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近世快人伝(きんせいかいじんでん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-9 8:59:41  点击:  切换到繁體中文


「オイ。頭山。アレは何や」
 頭山翁は、その硯をかえりみて微笑した。
「ウム。あれは俺が字を書いてやる硯タイ」
 奈良原翁は、それから間もなく頭山翁に見送られて玄関を辞去したが、門前の広い通りを黙って二三町行くと、不意に立止ってからすの飛んで行く夕空を仰いだ。タッタ一人で呵然かぜんとして大笑した。
「頭山が字を書く……アハハハ。頭山が字を書く。アハハ。頭山が書を頼まれる世の中になってはモウイカン、世の中はオシマイじゃワハハハハハハハ……」
 そこいらに遊んでいる子供等が皆、ビックリして家の中へ逃込んだ。

 奈良原翁が晴れの九州入をする時に、当時二十五か六で、文学青年から禅宗坊主に転向していたばかりの筆者は、思いがけなく到翁の侍従役を仰付おおせつけられて、共々に新橋駅(今の汐留駅)に来た。翁は旧友から貰ったという竹製のカンカン帽に、手織木綿縞もめんじまの羽織着流し、青竹の杖、素足に古い泥ダラケの桐下駄きりげた、筆者は五リン刈の坊主頭に略法衣りゃくほうえ、素足に新しい麻裏という扮装である。荷物も何も無い気楽さに直ぐに切符売場へ行って、博多までの二等切符を買って来ると、三等待合室の中央に立って待っている到翁が眼早く青切符を見咎みとがめてサッと顔色を変えた。
「それは中等の切符じゃないかな」
 その頃から十四五年ぜんまでは二等の事を中等と云った。従って一等の白切符を上等と称し、三等の赤切符を下等と呼んだ。
「はい。昔の中等です。御老体にコタえると不可いけませんから……」
「馬鹿ッ」
 という大喝が下等待合室を、地雷火のように驚かした。
「馬鹿ッ。アンタは、まだ若いのに何という不心得な人かいな。吾々のような人間が、国家に何の功労があれば中等に乗るかいな。下等でも勿体ない位じゃ。戻いて来なさい。馬鹿ナッ」
 と云ううちに青竹の杖が、今にも筆者の坊主頭に飛んで来そうな身構えをした。……飛んでもない国士のお供を仰付けられた……と思い思い大勢の下等客の視線を浴びながら、買換えに出て行った時の、筆者の器量の悪かったこと……。
 それから予定の通り下等の急行列車に乗込むと、又驚いた。
 ちょうど二人分の席がいていたので、窓際の席を翁にすすめると翁は青竹の杖を突張って動かない。
「イヤイヤ。アンタ窓の処へ行きなさい。わしは年寄で、夜中に何度も小便に行かねばならぬけにウルサイ」
 どちらがウルサイのかわからない。云うがままに窓の前に席を取ると又々驚いた。
 筆者に尻を向けて、ドッコイショと中央の通路向きに腰をおろした翁は、たもとから一本の新しい日本蝋燭ろうそくを出して、マッチで火をけた。何をするのかと思うと、その蝋涙ろうるいを中央の通路のマン中にポタポタと垂らしてシッカリとオッ立てた。驚いて見ているうちに、今度は腰から煤竹筒すすだけづつの汚ない煙草入を出して、その蝋燭の火で美味おいしそうに何服も何服も刻煙草きざみたばこを吸うのであったが、まだ発車していないので、荷物なんかを抱えて通抜けようとする奴なんかが在ると、翁が殺人狂じみた物凄い眼を上げて、ジロジロと睨むので、一人残らず引返して出て行く。痛快にも傍若無人にもお話にならない。見るに見かねた筆者が、
「マッチならコチラに在りますよ」
 と云ううちに煙草を吸い終った翁は、蝋燭の火を蝋涙と一緒に振切って、古新聞紙に包んで袂に入れた。蝋涙を引っかけられた向側の席の人が慌ててマントのそでを揉んでいたが、翁は見向きもしなかった。
「マッチや線香で吸うと煙草が美味おいしゅうない。燃え火で吸うのが一番美味おいしいけになあ」
 奈良原翁の味覚が、そこまで発達している事に気附かなかった筆者は全く痛み入ってしまった。この塩梅あんばいでは列車に放火して煙草を吸いかねないかも知れない。
「北海道の山奥で雪に埋れていると酒と煙草が楽しみでなあ。炉の火で吸う煙草の味は又格別じゃ。もっとも煙草は滅多に切れぬが酒はよく切れたので閉口した。万止むを得ん時には砂糖湯を飲んだなあ。アルコールも砂糖も化学で分析してみると同じ炭素じゃけになあ」
 筆者はイヨイヨ全く痛み入ってしまった。同時にそこまで考える程に苦しんだ翁が気の毒にもなった。

 国府津こうづに着いてから正宗の瓶と、弁当を一個買って翁に献上すると、流石さすがに翁の機嫌が上等になって来た。同時に翁の地声がダンダン潤おいを帯びて来て、眼の光りが次第に爛々炯々らんらんけいけいと輝き出したので、向い合って坐っていた二人が気味が悪くなったらしい。箱根を越えないうちにソコソコと荷物を片付けて、前部の車へ引移ってしまったので、翁は悠々と足を伸ばした。世の中は何がしあわせになるかわからない。筆者もノウノウと両脚を踏伸ばして居ねむりの準備を整える事が出来た。その二人の脚の間へ翁が又、弁当箱の蓋にオッ立てた蝋燭の火を置いたので、筆者は又、油断が出来なくなった。
 翁は一服すると飯を喰い喰い語り出した。
「北海道の山の中では冬になると仕様がないけに毎日毎日聖書を読んだものじゃが、え本じゃのう聖書は……アンタは読んだ事があるかの……」
「あります……馬太マタイ伝と約翰ヨハネ伝の初めの方ぐらいのものです」
「わしは全部、数十回読んだのう。今の若い者は皆、聖書を読むがええ。あれ位、面白い本はない」
「第一高等学校では百人居る中で恋愛小説を読む者が五十人、聖書を読む者が五人、仏教の本を読む者が二人、論語を読む者が一人居ればいい方だそうです」
「恋愛小説を読む奴は直ぐに実行するじゃろう。ところが聖書を読む奴で断食をする奴は一匹も居るまい」
「アハハ。それあそうです。ナカナカ貴方は通人ですなあ」
「ワシは通人じゃない。頭山や杉山はワシよりも遥かに通人じゃ。恋愛小説なぞいうものは見向きもせぬのに読んだ奴等が足下にも及ばぬ大通人じゃよ」
「アハハ。これあ驚いた」
「キリストはえらい奴じゃのう。あの腐敗、堕落したユダヤ人の中で、あれだけの思い切った事をズバリズバリ云いよったところが豪い。人るれば人を斬り、馬るれば馬を斬るじゃ、日本に生れても高山彦九郎ぐらいのネウチはある男じゃ」
「イエス様と彦九郎を一所いっしょにしちゃ耶蘇やそ教信者がおこりやしませんか」
「ナアニ。ソレ位のところじゃよ。彦九郎ぐらいの気概を持った奴が、猶太ユダヤのような下等な国に生れれば基督キリスト以上に高潔な修業が出来るかも知れん。日本は国体が立派じゃけに、よほど豪い奴でないと光らん」
「そんなもんですかねえ」
「そうとも……日本の基督教は皆間違うとる。どんな宗教でも日本の国体に捲込まれると去勢されるらしい。愛とか何とか云うて睾丸きんたまの無いような奴が大勢寄集まって、涙をボロボロこぼしおるが、本家の耶蘇はチャンと睾丸きんたまを持っておった。猶太でも羅馬ロウマでも屁とも思わぬ爆弾演説を平気でやりつづけて来たのじゃから恐らく世界一、喧嘩腰の強い男じゃろう。日本の耶蘇教信者は殴られても泣笑いをしてペコペコしている。まるで宿引きか男めかけのような奴ばっかりじゃ。耶蘇教は日本まで渡って来るうちに印度インド洋かどこかで睾丸きんたまを落いて来たらしいな」
「アハハハハ。基督の十字架像に大きな睾丸きんたまを書添えておく必要がありますな」
「その通りじゃ。元来、西洋人が日本へ耶蘇教を持込んだのは日本人を去勢する目的じゃった。それじゃけに本家本元の耶蘇からして去勢して来たものじゃ。徳川初期の耶蘇教禁止令は、日本人の睾丸きんたま、保存令じゃという事を忘れちゃイカン」
 筆者はイヨイヨ驚いた。下等列車のうちで殺人英傑、奈良原到翁から基督教と睾丸きんたまの講釈を聞くという事は、一生の思い出と気が付いたのでスッカリ眼が冴えてしまった。
 奈良原到翁の逸話はまだイクラでもある。筆者自身が酔うた翁に抜刀でおっかけられた話。その刀をアトで翁から拝領した話など数限かずかぎりもないが、右の通、翁の性格を最適切にあらわしているものだけを挙げてアトは略する。
 ちなみに奈良原翁は嘗て明治流血史というものを書いて出版した事があるという。これはこの頃聞いた初耳の話であるが、一度見たいものである。
 次は江戸ッ子のお手本、花川戸助六はなかわどすけろく幡随院長兵衛ばんずいいんちょうべえに対照してヒケを取らない博多ッ子のお手本、故、篠崎仁三郎にさぶろう君を御紹介する。
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   篠崎仁三郎



