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木魂(すだま)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-9 9:31:31  点击:  切换到繁體中文


 彼はその夢うつつの何日目かに、眼の色を変えてけ付けて来た同僚の橋本訓導の顔付を記憶していた。その後から駈け付けて来た巡査や、医者や、村長さんや、区長さんや、近い界隈かいわいの百姓たちの只事ただごとならぬ緊張した表情を不思議なほどハッキリ記憶していた。のみならずそれが太郎の死を知らせに来た人々で……。
「コンナ大層な病人に、屍体を見せてええか悪いか」
「知らせたら病気にさわりはせんか」
 といったような事を、土間の暗い処でヒソヒソと相談している事実や何かまでも、たしかに察しているにはいた。けれども彼は別に驚きも悲しみもしなかった。おおかたそれは彼の意識が高熱のために朦朧もうろう状態に陥っていたせいであろう。ただ夢のように……。
 ……そうかなあ……太郎は死んだのかなあ……俺も一所にあの世へ行くのかなあ……。
 と思いつつ、別に悲しいという気もしないまま、生ぬるい涙をあとからあとから流しているばかりであった。
 それからもう一つそのあくる日のこと……かどうかよくわからないが、ウッスリ眼をました彼はささやくような声で話し合っている女の声をツイ枕元の近くで聞いた。ちょうどラムプのしんが極度に小さくして在ったので、そこが自分の家であったかどうかすら判然はっきりしなかったが、多分介抱のために付添っていた、近くの部落のお神さん達か何かであったろう。
「……ホンニまあ。坊ちゃんは、ちょうどあの堀割のまん中の信号の下でなあ……」
「……マアなあ……お父さんの病気が気にかかったかしてなあ……先生に隠れて鉄道づたいに近道さっしやったもんじゃろうて皆云い御座ござるげなが……」
「……まあ。可愛かあいそうになあ……。あの雨風の中になあ……」
「それでなあ。とうとう坊ちゃんの顔はお父さんに見せずに火葬してしまうたて、なあ……」
「……何という、むごい事かいなあ……」
「そんでなあ……先生が寝付かっしゃってから、このかた毎日坊ちゃんに御飯をば喰べさせよった学校の小使いのばあさんがなあ。代られるもんなら代ろうがて云うてなあ。自分の孫が死んだばしのごとなげいてなあ……」
 あとはスッスッというすすり泣きの声が聞こえるばかりであったが、彼はそれでも別段に気に止めなかった。そうした言葉の意味を考える力も無いままに又もうとうとしかけたのであった。
「橋本先生も云うて御座ったけんどなあ。お父さんもモウこのまま死んでしまわっしゃった方が幸福しやわせかも知れんち云うてなあ……」
 といったようなボソボソ話を聞くともなく耳に止めながら……自分が死んだしらせを聞いて、口をアングリと開いたまま、眼をパチパチさせている人々の顔と、向い合って微笑しながら……。
 けれどもそのうちに、さしもの大熱が奇蹟的に引いてしまうと、彼は一時、放神状態に陥ってしまった。和尚おしょうさんがお経を読みに来ても知らん顔をして縁側に腰をかけていたり、妻の生家から見舞いのために配達させていた豆乳とうにゅうを一本も飲まなかったりしていたが、それでも学校に出る事だけは忘れなかったと見えて、体力が出て来ると間もなく、何の予告もしないまま、黒い鞄を抱え込んでコツコツと登校し初めたのであった。
 教員室の連中は皆驚いた。見違えるほどやつれ果てた顔に、著しく白髪しらがの殖えた無精髯ぶしょうひげ蓬々ぼうぼうと生やした彼の相好そうごうを振り返りつつ、互いに眼と眼を見交みかわした。その中にも同僚の橋本訓導は、真先まっさき椅子いすから離れて駈け寄って来て、彼の肩に両手をかけながら声をうるませた。
「……ど……どうしたんだ君は。……シシ……シッカリしてくれたまえ……」
