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新しい文学の誕生(あたらしいぶんがくのたんじょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-2 10:45:15  点击:  切换到繁體中文

文学に心をひかれる人は、いつも、自分がかきはじめるより先にかならず読みはじめている。しかも、わたしたちがはじめて読んだ小説や、詩はどんな工合にして手にふれたかと云えば、それは十中八九偶然である。そういう人は大抵よむのがすきで、年の小さいときからいつとはなしに、あれやこれやの文学をよんで来ているのだが、はじめて読んだ小説をいまわたしたちがわきまえているような意味では、小説だとさえ知らずに読みはじめたような場合も多いと思う。ふとよんだものに不思議にひきつけられ、こうしがうまい草にひかれてひろい牧場の果から果へ歩くように、段々そういう種類の本をさがして読みすすんで、あるとき、ほんとに自分は文学が好きなのだった、と自分に発見する。こういう過程は、私たちのすべてが経験していることではないだろうか。
 文学の発端とでもいうような、こういういきさつを、思いかえしてみると、わたしの少女時代の遠い記憶のなかには、一つの棚があって、そこにゴタゴタにつみこまれていた無数の雑誌や本が浮んで来る。文芸倶楽部、新小説、ムラサキ、古い女鑑じょかんという雑誌。浪六の小説本。紅葉全集の端本はほん。馬琴の「白縫物語」、森鴎外の「埋木」と「舞姫」「即興詩人」などの合本になった、水泡集みなわしゅうと云ったと思うエビ茶色のローズの厚い本。『太陽』の増刊号。これらの雑誌や本は、はじめさし絵から、子供であったわたしの生活に入って来ている。くりかえし、くりかえしさし絵を見て、これ何の絵? というようなことを母にきいているうちに、年月がたつままに、その中のどれかを偶然によみはじめて、少女雑誌から急速に文学作品へ移って行った。
 わたしたちの文学にふれはじめる機会が、多くの場合は偶然だ、ということについて、深く考えさせられる。わたしの母が本ずきであったために、父の書斎になっていた妙な長四畳の部屋の一方に、そんな乱雑な、唐紙もついていない一間の本棚があった。わたしの偶然は、そういう家庭の条件と結びついたのだったが、ほかのどっさりの人々の偶然は、どこでどんな条件と結び合うのだろう。
 マクシム・ゴーリキイの「幼年時代」は、幼年時代について書かれた世界の文学のなかで独特な価値をもっている。あれをよむと、おそろしいような生々しさで、子供だったゴーリキイの生きていた環境の野蛮さ、暗さ、人間の善意や精力の限りない浪費が描かれている。その煙の立つような生存の渦のなかで、小さいゴーリキイは、自分のまわりにどんな一冊の絵本ももたなかった。ゴーリキイが、はじめて、本をよむことを学んだのは、彼が十二三歳になってヴォルガ河通いの蒸汽船の皿洗い小僧になってからだった。同じ船に年配の、もののわかった船員がいて、一つの本をつめた箱をもっていた。彼は少年のゴーリキイと一緒に、自分の読み古した本をよみはじめ、やがて、ゴーリキイが勝手にそこから本を出して読んではかえして置くことを許すようになった。そして、その男は、ゴーリキイに屡々しばしば云った。ここはお前のいるところじゃあない、と。
 ゴーリキイの人生に、こうして、入って来た文学は、大したものではなく、ロシアの民衆の間にある物語の本だった。それにしても、ゴーリキイは、本を読むということが、自分の生きている苦しさや悩みを救い、またその苦しさや悩みについて、ほかのどっさりの人はどう感じ、考え、そこから抜け出そうともがいているかということについて知り、慰めと希望とよろこびを見出したのだった。
 この本をよみはじめた時代の思い出のなかで、ゴーリキイは、きょうのわたしたちにとって極めて暗示にとんだ回想をしている。わたしの生活はこのようにあんまり野蛮で苦しかったから、読む本は英雄的なものや、空想的なものが面白かった。そういう本をよんでいる間は現実の苦しさからはなれることが出来たから、と。そういう意味を書いている。このことも、わたしたちが文学にふれる機会が、多く偶然からはじまる、という事実とともに、考えさせられる第二のことである。

 資本主義の社会では、出版という仕事も企業としてされる。資本主義の企業は、本質として利潤をもとめている。一定の量の紙をつかって一冊の雑誌をこしらえるために或る資本がいる。その投資を出来るだけ利まわりよく回収するためには、一冊の雑誌が高くてもどっさりうれるようにしなければならず、売れる、ということのためには、日本の人口の大部分を占める人々――大衆のこのみに合うことが必要となって来る。大衆のこのみとはどういうものだろう。こまかくしらべれば大変複雑で、音楽好き、映画好き、スポーツ好き、様々ではあるが、大体、人間として一応興味をひかれることがらというものはある。衣、食、住のこと、それから恋愛など、愛と憎しみの諸問題。その素朴ないくつかの主題は、その社会がそのときおかれている歴史的な条件で、さまざまに表現をかえて来る。衣、食、住、愛憎の問題だけを見ても、戦争中は、人間的な欲求の一切を抹殺した権力によって、そういうテーマは、すべて自然の文明的な主張をかくし、軍国主義への献身だけが強調された。小説にしろ、そうだった。大衆のこのみは、そこに追いこまれ、すべての出版物がそういう傾向であった。
 だから、そういう時代に本をよみはじめる年ごろになった若いひとたちは、偶然よんだ小説が、竹田敏彦であったり、尾崎士郎の従軍記であったり、火野葦平の麦と兵隊であったりした。本をよむことそれ自体が、一人の人間の生活の環のひろがりを意味するし、心の世界の拡大を意味することは、ゴーリキイの思い出に云われているとおりだから、あの時代、ひとは、一冊の本をよめば、よむほど、その偶然によって戦争気分へひきこまれた。戦争について考え直して見ようとする本、戦争について日本の権力が語るひとりよがりを不審とする論文、そういうものは発表されなかったのだから。
 さて、戦争が終って、ポツダム宣言が受諾され、日本は人民の幸福のための民主国にならなければならないことになった。三年経った今日、わたしたちの周囲に、いまはじめて、文学にふれてゆく人のために、最も多い偶然として氾濫している雑誌、小説類は、どんな種類のものだろう。衣、食、住、愛憎の主題に戻って、今日の出版物の多くを眺めると、戦争が社会の安定を破壊し、個々の人の物質と精神のよりどころを粉砕した、その乱脈ぶりと、傷口とが、まざまざ反映している。既成の文学のなかで、愛憎の問題は、人間の発展のモメントとして、まともに扱われる基礎を失ってしまった。こういうテーマに熱中していたのは中産階級の作家であり、文学であり、またその読者であったのだが、今日、日本の中産階級というものの実態はどうだろう。経済的に破滅した。経済上、精神上の闇が洪水のように、最もよわいこの社会層をつきくずしている。戦争中、非人間的な抑圧にうめいていた気分の反動で、すべての人間としての欲望をのばしたい衝動がある。その半面、経済的な社会生活の現実では、その激しい衝動を順調にみたしてゆく可能が奪われているから、虚無的な刹那的な官能のなかに、生存を確認する、というようなデカダンス文学が生れた。封建的な人間抑圧への反抗ということも、理由とされているが、それは、その第一歩、第一作の書かれた動機のかげにあった一つのぼんやりしたバネであったにすぎない。二作、三作、ましてそれで儲かって書きつづけてゆく作品のモティーヴになってはいない。

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