「月をながめる夜というものにいつでも寂しくないことはないものだが、この中秋の月に向かっていると、この世以外の世界のことまでもいろいろと思われる。亡くなった衛門督はどんな場合にも思い出される人だが、ことに何の芸術にも造詣が深かったから、こうした会合にあの人を欠くのはもののにおいがこの世になくなった気がしますね」 とお言いになった院は、御自身の音楽からも愁いが催されるふうで涙をこぼしておいでになるのである。御簾の中で女三の宮が今の言葉に耳をおとめになったであろうかと片心にはお思いになりながらもそうであった。こんな音楽の遊びをする夜などに最も多くだれからも忍ばれる衛門督であった。帝も御遊のたびに故人を恋しく思召されるのであった。 「今夜は鈴虫の宴で明かそう」 こう六条院は言っておいでになった。杯が二回ほどめぐった時に、冷泉院から御使いが来た。宮中の御遊がないことになったのを残念がって、左大弁、式部大輔その他の人々が院へ伺候したのであって、左大将などは六条院に侍しているとお聞きになった院からの御消息には、
雲の上をかけはなれたる住家にも物忘れせぬ秋の夜の月
「おなじくは」(あたら夜の月と花とを同じくは心知られん人に見せばや)
とあった。 「自分はたいそうにせずともよい身分でいて、閑散な御境遇でいらっしゃる院の御機嫌を伺いに上がることをあまりしない私の怠惰を、お忍びのあまりになってくだすったお手紙だからおそれおおい」 と六条院はお言いになって、にわかなことではあるが冷泉院へ参られることになった。
月影は同じ雲井に見えながらわが宿からの秋ぞ変はれる
このお歌は文学的の価値はともかくも、冷泉院の御在位当時と今日とをお思い比べになって、寂しくお思いになる六条院の御実感と見えた。御使いは杯を賜わり、御纏頭をいただいた。 参っていた人々の車を出て行く順序どおりに直したり、そちらこちらの前駆を勤める人たちが門内を右往左往するのとで、静かであった音楽の夜も乱れてしまった。六条院のお車に兵部卿の宮も御同乗になった。左大将、左衛門督、藤参議などという人たちも皆お供をして出た。皆軽い直衣姿であったのが下襲を加えて院参をするのであった。月がやや高くなって美しくふけた夜に、若い殿上人などに、わざとらしくなく笛をお吹かせになって、微行の御外出をされるのである。威儀の必要な時には正しく備うべきを備えて御往復になるのであるが、今夜は昔の一源氏の大臣のお気持ちで突然にお訪ねになったのであるから、冷泉院は非常にお喜びになった。御美貌の整いきった冷泉院と、六条院はいよいよ別のものとはお見えにならなかった。まだ盛りの御年齢で御自発的に御位をお退きになった君に六条院は悲しみを覚えておいでになった。この夜できた詩歌は皆非常におもしろかったが、片端だけを例の至らぬ筆者が写しておくのもやましい気がしてすべてを省くことにした。明け方にそれらの作が講ぜられて、人々は早朝に院から退出した。 六条院は中宮のお住居のほうへおいでになってしばらくお話しになった。 「ただ今はこうして御閑散なのですから、始終お伺いして、何ということもありませんが年のいくのとさかさまにますます濃くなる昔の思い出についてお話もし、承りもしたいのを果たすことがなかなか困難です。出家をしたのでもなし、俗人でもないような身の上で、行動の窮屈な点があります。どちらにも私よりあとに志を起こして先へ進まれる求道者が多いのですから心細くて、思いきって田舎の寺へはいることにしようかともいよいよ近ごろは思われるのですが、あとの家族たちに関心をお持ちくださるようには以前からもお頼みしていることですが、その時になりましたら憐みをお垂れになってください」 などと六条院はまじめな御様子でお語りになった。今も若々しくおおような調子で、中宮は、 「宮中住まいをしておりましたころよりも、お目にかかります機会がだんだん少なくなってまいりますことも、予期せぬことでございましたから寂しゅうございましてね。皆様が御出家をあそばすこの世というものから私も離れてしまいたい望みを持っておりますことにつきましても、御相談が申し上げたくてそしてそれができないのでございますわ。昔からどんなことにもお力になっていただきつけて、独立心がなくなっているのでございましょうね。御意見を伺わないでは何もできません私は」 と言っておいでになった。 