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デカルト哲学について(デカルトてつがくについて)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 8:52:17  点击:  切换到繁體中文


 デカルトは「第五省察」において再び神の存在問題に触れている。そこでは認識論的である。明晰にして判明なるものが真である。神の存在ということは、少くとも数学的真理が確実であると同じ程度において自分に確実である。然るに三角形の三つの角の和が二直角であるということが、三角形の本質から離すことができない如くに、神の存在ということは、神の本質から離すことはできぬ。存在ということの欠けた最高完全者というものを考えることは、谷のない山を考える如く自己撞着どうちゃくである。故に神は存在する。而して完全無欠なる神は欺かない。そこから我々の自己において明晰判明なる知識の客観性を基礎附けるのである。最高完全者としての神の観念は存在を含むという神の存在の証明は、百円の観念は百円の金貨ではないという如きを以て一言に排斥すべきではない。神はカント哲学の形式によって実在するというのではない。実在の根柢を何処どこまでも論理的に考える時、私は「最高完全者は存在する」という理由も出て来ると思う(Leibniz,“Quod Ens Perfectissimum existit.”)。しかし神の誠実性を以て知識の客観性を基礎附けるという如きは、何らの論理性をたない。主語的論理の破綻はたんを示すものである。明晰にして判明なるものは、それ自身によって理解せられるもの、十全なる知識として、真にあるものでなければならない。神はそれ自身を表現するものである。我々の観念が神を原因とするかぎり明晰判明である、十全である。要するにコーギトー・エルゴー・スムから出立したデカルト哲学は、スピノザに至らなければならない。「すべてあるものは神においてあり、神なくして、何物もあることも、理解せられることもできない」(Ethica. Prop. 15 p. 1)というに至って極まるのである。スピノザ哲学は、デカルトの実体から出立して、その主語的論理の極に達したものということができる。ここに至って、全然我々の自己の独自性は失われて、我々は実体の様相となった。我々は神の様相としてコーギトーするのである。我々の観念が神においてあるかぎり、我々は知るのである。斯くして我々の自己の自覚が否定せられるとともに、神は対象的存在として我々の自覚の根柢たる性質を失った。最も具体的たるべき神は、最も抽象的にカプト・モルトゥムとなった。
 デカルトはすべての物を疑った。天も、地も、精神も、物体も、世界において何物もない、自己というものまでもないのでないかと考えて見た。無論、斯く考える私はある。しかし偉大なる欺瞞ぎまん者があって常に私を欺いているのでもなかろうか。真の神という如きものもないのではないか。しかし斯くまで疑うにしても、欺かれる私はある。欺瞞者が如何いかに私を欺くとも、私が考えるかぎり、私がある、コーギトー・エルゴー・スムの命題に達したのである。而してそこからデカルト哲学が出立したのである。私は此にデカルト哲学の不徹底があるというのである。神が自己を欺くとも、欺かれる自己がある、私が私の存在を疑うというなら、疑うものが私である。疑うという事実そのものが、自己の存在を証明している。かかる直証の事実から把握せられる実在の原理は、主語的実在の形式ではなくして、矛盾的自己同一の形式でなければならない。スム・コギタンスの自己は、自己矛盾的存在として把握せられるのである。自己は、何処までも自己自身を否定する所にあるのである。しかもそれは単なる否定ではなくして絶対の否定即肯定でなければならない。それは主語的論理が自己自身を否定することによって考えられる実在でなければならない。