 眼をしばたたきながら、椅子から立ち上った校長も、その横合いから彼に近付いて来た。
「……どうか充分に休んでくれ給え。吾々われわれや父兄は勿論のこと、学務課でも皆、非常に同情しているのだから……」
 と赤ん坊をさとすように背中をでまわしたのであったが、しかし、そんな親切や同情が彼には、ちっとも通じないらしかった。ただ分厚い近眼鏡の下から、白い眼でジロリと教室の内部なかを見廻わしただけで、そのまま自分の椅子に腰をおろすと、彼の補欠をしていた末席の教員を招き寄せて学科の引継ひきつぎを受けた。そうして乞食のように見窄みすぼらしくなった先生の姿に驚いている生徒たちに向って、ポツポツと講義を初めたのであった。
 それから午後になって教員室の連中から、
「無理もない」
 というような眼付きで見送られながら校門を出るとそのまま右に曲って、生徒たちが見送っているのも構わずにサッサと線路を伝い初めたのであった。……又も以前の通りの思出おもいでを繰返しつつ、……自分の帰りを待っているであろう妻子の姿を、隠れの一軒屋の中に描き出しつつ……。
 彼はそれから後、来る日も来る日もそうした昔の習慣を判でしたように繰返し初めたのであったが、しかしその中にはタッタ一つ以前と違っている事があった。それは学校を出てから間もない堀割の中程に立っている白いシグナルの下まで来ると、おきまりのようにチョット立止まって見る事であった。
 彼はそうしてそこいらをジロジロと見廻しながら、吾児わがこかれた遺跡らしいものを探し出そうとするつもりらしかったが、既に幾度も幾度も雨風に洗い流された後なので、そんな形跡はどこにも発見される筈が無かった。
 しかし、それでも彼は毎日毎日、そんな事を繰り返す器械か何ぞのように、おんなじ処に立ちまって、くり返しくり返しおんなじ処を見まわしたので、そこいらに横たわっている数本の枕木の木目や節穴、砂利の一粒一粒の重なり合い、又はその近まわりに生えている芝草や、野茨のいばらの枝ぶりまでも、家に帰って寝る時に、夜具の中でアリアリと思い出し得るほど明確に記憶してしまった。そうして彼はドンナニほかの考えで夢中になっている時でも、シグナルの下のそのあたりへ来ると、ほとんど無意識に立佇たちどまって、そこいらを一渡り見まわした後でなければ、一歩も先へ進めないようにスッカリ癖づけられてしまったのであった……何故なぜそこに立佇まっているのか、自分自身でも解らないままに、暗い暗い、さびしい淋しい気持ちになって、狃染なじみの深い石ころの形や、枕木の切口の恰好かっこうや、軌条の継目の間隔を、一つ一つにジーッと見守らなければ気が済まないのであった……………………。
「お父さん」
 というハッキリした声が聞こえたのは、ちょうど彼がそうしている時であった。
 彼はその声を聞くや否や、電気に打たれたようにハッと首を縮めた。無意識のうちに眼をシッカリと閉じながら、肩をすぼめて固くなったが、やがて又、静かに眼を見開いて、オズオズと左手の高い処を見上げた。さびしい霜枯しもがれの草におおわれた赤土の斜面と、その上に立っている小さな、黒い人影を予想しながら……。
 ところが現在、彼の眼の前に展開している堀割の内側は、そんな予想と丸で違った光景をあらわしていた。見渡す限り草も木も、燃え立つような若緑に蔽われていて、色とりどりの春の花が、巨大な左右の土の斜面の上を、てしもなく群がり輝やき、流れただよい、乱れ咲いていた。線路の向うの自分の家を包む山の斜面の中程には、散り残った山桜が白々と重なり合っていた。うららかに晴れ静まった青空には、洋紅色ローズマダーの幻覚をほのめかす白い雲がほのぼのとゆらめき渡って、遠く近くに呼びかわす雲雀ひばりの声や、頬白ほおじろの声さえもなごやかであった。
 ……その中のどこにも吾児わがこらしい声は聞こえない……どこの物蔭にも太郎らしい姿は発見されない……全く意外千万なぶしさと、華やかさに満ち満ちた世界のまん中に、昔のまんまの見窄みすぼらしい彼自身の姿を、タッタ一つポツネンと発見した彼……。