「そうですね。宮中にいらっしゃるころは年に幾度かの御実家帰りを楽しんでお待ち受けすることができたのですがね。ただ今では形式どおりのお暇をお取りになって御実家住まいをなさることのおできにならなくなりましたのもごもっともです。もうお上とお后と申すより一家の御夫婦のようなものですからね。ただ今のお話ですが、さして厭世的になる理由のない人が断然この世の中を捨てることは至難なことでしょう。われわれでさえやはりいよいよといえば絆になることが多いのですからね。人真似の御道心はかえって誤解を招くことになりますから、断じてそれはいけません」 と院がおとめになるのを、宮は深く自分の心が汲んでもらえないからであろうと恨めしく思召した。母君の御息所の霊が宙宇にさまよって、どんな苦しみを経験しておいでになることかとは中宮の夢寐にもお忘れになれないことで、今も人に故人を憎悪させるばかりである名のりを物怪が出てするということも六条院はあくまでも秘密にしておいでになったが、自然に人が噂をしてお耳にはいってからは、非常に母君を悲しく思召して、人生そのものまでがいとわしくおなりになって、仮にもせよ御息所の物怪が言ったという言葉を六条院からお聞きになりたいのであるが、正面から言うことはおできにならないで、 「お母様の霊魂が罪の深いふうに苦しんでおいでになりますことを私はほかから話に聞きまして、それは確かでなくとも想像いたされることなのでございましたが、ただお死に別れしましたことだけを悲しんでおりまして、後世のことまでも幼稚な心の私は考えませんでしたのが悪いことでございました。気がついてみますと、宗教のほうの人にくわしい説明もしていただきたくなりましたし、私の力で及ぶだけの罪の炎をお消ししてお救いもしたいという望みも起こってまいったのでございます」 などとかすめたふうにしてお語りになるのであった。そういう御決心のできるのもごもっともであると哀れに院はお思いになって、 「炎ののがれたいのを知りながら、愛欲の念をだれも捨てることができないものなのです。目蓮が仏に近いほどの高僧になっていたために、すぐに母を地獄から救い出すこともできたのでしょうが、その真似はおできにならないで、しかも御自身のはなやかな人間としての生活をしいて断ち切っておしまいになることも、知らず知らず煩悩を作る結果になるではありませんか。急がずにその道を御研究になることになさいまして、そのほかの方法で故人の妄執を晴らさせておあげになることをなさるべきです。私自身もそれを十分にして差し上げたい心を持っておりながら、ほかのことが多いものですから、そのうち私が本意を達する日が来れば、静かに私自身の手で冥福をお祈りしようと予定しているのですが、これも中途半端な心でしょうね」 などとお言いになって、人生のはかなさ、いとわしさをお語り合いになっているのであるが、まだどちらも出家するには御縁が遠いような盛りのお姿と見えた。 昨夜は微行の御参院であったが、今朝はもう表だって準太上天皇の儀式をお用いになるほかはなくて、院に参っていた高官たちは皆供奉をして六条院をお送り申すのであった。 院は東宮の御母君の女御が御教育のかいの見える幸福な女性になっていることも、だれよりもすぐれた左大将の存在もうれしく思っておいでになるのであるが、その二人にお持ちになる愛は冷泉院をお思いになる愛の片端にも価しないのである。冷泉院も常に恋しく思召しながらたやすく御会合のおできにならないことを物足らぬことに思召してただ今の御境遇を早くお選びにもなったのである。中宮は御実家へお帰りになることが以前よりもむずかしくおなりになって、普通の家の夫婦のようにいつもごいっしょにお暮らしになり、お催し事などは昔よりはなやかなふうにあそばされて、どの点から申しても御幸福なのであるが、母君の御息所のことのために専心信仰の道へ進みたいと願いもあそばされるのであったが、だれも御同意にならぬことであったから、せめて功徳を作ることで亡き霊を弔いたいというお考えになって、以前にもまして善根をつもうと精進あそばされた。六条院も中宮のお志をお助けになって、法華経の八講を近日行なわせられるそうである。
●表記について
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