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源氏物語(げんじものがたり)54 蜻蛉

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-6 10:14:54  点击:  切换到繁體中文


 その言葉どおりに奇妙な親戚しんせき関係と人には見られることであろうが、宮中へそうした地方官が娘を差し上げないこともないのであるし、また素質がよくて帝王がそれをお愛しになることになってもおそしりする者はないはずである、人臣である人たちはまして世間から無視されている階級の家の娘を妻にしている類も多いのである、常陸守ひたちのかみの娘であったと人が言っても自分の恋愛の径路が悪いものであれば指弾もされようが、そんなことではないのであるからはばかる必要もない、一人の大事な娘を不幸に死なせた母親を、その子ののこした縁故から一家に名誉の及ぶことで慰めるほどの好意はぜひとも自分の見せてやらねばならないのが道であると薫は思った。
 母の隠れ家へは常陸守が来て立ちながら話すのであったが、娘に出産のあったおりもおりにだれかの触穢しょくえを言い立てて引きこもっていることなどで腹だたしいふうに言っていた。去年の夏以来姫君がどこにいるかをありのままには夫人の言ってなかった常陸守であったから、寂しい生活をしていることであろうと思いもし、言いもしていたのを大将に京へ迎え入れられたあとで、名誉な結婚をしたと知らせようとも夫人が思っていたうちに浮舟は死んでしまったのであったから、隠しておくのもむだなことであると夫人は思い、薫と結婚をして宇治に住まわせられていたこと、そして病んで死んだ話を泣く泣く語るのであった。薫からもらった手紙も出して見せると、貴人を崇拝する田舎いなか風な性質になっている守は驚きもしおくしもしながら繰り返し繰り返し薫の手紙を読んでいる。
「幸福で名誉な地位を得ていて死んだ方だ。自分も大将の家人けにんの数にはしていただいている者で、お邸へはまいることがあっても近くお使いになることもなかった。とても気高けだかい殿様なのだ。息子たちのことを言ってくだすったのは非常にあれらのために頼もしいことだ」
 こう言って喜ぶのを見ても、まして姫君が大将夫人として生きていたならばと思わないではいられない夫人は、しまろんで泣いていた。守もこの時になってはじめて泣いた。しかしながら浮舟が生きているとすれば、かえって異父弟の世話を引き受けようなどと薫はしなかったことであろうと思われる。自身の過失から常陸夫人の愛女を死なせたのがかわいそうで、せめて慰めを与えることだけはしたいと思う心から、他のそしりがあろうとも深く気にとめまいという気になっているのである。
 薫は四十九日の法事の用意をさせながらも実際はどうあの人はなったのであろう、まだ一点の疑いは残されていると思うのであるが、仏への供養をすることは人の生死にかかわらず罪になることではないからと思い、ひそかに宇治の律師の寺で行なわせることにしているのであった。六十人の僧に出す布施の用意もいかめしく薫はさせた。母夫人も法会には来ていて、式をはなやかにする寄進などをした。兵部卿の宮からは右近の手もとへ銀のつぼへ黄金の貨幣を詰めたのをお送りになった。人目に立つほどの派手はでなことはあそばせなかったのである。ただ右近が志として供物にしたのを、事情を知らぬ人たちはどうしてそんなことをしたかと不思議がった。薫のほうからは家司けいしの中でも親しく思われる人たちを幾人もよこしてあった。在世中はだれもその存在を知らなんだ夫人の法事を、薫がこんなにまで丁寧に営むことによって、どんな婦人であったのかと驚いて思ってみる人たちも多かったが、常陸守が来ていて、はばかりもなく法会ほうえの主人顔に事を扱っているのをいぶかしくだれも見た。少将の子の生まれたあとの祝いを、どんなに派手に行なおうかと腐心して、家の中にない物は少なく、[#「、」は底本では「。」]支那しな、朝鮮の珍奇な織り物などをどうしてどう使おうとおごった考えを持っていた守ではあったが、それは趣味の洗練されない人のことであるから、美しい結果は上がらなかった。それに比べてこの法会の場内の荘厳をきわめたものになっているのを見て、生きていたならば、自分らと同等の階級に置かれる運命の人でなかったのであったと守は悟った。兵部卿の宮の夫人も誦経ずきょうの寄付をし、七僧への供膳きょうぜんの物を贈った。
