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百物語(ひゃくものがたり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-7 10:00:26  点击:  切换到繁體中文

何か事情があって、川開きが暑中を過ぎた後に延びた年の当日であったかと思う。余程年も立っているので、記憶がややおぼろげになってはいるが又かえってそれがめに、或る廉々かどかどがアクサンチュエエせられて、かすんだ、濁った、しかも強い色にいろどられて、古びた想像のしまってある、僕の脳髄の物置のすみころがっている。
 勿論もちろん生れて始ての事であったが、これから後もずそんな事は無さそうだから、生涯にただ一度の出来事に出くわしたのだと云って好かろう。それは僕が百物語の催しに行った事である。
 小説に説明をしてはならないのだそうだが、自惚うぬぼれは誰にもあるもので、この話でも万一ヨオロッパのどの国かのことばに翻訳せられて、世界の文学の仲間入をするような事があった時、余所よその読者に分からないだろうかと、作者は途方もない考を出して、行きなり説明をもってこの小説を書きはじめる。百物語とは多勢の人が集まって、蝋燭ろうそくを百本立てて置いて、一人が一つずつ化物ばけものの話をして、一本ずつ蝋燭を消して行くのだそうだ。そうすると百本目の蝋燭が消された時、真の化物が出ると云うことである。事によったら例のファキイルと云うやつがアルラア・アルラアを唱えて、頭をっているうちに、覿面てきめんに神を見るように、神経に刺戟しげきを加えて行って、一時幻視幻聴を起すに至るのではあるまいか。
 僕をこの催しに誘い出したのは、写真を道楽にしているしとみ君と云う人であった。いつも身綺麗みぎれいにしていて、衣類や持物に、その時々の流行をっている。或時僕が脚本の試みをしているのを見てこんな事を言った。「どうもあなたのお書きになるものは少し勝手が違っています。ちょいちょい芝居を御覧になったらいでしょう」これは親切に言ってくれたのであるが、こっちが却ってその勝手を破壊しようと思っているのだとは、全く気が附いていなかったらしい。僕の試みは試みで終ってしまって、何等の成功をも見なかったが、後継者は段々勝手の違った物を出し出しして、芝居の面目が今ではだいぶ改まりそうになって来ている。つまりねじれた、時代を超絶したような考は持ってもいず、解せようともしなかったのが、蔀君の特色であったらしい。さ程深くもなかったまじわりが絶えてから、もう久しくなっているが、僕はあの人の飽くまで穏健な、目前に提供せられる受用を、程好く享受していると云う風の生活を、今でもうらやましく思っている。蔀君は下町の若旦那わかだんなの中で、最も聡明そうめいな一人であったと云ってかろう。
 この蔀君が僕の内へ来たのは、川開きの前日の午過ひるすぎであった。あすの川開きに、両国をあとに見て、川上へ上って、寺島で百物語の催しをしようと云うのだが、行って見ぬかと云う。主人は誰だ。案内もないに、行っても好いのかと、僕は問うた。「なに。例の飾磨屋しかまやさんが催すのです。だいぶ大勢の積りだし、不参の人もありそうだから、飛入をしても構わないのですが、それでは徳義上行かれぬなんぞと、あなたの事だから云うかも知れない。しかし二三日前にった時、あなたにはわたくしから話をして見て、来られるようなら、おつれ申すかも知れないと、勝兵衛しょうべえさんにことわってあります。わたくしが一しょに行くと好いが、ほかへ廻って行かなくてはならないから、一足先きへ御免をこうむります」との事であった。
 時刻と集合の場所とを聞いて置いた僕は、丁度外に用事もないので、まあ、どんな事をするか行って見ようと云う位の好奇心を出して、約束の三時半頃に、柳橋の船宿へ行って見た。天気はまだ少し蒸暑いが、余り強くない南風が吹いていて、しのぎ好かった。船宿は今は取り払われた河岸かしで、丁度亀清かめせい向側むこうがわになっていた。多分増田屋であったかと思う。
