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焦点を合せる(フォカスをあわせる)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-10 10:13:13  点击:  切换到繁體中文

 イヤア。失敬失敬。李発リーファ君というのは君かい。九大法文科の二年生……ウンウン。麻雀マージャンを密輸入して学資にしているんだってね。ウム。感心感心。当世の若い人間は、ソレ位の意気が無くちゃ駄目だよ。ウンウン。僕は名刺を持たないが……。ハハア。ワン君から聞いて知っているか。成る程成る程。どうぞよろしく……ナニ。日本語がまずいから許してくれ。ナアニ。よく解るよ。それ位出来れあ沢山だよ。……ヤ……ドッコイショ……と……ああ忙しかった。どうだい葉巻を一本……何だらないのか。それじゃ僕だけ失敬する。
 ちょうど上海シャンハイを出る間際に王君の店から電話がかかって、君の事を頼んで来たからね。とりあえず僕の船室ケビンに案内するように命じておいたんだが……ドウかね。気に入ったかね僕の部屋は……もっとも気に入らないたって、これより立派な部屋が無いんだから仕方がないがね。ハハハハ……この船は荷物船カーゴボートだから、サルーンなんて気の利いたものは無いんだ。つまり荷物がお客様なんだから、人間の方が虐待されるんだ。堂々たる海牛丸、二千五百トンの機関長が、コンナ部屋にかがまっているんだから推して知るべしだろう。ハハハ……迷惑だろうが長崎に着くまで、僕の寝台ベッドに寝てくれ給え。ナアニ僕は滅多めったにこの部屋で寝ないんだ。機関室の隅ッコにモウ一つ仕事部屋があるからね。毛布も枕もそこに置いて在るんだ。君のは今持って来さすからね。書物は無いが雑誌の古いのなら在る。持って来させようか。
 ウンウン。
 実は早く君の様子を見に来ようと思ったけれども、水先案内パイロの野郎が乗っているうちは、機関室しごとの方が、忙しいのでね。おまけに今日の奴は知らない奴だったが、新米しんまいと見えて、矢鱈やたらに小面倒な文句ばかり並べやがったもんだからね。ナアニ、ここいらの水先案内パイロテージなら、こっちが教えてやりたい位なんだが、新米でも何でも、水先を乗せるのが規則なんだから仕方がない。やっと今さっき水蒸汽ランチで引上げて行きやがった。君見たろう……ウン……。もうこっちのもんだ。エコノミカル・スピードでブラリブラリと長崎へ着いて、ダンブロの荷物をタタキ上げれあ、後は南洋まわりと相場がきまっている。こう排日が非道ひどくちゃ、荷物一つ動かないからね。ナアニ。済まない事があるものか。コンナ船に乗ったら、ソンナ小面倒こめんどうな気兼ねは一切御無用だよ。国際的なルンペンぶねだからね。金儲けなら支那軍に売渡す鉄砲でも積込むんだ。怖いのは南支那海の三角波だけだよ。ハハハハ……。ナニ? 船賃? そんなもなあ要らないよ。王君がそう云やあしなかったかい。ウン。云ったけど気の毒だ。馬鹿な。納めるんなら十や二十のはしがねじゃ駄目だよ。勿体もったいなくも麻雀の密輸入じゃないか。百や二百じゃ承知しないぜ……ナニ……それじゃ算盤そろばんに合わない。それ見ろ、ハッハッハ。僕の好意で乗せてってやるんだ。他ならぬ王君の頼みだからね。上陸してからふぐでもおごり給え。それで沢山だ。ハハハ。お礼には及ばないよ。
 それよりもドウだね。一つ機関室を見に来ないか。君と話しながら仕事をしよう。何も話の種だ。ホントウのドン底の地獄生活というのは、コンナ襤褸船ぼろふねの機関室だってことを、世間ではあまり知らないだろう。船底一枚下は地獄とか何とか云うけど、地獄の上に浮いた地獄があるなんて事は、船乗り以外には誰も知らない筈だからね。もっとも知られた日にはコチトラの首が百あっても足りないがね。ハハハ。何も怖いことはないよ。閻魔えんま大王の僕が御案内するんだから……。