 今になって隠れた妻のあったことをみかどもお聞きになり、そうした人を深く愛していたのであろうが、女二にょにみやへの遠慮から宇治などへ隠しておいたのであろう、そして死なせたのは気の毒であると思召した。
 浮舟の死のために若い二人の貴人の心の中はいつまでも悲しくて、正しくない情炎の盛んに立ちのぼっていたころにそのことがあったため、ことに宮のお歎きは非常なものであったが、元来が多情な御性質であったから、慰めになるかと恋の遊戯もお試みになるようなこともようやくあるようになった。薫は故人ののこした身内の者の世話などを熱心にしてやりながらも、恋しさを忘られなく思っていた。
 中宮ちゅうぐうもまだそのまま叔父おじの宮の喪のために六条院においでになるのであったが、二の宮はそのあいた式部卿にお移りになった。お身柄が一段重々しくおなりになったために、始終母宮の所へおいでになることもできぬことになったが、兵部卿ひょうぶきょうの宮は寂しく悲しいままによくおいでになっては姉君の一品いっぽんの宮の御殿を慰め所にあそばした。すぐれた美貌びぼうであらせられる姫宮をよく御覧になれぬことを物足らぬことにしておいでになるのであった。右大将が多数の女房の中で深い交際をしている小宰相こさいしょうという人は容貌ようぼうなどもきれいであった。価値の高い女として中宮も愛しておいでになった。琴の爪音つまおと琵琶びわ撥音ばちおとも人よりはすぐれていて、手紙を書いてもまた人と話しをしても洗練されたところの見える人であった。兵部卿の宮も長くこの人に恋を持っておいでになるのであって、例の上手じょうずに説き伏せようとお試みになるのであるが、誘惑をされてだれも陥るような御関係を作りたくないと強い態度を変えないのを、かおるはおもしろい人であると思って好意が持たれるのである。このごろの薫が物思いにとらわれているのも知っていて、黙っていることができぬ気もして手紙を書いて送った。

哀れ知る心は人におくれねど数ならぬ身に消えつつぞ

私が代わって死んでおあげすればよかったように思われます。
 と感じのよい色の紙に書かれてあった。身にしむような夕方時のしめっぽい気持ちをよく察してたずねのふみを送った心持ちを薫は感謝せずにはおられなかった。

つれなしとここら世を見るうき身だに人の知るまで歎きやはする

 これを返歌にした。
 答礼のつもりで、
「寂しい時の御慰問のお手紙はことにありがたく思われました」
 と言いに小宰相の家を薫はたずねて行った。貴人らしい重々しさが十分に備わり、こんなふうに中宮の女房の自宅へなど、今までは一度も行ったことのない薫が訪ねて来た所としては貧弱なやしきであった。つぼねなどと言われる狭い短い板の間の戸口に寄って薫のしているのを片腹痛いことに思う小宰相であったが、さすがにあまりに卑下もせず感じのよいほどに話し相手をした。失った人よりもこの人のほうに才識のひらめきがあるではないか、なぜ女房などに出たのであろう、自分の妻の一人として持っていてもよかった人であったのにと薫は思っていた。しかしながら友情以上に進んでいこうとするふうを少しも薫は見せていなかった。
 はすの花の盛りのころに中宮は法華ほけ経の八講を行なわせられた。六条院のため、紫夫人のため、などと、故人になられた尊親のために経巻や仏像の供養をあそばされ、いかめしく尊い法会ほうえであった。第五巻の講ぜられる日などは御陪観する価値の十分にあるものであったから、あちらこちらの女の手蔓てづるを頼んで参入して拝見する人も多かった。五日めの朝の講座が終わって仏前の飾りが取り払われ、室内の装飾を改めるために、北側の座敷などへも皆人がはいって、旧態にかえそうとする騒ぎのために、西の廊の座敷のほうへ一品の姫宮は行っておいでになった。