您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 紫式部 >> 正文

源氏物語(げんじものがたり)54 蜻蛉

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-6 10:14:54  点击:  切换到繁體中文

源氏物語

蜻蛉

紫式部

與謝野晶子訳




ひと時は目に見しものをかげろふのあ
るかなきかを知らぬはかなき(晶子)

 宇治の山荘では浮舟うきふねの姫君の姿のなくなったことに驚き、いろいろと捜し求めるのに努めたが、何のかいもなかった。小説の中の姫君が人に盗まれた翌朝のようであって、このいたましい騒ぎはくわしく書くことができない。
 京からの前日の使いが泊まって帰らなかったため、母夫人は不安がってまた次の使いをよこした。まだ鶏の鳴いているころに出立たせたと言っている使いにどうこの始末を書いて帰したものであろうと、乳母めのとをはじめとして女房たちは頭を混乱させていた。何のわけでどうなったかと推理してゆくことができずに、ただ騒いでいる時、浮舟の秘密に関与していた右近うこんと侍従だけには最近の姫君の悲しみよう、煩悶はんもんのしようの並み並みでなかったことから、川へ身を投げたという想像がつくのであった。泣く泣く夫人の送ってきた手紙をあけて見ると、
あまりにあなたが心配で安眠のできないせいでしょうか、今夜は夢の中であなたを見ることすらよくできないのです。眠ったかと思うと何かに襲われて苦しむのです。そんなことで気分もよろしくなくて困ります。移転される日の近くなったことは知っていますが、それまでの間をこの家へあなたを来させていたく思います。今日は雨になりそうですからだめでしょうが。
 と書かれてあった。昨夜浮舟の書いた返事もあけて読みながら右近は非常に泣いた。こんな覚悟をしておいでになったので心細いようなことをお言いになったのである、小さい時から少しの隔てもなく親しみ合った主従ではないか、隠し事はちりほどもなかった間柄ではないか、それだのに最後に自分をおうとみになり自殺のぶりもお見せにならなかったのは恨めしいと思うと、泣いても泣いても足らず足摺あしずりということをしてもだえているのが子供のようであった。悲しんでいたことにはよく気はついていたのであるが、自殺などという恐ろしいことの決行できる方とは見えず、優しい柔らかい心の持ち主だったではないかと、まだ事実を事実として信じることができずにただ悲しいばかりの右近であった。乳母はかえってはげしい驚きのために放心して、
「どうすればいいだろう、どうすれば」
 とばかり言っているのである。
 兵部卿ひょうぶきょうの宮も普通でない気配けはいのある返事をお読みになったため、どんなふうな気になっているのであろう、自分を愛していることは確かであるが、移り気であると自分の言われていることに疑いを持っていたから、大将の手へ行くのではなくどこともなく行くえをくらまそうとするのではあるまいか、と不安でならずお思いになって使いをお出しになった。
 使いが来てみると家の中は女の泣き叫ぶ声に満ちていてお手紙を受け取ろうとする者もない。どうしたことかとしもの女中に聞くと、
「姫君が昨晩にわかにおかくれになりましたので、女房がたはだれも気を失ったようになっていらっしゃるのですよ。御用をお取り次ぎしましてもだめでしょう」
 と言った。何の事情も知らぬ男であったから、くわしく聞くこともせずに帰ってまいった。そして山荘の出来事を取り次ぎによっておしらせしたのであった。宮は夢とよりお思われにならない。ひどく病をしているというふうでもなく、いつも気分がすぐれぬとは書いてあったが、昨日きのうの返事にはそれも書かず、平生のものよりも情の見えることを言って来たではないかと不思議にばかりお思われになって、時方ときかたに自身で宇治へ行き確かなことを調べて来るようにお命じになった。