 ……彼がその時に、どんなに奇妙な声を立てて泣き出したか……それから、どんなに正体もなく泣きれつつ線路の上をよろめいて、山の中の一軒屋へ帰って行ったか……そうして自分のうちに帰り着くや否や、箪笥たんすの上に飾ってある妻子の位牌いはいの前にいずりまわり、転がりまわりつつ、どんなに大きな声をあげて泣き崩れたか……心ゆくまで泣いてはび、あやまっては慟哭どうこくしたか……。そうしてしばらくしてからヤット正気付いた彼が、見る人も、聞く人も無い一軒屋の中で、そうしている自分の恰好の見っともなさを、気付き過ぎる程気付きながらも、ちっとも恥かしいと思わなかったばかりでなく、もっともっと自分を恥かしめ、さいなみ苦しめてくれ……というように、白木しらきの位牌を二つながら抱き締めて、どんなにほおずりをして、接吻せっぷんしつつ、あこがれ歎いたことか……。
「……おお……キセ子……キセ子……俺が悪かった。重々悪かった。堪忍かんにん……堪忍してくれ……おおっ。太郎……太郎太郎。お父さんが……お父さんが悪かった。モウ……もう決して、お父さんは線路を通りません……通りません。……カ……堪忍して……堪忍して下さアアア――イ……」
 と声のれるほど繰返し繰返し叫び続けたことか……。

 彼は依然として枯木林の間のしもの線路を渡りつづけながら、その時の自分の姿をマザマザと眼の前に凝視した。そのまぶたの内側がおのずと熱くなって、何ともいえない息苦しいかたまりが、咽喉のどの奥から、鼻の穴の奥の方へギクギクとコミ上げて来るのを自覚しながら……。
「……アッハッハ……」
 と不意に足の下で笑う声がしたので、彼は飛び上らむばかりに驚いた。思わず二三歩走り出しながらギックリと立ちまって、汗ばんだひたいで上げつつ線路の前後を大急ぎで見まわしたが、勿論、そこいらに人間が寝ている筈は無かった。薄霜を帯びた枕木とれたレールの連続が、やはり白い霜をかぶったこいしの大群の上に重なり合っているばかりであった。
 彼の左右には相も変らぬ枯木林が、奥もわからぬ程立ち並んで、黄色く光る曇り日の下に灰色のこずえを煙らせていた。そうしてその間をモウすこし行くと、見晴らしのいい高い線路に出る白い標識柱レベルの前にピッタリと立佇たちどまっている彼自身を発見したのであった。
「……シマッタ……」
 と彼はその時口の中でつぶやいた。……あれだけ位牌いはいの前で誓ったのに……済まない事をした……と心の中で思っても見た。けれども最早もはや取返しの付かない処まで来ている事に気が付くと、シッカリと奥歯をみ締めて眼を閉じた。
 それから彼は又も、片手をソッと額に当てながら今一度、背後うしろを振り返ってみた。ここまで伝って来た線路の光景と、今まで考え続けて来た事柄を、逆にさかのぼって考え出そうと努力した。あれだけ真剣に誓い固めた約束を、それから一年近くも過ぎ去った今朝けさに限って、こんなに訳もなく破ってしまったそのそもそもの発端の動機を思い出そうと焦燥あせったが、しかし、それはモウ十年も昔の事のように彼の記憶から遠ざかっていて、どこをドンナ風に歩いて来たか……いつの間に帽子を後ろ向きにかぶり換えたか……鞄を右手に持ち直したかという事すら考え出すことが出来なかった。ただズット以前の習慣通りに、鞄を持ち換え持ち換え線路を伝って、ここまで来たに違い無い事が推測されるだけであった。…………しかしその代りに、たった今ダシヌケに足の下で笑ったものの正体が彼自身にわかりかけたように思ったので、自分の背後うしろの枕木の一つ一つを念を入れて踏み付けながら引返し初めた。すると間もなく彼の立佇たちどまっていた処から四五本目の、古い枕木の一方が、彼の体重を支えかねてグイグイと砂利ざりの中へ傾き込んだ。その拍子に他の一端が持ち上って軌条の下縁とスレ合いながら……ガガガ……と音を立てたのであった。