 こう云う日に目貫めぬきの位置にある船宿一軒を借切りにしたものと見えて、しかもその家は近所の雑沓ざっとうよりも雑沓している。階上階下とも、どの部屋にも客が一ぱい詰め掛けている。僕は人の案内するままに二階へのぼって、一間ひとまを見渡したが、どれもどれも知らぬ顔の男ばかりの中に、ひげの白い依田よだ学海さんが、紺絣こんがすり銘撰めいせんの着流しに、薄羽織を引っ掛けて据わっていた。依田さんの前には、大層身綺麗にしている、少し太った青年が恭しげに据わって、話をしている。僕は依田さんに挨拶をして、少し隔たった所に割り込んだ。すだれしに川風が吹き込んで、人の込み合っている割に暑くはなかった。
 僕はしばらく依田さんと青年との対話を聞いているうちに、その青年が壮士俳優だと云うことを知った。俳優は依田さんの意を迎えて、「なんでもこれからの俳優は書見をいたさなくてはなりません」などと云っている。そしてそう云っている態度と、読書と云うものとが、この上もない不調和に思われるので、僕はおせっかいながら、そばで聞いていて微笑せざることを得なかった。同時に僕には書見ということばが、極めて滑稽こっけいな記憶を呼びさました。それは昔どこやらで旧俳優のした世話物を見た中に、色若衆のような役をしている役者が、「どれ、書見をいたそうか」と云って、見台を引き寄せた事であった。なんでもそこへなまめいた娘が薄茶か何か持って出ることになっていた。その若衆のしらじらしい、どうしても本の読めそうにない態度が、書見と云う和製の漢語にひどく好く適合していたが、この滑稽を舞台の外で、今繰り返して見せられたように、僕は思ったのである。
 そのうち僕はこう云う事に気が附いた。しらじらしいのは依田さんに対する壮士俳優の話ばかりではない。この二階に集まった大勢の人は、一体に詞少なで、それがたまたま何か言うと、皆しらじらしい。同一の人が同一の場所へ請待しょうだいした客でありながら、乗合馬車や渡船の中で落ち合った人と同じで、一人一人の間になんの共通点もない。ここかしこで互に何か言うのは、時候の挨拶位に過ぎない。ぜんまいの戻った時計を振ると、セコンドがちょっと動き出して、すぐに又止まるように、こんな会話は長くは持たない。たちまち元の沈黙に返ってしまうのである。
 僕は依田さんに何か言おうかと思ったが、どうもやはりしらじらしい事しきゃ思い附かないので、言い出さずにしまった。そしてそこ等の人の顔をながめていた。どの客もてんでに勝手な事を考えているらしい。百物語と云うものに呼ばれては来たものの、その百物語は過ぎ去った世の遺物である。遺物だと云っても、物はもう亡くなって、只むなしき名が残っているに過ぎない。客観かっかん的には元から幽霊は幽霊であったのだが、昔それに無い内容をき入れて、有りそうにした主観までが、今は消え失せてしまっている。怪談だの百物語だのと云うものの全体が、イブセンの所謂いわゆる幽霊になってしまっている。それだから人を引き附ける力がない。客がてんでに勝手な事を考えるのを妨げる力がない。
 人も我もぼんやりしている処へ、世話人らしい男が来て、舟へ案内した。この船宿の桟橋さんばしばかりに屋根船が五六そう着いている。それへ階上階下から人が出て乗り込む。中には友禅ゆうぜんの赤い袖がちら附いて、「一しょに乗りたいわよ、こっちへおいでよ」と友を誘うお酌の甲走かんばしった声がする。しかし客は大抵男ばかりで、女は余り交っていないらしい。皆乗り込んでしまうまで、僕は主人の飾磨屋がどこにいるか知らずにしまった。又蔀君にも逢わなかった。
 船宿の二階は、戸は開け放してあっても、一ぱいに押し込んだ客の人いきれがしていたが、舟をぎ出すと、すぐごく好い心持に涼しくなった。まだ花火を見る舟は出ないので、川面かわづらは存外込み合っていない。僕の乗った舟を漕いでいる四十恰好がっこうの船頭は、手垢てあかによごれた根附ねつけ牙彫げぼりのような顔に、極めて真面目まじめな表情を見せて、器械的に手足を動かして※(「舟+虜」、第4水準2-85-82)あやつっている。飾磨屋の事だから、定めて祝儀もはずむのだろうに、うれしそうには見えない。「勝手な馬鹿をするが好い。おれは舟さえ漕いでいれば済むのだ」とでも云いたそうである。