       (上)

 ……縮屋ちぢみや新助じゃねえが江戸っ子が何でえ。徳川三百年の御治世がドウしたというんだ。はばかんながら博多の港は、世界中で一番古いんだぞ。埃及エジプト歴山港アレキサンドリアよりもズット古いんだ。神世の昔××××様のお声がかりの港なんだから、いつから初まったか解かれねえくれえだ。ツイこの頃まで生きていた太田道灌どうかんのお声がかりなんてえシミッタレた町たあ段式が違うんだ。
 勿体もったいなくも日本文化のイロハのイの字は、九州から初まったんだ。アイヌやコロボックルの昔から九州は日本文化の日下開山ひのしたかいざんなんだ。八幡様や太閤様の朝鮮征伐、から天竺てんじくの交通のカナメ処になって、外国をピリピリさせていた名所旧跡は、みんな博多を中心まんなかにして取囲んでいるんだ。唐津、名護屋なごや怡土いと城、太宰府、水城みずき宇美うみ筥崎はこざき多々羅たたら宗像むなかた、葦屋、志賀島しかのしま残島のこのしま、玄海島、日本海海戦の沖の島なんて見ろ、屈辱外交の旧跡なんて薬にしたくもないから豪気だろう。伊豆の下田の黒船以来、横浜、浦賀、霞が関なんて毛唐に頭ア下げっ放しの名所旧跡ばっかりに取巻かれている東京なんかザマア見やがれだ。
 もう一ペン云ってみようか。江戸ッ子が何でえ。博多には博多ッ子が居るのを知らねえか。名物の博多織までシャンとしているのが見えねえか。博多小女郎の心意気なんか江戸ッ子にゃあわかるめえ。
 日増しの魚や野菜を喰っている江戸ッ子たあ臓腑はらわたが違うんだ。玄海の荒海を正面に控えて「襟垢えりあかの附かぬ風」に吹きさらされた哥兄あんちゃんだ。天下の城のしゃちほこの代りに、満蒙露西亜ロシアの夕焼雲を横目ににらんで生れたんだ。下水どぶの親方の隅田川に並んでいるのは糞船くそぶねばっかりだろう。那珂なか川の白砂では博多織を漂白さらすんだぞ畜生……。
 芸妓げいしゃを露払いにする神田のお祭りが何だ。博多の山笠舁やまがさかきは電信柱を突きたおすんだぞ。飛鳥あすか山の花見ぐらいに驚くな。博多の松囃子ドンタクを見ろ。町中が一軒残らず商売を休んで御馳走を並べて、全市が仮装行列ドンタクをやるんだ。男という男が女に化けて、女という女が男に化けて飲み放題の踊り放題の無礼講が三日も続くんだぞ。謝肉祭カーニバルの上を行くんだ。巡査や兵隊までが仮装ドンタク間違まちげえられる位、大あばれに暴れるんだぞ。そんな馬鹿騒ぎの出来る町が日本中のどこに在るか探してみろ。それでいて間違いなんか一つもないんだ。翌る日になると酔うた影も見せずにキチンと商売を初めるんだ。絹ずくめの振袖でも十両仕立ての袢纏はんてんでもタッタ一度で泥ダラケにして惜しい顔もせずに着棄て脱ぎ棄てだ。三味線知らぬ男が無ければ、赤い扇持たぬ娘も無い。博多は日本中の諸芸の都だ。町人のお手本の居る処だぞ。来るなら来い。臓腑はらわたで来い。大竹を打割って締込みにして来い……。

       ×          ×          ×

 ここに紹介する博多児はかたっこの標本、篠崎仁三郎君は、博多大浜おおはまの魚市場でも随一の大株、湊屋みなとやの大将である。近年まで生きていた評判男であるが正に名僧仙崖せんがい、名娼明月めいげつと共に博多の誇りとするに足る不世出の博多ッ子の標本と云ってよかろう。但、博多語が日本の標準語でないために、その洒脱な言葉癖をスケッチしてピントを合わせる事が出来ないのが、千秋の遺憾である。
 同君の経歴や、戸籍に関する調査は面倒臭いから一切ヌキにして、イキナリ同君の真面目しんめんもくに接しよう。

 筆者が九州日報の記者時代、同君を博多旧魚市場に訪問して「博多ッ子の本領」なる話題について質問した時の事である。短躯肥満、童顔豊頬にして眉間に小豆あずき大のいぼいんしたミナト屋の大将は快然として鉢巻を取りつつ、魚鱗うろこの散乱した糶台ばんだい胡座あぐらを掻き直した。競場せりばで鍛い上げた胴間どうま声を揺すって湊屋一流の怪長広舌を揮い始めた。
「ヘエ。貴方あなたは新聞記者さん……ヘエ。結構な御商売だすなあ。社会の木魚タタキ。無冠の太夫……私共のような学問の無いものにゃ勤まりまっせん。この間も店の小僧に『キネマ・ファンたあ何の事かいなア』て聞かれましたけに、西洋の長唄の先生の事じゃろうて教えておきましたれア違いますそうで。キネマ・ファンちう者は日本にも居るそうで。私は又、杵屋きねや勘五郎が風邪引いたかと思うておりましたが……アハハハ。
 魚市場の商売ナンテいうものは学問があっちゃ出来まっせん。早よう云うてみたなら詐欺インチキ盗人ぬすと混血児あいのこだすなあ。商売の中でも一番商売らしい商売かも知れませんが……。
 第一、生魚しなものをば持って来る漁師が、漁獲高とれだかを数えて持って来る者は一人も居りまっせん。沖で引っかかったさばなら鯖、小鯛こだいなら小鯛をば、穫れたられただけ船に積んでエッサアエッサアと市場の下へ漕ぎ付けます。アトは見張りの若い者か何か一人残って、櫓櫂ろかいを引上げてそこいらの縄暖簾なわのれんに飲みげに行きます。
 その舟の中の魚を数え上げるのは市場の若い者で、両手で五匹ぐらいずつ一掴みにして……ええ。シトシトシト。フタフタ。ミスミス。ヨスヨスヨスと云いおるうちに、三匹か五匹ぐらいはチャンと余計に数えております。永年数え慣れておりますケン十人見張っておりましても同じ事で、しめて千とか一万とかになった時には、二割から三割ぐらい余分に取込んでおります。
 そいつを私が糶台ばんだいに並べて、
『うわアリャリャリャ。拳々けんけん安かア安かア安かア。両拳りゃんこ両拳両拳。うわアリァリァ安か安か安か』
 とるうちに肩を組んで寄って来た売子の魚屋やつが十コン一円二十銭で落いたとします。その落いた魚屋やつの襟印を見て帳面に『一円五十銭……茂兵衛』とか何とか私共一流の走書きに附込んだやつさらうように引っ担いで走り出て行きます。払いの悪い奴なら一円七十銭にも八十銭にも附けておきますので、後で帳面を覗きに来ても一円三十銭やら二円五十銭やら読み分ける事は出来まっせん。学問のある人の書くような読み易い字で、帳面をば附けたなら私共の商売は上ったりで……。つまり何分なんぶかの口銭こうせんを取った上に、数える時に儲ける。帳面に附ける時に又輪をかける。独博奕ひとりばくち雁木鑢がんぎやすりという奴で行き戻り引っかかるのがこの市場商売の正体で、それでもノホホンで通って行くところが沽券こけんと申しますか、顔と申しますか。しかもその詐欺インチキ盗人ぬすっとつけ景気のお蔭で、品物がドンドンさばけて行きますので、地道に行きよったら生物なまものは腐ってしまいます。世の中チウものは不思議なもんだす。

