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オンチ(オンチ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-8 14:17:12  点击:  切换到繁體中文


       七

 暁の光りと、明け残った半月の光りが、雪のように真白な大地の霜を、静かに照していた。
 星浦駅前の砂利だらけの広場に、淡い影法師を落しながら、鼈甲縁の眼鏡をかけた三好がスタスタと遣って来た。とても職工とは見えないスマートな茶縞の背広服に黒い冬オーバーの襟を深く立てて、左脇に四角い新聞紙包みをシッカリと抱えている。
 一番汽車に乗るつもりであろう。暗い待合室に這入ったが、まだ時間が早いし、切符売場の窓がいていないので、ちょっと舌打をしたまま悠々と出て行こうとした。そのついでに、黄色い電燈に照らされた待合室を見まわすと、ギョッとしたらしく立止まった。
 改札口に近い右手の片隅には、青いネルの布片ぬのきれに頬冠りをして毛布で身体からだを包んだ老婆が、シッカリとバスケットに獅噛しがみ付いて眠っていた。
 その反対側の入口に近い処に、全身を繃帯で真白に包んだ、スバラシク巨大な大入道が、腰をかけていた。その左足には石膏か何かまっているらしく、普通の人間の胴ぐらいの大きさになっている。おまけに履物も何も履いていないので、綿と繃帯で包んだ白い象の足みたいな足の裏が泥だらけになっている。
 三好は、あんまり意外千万な人間の姿を見てビックリしたらしく立竦たちすくんだ。……コンナ人間がこの霜朝に汽車に乗ってどこへ行くのだろう。もしや、これはどこかのお祭りの人形か、それとも何かの標本ではないか……と疑ったらしく、すっかり気を取られて見上げ見下していたが、そのうちにその真白な、潜水器じみた巨大な頭の穴から、ジロジロと光る眼が、一心に三好を見ているのに気が付いた。
 三好は思わずドキンとした。白い大入道の中味が、生きた人間である事を発見したので……そうしてその眼の光りが、何となく見覚えがあるようで……しかも何かしらニコニコと笑っているような気はいに惹き付けられて、真正面からソーッとその暗い、繃帯の穴を覗き込んでいたが、忽ちハッと全身を固張こわばらせる拍子に、一尺ばかり飛上った、そのままあとも見ずに待合室を飛び出して行こうとする背後うしろから、何かしら巨大な、フワフワするものが抱き付いた。振返ってみる迄もなく、それが今の白坊主である事がわかった。
「ウワアッ」
 と三好は夢中になって藻掻もがいたが、白坊主の力は意外に強く、肩先を羽がい締めにして来るので呼吸いきが詰まりそうになって来た。そのうちに白坊主は三好を抱えたまま、よろよろとよろめいて背後うしろの腰かけに尻餅を突いた。
「ダアッ……ガワガワガワガワ……ウガ――ッ……」
 三好の叫び声を聞いた駅夫や駅員と、あとから人力車に乗って来た乗客が二三人、近寄って来たが、あんまり奇妙な光景なので、茫然として入口に突立ったまま見ていた。
 その時に白坊主が、三好の耳に鼻の穴を近づけた。カスレた声で囁いた。
「……俺が誰か……わかるか……」
「ウア――ッ……ウワア――ッ……」
 と三好は悲鳴を揚げて藻掻もがき狂った。相手の声を聞くと同時に、恐怖が数倍したらしかった。スマートな長身の若紳士が、真白い大入道に抱き付かれて、半狂乱に暴れている光景……それを通じてわかる白入道の超人的な怪力と、血も涙もない冷静な怒り……見ている連中は石のように固くなってしまった。
「……幽霊だあッ……ウワア――ッ……」
「幽霊じゃない……」
 白坊主が底力のある声で云った。
「貴様に焼き殺され損のうた又野たい。死んだ三人の仇讐かたきをば取りに来たとたい」
「ウワーッ。助けてくれ……俺が悪かった。俺が悪かった。十二万円遣る……ホラ……」
 三好が投げ出した新聞紙包みが、白坊主の肩を越して、背後うしろの腰掛にドタンと落ちた。
「ハハハ。十二万円ぐらいじゃ足らん」