日々の多くの講義に聞き疲れて女房たちも皆部屋へやへ上がっていて、お居間に侍している者の少ない夕方に、薫の大将は衣服を改めて、今日退出する僧の一人に必ず言っておく用で釣殿つりどののほうへ行ってみたが、もう僧たちは退散したあとで、だれもいなかったから、池の見えるほうへ行ってしばらく休息したあとで、人影も少なくなっているのを見て、この人の女の友人である小宰相などのために、隔てを仮に几帳きちょうなどでして休息所のできているのはここらであろうか、人の衣擦きぬずれの音がすると思い、内廊下の襖子からかみの細くあいた所から、静かに中をのぞいて見ると、平生女房級の人の部屋へやになっている時などとは違い、晴れ晴れしく室内の装飾ができていて、幾つも立ち違いに置かれた几帳はかえって、その間から向こうが見通されてあらわなのであった。氷を何かのふたの上に置いて、それを割ろうとする人が大騒ぎしている。大人おとなの女房が三人ほど、それと童女がいた。大人は唐衣からぎぬ、童女はかざみも上に着ずくつろいだ姿になっていたから、宮などの御座所になっているものとも見えないのに、白いうすものを着て、手の上に氷の小さい一切れを置き、騒いでいる人たちを少し微笑をしながらながめておいでになる方のお顔が、言葉では言い現わせぬほどにお美しかった。非常に暑い日であったから、多いおぐしを苦しく思召すのか肩からこちら側へ少し寄せて斜めになびかせておいでになる美しさはたとえるものもないお姿であった。多くの美人を今まで見てきたが、それらに比べられようとは思われない高貴な美であった。御前にいる人は皆土のような顔をしたものばかりであるとも思われるのであったが、気を静めて見ると、黄の涼絹すずし単衣ひとえ淡紫うすむらさきをつけて扇を使っている人などは少し気品があり、女らしく思われたが、そうした人にとって氷は取り扱いにくそうに見えた。
「そのままにして、御覧だけなさいましよ」
 と朋輩ほうばいに言って笑った声に愛嬌あいきょうがあった。声を聞いた時に薫は、はじめてその人が友人の小宰相であることを知った。とどめた人のあったにもかかわらず氷を割ってしまった人々は、手ごとに一つずつのかたまりを持ち、頭の髪の上に載せたり、胸に当てたり見苦しいことをする人もあるらしかった。小宰相は自身の分を紙に包み、宮へもそのようにして差し上げると、美しいお手をお出しになって、その紙でをおぬぐいになった。
「もう私は持たない、しずくがめんどうだから」
 と、お言いになる声をほのかに聞くことのできたのが薫のかぎりもない喜びになった。まだごくお小さい時に、自分も無心にお見上げして、美しい幼女でおありになると思った。それ以後は絶対にこの宮を拝見する機会を持たなかったのであるが、なんという神か仏かがこんなところを自分の目に見せてくれたのであろうと思い、また過去の経験にあるように、こうした隙見すきみがもとで長い物思いを作らせられたと同じく、自分を苦しくさせるための神仏の計らいであろうかとも思われて、落ち着かぬ心で見つめていた。ここの対の北側の座敷に涼んでいた下級の女房の一人が、この襖子からかみは急な用を思いついてあけたままで出て来たのを、この時分に思い出して、人に気づかれてはしかられることであろうとあわてて帰って来た。襖子に寄り添った直衣のうし姿の男を見て、だれであろうと胸を騒がせながら、自分の姿のあらわに見られることなどは忘れて、廊下をまっすぐに急いで来るのであった。自分はすぐにここから離れて行ってだれであるとも知られまい、好色男らしく思われることであるからと思い、すばやく薫は隠れてしまった。その女房はたいへんなことになった、自分はお几帳きちょうなども外から見えるほどのすきをあけて来たではないか、左大臣家の公達きんだちなのであろう、他家の人がこんな所へまで来るはずはないのである、これが問題になればだれが襖子をあけたかと必ず言われるであろう、あの人の着ていたのは単衣ひとえはかま涼絹すずしであったから、音がたたないで内側の人は早く気づかなかったのであろうと苦しんでいた。