 ……ヘエ。博多児はかたっこの資格チウても別段に困難むずかしい資格は要りません。懲役に行かずに飯喰いよれあ、それでえ訳で……もっともこれが又、博多児の資格の中でも一番困難しい資格で御座います。ほかの資格は何でもない事で……個条書にしたなら四ツか五つ位も御座いましょうか。
 ◇第一個条が、十六歳にならぬうちに柳町の花魁おいらんを買うこと――
 ◇第二個条が、身代構わずに博奕を打つ事――
 ◇第三個条が、生命いのち構わずに山笠やまかつぐ事――
 ◇第四個条が、出会い放題に××する事――
 ◇第五個条が、死ぬまでふくを喰う事――
 ◇第六個条が……まあコレ位に負けといて下さい。芸者を連れて松囃子ドンタクに出る事ぐらいにしといて下さい。もっともこれは私共の若い時代じぶんの事で、今は若い者が学校に行きますお蔭で皆、賢明りこうになりましたけに、そげな馬鹿はアトカタもうなりました。その代り人間が信用悪つきあいにくうなりましたが。
 ……ヘエ。私がその資格を通ったかと仰言おっしゃるのですか。これはしからん。通ったにも通らぬにも甲の上ダラケの優等生で……ヘエ。
 十五になって高等小学校を出ると直ぐに紺飛白こんがすりの筒ッポを着て、母様かかさん臍繰へそくりをば仏壇の引出から掴み出いて、柳町へ走って行きましたが、可愛がられましたなあ。『ちん哥兄あんちゃんちん哥兄あんちゃん』ち云うと息の止まる程、花魁に抱き締められましたなあ。ハハハ。帰りがけに真鍮の指環いびがねをば一個ひとつ花魁から貰いましたが、その嬉しさというものは生れて初めてで御座いました。日本一の色男になったつもりでうちへ帰っても胸がドキドキして眼の中があっつうなります。そこで上りかまちに腰をかけて懐中ふっくらからその貰うた指環をば出いて、てのひら中央まんなかへ乗せて、タメツ、スガメツ引っくりかやいておりますと、背後うしろからヌキ足さし足、覗いて見た親父おやじが、大きな拳骨で私の頭をゴツウ――ンと一つらわせました。その拍子に大切だいじな指環がどこかへ飛んでてしまいました。
 私は土間へ引っくり返ってワンワン泣き出しました。何をいうにも今年十五の色男だすケに根っから他愛どたまがありませぬ。そこへ奥から母親かかさんが出て来まして、
何事なんごと、泣きよるとナ』
 と心配して聞きましたから、
指環いびがねうなったあ。ウワア――』
 と一層、高音たかねを揚げて精一パいに泣出しますと、母親は私の坊主頭を撫でながら、
『ヨカヨカ。指環ぐらい其中いんまうちゃる』
 と慰めてくれました。私は腹立ち紛れに、
『アンタに買うてもろうたチャ詰まらん』
 と怒鳴ってメチャメチャに泣出しましたが、あん時はダイブ失恋しておりましたナア。

 ふくも、ずいぶん喰いましたなあ。
 私の口から云うのも何で御座いますが、親父は市場でも相当顔の利いた禿頭はげで御座いましただけに、その頃はまだ警察からめられておりましたフクを平気で自宅うち副食物ごさいにしておりました。まあだ乳離れしたバッカリの私の口へ、雄精しらこなぞを箸で挟んで入れてくれますので母親がビックリして、
『馬鹿な事ばしなさんな。年端としはも行かん児供こども中毒あたって死んだならどうしなさるな』
 と押止めますと、親父は眼をいて母親はは怒鳴がみ付けたそうです。
『……甘いこと云うな。ふくをば喰いらんような奴は、博多の町では育ち能らんぞ。今から慣らしておかにゃ、詰まらんぞ。中毒あたって死ぬなら今のうちじゃないか』
 そげな調子で、いつから喰い初めたか判然わかりませんが、ふくでは随分、無茶をやりました。
 最初は一番毒の少ないカナトウ鰒をば喰いましたが、だんだん免疫なれて来ますと虎鰒、北枕ナンチいうものを喰わんとフク喰うたような気持になりまっせん。北枕なぞを喰うた後で、外へ出て太陽光ひなたに当ると、眼がうてフラフラと足が止まらぬ位シビレます。その気持のえ事というものは……。
 それでもダンダンと毒に免疫なれて来ると見えて、後日しまいには何とものうなって来ます。北枕を喰うた奴も一町内に三人や五人は居るような事でトント自慢になりまっせんケニ、一番恐ろしいナメラという奴を喰うてみました。
 ナメラというのは小さい鰒で、全身ごたいが真黒でヌラッとした見るからに気味きびの悪い恰好をしておりますが大抵の鰒好ふくくいが『鰒は洗いよう一つで中毒あたらん。しかしナメラだけはそう行かん』と申します。そうかと思うと沖から来る漁夫りょうしなぞは『甘い事云いなさんな。ナメラが最極上いっち利く』と云う者も居ります。
 そこで私共の放蕩あくたれ仲間が三四人申合わせてそのナメラを丸のままブツ切りにして味噌汁に打込んで一杯る事にしましたが、それでも最初はヤッパリ生命いのちが惜しいので、そのナメラの味噌汁をば浜外れの蒲鉾小舎かまぼこごやに寝ている非人に遣ってみました。
『ホラ……余りもんば遣るぞ』
 と云うて蒲鉾小舎の入口にいて在る面桶めんつうに半分ばかり入れてやりましたので、非人はシキリに押頂いておりましたが、暫くしてから行ってみますと、喰うたと見えて面桶が無い。本人もまだ生きて煙草を吸うている様子です。そこで安心して皆で喰べましたが、美味うもう御座いましたなあ。ソレは……トテモえ気持に酒が廻わってしまいました。
 それから帰りしなにその非人の処を通りかかりましたが、酔うたマギレの上機嫌で、
『最前の味噌チリ喰うたか』
 と尋ねてみますと老人としよりいざりの非人が入口に這い出して来てペコペコ拝み上げました。
『ヘイヘイ。ありがとう様で御座ります。アナタ方も召上りましたか』
 とただれたをショボショボさせました。
『ウン。喰うた。トテモ美味うまかったぞ』
 と正直に答えますと、暫く私どもの顔を見上げておりました非人は、先刻さいぜん、呉れてやった味噌チリの面桶めんつうむしろの蔭から取出しました。
『ヘイ。それなら私も頂戴いただきまっしょう』
 とモウ一ペン面桶を拝み上げてツルツル喰い始めたのには驚きました。非人で試験ためしてみるつもりが、正反対ひっちゃらこっちに非人から試験された訳で……。
 これはマア一つ話ですがそげな来歴わけで、後日しまいにはそのナメラでも満足たんのうせんようになって、そのナメラの中でも一番、毒の強い赤肝を雁皮がんぴのように薄く切ります。それから大きな褌盥へこだらい極上井戸水まつばらみずを一パイ張りまして、その中でその赤肝の薄切せんまいぎりを両手で丸めて揉みますと、盥一面に山のごと泡が浮きます。まるで洗濯石鹸あらいしゃぼんを揉むようで……その水を汲み換え汲み換え泡の影がうなるまで揉みました奴の三杯酢をさかなにして一杯飲もうモノナラその美味うまさというものは天上界だすなあ。喰い残りを掃溜へ捨てた奴を、とりが拾いますとコロリコロリ死んでしまいますがなあ。
 ……ヘエ。私は四度死んで四度とも生き返りました。四度目にはもう絶望つまらんちいうて棺桶へ入れられかけた事もあります。私の兄貴分の大惣だいそうナンチいう奴は棺の中でお経を聞きながらビックリして、ウウ――ンと声を揚げて助かりました位で……イエイエ。作りごとじゃ御座いまっせん。この理窟ばっかりは大学の博士はかせさんでもわからん。ヘエ。西洋の小説にもそのような話がある……墓の下から生上いきあがった……ヘエ。それは小説だっしょうが、これは小説と違います。正直正銘シラ真剣のお話で……。