 デカルトは、自覚の立場から、すべてを否定した。しかし右の如き意味においての、真の否定的自覚の立場に至らなかった。直証の事実といえば、人はただちにそれを内的と考える。而してそれから出立することが、内から出立することと考える。而して我々が疑うことのできない真理から出立するということは、この外にないという。しかし私はここでも主語的論理の独断が前提となっていると思う。疑うも疑うことのできない直証の事実というのは、自己と物との、内と外との矛盾的自己同一の事実ということである。自己があって、そういう事実があると考えるのは推論の結果であって、我々の自己はそういう事実から成立するのである。それは自己の内においての直証の事実という代りに、自己成立の事実と改むべきである。考えるということ、その事が既にそういう事実であるのである。疑うということすら、かかる矛盾的自己同一から起るのである。無論、私はいわゆる経験論者の如く知識は外からというのでもない。らばといって、単に内からというのでもない。論理的に出立するということを、主観的と考えるのも、自己というものを主語的に考えて、思惟をその作用と考える故である。しかし論理が自己に属するのではなくして、論理から自己へである。自己とは、矛盾的自己同一的論理の個物的自己限定として考えられるのである。然らざれば、論理といっても、昔、英国心理学者のいったように観念聯合れんごうの作用に過ぎない。
 カントの批評哲学の的となったのは、右の如き主語的実在の独断であった。直覚の形式を離れて推論式的に実在を考えることが、超越的弁証法の虚偽に陥ることである。それは主語的論理そのものの自己矛盾である。そこで実在そのものの意義が変ぜられねばならない。いわゆる認識主観の綜合統一によって構成せられたものが客観的実在である。我々の自己は自己否定において自己を見る。実在の根拠が、かかる超越我の自覚に求められた。かかる意味において、私はカント哲学の方法をも否定的自覚と考えるのである。批評哲学は、科学に対する否定自覚であったと考えるのである。しかしカント哲学は果して真に否定的自覚に徹したであろうか。カントは主語的方向に超越的実在を否定したが、述語的方向に実在の根拠を求めたと考えることができる。カントの自覚的自己は、デカルトのそれの如く、それ自身によってある実体ではないが、私が考えるということは、私のすべての表象に伴うという。我々の判断的知識は、その綜合統一によって成立するのである。主語となって述語とならない基体が、逆に述語的に主語的なるものを包み、すべての判断を自己限定として成立せしめる述語的主体となったということができる。無論、くいうのは、色々のカント学派の人々から色々の異議があるでもあろう。私は今これらの議論に入らない。とにかく、カント哲学においては、先験感覚論のはじめにいっている如き、我々の自己が外から動かされるという如き主客の対立、相互限定ということが根柢にあり、そこに主語的論理の考え方を脱していない。いわゆる物自体の難問も、そこから起って来るのである。主客の対立を形式と内容または質料との対立に代えても同様である。フィヒテに至っては、周知の如く、かかる不徹底的矛盾を除去すべく、認識主観の実体化の方向に進んだ。述語的主体は自己自身を限定する形而上学的実体となった。それがフィヒテの超越的自我である。私はフィヒテにおいて新なる実在の概念が出て来たと思う。デカルト哲学においては、自己自身によってある実体は、主語的方向への超越によって考えられたが、フィヒテにおいては、述語的方向への超越によって考えられたといってよい。
 カントからフィヒテへの方向の徹底化は、デカルトからスピノザへの方向の徹底化と同様である。しかもそれは正反対の方向といってよい。矛盾的自己同一的なる我々の自己の自覚の立場から、後者は外の方向へ、前者は内の方向へということができる。同じく形而上学的といっても、フィヒテ哲学とデカルト哲学とは相反する両方向に立つのである。矛盾的自己同一的なる、現実の自己の自覚の立場、即ち絶対否定的自覚の立場に返って、デカルト哲学が批判せられなければならぬとともに、フィヒテ哲学も批判せられなければならない。否、カントの批判哲学そのものも批判せられなければならない。カントの批判哲学の立場は、その根柢に主体的自己の独断を脱していない。私はなお一度深く徹底的に、デカルトの否定的自覚の立場、自覚的分析の立場に返って、考え直して見なければならないと主張する所以ゆえんである。今日あたかもデカルト時代の如く、従来の思想伝統が、その根柢から考え批判せられなければならないといわれる時代、我々は再びデカルトの問題に返って考えて見なければならない。それはカントの如くに、如何にして客観的知識が可能なるかとの問題ではなくして、自己自身によってあり、自己自身を限定する真実在とは、如何なるものなるかとの問題でなければならない。学問も歴史的世界の所産である。カントの時代は、世界が科学から考えられた。今日は科学が世界から考えられなければならない。
