで通り越せなかったのです。その苦痛は無論鈍痛(どんつう)ではありましたが、年々歳々(さいさい)感ずる痛(いたみ)には相違なかったのであります。だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛(ゆうもう)にお進みにならん事を希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思うから申し上げるのです。
 今まで申し上げた事はこの講演の第一篇(ぺん)に相当するものですが、私はこれからその第二篇に移ろうかと考えます。学習院という学校は社会的地位の好い人が這入る学校のように世間から見傚(みな)されております。そうしてそれがおそらく事実なのでしょう。もし私の推察通り大した貧民はここへ来ないで、むしろ上流社会の子弟ばかりが集まっているとすれば、向後あなたがたに附随してくるもののうちで第一番に挙げなければならないのは権力であります。換言(かんげん)すると、あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時よりも余計権力が使えるという事なのです。前申した、仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという事は、つまりあなた方の幸福のため安心のためには相違ありませんが、なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。
 これと同じような意味で、今申し上げた権力というものを吟味(ぎんみ)してみると、権力とは先刻(さっき)お話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧(お)しつける道具なのです。道具だと断然云い切ってわるければ、そんな道具に使い得る利器なのです。
 権力に次ぐものは金力です。これもあなたがたは貧民よりも余計に所有しておられるに相違ない。この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑(ゆうわく)の道具として使用し得る至極重宝なものになるのです。
 してみると権力と金力とは自分の個性を貧乏人(びんぼうにん)より余計に、他人の上に押し被(かぶ)せるとか、または他人をその方面に誘(おび)き寄せるとかいう点において、大変便宜(べんぎ)な道具だと云わなければなりません。こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なのです。先刻申した個性はおもに学問とか文芸とか趣味(しゅみ)とかについて自己の落ちつくべき所まで行って始めて発展するようにお話し致したのですが、実をいうとその応用ははなはだ広いもので、単に学芸だけにはとどまらないのです。私の知っている兄弟で、弟の方は家に引込(ひっこ)んで書物などを読む事が好きなのに引(ひ)き易(か)えて、兄はまた釣道楽(つりどうらく)に憂身(うきみ)をやつしているのがあります。するとこの兄が自分の弟の引込思案でただ家にばかり引籠(ひきこも)っているのを非常に忌(い)まわしいもののように考えるのです。必竟(ひっきょう)は釣をしないからああいう風に厭世的(えんせいてき)になるのだと合点(がてん)して、むやみに弟を釣に引張り出そうとするのです。弟はまたそれが不愉快でたまらないのだけれども、兄が高圧的に釣竿(つりざお)を担がしたり、魚籃(びく)を提げさせたりして、釣堀へ随行を命ずるものだから、まあ目を瞑(つむ)ってくっついて行って、気味の悪い鮒(ふな)などを釣っていやいや帰ってくるのです。それがために兄の計画通り弟の性質が直ったかというと、けっしてそうではない、ますますこの釣というものに対して反抗心を起してくるようになります。つまり釣と兄の性質とはぴたりと合ってその間に何の隙間もないのでしょうが、それはいわゆる兄の個性で、弟とはまるで交渉(こうしょう)がないのです。これはもとより金力の例ではありません、権力の他を威圧する説明になるのです。兄の個性が弟を圧迫(あっぱく)して無理に魚を釣らせるのですから。もっともある場合には、――例えば授業を受ける時とか、兵隊になった時とか、また寄宿舎でも軍隊生活を主位におくとか――すべてそう云った場合には多少この高圧的手段は免(まぬ)かれますまい。しかし私はおもにあなたがたが一本立(いっぽんだち)になって世間へ出た時の事を云っているのだからそのつもりで聴いて下さらなくては困ります。
 そこで前申した通り自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行くうちには、自他の区別を忘れて、どうかあいつもおれの仲間に引(ひ)き摺(ず)り込んでやろうという気になる。その時権力があると前云った兄弟のような変な関係が出来上るし、また金力があると、それをふりまいて、他(ひと)を自分のようなものに仕立上げようとする。すなわち金を誘惑の道具として、その誘惑の力で他を自分に気に入るように変化させようとする。どっちにしても非常な危険が起るのです。
 それで私は常からこう考えています。第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進(まいしん)しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向(けいこう)を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪(け)しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。もっとも複雑な分子の寄って出来上った善悪とか邪正(じゃせい)とかいう問題になると、少々込み入った解剖(かいぼう)の力を借りなければ何とも申されませんが、そうした問題の関係して来ない場合もしくは関係しても面倒(めんどう)でない場合には、自分が他(ひと)から自由を享有(きょうゆう)している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱(あつか)わなければならん事と信ずるよりほかに仕方がないのです。
 近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴(ふちょう)に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。我々は他が自己の幸福のために、己(おの)れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害(ぼうがい)してはならないのであります。私はなぜここに妨害という字を使うかというと、あなたがたは正しく妨害し得る地位に将来立つ人が多いからです。あなたがたのうちには権力を用い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんあるからです。

上一页  [1] [2] [3] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家: 没有了
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告