 御承知か知りませんが、鰒に中毒あたると何もかも痲痺しびれてしもうて、一番しまい間際がけ聴覚みみだけが生き残ります。
 最初、くち周囲ぐるりがムズ痒いような気持で、サテはちっと中毒ったかナ……と思ううちに指の尖端さきから不自由になって来ます。立とうにも腰が抜けているし、物云おうにも声が出ん。そのうちに眼がボウ――ッとなって来て、これは大変おおごとが出来たと思うた時にはモウ横に寝ているやら、座っているやら自分でも判然わからんようになっております。ただ左右りょうほうの耳だけがハッキリ聞こえておりますので、それをタヨリに部屋の中の動静ようすを考えておりますところへ、聞慣れた近所の連中の声がガヤガヤと聞こえて来ます。気の早い連中で、モウ棺箱をいない込んで来ている模様です。
『馬鹿共が。又三人も死んでケツカル。ほかに喰う品物もんが無いじゃあるまいし』
『知らぬ菌蕈なば喰うて死んだ奴と鰒喰うて死んだ奴が一番、みっともないナア』
駐在所ちゅうざいにゃ届けといたか』
『ウン。警察では又かチウて笑いよった。いま警察から医師いしゃが来て診察するち云いよった』
『診察するチウて脈の上った人間はドウなるもんかい』
『棺の中へ入れとけ。ドッチにしても形式かたばっかりの診察じゃろうケニ』
『蓋だけせずに置けや。親兄弟が会いげに来るケニ……』
『親兄弟も喜ぼうバイ、此輩こやつどもが死んだと聞いたならホッとしよろう』
『可哀相に……泣いてやる奴も居らんか……電信柱の蝉ばっかりか。ヤ……ドッコイショ……』
『重たいナア。死んだ奴は……』
『結構な死態しにようタイ。了簡きしょくバイ。鰒に喰われよる夢でも見よろう』
『ハハハ。鰒の方が中毒あたろうバイ』
『しかしこの死態ざまをば情婦いろおなごい見せたナラ、大概の奴が愛想あいそ尽かすばい。眼球めんたまをばデングリがやいて、鼻汁はな垂れカブって、涎流よだくっとる面相つらあドウかいナ』
『アハハハ。腐った鰒に似とる。因果覿面てきめんバイ』
『オイオイ。ここは湊屋の仁三郎が長うなっとる。誰か両脚あしの方ば抱えやい』
『待て待て。その仁三郎は待て。今俺が胸のとこをばあたって見たれあ、まだどことのうぬくごとある。まあだ生きとるかも知れん』
『ナニ。生きとるかも知れん。馬鹿け。見てんやい。眼球ア白うなっとるし、睾丸きんたまも真黒う固まっとる。浅蜊あさり貝の腐ったゴト口開けとるばドウするケエ』
『まあまあ。そう云うな。一人息子じゃけに、念入れとこう』
 この時ぐらい親の恩を有難いと思うた事は御座いません。親というものが無かったならこの時に私は、ほかの連中と一所に棺箱はこへ入れられて、それなりけりの千秋楽になっておりました訳で……。
『その通りその通り。助けてくれい助けてくれい』
 と呼ぼうにも叫ぼうにも声は出ず、手も合わせられませぬ。耳を澄まして運を天に任かせておるその恐ろしさ。エレベータの中で借金取りに出会うたようなもので……ヘエ……。
 それでもお蔭様で生きあがりますと又、現金なもので、折角、思い知った親の恩も何も忘れて博奕は打つ……××はする……。

 ……ヘエ。その××ですか。これはどうも商売の奥の手で、この手を使わぬ奴は人気が立たず。魚類さかなが売れません。まあ云うてみればこの奥の手を持たん奴は魚売の仲間かずに這入らんようなもので……ヘヘヘ。
 その頃、私はまあだ問屋とんや糶台ばんだいに座らせられません。禿頭はげ親爺おやじがピンピンして頑張っておりましたので……その親父おやじが引いてくれた魚類さかな荷籠めご天秤棒ぼおこを突込んで、母親かかさんが洗濯してくれた袢纏はんてん一枚、草鞋わらじ一足、赤褌あかべこ一本で、雨風を蹴破けやぶってワアッと飛出します。どこの町でも魚類売さかなうりは行商人あきないにん花形役者はながたで……早乙女あんにゃんが採った早苗なえのように頭の天頂てっぺん手拭てのごいをチョット捲き付けて、
『ウワ――イ。ナマカイランソ(鰯の事)、ウワ――アアイイ……』
 と横筋違よこすじかい往来おおかんば突抜けて行きます。号外と同じ事で、この触声おらびごえの調子一つで売れ工合が違いますし、情婦おなごの出来工合が違いますケニ一生懸命の死物狂いで青天井を向いておらびます。そこが若い者のネウチで……。
 しかも呼込まれる先々が大抵レコが留守だすケニ間違いの起り放題で、又、間違うてやりますと片身かたみの約束のさばが一本で売れたりします。おかげでレコも帰って来てから美味うまいものが喰えるという一挙両得になるワケで……。
 それでも五六軒も大持てに持てて高価たかい魚がアラカタ片付く頃になりますと、もうヘトヘトになって、息が切れて、走ろうにも腰がフラ付きます。太陽てんとう様が黄色きんなく見えて、生汗なまあせが背中を流れて、ツクツク魚売人さかなうりの商売が情無なさけのうなります。何の因果でこげな人間に生れ付いたか知らん。孫子の代まで生物なまものは売らせまいと思い思いからになった荷籠めごを担いで帰って来ます。
 それでも若いうちは有難いもので、その晩一寝入りしますと又、翌る朝は何とのう生魚さかなを売りに行きとうなります。