「あの大将のお耳にどんなことがはいったのですか、宿直とのいをする者が忠実に役を勤めないというおしかりがあったとかで、私の侍が使いにまいったり、帰ったりいたしますのさえ、見つけますと調べ立てるようなことをする者らがあるそうなのですから、口実なしに私が行きまして、それが大将さんへ知れますとあなた様の御迷惑になることが起こるのではございませんでしょうか。そしてまた人が急病でお死にになった所などというものはおおぜいの人が集まってもいるでしょうから」
「だからといって、訳のわからぬままにしておけるものではない。何とか口実を作って行って、こちらの味方になっている侍従などにって、真相を確かめて来てくれ。どんなことをこういうふうに言っているかをね。下人というものはよくまちがったことを聞いて来たりするものだから」
 こう仰せられる宮の御様子においたましいところの見えるのももったいなくて時方はその夕方から宇治へ出かけた。この人たちが急いで行けば早く行き着くこともできるのであった。少し降っていた雨はやんだが泥濘ぬかるみみちにつかれていたし、はじめから侍風に装っていたのであるし、目だつこともなく門をはいることのできた山荘の中は混雑していた。今夜のうちにお葬儀をしてしまうのであるなどと皆の言っているのを聞いて時方はひどく驚かされた。右近に面会を求めたが逢えない。
「何が何やらわからぬふうになっていまして、起き上がる力もないのです。夜分おそくにでもなりましたらおいでくださいませ。お目にかかれませんのは残念でございます」
 と取り次ぎをもって言わせた。
「そうではありましょうが、こちらの御事情がわからぬままでは帰りようがありません。もう一人の方にでも逢わせてください」
 時方がせつに言ったために侍従が出て来た。
「とんだことになりまして、だれも想像のできませんようなふうでおくなりになったものですから、悲しいなどと申す言葉では私どもの心持ちは出てまいりません。夢のように思いまして、だれも皆呆然ぼうぜんとしておりますとだけ申し上げてくださいませ。少しこうしました気持ちの納りますころになれば、その前にどんなに煩悶をしておいでになりましたかと申すことや、あの宮様のおいであそばした晩に心苦しく思召おぼしめした御様子などもお話し申し上げることができるかと思います。触穢しょくえの期間の過ぎました時分にもう一度またお立ち寄りください」
 と言って侍従ははげしく泣く。奥のほうにも泣き声が幾いろにも聞こえて、乳母らしく思われる声で、
「お姫様どこへいらっしゃいました。帰っておいでくださいませ。御遺骸いがいさえ見られませんとはなんたる悲しいことでしょう。毎日毎日拝見しても飽くことのないあなた様でした。そのあなた様の御幸福におなりになるのを祈りますことで生きがいのあった私ではございませんか、それにあなた様は打ちやってお行きになりまして、どこへ行ったとも知らせてくださらない。鬼神でもあなた様を取り込めてしまうことはできないはずです。人が非常に惜しむ人は帝釈天たいしゃくてんも返してくださるものです。お姫様を取ったのは人にもせよ鬼にもせよ返しに来てください。御遺骸だけでも見せてほしい」
 こう叫んでいるうちに不審な点のあるのに気のついた時方は、
「真相を知らせてください。だれかがお隠しになったのですか。確かに知りたく思召して、御自身の代わりにおよこしになった私は使いです。今ははっきりしないままでも事は済むでしょうがあとでほんとうのことがお耳にはいった節、御報告が違っていたものでしたら使いの罪になります。まただれだれに逢えと、御好意を持つものと思召して御名ざしになったのに対しても相済まぬこととお思いになりませんか。一人の女性に傾倒される方は外国の歴史などにもありますが、宮様のあの方への御熱愛ほどのものはこの世にもう一つとはないと私は拝見しているのです」