 ナニ……この部屋かい。大丈夫だよ。この鍵を預けとくからキチンと掛けておき給え。鍵は君が持っていた方が便利だろう。部屋を出るたんびに締りをしとく事だ。船員なんてな泥棒みたいな奴ばかりだからね……そのかばんは寝台の下にブチ込んでおき給え。ウン。鍵を掛けて封印して在るね。それなら大丈夫だ。中味の麻雀が船員に見付かると五月蠅うるさいからね。何とかカンとか云やがって、一杯飲ませなけあ納まらないんだ。
 ……こっちへ来たまえ。外はモウ涼しいね。二百廿日も無事平穏か……サッキの小蒸汽の煙がまだ見えてるぜ。引潮時だもんだから港口で流されているんだ。君には見えない。成る程。その眼鏡は紫外線けかね。イヤに黒いじゃないか。そいつをれば見えるだろう。……見えないかい。慣れないせいだよ。船乗りになると遠い処の方がハッキリ見えるんだからね。アハハ。ヨタじゃないよ。
 一体君はどうしてワン君と識合しりあいになったんだい。ドウセお楽しみ筋だったのだろう。ハハハ。ナニそうじゃない。両替をするつもりで王君のレストランへ這入はいった。ウム。あすこのビフテキは安くて美味うまいからね。国際的に評判がいいんだ。ああそうか。君は初めてだったのか。這入ってみて立派なのに驚いた。当り前だ。あれ位の店はマルセールあたりにもチョット無いよ。表口はお粗末だがね。それよりも綺麗な女が大勢居たろう。ウン。引っかけてみたかい。ハハハハ。引っかけてみれあよかったのに。昼間だって構うものか。高級船員が行く処だからね。地階に立派な設備が出来ているんだ。技巧アーチーなら上海一だって云うぜ。僕はあすこの常連なんだ。五六百両借りがあるがね。王君は大きいから千両位まで貸すよ。尤も女に馴染なじみが出来なくちゃ駄目だがね。ハッハッ。チョット失敬して便所へ行って来る。君もつき合うか……。
 ウン……そんな事は全く知らなかったのか。無理もないね。ウンウン、麻雀買いの手筋なら何でも知っている。……この頃は蘇州そしゅうへ行って自分で指図をして日本人向きに彫らせる。……上海のはいけないのかい。フウン。彫りは派手だけれどもパイの出来は蘇州の方がいい……フウン。支那人と日本人の好みが違うかね。僕はカラッキシ素人しろうとなんだが。フウン。あの団子みたいな模様と、鳥の恰好が、特に日本人は八釜やかましい。そんなものかねえ。成る程。……日本内地では麻雀賭博が流行はやり出したかね。そんで密輸入の上物じょうものが売れ出した。つまり日本の麻雀が本格になりかけているんだね。今に支那式のルールが復活する……そうかねえ。とにかく面白いもんらしいね。ウンウン。それで蘇州へ行って麻雀を買い込んだ。ウンウン。帰りに小銭こぜにが無くなったから切るつもりで、王君のレストランへ偶然に這入った。料理を一皿註文して珈琲コーヒーを飲んでいたら……酒は駄目なのかい君あ……そいつは話せんねえ。ダイナジンて奴を一杯御馳走しようと思っていたんだが。ジンの中へダイナマイト……つまりニトログリセリンが割ってあるんだ。トテモいい心持ちに酔うからね。ケープタウンで作り方をおそわったんだが。……ウンウン。そこで珈琲を飲んでいたら女が大勢タカって来た。フフン。君はナカナカシャンだからなあ。おまけに貴公子然としているからなあ。ハッハッ。御愛想じゃないよ。ウン。それでどうした。無理矢理に奥へ引っぱり込まれた。アハハハ。上玉じょうだまと見られたな。そこへ王君が出て来て最高級の御挨拶をした。アッハッハッハ。コイツは大笑いだ。王公ワンこう一代の傑作だろう。滅多めったにお客を見損なう男じゃないがなあ。それからどうした……。
 それから女どもを遠慮してもらって、王君と差向いになって事情を打ち明けたというのか。ポケットを裏返して見せた。ハッハッ。そんな事だろうと思った。正直だなあ君あ。ウンと飲んだり喰ったりしてから打明ければよかったに……ブチ殺されるもんか。王君はかえって御馳走をして帰すよ。脅喝に来た奴でも温柔おとなしくつまみ出すばかりだからね。だから評判がいいんだがね。ウンウン。それから王君が同情してこの船を教えてくれた。フ――ン。君の親孝行に同情して教えてくれた。重慶にお母さんを一人養っている……タッタそれだけの理由かい。本当の事を云ってみたまえ。隠したって駄目だよ。この次に王君に会えばわかるんだ。ナアニ、どこへも聞こえやしないよ。機械の音が八釜やかましいから……ナニイ……何だって……。