 バクチは親父おやじが生きとるうちは遣りませんでしたが、死ぬると一気に通夜の晩から初めまして、三年経たぬうちに身代をスッテンテレスコにしてしまいました。それを苦に病んで母親も死ぬる……というような事で、親不孝者の標本おてほんは私で御座います。ヘイ。
 今では身寄タヨリが在りませぬので、イクラ働いても張合いが御座いまっせん。それでも世界中が親類と思うて、西洋人いじんの世話までしてみましたが、誰でもかねの話だけが親類で、他事あと途中みち擦違すれちごうても知らん顔です。
『道楽はイクラしても構わん。貴様ぬしが儲けて貴様ぬしが遊ぶ事じゃケニ文句は云わんが、赤の他人でも親類になる……見ず知らずの他人の娘でも蹴倒けたおす金の威光だけは見覚えておけよ』
 というのが死んだ親父の口癖で御座いましたが、全くその通りの懸価かけねなしで、五十幾歳いくつのこの年になって、ようようの事、世間が見えて来ましたがチット遅う御座いましたナア。人間万事身から出た錆と思うて……親不孝の申訳もうしわけと思うて、誰でも彼でも親切にしてやる片手間には、イツモ親父の石塔に頭を下げておりますが、お蔭で恩知らずや義理知らずに出会うても格別腹も立ちまっせん。両親の墓に線香を上げるとスウーッとしてしまいます。
 バクチの失敗談しくじりばなしですか。バクチの方はアンマリ面白い事は御座いまっせんばい。資金かねに詰まって友達の生胆いきぎもを売って大間違いを仕出かしたのを幕切ちょんにして、立派にやめてしまいましたが、考えてみると私輩わたしどもの一生は南京花火のようなもので……シュシュシュシュポンポンポン……ウワアーイというただけの話で……。
 ……ヘエ……その生胆売りの話ですか。どうも困りますなあ。アンマリ立派な話じゃ御座いませんので……あの時のような遣切せつない事はありまっせんじゃった。今まで誰にも云わずにおりましたが……懲役に遣られるかも知れませんので……。決して悪気でした事では御座いませんじゃったが、人間の生胆きも枕草紙かよいは警察が八釜やかましゅう御座いますケニなあ……。
 もっとも友達の生胆を売ったチウたて、ビックリする程の事じゃ御座いません。生胆の廃物利用をやって見た迄の事だす。前のバクチの一件の続きですが……私が二十三か四かの年の十二月の末じゃったと思いますケニ、明治二十年前後の事だしつろうか。
 前にも申しました通りバクチは親父の生きとるうち大幅おおぴらで遣れませんでしたが、死ぬると一気に通夜の晩から枕経まくらきょうの代りに松切坊主まつきりぼうずを初めましたので、三年経たぬうちに身代がガラ崩れのビケになってしもうた。それを苦にした母親が瘠せ細って死ぬる。折角来てくれた女房までもが見損のうたといて着のみ着のままで逃げてしもうた。その二十三か四の年の暮が仙崖さんの絵の通り『サルの年祝うた』になってしもうた。
 借金で首がまわらぬと申しますが、あの味わいバッカリは借金した者でないと理解わかりまっせん。博多の町中、行く先々、右も左もしらみの卵生み付けたゴト不義理な借銭ばっかり。真正面の青天井に見当を附けて兵隊ちんだいさん式にオチニオチニと歩まぬと、虱の卵を生み附けられた顔がイクラでも眼に付きます。その虱の卵が一つ一つに孵化われて、利が利を生みよる事を考えると、トテモ博多の町に居られた沙汰では御座いませぬ。こげな事にかけますと私はドウモ気の小さい方と見えまして……ヘイ。
 私の女郎買とバクチの先達せんだつ大和屋惣兵衛やまとやそうべえ、又の名を大惣だいそうという男が居りました。最前チョットお話ししました棺の中でお経を聞いてビックリした豪傑で、お寺の天井に居る羅漢様と生き写しの面相つらようで、商売の古道具屋に座って、煙草を吸うておりますうち蜘蛛くもが間違えて巣を掛けよるのを知らずにおったという大胆者おちつきもんで御座います。
 平生ふだんから私の事をドウ考えているか判然わかりませんでしたが、イヨイヨ押詰まった師走しわすの二十日頃にこの男の処へ身の上相談に行きますと、相変らずすすけ返ったつらで古道具の中に座っておりましたが、私の顔をジイッと見ながら、黙って左のを出せと申します。何を云うかわからん、気味きびの悪いところがこの男のネウチで、くわ煙管ぎせるのまま私のてのひらを見ておりましたが、
『これはナカナカ運のいい手相じゃ。長崎へ行けばキット運が開けると手筋に書いてある』
 と云います。私は呆れました。
『馬鹿け。長崎へ行く旅費がある位なら貴様の処へ相談に来はせぬ』
『まあ待て。そこが貴様の運のええところじゃ。運気のお神様は貴様の来るのを待って御座った』
 と云ううちにチョット出て行きますと、瞬く間に五十両の金を作って来たのには驚きました。
『実は俺も生れてから四十五年、ここへ坐っったが、イヨイヨこのうちへ居ると四十六の年が取れん位、借金の下積したづみになっとる。ちょうど女房と子供が、実家さと餅搗もちつきの加勢にとるけに、この店をば慾しがっとる奴の処へて委任状と引換えに五十両貰うて来た。ついでに俺のバクチの弟子で女房のおととに当るチットばかり耳の遠い常吉つんしゅうという奴も、長崎へ行きたがっとるけに、今寄って誘うて来た。三人連れで長崎へて一旗揚げてみよう。異人相手の古道具ふるものは儲かる理窟を知っとるけに、大船に乗った気でいて来い』
 と云います。日本一アブナイ運の神様ですが、迷うておりました私は大喜びで、そこへボンヤリ這入って来た、今の話のツン州という若者わかてと三人で久し振りに前祝を一パイ遣って、夜汽車に乗って長崎へ来ました。