 僕は薄縁うすべりの上に胡坐あぐらいて、麦藁むぎわら帽子を脱いで、ハンケチを出して額の汗をきながら、舟の中の人の顔を見渡した。船宿を出て舟に乗るまでに、外の座敷の客が交ったと見えて、さっき見なかった顔がだいぶある。依田さんは別の舟に乗ったと見えて、とうとう知った顔が一人もなくなった。そしてその知らない、幾つかの顔が、やはり二階で見た時のように、ぼんやりして、てんでに勝手な事を考えているらしい。
 舟には酒肴しゅこうが出してあったが、一々どの舟へも、主人側のものを配ると云うような、細かい計画はしてなかったのか、世話を焼いてさかずきすすめるものもない。こう云う時のならいとして、最初は一同遠慮をして酒肴に手を出さずに、只にらみ合っていた。そのうち結城紬ゆうきつむぎ単物ひとえものに、縞絽しまろの羽織を着た、五十恰好の赤ら顔の男が、「どうです、皆さん、切角出してあるものですから」と云って、杯を手に取ると、方方から手が出て、杯を取る。割箸わりばしを取る。盛んに飲食が始まった。しかし話はやはり時候の挨拶位のものである。「どうです。こう天気続きでは、米が出来ますでしょうなあ」「さようさ。又米が安過ぎて不景気と云うような事になるでしょう」「そいつあ※(「りっしんべん+(はこがまえ<夾)」、第3水準1-84-56)かないませんぜ。鶴亀つるかめ鶴亀」こんな対話である。
 僕のいる所からは、すぐ前を漕いで行く舟のともの方が見える。そこにはお酌が二人乗っている。そばに頭を五分刈にして、織地のままの繭紬けんちゅう陰紋附かげもんつきはかま穿いて、羽織を着ないでいる、能役者のような男がいて、何やら言ってお酌を揶揄からかうらしく、きゃっきゃと云わせている。
 舟は西河岸の方にってのぼって行くので、廐橋手前うまやばしでまえまでは、おくらの水門の外を通るたびに、さして来る潮によどむ水のおもてに、わらやら、鉋屑かんなくずやら、かさの骨やら、お丸のこわれたのやらが浮いていて、その間に何事にも頓着とんちゃくせぬと云う風をして、かもめが波に揺られていた。諏訪町河岸すわちょうがしのあたりから、舟が少し中流に出た。吾妻橋あづまばしの上には、人がだいぶ立ち止まって川を見卸していたが、その中に書生がいて、丁度僕の乗っている舟の通る時、大声に「馬鹿ばか」とどなった。
 舟の着いたのは、木母寺もくぼじ辺であったかと思う。生憎あいにく風がぱったりんでいて、岸に生えているあしの葉が少しも動かない。向河岸の方を見ると、水蒸気に飽いた、灰色の空気が、橋場の人家の輪廓りんかくをぼかしていた。土手下から水際みずぎわまで、狭い一本道の附いている処へ、かわるがわる舟を寄せて、先ず履物はきものおかへ揚げた。どの舟もどの舟も、載せられるだけ大勢の人を載せて来たので、お酌の小さい雪蹈せったなぞは見附かっても、客の多数の穿いて来た、世間並の駒下駄こまげたは、鑑定が容易に附かない。真面目な人が跣足はだしで下りて、あれかこれかと捜しているうちに、無頓着な人は好い加減なのを穿いて行く。中には横着おうちゃくで新しそうなのをって穿く人もある。僕はしかたがないからなるべく跡まで待っていて、残った下駄を穿いたところが、歯のななめに踏みらされた、随分歩きにくい下駄であった。後に聞けば、飾磨屋が履物の間違った話を聞いて、客一同に新しい駒下駄を贈ったが、僕なんぞには不躾ぶしつけだと云う遠慮から、この贈物をしなかったそうである。
 定めて最初に着いた舟に世話人がいて案内をしたのだろう。一艘の舟が附くと、その一艘の人が、下駄を捜したりなんかして、まだ行ってしまわないうちに、もう次の舟の人が上陸する。そして狭い道を土手へ上がって、土手の内の田圃たんぼを、寺島村の誰やらの別荘をさして行く。その客の群は切れたり続いたりはするが、切れた時でも前の人の後影を後の人が見失うようなことはない。僕も歯のゆがんだ下駄を引きりながら、田のくろ生垣いけがきの間の道を歩いて、とうとう目的地に到着した。