 最初から、内と外、主観と客観、内在と超越という如き対立を考え、外から内を考えるのも独断的であるが、内から外を考えるのも独断的たるを免れない。「存在の前に当為がある」、存在から当為は出て来ないという。然らばしか考えるものは何物であるか。考える何物もないのであるか。考えるものがなければ、当為ということもない。斯くいうのがあやまりであるならば、誤る自己がなければならない。ないというならば、爾いう自己がなければならない。デカルトはコーギトー・エルゴー・スムといって、自己から出立した。しかし彼はその前に自己の存在まで疑って見た。而して彼はそこに考えるものが考えられるものであるという主語的実体の矛盾的自己同一的真理を把握したのである。私はこれに反しそこから新なる論理と新なる実在の概念が出なければならなかったと考える。しかし彼はアリストテレス的論理と実在の考の上に出なかった。我々の自己自身の実在を考える論理は、我々の自己を外延として含む一般者の論理でなければならない(私のいわゆる場所的論理)。カントの対象認識の論理は、最初からかかる実在を否定した論理である。考える自己が、対象的に考えることのできないのはいうまでもない。然るにアリストテレスの論理は、無論自己を包むものではないが、その主語となって述語とならないというヒュポケイメノンは、カントの認識対象というよりも、広い意味をつということができる。私が考えるという時、その私というのは、一応主語的意義を有つということができる。無論、私がここに広いというのは、未定的という意義に過ぎない。この故に私はかつてカント哲学を越えて、新なる論理の立場を求めた時、アリストテレスのヒュポケイメノンの立場へ返って考えて見た。今日人の考える如く、論理は我々の自己の主観的形式ではない。論理の立場とは、主客の対立を越えて、主客の対立、相互関係も、そこから考えられる立場でなければならない。我々の自己が自己を考えるのも、論理的形式によって考えているのである。我々はカント哲学の独断を否定して、新なる自覚の立場から出立しようとする時、その立場は何処までも論理的でなければならない。而してそこに論理の深い自己反省がなければならない。然るに無造作に因襲的論理の立場から出立する人は、因襲的立場以上のものは、すべて神秘的などと考えている。
 カント以後、主観的自己の立場を否定して、純なる論理的立場に立った人は、ヘーゲルである。フィヒテが「自己が自己である」Ich-Ich という立場から出立したのに反して、ヘーゲルは「有」から出立した(Encyklop※(ダイエレシス付きA小文字)die, ※(ローマ数字1、1-13-21). §86.)。ヘーゲルの哲学は、自己自身によってあり自己自身によって理解せられる論理的実在の哲学であった。そこにデカルトと結合するものがあると思う。しかもヘーゲルはデカルトと異なって、そこに新なる実在と論理の原理とを把握した。それがヘーゲルの弁証法である。ヘーゲルによって、始めて自己自身によってあり、自己自身を限定する真実在の哲学的原理が把握せられたということができる。我々の自己が何処までも徹底的に否定的自覚の立場に立つ時、そこに内在即超越、超越即内在の絶対矛盾的自己同一の原理に撞着どうちゃくせなければならない。自己を外からと考えても、内からと考えても、自覚というものはない。自覚は自覚によって基礎附けられねばならない。人は自覚を内からという時、自己は既に外に出ているのである。