 ところで途中、湯町にも武雄(いずれも女の居る温泉場)にも引っかからず長崎へ着いて、稲佐いなさという処の木賃宿へ着いた迄は上出来でしたが、その頃の五十両というと今の五百円ぐらいには掛合いましたもので、三人とも長崎見物の途中から丸山の遊廓に引っかかって、チョットのつもりがツイ長くなり、毎日毎日チャンチャンチャンチャンと花魁船おいらんぶねを流しているうちに五十両の金が、溝鼠すいどうねずみのように逃げ散らかってしもうた。仕方なしにモトの木賃宿に帰って来ると泣面なきつらに蜂という文句通りに、大惣が大熱を出いて、煎餅布団をハネけハネけ苦しがる。今で云う急性肺炎じゃったろうと人は云いますが、お医者に見せるぜになぞ一文も在りませんけに、濡手拭ぬれてのごいで冷やいてやるばっかり。そのうちに大惣がクタビレて来たらしく、気味きびの悪いくらい静かになって来た。半分開いた眼が硝子ビイドロのゴト光って、頬ベタが古新聞のゴト折れ曲って、唇の周囲ぐるりが青黒うって、水を遣っても口を塞ぎます。洗濯板のようになった肋骨あばらぼね露出こっくりだいてヒョックリヒョックリと呼吸いきをするアンバイが、どうやら尋常事ただごとじゃないように思われて来ました。
 そのうちに夜が更けて二時か三時頃になります。背後うしろ山手やまのてでお寺の鐘が、陰に籠ってゴオオ――ンンと来ますと、私は、もうイカンと思いました。スヤスヤ寝入っとる大惣を揺り起いて耳に口を寄せました。
『……大惣……大惣……』
 大惣が返事の代りに私の顔をジイット見ます。
『貴様はモウ詰まらんぞ』
 何度も何度も大惣が合点合点しました。涙を一パイ溜めております。
『……イロイロ……セワニ……ナッタ……』
『ウム。そげな事あドウデモよかバッテン、イッソ死ぬなら俺へ形見ば遣らんか』
 大惣は寝たまま天井をジイッと見した。
『……シネバ……シネバ……何モイラン……何デモ遣ルガ……何モナイゾ……』
『ホンナ事に呉れるか』
『……ウム。オレモ……ダイ……大惣じゃ』
『よし、それなら云おう。貴様が死んだなら済まんが、貴様の生胆きもば呉れんか』
 大惣が天井を見たままニンガリと物凄く笑いました。
『ウム。ヤル。臓腑ひゃくひろデモ……睾丸きんたまデモ……ナンデモ遣ル。シネバ……イラン』
『よしっ。貰うたぞ。今……生胆きもの買手をば連れて来るケニ、貴様あ今にも死ぬゴトうんうん呻唸うめきよれや』
 大惣が今一度、物凄くニンガリしながら合点合点しました。私は直ぐに木賃宿を飛出しました。
 その頃は長崎に、支那人の生胆いきぎも買いがよく居りました。福岡アタリの火葬場にもよくウロウロしおりましたそうで……真夜中でも何でも六神丸の看板を見当てにしてタタキ起しますと、大抵手真似で話が通じましたもので、私は日本語のすこし出来る支那人チャンチャンを引っぱって木賃宿へ帰って来ました。
 その支那人チャンチャン体温計ねつはかり聴診器みみラッパを持って来ておりました。私とツン州と二人で感心して見ております前で、約束通りにウンウン呻吟うめきよる大惣の脈を取って、念入りに診察しますと病人の枕元で談判を初めました。
『この病人は明日あした正午ひる頃までしかたん。死骸を蒲団に包んで私のうちに担いで来なさい。高価たかく買います。私の店はこの頃開いた店じゃケニ高い。ほかのうちは皆安い。死骸の片付けも皆して上げます。頭毛かみげも首の骨もチャント取って上げます。生胆きものほかに胃腸いぶくろにつながっている小さい青い袋を附けて下されば七円五十銭。それがぬくうちに持って来なされば十二円五十銭……』
 支那チャンチャン坊主は掛値を云うものと思いましたケニ、思い切って大きく吹っかけました。
『イカンイカン。二十五円二十五円。一文も負からん。ほかの処へ持って行く。ほかに知っとる店がイクラでも在る』
『それなら十五円……』
『ペケペケ。絶対たくさんペケある。二十五円二十五円。アンタは帰れ。モウ話しせん』
 私は支那人の足下を見てしまいました。魚市場の伜だすけに物は云わせません。支那人チャンチャン坊主は未練そうに立上りかけました。
『そんなら十七円五十銭……ぬくいうち……』
『ウーム……』
 と私は腕を組んで考えました。ここいらが支那人チャンチャンの本音かなと思うておりますところへ、横から大惣が蒼白い手を伸べて私の着物の袖を引っぱりました。
『……ヤスイヤスイ……ウルナウルナ……』
『わたし。最早もう帰ります。十八円……いけませんか』
『ペケ……ペケ……オレノ……キモハ……フトイゾ……ペケペケ……』
『ええ。要らん事云うな。大惣……黙って呻吟うめきよれ』
『ウンウン。ウンウン。水ヲクレイ』
『ホラ。遣るぞ。末期まつごの水ぞ。唐人さんドウかいな。もう死によるが。早よう話をばきめんとほかの処へ持って行くがナ』
 とうとう支那人が負けて二十円で手を打ちまして、ほかの処へ持って行かぬように、五円の手附を置いて帰りました。
『ヤレヤレ。クタビレタ』
『ウンウン……ウンウン……スマンスマン……』
『モウ呻吟うめかんでもヨカ。御苦労御苦労。こちの方がヨッポド済まん。ところで済まんついでにチョット待っとれ。骨休めするケニ』
 私はその五円札を一枚持って飛出いて、近所の酒屋から土瓶に二杯、酒を買うて、木賃宿から味噌を一皿貰うて来ました。何しろ暫く飢渇かわいておったところですから、骨休めというので、ツン公と二人で燗もせぬ酒をグビリグビリやっております、とその横で大惣がウンウン唸り出しました。又、私の袖を引きますので五月蠅せからしい奴と思うて振向きますと、大惣の奴、熱で黒くなった舌をめずりまわしております。
『……オレ……モ……一パイ……ノム……』
『途方もない事をば云うな。馬鹿……その大病で酒を飲むチウ奴があるか。即死しまえてしまうぞ』
 大惣の落ちくぼんだ眼の色が変りました。涙をズウウと流しながら歯ぎしりをして半分起き上ろうとします。
『ソノ……サケハ……オレノ……キモノ……テツケジャ……。オレモ……ノム……ケンリ……ケンリガ……アル……』
 私は胸が一パイになりました。
『アハハハハ。これは謝罪あやまった。俺が悪かった悪かった。よしよし。わかったわかった。寝とれ寝とれ。サア飲め。ウント飲め。末期の水の代りに腹一パイ飲め……』
 そんな状態わけで、病人と介抱人が日本一の神様みたようになってグーグー眠ってしまいましたが、その中に大惣の声で……、
『オイオイ。湊屋。起きんか。モウ正午ひる過ぎぞ』
 と云うて私を揺り起しますので、ビックリして跳ね起きますと……ナント……大惣が起きて、私どもの枕元に座っております。神霊ごしんの上がったようなポカンとしたつらをしております。
『ウワア。貴様……起きとるとや』
『ウン。気持きしょくのええけに起きてみた』
『何や。……全快なおったとや』
『ウン。今、小便にて来たが、ちいっとばっかしフラフラするダケじゃ。全快ようなったらしい』
『ウワア……それは大変事おおごと出来でけとる。いま全快ようなっちゃイカン』
『イカンち云うたてチャ俺が困る』
『コッチも困るじゃないか。貴様の生胆きもの手附の金をばモウ崩いてしもうとる』
『何でもええ。貴様に任せる。生胆きもの要るなら遣る』
『馬鹿……今、貴様の生胆きもを取れあ、俺が懲役に行くだけじゃないか……おいツン州……大変事おおごとの出来たぞ』
『……芽出度めでたい……』
くらわせるぞ畜生。芽出度過ぎて運の尽きとるじゃないか』
『ドウすれあえかいな』
『仕様はない。逃げよう。支那人チャンチャンが来て五円戻せチュータてちゃ、あの五円札は酒屋から取戻されん。そんならチいうて大惣の病気をば今一度、非道ひどうなす訳には尚更行かん……よしよし……俺が一つ談判して来てやろう』
 それから木賃宿のオヤジに談判しますと、宿賃は要らん。大病人に死なれちゃタマラン。早よう出てくれいと云います。
 コッチは得たり賢しです。直ぐにヒョロヒョロの大惣をツン州の背中へ帯で十文字に結び付けて、外へ出ましたが、別段、どこへ行くという当ても御座いません。そのうちにフト稲佐の山奥へ、私の知っている禅宗坊主が居る事を思い出しまして、昨夜ゆんべの鐘の音は、もしやソイツの寺じゃないか知らんと気が付きました。何ともハヤ心細い、タヨリにならぬ空頼みをアテにして、足に任せて行くうちに、何しろ十二月も三十日か三十一日という押詰まっての事で、ピューピュー風に吹かれた大病人上りの大惣が寒がります。哀れなお話で、今にも凍え死にそうな色になって『寒い寒い』と云いますので、タッタ一枚着ておりました私の褞袍どてらを上から引っかぶせて、紅褌あかべこ一貫で先に立って、霜柱だらけの山蔭をお寺の方へ行きますと、暫く行くうちに、大惣は元来の大男で、ツン州の力が足らぬと見えて、十文字に縛った帯が太股ももどうに喰い込んで痛いと大惣が云い出しました。
 私はトウトウ腹が立ってしまいました。裸体はだかのままガタガタ震えながら大惣を呶鳴がみ付けました。
『太平楽くな。ええ。このケダモノが……何かあ。貴様がしにさえすれあ二十円取れる。市役所へ五十銭附けて届けれあ葬式は片付く。アトは丸山にて貴様の狃除なじみをば喜ばしょうと思うに、要らん事に全快ようなったりして俺達をば非道ひどい眼に合わせる。捕らぬ狸の皮算用。夜中三天のコッケコーコーたあ貴様ぬしが事タイ。それでも友達甲斐に連れて来てやれあ、ヤレ寒いとか、太股ももどうの痛いとか、太平楽ばっかり祈り上げ奉る。この石垣の下に捨てて行くぞ……エエこの胆泥棒きもぬすと……』
『ウ――ム。棄てるなら……助けると思うて……酒屋の前へ棄ててくれい。昨夜ゆうべ釣銭つるをば四円二十銭置いててくれい』
『ウハッ……知っとったか。外道げどうサレ』
 そんな事で向うの禅宗寺へ逃込みますと、有難いことにその和尚という奴が、博多の聖福寺しょうふくじから出た奴で、私たちの友達ですケニなかなか人物が出来でけております。
『ワハハハ。それは芽出度めでたい。人間そこまでてみん事には、世の中はわからん。よろしい引受けた。その支那人なら私も知ってる。ウチの寺へ石塔を建てて、その細工賃を一年ばかり石屋へ引っかけて、拙僧わしに迷惑をかけとる奴じゃ。ええ気味きびじゃええ気味じゃ。文句附けに来たら私が出てネジて上げる。心配せずに一杯飲みない。オイ。了念了念。昨夜ゆんべ般若湯はんにゃとうの残りがあろう。ソレソレ。それとあのギスケ煮(博多名産、小魚の煮干にぼし)の鑵を、ここへ持って来なさい』
 というたような事でホッと一息しました。その寺で大惣に養生をさせまして、それから三人で平戸の塩鯨の取引を初めましたのが運の開け初めで、長崎を根拠ねじろにして博多や下関へドンドン荷を廻わすようになりましたが、その資本もとでというたなら、大惣の生胆いきぎも一つで御座いました。人間、酒と女さえ止めれば、誰でも成功するものと見えますナア。ハハハハ……」