 ハハハ。ナアル程。そこで王君は大学をやめて、レストランのボーイになれって君に勧めたア?……アッハッハこいつあイヨイヨ傑作だ。二階の婦人専門のサルーンに出れば、最低千円のチップは請合うと云うのか。いかにも読めたわい。王公一目で君のスタイルに参ったんだね。学生にしちゃスマート過ぎるからな。そこで都合よく奥に引っぱり込んだんだ。やっぱり王公は眼がたけえや。ハハハハ。今度上海シャンハイへ来たら是非モウ一度寄ってくれって?……ナカナカ執念深いな。……ナニ……今のチップの千円問題は僕に云っちゃいけないって? ハハハ馬鹿にしてやがら。僕の俸給と桁違けたちがいだもんだからソンナ事を云うんだ。行き届いた男だが、しかし中華人一流の要らざる心配だよ。まさか僕が雇われに行けあしめえし。ハッハッハッハッ……。
 サア来た。……ここが機関室だ。この垂直の鉄梯子てつばしごを降りるんだ。油でヌラヌラしているから気を付け給え。落ちたらコッパ微塵みじんだよ。ウンなかなか君は身が軽いね。運動をやっているんだね。スキーにダンスか。そいつあモダンだ。女が惚れる筈だ。オット危ない……。
 こっちへ来たまえ。……聞えないかい。オイオイ。こっちへ来たまえったら。このベルトにさわらないように気を付けたまえ。
 これが僕の仕事部屋だ。この椅子に掛け給え。アットット……。濡れてたかい。イヤ失敬失敬。暗いからわからなかった。茶瓶ちゃびんか何かそこへ置きやがったな。オヤオヤ。お尻がビショビショになっちゃったね。アッハハ。茶粕ちゃかすが付いてらあ。仕方がない。この鉄椅子に掛け給え。そのうちに乾くだろう。……見たまえ。ちょうどマン中の汽鑵ボイラーが真正面に見えるだろう。忙しくなるとこの部屋に来て仕事をにらむんだ。時化しけの時なんぞは一週間位寝ない事があるんだぜ。
 オーイ。誰か来い。……聞こえないか……君はチョットその呼鈴ベルを押してくれたまえ。……何だボン州か。ウン。コック部屋に行って珈琲と菓子を貰って来い。普通のじゃ駄目だぞ。船長おやじが上海で買込んだ奴があるんだ。コック部屋に無けあ船長室に在る筈だ。そいつをぱらって来い。なぐられるもんか。愚図愚図ぐずぐずかしたら俺が命令いいつけたと云え。船長おやじには貸しがあるんだ。……行って来い……。
 ……どうだい。機関室ってものは這入ってみると存外荒っぽいだろう。聞えるかい。僕の云う事が。きこえる……ウン……ボン州ってな綽名あだなだよ。……仏蘭西フランス語の挨拶かと思った?……アハハハ大笑いだ。あの垂直の鉄梯子を降りたら、ドンナ人間でも本名が無くなるんだ。地獄の一丁目だからね。みんな戒名かいみょうで呼び合うのが習慣になっているんだ。銀行泥棒上りが銀州、強盗前科が腕公わんこう、女殺しがエテ公、凡クラがボン州……モウ暫くすると君だって戒名を附けられるかも知れない。黒眼鏡とか何とかね。ハッハッハ……ナアニ。みんなここへ来れあ年季を入れるんだよ。何でも白状しちまうんだ。娑婆しゃばへ出れあ寿命の無い奴ばかりだからね。首と釣り換えで働きますという意味で、綺麗きれいサッパリと白状しちまうんだ。だから僕の事を閻魔えんま様と云うんだ。がそんな奴でないと、イザとなった時にタタキまわしが利かないから妙だよ。……見たまえ。あれが最旧式の宮原式ボイラーなんだ。二三十年前に出来た骨董品だが、博物館あたりへ寄附しても相当喜ぶシロモノだよ。ハッハッ。ナアニ大丈夫だよ。爆発なんかしないよ。出来は古いがガッチリしているからね。安全弁があんなに白いスチームを吐いているだろう……ブーブーいってるのが聞えるかい。ウン……見えるけど聞えない……慣れないからだよ。
 アッ……ふたけた。まぶしいだろう。

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