 白坊主の声がだんだんたしかに、大きくなって来た。取巻いている人間が皆聞いていた。
「……十二万円ぐらいの事でここまで来はせん。……俺は五体中を火傷やけはたしたなり今朝けさ、製鉄所の病院で息を吹きかやいた。……それでヒョッと貴様が、昨夜ゆんべのうちに金を探し出いて、ここへ来はせんかと思うて、死ぬる思いで、暗いうちに病院を脱出ぬけだいて、塀を乗越いて、ここへ来たんだぞ。眼の眩むほど痛いのを辛棒して待っておったんだぞ。貴様の生命いのちを貰おうと思うて……」
 そう云ううちに白坊主は、相手の返事を聞くべく、すこしばかり両手を緩めた。
「ウワ――ッ。違う違う……皆さん。こいつの云う事は皆嘘です。キチガイです。どぞ……どうぞ……助けて下さい。僕を殺しに来ているんです。キチガイ病院から抜け出して……」
「ハハハ……何とでも云え……今度の事件は皆、貴様がたくらんだ事じゃ。戸塚に智恵を附けて、中野学士をそそのかして西村を殺させた。それから俺を使つこうて、あげな非道ひどい事をさせたに違わん。俺は今朝けさ、気が付いてから色々考えとるうちに、やっとわかったんじゃ。貴様こそ、この製鉄所に入込んどる赤い主義者の頭株に違いないぞ……もう助からんぞ……」
「ウハアッ……違う違う。タ、助けて下さい。皆さん助けて下さい。……コイツはキチガイ……」
「畜生……まだ云うかッ……」
 白坊主は三好を抱えたまま腰かけの上に坐り直した。両腕にグッと力を入れ初めた。
「ギャアギャアギャアギャアギャアギャア……」
 それは鳥ともけものとも付かぬ声であった。必死の努力で手足を突張りながら、白い繃帯の上から又野の両腕に噛み付いたが、何の役にも立たない事がわかると、又叫び初めた。
「ギャギャギャギャ、ギイギイギイギイッ……」
 往来を通りかかっていた人が皆、走り集まって来たので待合室の中が急に、暗くなった。
 その中で三好の左右の肩骨がゴクンゴクンと折れ離れる音がした。
「ダダッ。ガガッ。ギイギイギイ――ッ……」
 青鬼のようになった三好の両眼が、酸漿ほおずきのように真赤になった……と思ううちに鼻の穴と、唇の両端から血がポタポタとしたたり出した。
 余りの恐ろしさに見物人がドロドロと背後うしろ雪崩なだれた。その背後うしろから佩剣はいけんの音がガチャガチャと聞こえて来た。
「どこだ……どこか……」
「ここです」
「ここで絞め殺されよります」
 と店員風の若い男が二人をゆびさした。その間を押し分けた制服の巡査が、肩を怒らして這入はいって来たが、白い大入道に抱きすくめられて血を吐いている人間の姿を見ると、
「アッ」
 と云って棒立ちになった。
 その巡査の眼の前の混凝土コンクリートの上に又野は、三好の死骸をドタリと突き放した。血に染まった丸坊主の両腕を突出してヨロヨロと立上った。腰をかがめてヒョコリとお辞儀をした。
「酒田さん。私は昨夜ゆんべ、第一工場で貴方のお世話になった又野です。大火傷やけはたをしました製鉄所の職工です」
「……何だ……又野か……」
 巡査はホッとしたらしかった。そうして背後うしろを振返りながら群衆を追い払った。
退け退けッ」
 まばらになった群衆の背後うしろから、今出たばかりのあさひがキラキラとし込んで来た。
 白坊主の又野は眼を細くしてその光りを仰いだ。嬉しそうな、落付いた声で云った。
「十二万円は私の背後うしろに在ります。その新聞紙包です。……私は犯人の三好を絞め殺しました。これで、やっと腹がえました。……縛って……下さいまっせ――」
 そうして気力が尽きたらしく、両手を前に突出したまま、見物人の中央にバッタリと倒おれた。





底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年10月22日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:ちはる
2001年3月23日公開
2006年2月22日修正
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