 と言った。道理なことで、この場合の宮の御感情はさもこそと恐察される、隠しても姫君の普通の死でないうわさは立つことであろうから、今申し上げておくほうがよいと侍従は思い、
「だれかがお隠ししたかという疑いも起こることでしたなら、こんなふうに家じゅうの人が悲しみにおぼれることもないでしょう。お悲しみになってめいったふうになっていらっしゃいましたころに、殿様のほうから少しめんどうなふうの仰せがあったのです。お母様である方も、あのわめいております乳母なども初めからの方へ迎えられておいでになりますことの用意に夢中でしたし、宮様のお志に感激しておいでになりました姫君の思召しはまた別でしたから、それでおつむりが混乱してしまったのでしょう、思いも寄らぬことになりまして心身ともに失っておしまいになったので、あの乳母のようなむちゃな叫びもされるのですよ」
 さすがに正面から言おうとはせずにほのめかしていることのあるのを内記も知った。
「それではまたお静かになってから改めて伺いましょう。立ちながらの話にしてはあまりに失礼なことになります。そのうち宮様御自身でもおいでになることになりましょう」
「もったいない、それはいけません。今になりましていっさいの秘密の暴露してしまいますことは、おくなりになりました方のためにあるいは光栄なことかも存じませんが、十分隠したく思召したことですから、秘密は秘密のままにしてお置きくださいますほうが御好志になります」
 などと侍従は言い、姫君の最後が普通の死でないことをほかへらすまいとしていても、自然に事実は事実として人が悟ってしまうことであろうと思い、[#「、」は底本では「。」]こんな会談を長くしていることも避けねばならぬと思う心から時方を促して去らしめた。
 雨の降る最中に常陸ひたち夫人が来た。遺骸があっての死は悲しいといっても無常の世にいては、どれほど愛していた人でもある時は甘んじて受けなければならぬのが人生のおきてであるが、これは何と思いあきらめてよいことかと悲しがった。苦しい恋の結末をそうしてつけたことなどは想像のできぬことで、身を投げたなどとは思い寄ることもできず、鬼が食ってしまったか、きつねというようなものが取って行ったのであろうか、昔の怪奇な小説にはそんなこともあるがと夫人は思うのであった。また常に恐れている大将の正妻の宮の周囲に性質の悪い乳母というような者がいて、かおるが浮舟をここへ隠して置いてあることを知り、だまして人につれ出させるようなことがあったのではあるまいかと、召使いに疑いをかけて、
「近ごろ来た女房で気心の知れなかったのがいましたか」
 と問うた。
「そんなのはあまりにこちらが寂しいと申していやがりまして、辛抱しんぼうもできませんで、京へお移りになればすぐにまいりますというような挨拶あいさつをしまして、仕事などだけを引き受けて持って帰ったりしまして、現在ここにいるのはございません」
 答えはこうであった。もとからいた女房も実家へ行っていたりして人数は少ない時だったのである。侍従などはそれまでの姫君の煩悶を知っていて、死んでしまいたいと言って泣き入っていたことを思い、書いておいたものを読んで「なきかげに」という歌もすずりの下にあったのを見つけては、騒がしい響きを立てる宇治川が姫君をんでしまったかと、恐ろしいものとしてそのほうが見られるのであった。ともかくも死んでおしまいになった人が、どこへだれに誘拐ゆうかいされて行っているかというように疑われているのは気の毒なことであると右近と話し合い、あの秘密の関係も自発的に招いた過失ではないのであるから、親である人に死後に知られても姫君として多く恥じるところもないのであると言い、ありのままに話して、五里霧中に迷っているような心境をだけでも救いたいと夫人を思い、また故人も遺骸を始末するのが世の常の営みなのであるから、そのまま空で悲しんでばかりいることをしていては日が重なるにしたがい秘密は早く世の中へ知られてしまうことでもある、その体裁も相談して作るほうがよい、どうしても真実を母夫人に知らす必要があるとして、ひそかに兵部卿の宮との関係、そののち大将に秘密を悟られて姫君が煩悶した話をするのであったが、語る人も魂が消えるようになり、聞く人もさらに予期せぬ悲哀の落ち重なってきたふためきをどうすることもできないふうであった。