 薫は漸く僧に近い心になりかかった時に、宇治の宮の姫君たちによって煩悩ぼんのうを作り始め、またこれからは一品いっぽんみやのために物思いを作る人になる自分なのであろう、その二十はたちのころに出家をしていたなら、今ごろは深い山の生活にもれてしまい、こうした乱れ心をいだくことはなかったであろうと思い続けられるのも苦しかった。なぜあの方を長い間見たいと願った自分なのであろう、何のかいがあろう、苦しいもだえを得るだけであったのにと思った。
 翌朝起きた薫は夫人の女二の宮の美しいお姿をながめて、必ずしもこれ以上の御美貌びぼうであったのではあるまいと心を満ち足りたようにしいてしながら、また、少しも似ておいでにならない、超人間的にまであの方は気品よくはなやかで、言いようもない美しさであった。あるいは思いなしかもしれぬ、その場合がことさらに人の美を輝かせるものだったかもしれぬと薫は思い、
「非常に暑い。もっと薄いお召し物を宮様にお着せ申せ。女は平生と違った服装をしていることなどのあるのが美しい感じを与えるものだからね。あちらへ行って大弐だいにに、薄物の単衣ひとえを縫って来るように命じるがいい」
 と言いだした。侍している女房たちは宮のお美しさにより多く異彩の添うのを楽しんでの言葉ととって喜んでいた。いつものように一人で念誦ねんずをするへやのほうへ薫は行っていて、昼ごろに来てみると、命じておいた夫人の宮のお服が縫い上がって几帳きちょうにかけられてあった。
「どうしてこれをお着にならぬのですか、人がたくさん見ている時にはだの透く物を着るのは他をないがしろにすることにもあたりますが、今ならいいでしょう」
 と薫は言って、手ずからお着せしていた。宮のおはかまも昨日の方と同じ紅であった。おぐしの多さ、そのすそのすばらしさなどは劣ってもお見えにならぬのであるが、美にも幾つの級があるものか女二の宮が昨日の方に似ておいでになったとは思われなかった。氷を取り寄せて女房たちに薫は割らせ、その一塊ひとかたまりを取って宮にお持たせしたりしながら心では自身の稚態がおかしかった。絵にいて恋人の代わりにながめる人もないのではない、ましてこれは代わりとして見るのにかけ離れた人ではないはずであると思うのであるが、昨日こんなにしてあの中に自分もいっしょに混じっていて、満足のできるほどあの方をながめることができたのであったならと思うと、心ともなく歎息の声が発せられた。
「一品の宮さんへお手紙をおあげになることがありますか」
「御所にいましたころ、おかみがそうおっしゃったものですから、差し上げたこともありましたけれど、ずいぶん長く御交渉はなくなっています」
「人臣の妻におなりになったからといって、あちらからお手紙をくださらなくなったのでしょうが、悲観させられますね。そのうち私から中宮へあなたが恨んでおいでになると申し上げよう」
 と薫は言う。
「そんなこと、お恨みなど私はしているものでございますか。いやでございます」
「身分が悪くなったからといって軽蔑けいべつをなさるらしいから、こちらからは御遠慮して消息を差し上げないとそんなふうに言いましょう」
 こんなことを言ってその日は暮らし、翌日になって大将は中宮の御殿へまいった。例の兵部卿ひょうぶきょうの宮も来ておいでになった。丁子ちょうじの香と色のんだうすものの上に、濃い直衣のうしを着ておいでになる感じは美しかった。一品いっぽんみやのお姿にも劣らず、白く清らかな皮膚の色で、以前より少しおせになったのがなおさらお美しく見せた。女宮によく似ておいでになるということから、またおさえている恋しさがわき上がるのを、あるまじいことであると思い、静めようとするのもあの日の前には知らぬ苦しみであった。兵部卿の宮は絵をたくさんに持って来ておいでになったが、そのうちの幾つかを女房に姫宮のほうへ持たせておあげになり、御自身もあちらへおいでになった。
 薫は后の宮のお近くへ寄って行き、御八講の尊かったことを言い、六条院のことも少しお話し申し上げながら、残った絵を拝見している時に、
「私の所に来ておいでになります宮さんが、宮廷から離れて屈託した気持ちになっておられますのをお気の毒だと見ております。一品の宮様のお消息などをいただけませんことを人妻にくだったことで愛をお捨てになったように思って楽しまないふうなのでございますが、こういたしたものなどをときどき見せてあげてくだすってはいかがでしょう。私がその使いはいたします。私どものほうのも持ってまいります」