 カントを出立点とした純粋自我的主観主義は、ヘーゲルによって一応克服せられたということができる。認識主観としての純粋自我は、フィヒテにおいて、事行じこう的として弁証法的自我となり、それがフィヒテの実践我として、私はそこに既に新なる実在の世界が開かれたと思うのである。カントにおいて道徳的当為としての実践我の世界は、フィヒテにおいて実在的世界となったのである。シェリングにおいて、その立場から絶対的インディフェレンツまたはイデンティテートとして、一旦スピノザ的になったが、更にヘーゲルに至って、その主観的卵殻を脱して論理的弁証法的実在の世界となった。世界は客観的理性の自己発展の世界となった。世界は、しかし烏滸おこがましいが、私はヘーゲルにおいても、絶対否定的自覚の立場に到らなかったとも思うのである。いまだ徹底的に主観的卵殻を脱していない。ヘーゲルの一般者は真の個を含むものではない。我々の意志的自己、実践的自己を含むものではない。ヘーゲルの理性は、個人的意志的自己に対立したものである。それだけ主観的である。真に我々の意志的自己の自覚の立場において把握せられた実在の原理ではない。それは我々の知的自覚的自己の原理と考え得るでもあろう。しかし我々の真の実践的自己、歴史的行為的自己の自覚の原理ではない。ヘーゲルの実在界は、そこから我々の自己の生れる世界ではない。そこから我々の自己の生死の原理は出て来ないであろう。意志的自己といえば、単に意識的自己の抽象的意志というものが考えられる。しかしそれは真の実践的自己ではない。実践は一々が歴史的創造でなければならない。我々の自己は、一々の実践的決断において、生死の立場に立っているのである、危機に立っているのである。我々の実践的決断は抽象的意識的自己の内より起るのではない。しか考えるのは、主語的論理の独断によるのである。私はこれについて多く論じた。
 我々の真の自己は、歴史的実践的自己にあるのである。歴史的行動というものの外に、実践というものがあるのではない。我々が思惟するということも、歴史的行動であるのである。作られて作る所に、我々は自覚するのである。故に我々の自己は歴史的身体的である。然らざれば、それは考えられた自己たるに過ぎない。かかる自己に執着するのが迷である。絶対否定即肯定ということは、判断的自己の立場からいい得ることではない。それは作り作られる歴史的自己の立場、生死的自己の立場においてでなければならない。道元どうげんは自己をならうことは自己をわするるなり、自己をわするるというは、万法に証せらるるなりという。我々は抽象的意識的自己を否定した所、身心一如なる所に、真の自己を把握するのである。今や我々はかかる真の実践的自己、身心一如的自己の自覚の立場から、従来の哲学を考え直して見なければならない。私が再びデカルトの立場へと主張する所以ゆえんである。しかしかかる立場においての論理は、デカルトの主語的論理でないことはいうまでもなく、ヘーゲルの弁証法とも異なったものでなければならない。ヘーゲルの論理は弁証法といえども、なおアリストテレス的主語的たるを免れない。客観的精神の論理であって、歴史的実践の世界の、歴史的形成力の論理ではない。我々は歴史的実践の世界においての論理的意識発生の根源に返って、歴史的実践の世界の自己形成の論理を把握せなければならない。それはヘーゲルの理念的弁証法と逆の立場に立つものであろう。歴史的世界の自己形成においては、形相と質料とが何処までも相反するとともに、矛盾的自己同一として、形相から質料へ、質料から形相へ、形が形自身を限定するのである。そこに真に実在即当為、当為即実在である、内外一如的であるのである。
 デカルトが神の存在証明について、「第三省察」においていった如き神と自己との関係は、個が全を表現することが全の自己表現となることであり、全一と個多との矛盾的自己同一的に事が事自身を限定することから世界が成立する、自己の始が世界の始であり、世界の始が自己の始であるという矛盾的自己同一の論理から、ただちに理解せられるであろう。両者の対立、相互関係は、自己自身を形成する歴史的世界の両契機として考えられねばならない。有限と無限と矛盾的自己同一の両端として、自己と神とがあるのである。しかして絶対現在の瞬間的自己限定として、我々の自己は、神によって次の瞬間に存在するのである。私の絶対現在とは、多と一との絶対矛盾的自己同一的形式にほかならない。更に「第五省察」において、神の概念が自己存在を含むとなし、神は欺かないということから、逆に我々の知識の客観性を基礎附けているが、我々に明晰判明なる直観的知識というのは、我々の自己が自己否定において物に証せられる知識であるのである。そこに我々の自己が世界の自己表現の過程として、行為的直観的に見るのである。超越的なる神の媒介を要すると考えるのは、主語的論理の形式にとらわれいるが故である。