それではこの荒い川へ身を投げて死んだのかと思うと、母の夫人は自身もそこへはいってしまいたい気を覚えた。流れて行ったほうを捜させて遺骸だけでも丁寧に納めたいと夫人は言いだしたが、もう大海へ押し流されたに違いない、効果は収めることができずに人の噂だけが高くなることははばからなければならぬことを二人は忠告した。どうすればよいかと思うと胸がせき上がってくる気のする常陸夫人は、どうと定めることもできずにぼうとしているのを二人がたすけて、車を寄せさせて姫君の常にしていた敷き物、身近に置いた手道具、もぬけになっていた夜具などを入れ、乳母の子の僧と、それの叔父おじにあたる阿闍梨あじゃり、そのまた親しい弟子でし、もとから心安い老僧などで忌中をこもろうとして来ていた人たちなどだけに真実のことを知らせ遺骸のあってする葬式のように繕わせて出す時、乳母は悲しがって泣きまろんだ。宇治の五位、そのしゅうと内舎人うちとねりなどという以前におどしに来た人たちが来て、
「お葬式のことは殿様と御相談なすってから、日どりもきめてりっぱになさるのがよろしいでしょう」
 などと言っていたが、
「どうしても今夜のうちにしたい理由わけがあるのです、目だたぬようにと思う理由もあるのです」
 と言い、その車を川向かいの山の前の原へやり、人も近くは寄せずに、真実のことを知らせてある僧たちだけを立ち合わせて焼いてしまった。火は長くも燃えていなかった。田舎いなかの人はこうした作法はかえって都人より大事にするもので、そしてこの場合の縁起を言ったりすることもうるさいほどにするものであったから、大家の夫人の葬儀とも思われぬ貧弱な式であったとそしる人があったり、また側室であった人の場合はこんなふうにして済まされるのが京の風俗であるなどと言ったり、いずれにもせようれしくない取り沙汰ざたを人はした。そうした階級の人がどう思ったかということさえもつつましいこの場合に、大将が遺骸も残さず死んだと聞いては必ずどこかへ失踪しっそうをしてしまったことと疑うであろうし、親族関係の濃い宮様のほうへその話の伝わってゆかぬはずもない、その時に宮がお隠しになったと大将は思うまい、どんな人が隠しているかと思い想像もされるに違いない、生きていた間は高い貴人たちに愛される運命を持った人が、死後に醜い疑いをかけられるのはもってのほかであると女房らは思い、山荘の中の下人たちにも今朝けさ姫君の姿の見えなかった騒ぎに、思わずも実相を悟らせることになった者らへは口堅めを厳重にし、知らなかったのにはあくまでも普通の死であったように取り繕うことに侍従と右近は骨を折った。時間がたったのちには浮舟の姫君が死を決意するまでの経過を宮へも大将へもお話しすることができようが、今は興ざめさせるような死に方を人の口から次へ次へと聞こえることは故人のために気の毒であると思い、この二人が自身らの責任を感じる心から深く隠すことに努めた。
 この時に薫は母宮が御病気におなりになって石山寺へ参籠さんろうをあそばされるのに従って行っていて騒がしく暮らしていたのであった。京よりもまだ遠くにいて宇治のことが気がかりでならぬ薫でもあったが、はかばかしく消息をする人もなかったために、葬儀にも大将家の使いの立ち合わなかったのは山荘の人々の情けなく思うところであったが、荘園の人が石山へ行ってはじめて姫君の死は薫へ報じられたのであった。使いはその翌日の早朝に宇治へ来た。