 と中宮へ申し上げると、
「まあそんなことで御交際をおやめになるものですか。同じ御所の中におられたころは、近いものですからときどき手紙が通ったのでしょうが、遠く離れ離れにおなりになった時からお手紙が途絶え始めて、そのままになったことなのでしょう。そのうち私からお勧めしてお書きになるようにしますよ。そちらからだってお手紙をお送りになればいいのにね」
 と、宮は仰せられた。
「そちらからは出過ぎたように思われておできにならないのでしょう。初めから御交渉のなかった方にいたしましても、私と宮様がたとの縁の続きに愛しておあげくださることになるのがうれしい成り行きなのですが、まして以前から御交際のあった間柄でおありになるのですから、私の所へ来られましたあとでお捨てになるのは、あの宮さんにとっておかわいそうなことです」
 などと申しているのを、恋が言わせることと中宮はお悟りにならなかった。
 薫は中宮のお居間を辞して、先夜の好意のある女友人にも逢おう、あの思い出の廊の座敷を心の慰めに見て行こうと思い、縁側伝いに西に向いて歩いて行った。御簾みすの中にいる女房たちはそれだけのことにすら心づかいのされる薫の大将であった。渡殿わたどののほうには左大臣の息子らがいて、女房たちと話し合っている様子であったから、この人は妻戸のところにすわって、
「始終この院へはまいっている私ですが、こちらの宮様の御殿へ伺うことができないでいますと、自然老人めいた気持ちになるようになったのですが、これからはそうしていまいと決心してまいったのですよ。れない人間の恰好かっこう滑稽こっけいなものに若い人たちからは見られることでしょう」
 おいの公子たちのほうを見ながらこう言っていた。
「ただ今からお習いになりましたなら新鮮なお若さが拝見されることでしょう」
 などと戯れて言う女房らからも怪しいまでの高雅な感じの受け取られるのであった。何をおもな話題にするというのでもなく、世間話を平生よりもしんみりと話し込んでかおるはいた。
 姫宮は中宮ちゅうぐうの御殿のほうへおいでになった。后の宮が、
「大将があちらへ行きましたか」
 とお尋ねになると、一品の宮のお供をしてこちらへ来た大納言の君が、
「小宰相に話があると言っていらっしゃいました」
 と申した。
「まじめな人であって、さすがに女の友だちにも心のかれるところがあってむだ話もして行きたいのだろうがね。才能のない人が相手をしては恥ずかしい。女の価値がすぐ見破られるからね。小宰相ならまず安心だけれど」
 こんなことをお言いになる宮は、御弟なのであるが、薫に周囲を観察されることを恥ずかしく思召し、女房らも飽き足らず思われるところを見せぬようにしてほしいと思召すのである。
「あの人をだれよりも御ひいきになさいまして、部屋のほうへも寄ってお行きになることがよくあるようでございます。しんみりとお話をしておいでになることもございまして夜がふけてお帰りになることはありましても恋愛関係と申すようなことはなさそうに思われます。あの人兵部卿の宮様の御性情には反感を持っておりまして、お返辞すらよくいたさないようでございますのはもったいないことでございます」
 と言い、大納言の君が笑うと、中宮もお笑いになって、
「あの宮の多情な本質が直感できるのだからいいね。どうしてあの方の悪癖を直させたらいいだろう、恥ずかしいと私は思う。だれも皆そう思っているだろうね」
 こうお語りになった。
「妙な話を私は聞いたのでございます。あの大将さんのおなくしになりました人は兵部卿の宮様の二条の院の奥様のお妹さんだったそうでございます。前常陸守の妻はその方の叔母おばであるとも、母であるとも申しますのはどういう理由わけであるのかよく存じません。その大将の愛人の所へそっと兵部卿の宮様も通ってお行きになったということでございまして、大将さんがそれをお聞きになりましたのか、にわかに宇治から京へ迎えようとなすって、監視の人などをきびしくお付けになりましたころに、宮様はまたおいでになったのでございますが、家の中へおはいりになることができませんで、危険なことでございますが、お馬のままで外に立っておいでになり、それなり帰っておしまいになったということでございまして、女も宮様をお慕いしていたのでしょうか、にわかに行くえがわからなくなりましたのを、川へ身を投げたのであろうと、乳母うばというような者が泣き騒いで言っていたそうでございます」