 湊屋仁三郎の逸話は、この程度のものならまだまだ無限に在る。仁三郎の一生涯を通ずる日常茶飯が皆、是々的このてで、一言一行、一挙手一投足、ことごとく人間味に徹底し、世間味を突抜けている。哲学に迷い、イデオロギイに中毒して、神経衰弱を生命いのちの綱にしている現代の青年が、百年考えても実践出来ない人生の千山万岳をサッサと踏破り、飄々乎ひょうひょうことして徹底して行くのだから手が附けられない。もしそれ百尺竿頭かんとう、百歩を進めた超凡越聖ちょうぼんおっしょう絶学ぜつがく無造作裡むぞうさりに、かみは神仏のあご蹴放けはなし、しもは聖賢の鼻毛を数えるに到っては天魔、鬼神も跣足はだしで逃げ出し、軒の鬼瓦も腹を抱えて転がり落ちるであろう。……こうした湊屋仁三郎一流の痛快な消息のドン底を把握し、神経衰弱の無限の乱麻を一刀両断しようと思うならば請う、刮目かつもくして次回を読め!

       (中)

 諸君は博多二輪加にわかの名を御存じであろう。御覧にならない方々のためにチョッと知ったか振りを御披露申上げておくが、博多二輪加の本領というものは、東京の茶番狂言や、大阪二輪加なぞと根本的に仕組みの違ったもので、一切の舞台装置や、台本なぞいう面倒なものの御厄介にならない。普通在来の着のみ着のままに、半面めかつらをかけて舞台に上るなり、行きなり放題の出会い頭にアッと云わせたり、ドッと笑わせたりするのがこのニワカ芸術の本来の面目である(註曰――現在では台本や装置、扮装にって、単に普通の喜劇を、博多言葉に演ずる程度にまで堕落してしまっている)。だから本来の博多仁輪加では、その出演者同志がお互いに、人生、人情、世態に通暁徹底していなければいけない。お互いに舞台上の演出効果――蔭の花を持たせ合って、かさず舞台気分を高潮させ合い、共同一致のファインプレイを演出し合うだけの虚心坦懐さがなければ仁輪加の花は咲かない。この生活苦と、仁義、公儀の八釜やかましい憂世うきよを三分五厘に洒落しゃれ飛ばし、かみは国政の不満から、しも閨中けいちゅう悶々事もんもんじに到るまで、他愛もなく笑い散らして死中に活あり、活中死あり、枯木に花を咲かせ、死馬に放屁せしむるていの活策略の縦横無礙むげなものがなくては、博多仁輪加の軽妙さが生きて来ないのである。
 湊屋の大将こと、篠崎仁三郎は、その日常の生活がことごとくノベツまくなしの二輪加の連鎖であった。浮世三分五厘、本来無一物の洒々落々しゃしゃらくらくを到る処に脱胎だったい、現前しつつ、文字通りに行きなりバッタリの一生を終った絶学、無方の快道人であった。古今東西の如何なる聖賢、英傑といえども、一個のミナト屋のオヤジに出会ったら最後、鼻毛を読まれるか、顎骨あごぼね蹴放けはなされるかしない者は居ないであろう。試みにす。看よ。
 前回の通り、親友の生胆いきぎも資本もとでにして、長崎の鯨取引に成功した湊屋仁三郎は、生れ故郷の博多に錦を? 飾り、漁類問屋をやっているうちに、日露戦争にぶっつかり、奇貨おくべしというので大倉喜八郎の牛缶にならって、軍需品としての魚の缶詰製造を思い立ったが、慣れない商売の悲しさ、缶の製造業者に資本を喰われて、忽ち大失敗の大失脚。スッテンテンの無一物となった三十八年の十一月の末、裾縫すそぬいの切れた浴衣一枚で朝鮮に逃げ渡り釜山ふざん漁業組合本部に親友林駒生こまお氏を訪れた。林駒生氏は本伝第二回に紹介した杉山茂丸氏の末弟で、令兄とは雲泥、霄壌しょうじょうただならざる正直一本槍の愚直漢として、歴代総督のお気に入り、御引立を蒙っていた統監府の前技師であった。はその直話である。
「ヨオ。仁三郎か。よく来た……と云いたいが何というザマだ。この寒いのに浴衣一枚とは……」
「ウム。おらあ途方もない幽霊に附纏われた御蔭で、この通りスッテンテンに落ぶれて来た。何とかしてくれい」
「フウン。幽霊……貴様の事ならイズレ女の幽霊か、かねの幽霊じゃろ」
「違う。金や女の幽霊なら、お茶の子サイサイれ切っとるが、今度の奴は特別あつらえの日本の水雷艇みたような奴じゃ。流石さすがのバルチック艦隊も振放しかねて浦塩うらじおのドックに這入り損のうとる。その執拗しつこい事というものは……」
「フウン。そんなに執拗い幽霊か」
「執拗いにも何も話にならん。トテモ安閑として内地にはられん」
「一体何の幽霊かいね」
「缶詰の幽霊たい。ほかの幽霊と違うて缶詰の幽霊じゃけに、いつまでも腐らん。その執拗い事というものは……呆れた……」
 愚直な林氏はここに於て怫然ふつぜん色をした。
「一体貴様は俺をヒヤカシに来たのか。それとも助けてもらいに来たのか」
「正真正銘、真剣に助けてもらいに来たのじゃないか。これ見い。この寒空に浴衣のお尻がバルチック艦隊……睾丸のロゼスト・ウイスキー閣下が、白旗の蔭で一縮みになっとる。どうかして浦塩更紗うらじおさらさのドックに入れてもらおうと思うて……」
「馬鹿……大概にしろ。この忙しい事務所に来て、仁輪加を初める奴があるか……」

 しかし篠崎仁三郎はどこへ行ってもこの調子であった。魚市場の若い連中が何かの原因でストライキを起して、幹部連中が持てあましている場面でも湊屋仁三郎が出て行くと一ペンに大笑いになって片付いた。
「貴様は○○のような奴じゃ。撫でれば撫でる程、イキリ立って来る。見っともない」
 結局、彼にとっては人間万事が仁輪加の材料でしかなかった。事窮すれば窮するほど上等の仁輪加が出来るだけの事であった。彼は洒々落々の博多児はかたっこ生粋きっすい、仁輪加精神の権化であった。
 太閤様を笑わせ、千利休を泣かせるのは曾呂利そろり新左衛門に任す。白刃上に独楽こまを舞わせ、扇のかなめに噴水を立てるのは天一天勝てんいちてんかつに委す。木仏、金仏を抱腹させ、石地蔵を絶倒させるに到っては正に湊屋仁三郎の日常茶飯事おてのものであった。更にす。看よ。