 彼はその音を聞くと同時に、タッタ今の笑い声の正体がわかったので、ホッと安心して溜息ためいきいた。それにつれて気がゆるんだらしく、頭の毛が一本一本ザワザワザワとして、身体からだ中にゾヨゾヨと鳥肌が出来かかったが、彼はそれを打消すように肩を強くゆすり上げた。黒い鞄を二三度左右に持ち換えて、切れるようにめたくなった耳朶みみたぼをコスリまわした。それから鼻息のつゆれた胡麻塩髯ごましおひげでまわして、ゆがみかけた釣鐘マントのえりをゆすり直すと、又も、スタスタと学校の方へ線路を伝い初めた。いつも踏切の近くで出会う下りの石炭列車が、モウ来る時分だと思い思い、何度も何度も背後うしろを振り返りながら……。

 彼は、それから間もなく、今までの悲しい思出おもいでからキレイに切り離されて、好きな数学の事ばかりを考えながら歩いていた。彼自身にとって最も幸福な、数学ずくめの冥想めいそうの中へグングンと深入りして行った。
 彼の眼には、彼の足の下に後から後から現われて来る線路の枕木の間ごとに変化して行く礫石バラスの群れの特徴が、ずっと前に研究しかけたまま忘れかけている函数論や、プロバビリチーの証明そのもののように見えて来た。彼は又、枕木と軌条が擦れ合った振動が、人間の笑い声に聞こえて来るまでの錯覚作用を、数理的に説明すべく、しきりに考え廻わしてみた。それは何の不思議もない簡単な出来事で、考えるさえ馬鹿馬鹿しい事実であったが、しかしその簡単な枕木の振動の音波が人間の鼓膜に伝わって、脳髄に反射されて、全身の神経に伝わって、肌を粟立あわだたせるまでの経路を考えて来ると、最早もはや、数理的な頭ではカイモク見当の付けようの無い神秘作用みたようなものになって行くのが、重ね重ね腹が立って仕様がなかった。人間が機関車に正面すると、ちょうどへび魅入みいられたかえるのように動けなくなって、そのまま、き殺されてしまうのも、やはり脳髄の神秘作用に違い無いのだが……。一体脳髄の反射作用と、意識作用との間にはドンナ数理的な機構の区別が在るのだろう……。
 ……突然……彼の眼の前を白いものがスーッと横切ったので、彼は何の気もなく眼をあげてみた。……今頃白いちょうが居るか知らんと不思議に思いながら……けれどもそこいらには蝶々らしいものは愚か、白いものすら見えなかった。
 彼はその時に高い、見晴らしのいい線路の上に来ていた。
 彼の視線のはるか向うには、線路と一直線に並行して横たわっている国道と、その上に重なり合って並んでいる部落の家々が見えた。それは彼が昔から見慣れている風景に違い無いのであったが、今朝けさはどうした事かその風景がソックリそのまんまに、数学の思索の中に浮き出て来る異常なフラッシュバックの感じに変化しているように思われた。その景色の中の家や、立木や、はたけや、電柱が、数学の中に使われる文字や符号……[#ここから横組み]√,=,0,∞,KLM,XYZ,αβγ,θω,π[#ここで横組み終わり]……なんどに変化して、三角函数が展開されたように……高次方程式のこんが求められた時の複雑な分数式のように……薄黄色い雲の下に神秘的なハレーションを起しつつ、てしもなく輝やき並んでいた。かたに表わす事の出来ないイマジナリー・ナンバーや、無理数や、循環じゅんかん少数なぞを数限りなく含んで……。
 彼は、彼を取巻く野山のすべてが、あらゆる不合理と矛盾とを含んだ公式と方程式にみちみちている事を直覚した。そうして、それのすべてが彼を無言のうちにあざけり、おびやかしているかのような圧迫感に打たれつつ、又もガックリとうなだれて歩き出した。そうしてそのような非数理的な環境に対して反抗するかのように彼は、ソロソロと考え初めたのであった。
 ……俺は小さい時から数学の天才であった。

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