それは分らないものを、更に分らないものを以て説明するにほかならない。完全無欠なる存在というのは、自己自身によってあり、自己自身を限定するものでなければならない。それは表現するものが表現せられるものであり、自己自身を表現するものとしてあるものである。かかる存在形式においては、あるものは自己自身を証明するもの、自己自身を証明するものはあるものでなければならない。かかる意味において、神はそれ自身によってあり、それ自身によって理解せられるものとして、スピノザの如く、すべてあるものは神においてあり、神なくして何物もあることもできず、理解することもできないということができるのである。冬のある日の夜、デカルトは炉辺に坐して考え始めた。彼は歴史的現実的自己として、歴史的現実において考え始めたのである。彼は疑い疑った。自己の存在までも疑った。しかし彼の懐疑のやいばは論理そのものにまで向わなかった。真の自己否定的自覚に達しなかった。彼の自己は身体なき抽象的自己であったのである。
「何にてもあるものはすべて神に於てあり、神なしに何物もあることも理解することもできない」というスピノザの、それ自身に於てあり、それ自身によって理解せられる神は、絶対矛盾的自己同一的に自己自身を限定する絶対現在、あるいは絶対空間というべきものでなければならない。それは無基底的基底として、歴史的世界の基体と考うべきものである。斯くして、スピノザ哲学に新なる生命を与えることができるであろう。スピノザは、デカルト哲学から、徹底的に主語的方向に向った。そこに我々の自己の自覚的独立性は消されて、神の様相となった。神は何処までも否定的実在となったのである。神は絶対現在として何処までも映されたものから映すものへの方向において、過去から未来への方向において空間的であり、逆に映すものから映されたものへの方向において、未来から過去への方向において時間的であり、意識的である。神は一面に res extensa として空間的であり、一面に res cogitans として意識的である。斯くして二つの属性が考えられる。様相とは、絶対現在の自己限定として、自己自身を限定する形にほかならない。一面には何処までも空間的であり、一面には何処までも意識的である。ordo et connexio idearum idem est, ac ordo et connexio rerum(Prop. 7. p. 2.)ということができる。
 スピノザの原因というのは、すべてカウザ・スイの意義をったものと考うべきであろう。本質が存在を含み、その本質が存在としてのみ理解せられるものをいうのである。絶対現在の自己限定としてあるものは、すべて表現するものが表現せられるものとして、かかる性質を有ったものでなければならない。事即理、理即事である。スピノザの十全なる知識とは、絶対の自己否定において自己自身を見る、自覚的直観を意味するものでなければならない。自己が万法に証せらるる所に、我々の知識は十全であるのである。スピノザはいう、我々に十全にして完全なる思想があるということは、神が人間の精神を構成するかぎり、神において十全にして完全なる思想があるということにほかならないと(Prop. 34. p. 2.)。そこに我々は絶対矛盾的自己同一的に自己において神を見、神において自己を見るのである。かかる立場において、我々の自己はその成立の根柢において宗教的であり、哲学的知識はここに基礎附けられるのである。故に哲学の方法は否定的自覚であり、哲学の対象は対象なき対象である、自己自身においてあり、自己自身によって理解せられる真実在である。スピノザも、十全なる思想とは対象に関係なく、それ自身において考えられるかぎり、真なるもの、即ち対象と一致するものを意味するといっている(Def. 4. p. 2.)。そこに考えるものと考えられるものとが一でなければならない。スピノザの有名なる知的愛 amor Dei intellectualis もこれに基礎附けられるのである。十全なる知識を有するかぎり、我々は有力である、幸福である。これは対象認識的たる科学的知識とは、その方向を異にするものでなければならない。スピノザも外物については、我々の精神は不十全なる知識しか有せないという。十全と不十全とは程度の差ではなくして、性質的に異なっていなければならない。そこに立場の相違がなければならない。