 大納言の君はこんな話を申し上げた。中宮がお驚きになったことは言うまでもない。
「だれがまあそんな噂話うわさばなしをしていたの、ほんとうにかわいそうな話ではないか。そんな出来事はすぐ噂になるものだのに、そうでもなし、また大将もそんなふうには話さずに、人生の悲哀を強調して話すだけで、また宇治の宮さんの一族が皆短命で死ぬのは悲しいことだとは言っていたけれども」
「ほんとうでございますか、どうでございますか、しもざまの者は確かでないこともほんとうらしく話にいたすものですが、その宇治の山荘におりました下童しもわらわがついこのごろ宰相の実家のほうへ来まして、確かなことのように申していたそうでございます。そうした死に方をなさいましたことを世間へ知らすまい、自殺などという思いきったことをした人だと言わすまいと皆が隠すことに骨を折ったそうでございます。それで大将さんもくわしいお話をあそばさなかったのではないでしょうか」
「その話をまたほかへ行ってするなと宰相からお言わせよ。そうした問題で宮は自身をだいなしにしておしまいになることにもなり、世間からも軽蔑けいべつされることにおなりになるだろう」
 こうお言いになって、中宮は非常に御心配をあそばす御様子であった。
 それからまもなく一品の宮から女二の宮へお手紙が来た。御手跡のおみごとであるのを見ることのできたことが薫にはうれしくて、期待にはずれないごりっぱさである、もっと早くこれが拝見できる方法を講ずべきであったなどと思った。多くの美しい絵などを中宮からもお送りになった。お礼として薫からもそれにまさった絵を集めて差し上げることにした。小説の芹川せりかわの大将が女一の宮を恋して秋の日の夕方に思いびて家から出て行くところをいた絵はよく自身の心持ちが写されているように思われる薫であった。その人のように成功すべき恋でないのが残念であった。

をぎの葉に露吹き結ぶ秋風も夕べぞわきて身にはしみにける

 と書き添えたい気がするのであるが、そうしたことはぶりにも知れたならばどんなことの言われるかしれぬ世の中であるからと、思うことすらもらしがたい恋に心を悩ませ、はては宇治の大姫君さえ生きていてくれたならば、その人を妻とすることができていたのであれば、どんな人を見ても心の動揺することなどはなかったはずである。現代の帝王の御女おんむすめを賜わるといっても、自分はお受けをしなかったはずである、また自分がそれほど愛している妻があるとわかっておいでになって姫宮をおとつがせになることもなかろう、何といっても自分の心の混乱し始めたのは宇治の橋姫のせいであると、こんなことを思ってゆくうちに薫の心はまた二条の院の女王の上に走って、恋しくも恨めしくもなり、取り返されぬ昔を愚かしいまでに残念に思った。もうどうすることもできないことなのであると、それを心に片づけたあとでは、また自殺をしてしまった浮舟うきふねが、思想的に幼稚でよこしまな情熱にってたちまち動かされていった軽率さを認めながらも、さすがに煩悶を多くしていたこと、そのころに自分の気持ちの変わったことで、自責の念から歎きに沈んでいた様子を宇治で聞いて知ったことも思い出され、妻というような厳粛な意味の相手ではなく、心安く可憐かれんな愛人としておきたいと思うのにはふさわしくかわいい女性であったと考えられ、もう宮に不快の念を持つまい、女をも恨むまい、ただ自分の非常識から若い愛人をああした場所へ置き放しにしていたのがあやまちの原因だったのであると、こんなふうに物思いの末にはあきらめをつけることにもなった。


 

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