 ここまで来る道で、幾らも見たような、小さい屋敷である。高い生垣をめぐらして、冠木門かぶきもんが立ててある。それを這入はいると、向うにすすけたような古家の玄関が見えているが、そこまで行く間が、左右を外囲そとがこいよりずっと低いかなめ垣で為切しきった道になっていて、長方形の花崗石みかげいしが飛び飛びに敷いてある。僕に背中を見せて歩いていた、偶然の先導者はもう無事に玄関近くまで行っている頃、門と、玄関との中程で、左側のかなめ垣がとぎれている間から、お酌が二人手を引き合って、「こわかったわねえ」と、首を縮めて※(「口+耳」、第3水準1-14-94)ささやき合いながら出て来た。僕は「何があるのだい」と云ったが、二人は同時に僕の顔を不遠慮に見て、なんだ、知りもしない奴の癖にとでも云いたそうな、極く愛相のない表情をして、玄関の方へ行ってしまった。僕はふいと馬鹿げた事を考えた。昔の名君は一顰いっぴん一笑を惜んだそうだが、こいつ等はもう只で笑わないだけの修行をしているなと思ったのである。そんな事を考えながら、格別今女の子のこわがった物の正体を確めたいと云う熱心もなく、垣のとぎれた所から、ちょっと横に這入って見た。
 そこには少し引っ込んだ所に、不断は植木鉢うえきばちほうきでも入れてありそうな、小さい物置があった。もう物蔭は少し薄暗くなっていて、物置の奥がはっきり見えないのを、のぞき込むようにして見ると、髪を長く垂れた、等身大の幽霊の首に白い着物を着せたのが、かやか何かを束ねて立てた上に覗かせてあった。その頃まで寄席よせに出る怪談師が、明りを消してから、客の間を持ち廻って見せることになっていた、出来合の幽霊である。百物語のアヴァン・グウはこんな物かと、やや馬鹿にせられたような気がして、僕は引き返した。
 玄関に上がる時に見ると、上がってすぐ突き当る三畳には、男が二人立って何か忙がしそうに※(「口+耳」、第3水準1-14-94)き合っていた。「どうしやがったのだなあ」「それだからおいらが蝋燭は舟で来る人なんぞに持せて来ては行けないと云ったのだ。差当り燭台しょくだいに立ててあるのしきゃないのだから」と云うような事を言っている。楽屋の方の世話も焼いている人達であろう。二人は僕の立っているのには構わずに、奥へ這入ってしまう。入り替って、一人の男が覗いて見て、黙って又引っ込んでしまう。
 僕はどうしようかと思って、暫く立ちすくんでいたが、右の方の唐紙からかみが明いている、その先きに人声がするので、その方へ行って見た。そこは十四畳ばかりの座敷で、南側は古風に刈り込んだ松の木があったり、雪見燈籠どうろうがあったり、泉水があったりする庭を見晴している。この座敷にもう二十人以上の客が詰め掛けている。やはり船宿や舟の中と同じ様に、余り話ははずんでいない。どの顔を見ても、物を期待しているとか、好奇心を持っているとか云うような、緊張した表情をしているものはない。
 丁度僕が這入った時、入口に近い所にいる、ひげの長い、しゃ道行触みちゆきぶりを着た中爺ちゅうじいさんが、「ひどいですなあ」と云うと、隣の若い男が、「なに藪蚊やぶかですから、明りを附ける頃にはいなくなってしまいます」と云うその声が耳馴れているので、顔を見れば、しとみ君であった。蔀君も同時に僕の顔を見附けた。
「やあ。おいでなさいましたか。まだ飾磨屋さんを御存じないのでしたね。一寸ちょっと御紹介をしましょう」
 こう云って蔀君は先きに立って、「御免なさい、御免なさい」を繰り返しながら、平手で人を分けるようにして、入口と反対の側の、格子窓こうしまどのある方へ行く。僕は黙って跡に附いて行った。

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