 やはり湊屋仁三郎が一文無し時代の事。連日の時化しけで商売は出来ず、仕様ことなしに、いつも仲好しの相棒と二人で、博多大浜の居酒屋へ飛込んだ。無けなしのぜにをハタキ集めてやっと五合ます一パイの酒を引いたが、サテ、酒肴さかなを買う銭が無い。向うの暗い棚の上には、章魚たこの丸煮や、蒲鉾の皿が行列している。鼻の先の天井裏からは荒縄で縛った生鰤ぶり半身かたみが、森閑とブラ下っているが、無い袖は振られぬ理窟で、五合桝を中に置いて涙ぐましく顔を見交しているところへ天なる哉、小雨の降る居酒屋の表口に合羽かっぱ包みの荷をおろした一人の棕梠箒売しゅろぼうきうりが在る。
 元来この棕梠箒売という人種は、日本中、どこへ行っても他国たびの者が多い。従ってどことなく言葉癖が違っている上に、根性のヒネクレた人間が珍らしくない。仁輪加なんか無論わかりそうにないノッソリした奴が多いのであるが、その中でも代表的と見える色の黒い、逞ましそうな奴が、骰子さいの目に切った生鰤ぶり脂肉あぶらにく生姜しょうが醤油に漬けた奴を、山盛にした小丼を大切そうに片手に持って、
「ええ。御免なはれ」
 と這入って来た。唖然として見惚みとれている仁三郎とその相棒を尻目にかけ、くだんの小丼を仁三郎の背後のバンコに置き、颯爽さっそうとして奥へ這入り、店の親爺おやじを捉まえて商売物の棕梠箒で棕梠ハタキを押付けて酒代にすべく談判を始めた。ところがその居酒屋の親爺なる人物が又、人気の荒い大浜界隈でも名打ての因業いんごうおやじでナカナカそんな甘手あまて元手喰式さやくい慣用手段いんちきに乗るおやじでない。ヤッサ、モッサと話が片付かぬうちに二人は、代る代る手を出して背後うしろの小丼の中味をつまんだ。
「ハハン。この家のおっさんのガッチリして御座るのには呆れた。両方儲かる話が、わからんチウタラ打出の小槌でたたいてもぜぜの出んアタマや……ハハン。買うて下はらぬ位なら他の店へ行くわい」
 とか何とか棄科白すてぜりふで、大手を振って棕梠箒売が引返して来た時には、小丼の中にはモウ濁った醤油と、生姜の粉が、底の方に淀んでいるだけであった。
 箒売は土間の真中に突立ったまま唖然となって、上機嫌の二人を眺めておった……が、やがてガラリと血相を変えると、知らん顔をして指をめている仁三郎に喰ってかかった。
「……アンタ等は……ダ……誰に断って、このさかなをば、つまみなさったカイナ」
 湊屋がゲラゲラ笑い出した。
「アハハ、途方もない美味うまか鰤じゃったなあ。ホーキに御馳走様じゃった。まず一杯差そうと云いたいところじゃが、赤桝ますの中はこの通り、逆様さかさまにしても一しずくも落ちて来んスッカラカン……アハハハハ。スマンスマン……」
 真青になって腕を捲くった箒売が、怒髪天をいた。
「済まんで済むか。切肉きりみを戻せッ」
 仁三郎は柔道の免許取りであっただけにチットも驚かなかった。
「イヤ、悪かった。猫に干鰯ほしかでツイ卑しい根性出いたのが悪かった」
「この外道等……訳のわからん文句を云うな。ヌスット……」
「イヤ。悪かった悪かった。冗談云うて悪かった。博多の人間もんなら仁輪加で笑うて片付くが、他国たびの人なら腹の立つのも無理はない。悪かった悪かった。ウチまで来なさい。返済まどうてやるけに。ナア。この通り謝罪ことわり云うけに……」
 元来が温厚な仁三郎は、見ず知らずの箒売の前に鉢巻を取って平あやまりに謝罪あやまった。
「貴様のうちまで行く用はない。金が欲しさに云いよるのじゃないぞ。今喰うた切肉きりみを元の通りにして返せて云いよるとぞ」
 押が強くて執念深いのが箒売の特色である。その中でも特別あつらえの奴と見えて、相手は二人と見てもひるまなかった。因縁を附けてイタブリにかかる気配であった。
他国たび人間もんと思って軽蔑するか。一人と思うて侮るか。サア鰤をば返せ。返されんチ云うなら二人とも警察まで来い。サア来い」
「まあ待ちなさい。チャンと話は附ける。ブリな事をば云いなさんな」
「又仁輪加を云う。何がブリかい。その仁輪加を警察へ来て云うて見い。サア来い」
 湊屋の相棒は市場名物の短気者であった。
「ええ。面倒な。鰤さえ返せば文句はないか」
 と云ううちに、店の天井からブラ下っていた鰤の半身かたみを引卸して、片手ナグリに箒売を土間へタタキ倒した。
「持ってせれ外道サレエ。市場おおはまの人間を見損のうたか」
 箒屋は剣幕に呑まれたらしい。鰤の半身かたみも、持って来た丼もそのままに起上たちあがって、棕梠箒の荷を担いで逃げて行く奴を、追い縋った相棒が引ずり倒してポカポカと殴り付けた。商売物の箒が泥ダラケになってしまった。
 その間に湊屋は黙って鰤の半身かたみを拾ってモトの天井の釘へブラ下げるのを、居酒屋の因業おやじが奥から見ていたらしい。イキナリ飛出して来て仁三郎の前に立ちはだかった。
「その鰤は商売あきない物ばい。黙って手をかけたからには、そのままには受取れん」
 仁三郎は返事をしないままその鰤の半身かたみをクフンクフンと嗅いでみた。
親爺とっさん、悪い事は云わん。この鰤は腐っとるばい。こげな品物もんば下げておくと、喰うたお客の頭の毛が抜けるばい」
「要らん世話たい。腐っておろうがおるまいがこっちの品物じゃろうが、ぜにを払え銭を……」
「ナニ。貴様もこの鰤が喰いたいか」
 帰って来た相棒が割込んで来たのを仁三郎が慌てて押止めた。
「まあまあそう因業な事をば云いなさんな。折角の喧嘩が又ブリ返すたい」
「その禿頭はげあたまをタタキ割るぞ畜生」
「止めとけ止めとけ。タタキ割っても何にもならん。腐ったブリが忘れガタミじゃ詰らん」
 この洒落がわかったらしい。親爺が、眼をグルグルさしたまま黙って引込んだ。
 二人は連立って店を出た。
「ああ、久しブリで美味うまかった」
「俺もチイッと飲み足らんと思うておったれあ、今の喧嘩でポオッとして来た。二合ぶりぐらいあったぞ、箒売のアタマが……オット今の丼をば忘れて来た」
「馬鹿な。置いとけ置いとけ。ショウガなかろう」
 飄逸、洒脱、繊塵せんじんを止めず、風去って山河秋色深し。更にす。看よ。

 仁三郎の友人に水野某という青物問屋の主人があった。その又二人の友人で又木某という他県人の青物仲買人があった。その又木某は身寄タヨリのない全くの独身者ひとりもので、兼てから湊屋仁三郎と水野某を保証人として何千円かの生命保険に加入していた。又木いわく、
「俺は篠崎にも水野にも一方ひとかたならぬ世話になった。俺のうちは代々胃癌で死ぬけに、俺も死ぬかも知れぬ。それで万一俺が死んだなら一つ頼むけに俺の葬式をしてくれい。ナア」
 涙もろい二人は喜んで証書に印判をしたものであった。もとより無学文盲の二人の事とて、法律の事なんか全く知らず、盲判めくらばんも同然で金額なども全然忘れたまま仲よく交際していた。
 ところがどうした天道様の配り合わせか、間もなくその又木が四十五歳を一期として胃癌で死んだ。お蔭で思いがけない巨額の金が、二人のふところに転がり込んだので二人は少なからず面喰った。
「何でも構わぬ。約束は約束じゃ。出来るだけ賑やかに葬式をしてやれ」
 というので立派な石塔を建てた上に永代回向えこう料まで納めてしまったが、それでも余った相当の金額を持ってソンナところは無暗むやみに義理固い篠崎、水野の両保証人が、又木の本籍地へ乗込んだ。色々身よりを探しまわって又木の後を立てるべく苦心したが、その又木のアトがどうしてもわからない。そこで……これでは詰まらん博多へ帰ろう。又木の菩提追福のためにこのかねを潔く女共へ呉れてしまおう……というので仕事の休みついでに柳町に押上り、あらん限りの太平楽を並べて瞬く間に残金を成仏させて帰った。そうして帰ると直ぐに二人で一パイ飲んだ。

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