非常なことの起こったしらせを受け、すぐにも自分で行くべきですが、母宮の御病気のために日数をきめてこもっているために、それも実行ができません、昨夜にもう葬送を行なったということですが、なぜそれは私へ相談をしませんでしたか、そして日を延べることが普通ではありませんか。しかも簡単に儀式をしてしまったと聞いて残念に思います。どうしてもこうしても同じことですが、一人の人間の最後の式ですから、田舎いなかの人たちのそしりを受けたりすることになっては、自分のためにも迷惑です。
 と、あの親しく思っている大蔵大輔たゆうを使いにして言わせたのであった。使いの来たことでまた悲しみが新しくなったし、答える言葉も何と言ってよいかわからぬ時であってみれば、人々は泣くのを挨拶あいさつに代えて何とも申し出すことはできなかった。
 薫は思いがけぬ愛人の死に落胆をして、情けない場所である、幽鬼などが住んでいてそうした災厄さいやくをしばしば起こすのでなかろうか、それと気もつかずにどうして長く宇治などへ置いていたのだろう、不快な関係がほかに結ばれたらしいことなども、ああした不用心な所へ住ませておいたためにすきをうかがわせることになったに違いない、と思われるのも皆自分の非常識に原因したことであると胸が痛くなるほどにも悔まれた。御病気で専念に仏へ祈っておいでになる母宮のおそばでこんな煩悶はんもんをしているのはよろしくないと思い薫は京のやしきへ帰った。夫人の宮のところへは行かずに、
「たいしたことではないのですが、身辺に不幸が起こったものですから、しばらく落ち着きますまで、縁起の悪いことにもなりますから謹慎していようと思います」
 などと御挨拶をしておいて、一人で人生の深い悲しみを味わっていた。浮舟うきふねの容姿の愛嬌あいきょうがあって、美しかったことなどを思い出すと、非常に恋しくなり、悲しくなる薫は、その人の生きていた時には、それをそうと認めようとはせずに、たびたび逢いに行こうともせず、寂しい思いばかりをさせて来たのであろうと思う後悔があとからあとからわいてくる。恋愛について物思いの絶えない宿命をになっている自分である、信仰生活を志していながら俗から離れずにいるのを仏が憎んでおいでになるのであろうか、悟らせようとしての方便には未来の慈悲を隠してこんな残酷な目も仏はお見せになるものであると、思い続けて仏勤めをばかりしていた。
 浮舟をお失いになった兵部卿の宮は、まして二、三日は失心したようになっておいでになったため、どうした物怪もののけいたかと周囲の人たちが騒いでいるうちに、ようやく涙が流れ尽くしてお心が静まってきたと同時に、生きていた日の浮舟が恋しくばかりお思い出されになるのであった。他人には重く病気をしているふうを見せて、き恋人を思う悲歎に沈んでいることは知らせないでいるのであると、御自身では思召したが、自然御様子にそれが現われるものであるから、どんなことにお出逢いになって、こんなに命もあぶないまでに悲しんでおいでになるのであろうという人もあるために、大将もそれを知り、故人とは自分の想像したような関係を作っておいでになったらしい、手紙をおやりになったりするだけのことではないのであった、宮が御覧になれば必ず深い愛着をお覚えになるはずの人であった、生きていたならば自分は裏切られた男としての醜名を取らなければならないのであったと、こう思うようになってからは少し故人へのあこがれがさめた気のする薫であった。
 兵部卿の宮の御病気見舞いに伺候せぬ人もなく、世間の騒ぎにもなっている場合であるのに、たいした喪というわけでもないのに、自分がお見舞いにならないのも僻見をいだいているように見られることであろうからと思い、薫は二条の院へ伺った。この時分に式部卿しきぶきょうの宮と言われておいでになった親王もおかくれになったので、薫は父方の叔父おじの喪に薄鈍うすにび色の喪服を着けているのも、心の中では亡き愛人への志にもなる似合わしいことであると思っていた。顔は少しせていよいよえんに見えた。お見舞い客が皆去ったあとの静かな夕方であった。