 デカルト以来、十全なる知識といえば、数学的知識の例を以て説明せられる。スピノザ哲学の十全なる知識も、往々しか解せられる。しかし爾考えられるならば、スピノザ哲学も数学的主知主義に堕するのほかない。しかして今日の無矛盾性の数学は、果して当時考えられたる如く十全なりや否や。スピノザ哲学においては、右の如き立場の相違があきらかにせられなかったのは、主語的論理的であった故であると思う。そこには論理的立場の転回がなければならない(「予定調和を手引として宗教哲学へ」参照)。しかし私は右の如く科学と哲学との相違を明にすべきを主張するものではあるが、一派の学者の如く単に両者を無関係的に考えるものではない。哲学は科学を尊重し、科学を材料とするとともに、科学は哲学に基礎附けられねばならない。ガリレイをば根柢なしに建てたと評したデカルトの目的は、新自然学の形而上学的基礎附にあったともいわれる。しかしそれは両者の立場を混同して、科学の中に哲学を入れるという如きことではない。唯、科学隆盛以来、哲学は科学の下婢かひとなったという感なきを得ない。輓近ばんきんに至って、単に認識論的となり、更に実用主義的ともなった。哲学は哲学自身の問題を失ったかと思われるのである。

 私はデカルト哲学へ返れというのではない。唯、なお一度デカルトの問題と方法に返って考えて見よというのである。デカルト哲学はカントのコペルニクス的転回によってくつがえされた。しかし今日カント哲学の立場そのものが、再び批判せられなければならぬのではなかろうか。カントの哲学的方法即哲学的方法ではない。哲学の方法は何処までもデカルト的でなければならない。何処までも否定的自覚、自覚的分析である。この故に哲学は個人主義的とか自由主義的とかいうのではない。哲学は自己を否定すること、自己を忘れることを学ぶのである。この世界歴史の大転換期に当って、何処までも日本文化の根柢を掘り下げて、我々の思想は深く大なる基礎の上に築き上げられなければならない。真の行動のためには、デカルトもいう如く省察と認識とが問題とならなければならない。
 既にいった如く、哲学は我々の自己の自己矛盾性から出立するのである。疑そのものが問題となるのである。私は我々の自己の自己矛盾性から、相反する二つの方向に行くことができると思う。一つは自己肯定の方向であり、一つは自己否定の方向である。西洋文化は前者の方向へ行ったものであり、東洋文化は後者の方向にその長所をつということができる。しかし今や我々は自己矛盾性の根元に返って、真の矛盾的自己同一の立場から出立せねばならぬと思う。そこに東西文化の融合のみちがあるのである。而して私は東洋文化から発展した我々の日本文化の精神には絶対現在の自己限定として、現実即絶対的に矛盾的自己同一的なるものがあると考えるのである。人は西洋文化を論理的と考え、東洋文化を単に体験的という。しかし東洋文化を単に体験的というならば、西洋文化の根柢にも体験的なものがあると思う。矛盾的自己同一的なる我々の自己の真の自覚から、対象認識の方向へ行くということは、必ずしも論理的必然ではない。そこには西洋民族の主観的性向が潜んでいるということができる。唯、自己否定的方向に向った東洋文化においては、それ自身の論理というものが発達しなかった。しかし西洋文化に撞着どうちゃくした今日、我々は、我々自身の論理をたなければならない。然らざれば、飛行機なくして、戦に臨むとえらぶ所がない。私は東洋文化の根柢に論理があると考えるものである。而してそれは今日の科学の基礎とも結合するものと思う。「論理と数理」の論文において触れた如く、私は推論式というものが、もと、真の矛盾的自己同一論理の形式でなければならないと考えるのである。従来はギリシヤ論理から発達して、すべて分類的論理の形式が基となっていたのではなかろうか。





底本:「西田幾多郎哲学論集3[#「3」はローマ数字3、1-13-23] 自覚について」岩波文庫、岩波書店
   1989(平成元)年12月18日第1刷発行
※本文中[]で囲まれた編者による注記は削除しました。
入力:nns
校正:土屋隆
2004年8月20日作成
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