 宮は御病気らしくお見えにはなっても、ただお気持ちが重く沈んでしかたがないという御状態にすぎないのであったから、うとうとしい人とは御面会にならぬが、お居間の中へ平生はお通しになる御親交のある人たちとはお逢いになるのであったから、薫を御引見になったが、その人の顔を御覧になると理由もなく恥ずかしくお思われになり、心弱くなっておいでになるのが隠しきれぬような涙になって出るのをきまり悪く思召しながらも、よく心持ちをおおさえになり、
「たいした病気ではありませんが、だれもが悪くなってゆく兆候のある容体だと言って騒ぐものですから、おかみ中宮ちゅうぐう様も御心配あそばされるのが苦しく思われてね。それにつけてもまた人生の心細さが感ぜられてなりませんよ」
 こうお言いになり、ちょっとそでで押すほどにぬぐうてお済ませになるつもりでおありになった涙が、どうしたかとめどもなく流れ落ちるのを、見苦しいと思召すのであるが、浮舟のために泣くとは大将に気のつくはずもなかろう、ただ人生にめめしく執着をしていると見えるだけであろうと、薫の心中を御推測のできぬ宮は思っておいでになった。やはり恋人の死ばかりを悲しんでおいでになるのであった、いつごろからあった事実なのであろう、自分を滑稽こっけいな男と長い間笑っておいでになったのであろうと思い、薫は悲しみもそれで忘れることができているのを宮は御覧になり、死んだ愛人に対して非常に冷淡なものである、ものの痛切に悲しい時には全然関係のないことにさえ涙が誘われ、空を鳴いて通る鳥の声にも哀傷の思いは催されるはずではないか、自分が何の悲しみによって病んでいるかを知ったなら、同情から平気には見ておられぬ人なのであるが、人生の無常を深く悟り澄ました人はこんなに冷静なふうでいられるのであろうとうらやましく、御自身の及びがたさをお覚えになるのであるが、「我妹子わぎもこが来ては寄り添ふ真木柱まきばしらそもむつまじやゆかりと思へば」という歌のように、あの人を愛した男であるとお思いになるとこの人にさえ愛のお持たれになる兵部卿ひょうぶきょうの宮であった。この人とある日は向かい合っていたのかとお思いになると、形見であるというように薫の顔がお見守られになった。いろいろな世間話を申しているうちに、絶対に浮舟のことは言いださぬという態度はお取りしたくないと思い、
「私は昔からどんなこともあなた様に申し上げないで、自分だけで思っているのがとても苦しいのではございますが、今では知らぬまに私のような者も大官になっておりますし、ましてあなた様はいろいろとお忙しい身の上でお閑暇ひまなどはありますまいと存じまして、宿直とのいなどをいつでも申し上げて話を聞いていただくようなこともできませず日を過ごしておりましたが、こんなことをひとつお聞きください。昔も御承知のあの山里に若死にをしました恋人と同じ血統ちすじの人が意外な所に一人いると聞きまして、昔の人の形見にときどき顔を見て慰めにしようと思ったのですが、ちょうど私といたしましては、そんなことをしては、世間からわけもなく悪く批評をされる時だったものですから、昔の寂しい山里へつれて行ってあったのでございます。そして始終はたずねて行ってやることもない間柄になっていましたし、その人も私一人にたよる心もなかったように見えましたが、唯一の妻としては、そうした不純な心のあることは捨ておけないことですが、愛人としておくぶんには許されなくはないものですから、可憐かれんに見ておりましたが突然くなったのでございます。人生の悲哀がまたしみじみと味わわれまして、寂しい思いをしております。もうそのことはお耳にもどちらからかはいっておりますでしょう」
 と言って、この時になって泣き出した。かおるとしてもこれほど悲しむふうはお見せすまいと自戒していたのであったが、こぼれ始めてはとどめがたい涙になった。その様子に別な意味もあるふうなのを宮もお悟りになり、気の毒に思召したが、素知らぬふうをあそばした。


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告