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帰つてから(かえってから)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-22 10:07:42  点击:  切换到繁體中文

 浜松とか静岡とか、此方こちらへ来ては山北とか、国府津とか、停車する度に呼ばれるのを聞いても、疲労し切つた身体からだを持つた鏡子かねこの鈍い神経には格別の感じも与へなかつたのであつたが、平沼ひらぬまと聞いた時にはほのかに心のときめくのを覚えた。それは丁度ポウトサイド、コロンボと過ぎて新嘉坡しんがぽうるに船の着く前に、恋しい子供達の音信たよりが来て居るかも知れぬと云ふのぞみに心を引かれたのと一緒で自身のために此処こゝ迄来て居る身内のあるのを予期して居たからである。鏡子かねこつれは文榮堂書肆の主人の畑尾はたをと、鏡子の良人をつとしづかの甥で、鏡子よりは五つ六つ年下の荒木英也ひでやと云ふ文学士とである。畑尾は何かを聞いた英也に、
『ああさうです、さうです。此処こゝに来てゐるはずです。』
 と[#「と」は底本では「ど」]点頭うなづきながら云つて、つと立つて戸口をけて外へ出た、英也も続いて出て行つたらしい、白つぽいなが外套の裾が今目をよぎつたのはその人だらうと鏡子は身をよこたへた儘で思つて居た。目のなかばは氷を包んで額へ置いたタオルで塞がれて居るのである。
『あつ、ぼつちやんが来やはつた。』
 遠い所でかう云つた畑尾のこひ[#ルビの「こひ」はママ」が鏡子の耳に響いた。ほどばしるやうないきほひで涙の出て来たのはこれと同時であつた。暫くしてから氷に手を添へた心程こゝろほど身を起して気恥きはづかしさうに鏡子があたりを見廻した時、まだ新しい出迎人でむかへにんもとつれの二人も影は見えなかつた。国府津で一緒になつた新聞記者が二人向側むかふがはに腰を掛けて居るので、この人にはやまひのためにはなしが出来ないと断つてあるのであるから、急に元気いたらいやな気持をおこさせるに違ひないと思つて、起き上りたい身体からだその儘にしてじつとして居ると、いた戸口から寒い風がはいつて来た。
『これで安心致しました。真実ほんまにどうなつてはるのやろと心配したことでありませんでしたけれど。』
ぐ行つて下すつたので、船が一日早かつたにもかゝは[#「かゝは」は底本では「かゝら」]らず間に合つて結構でした。あなたもお疲れでせう。』
『どう致しまして、荒木さんも神戸迄来て下さいまして、それから又いて来てくれはつたのです。』
『さうですか、英也が。』
 列車の外できよしと畑尾とはこんな談話をして居たのである。
『やあ。』
『御機嫌よう。』
 と声を掛けたのを初めに、英也とすゑの叔父のきよしとは四五年ぶり身体からだをひたひたと寄せてなつかしげに語るのであつた。
ぼつちやん。何時に起きて来やはつたのです。』[#底本では「』」は脱落]
 二人の立つた傍を一廻りして、それから畑尾は滿みつるに話しかけた。[#底本には「』」があるが除いた]
『五時。』
 滿は元気よく云つた。
『五時、早いのだすなあ、外の坊ちやんやお嬢さんは新橋に来てはりますか。』
しん榮子えいこうちに居る。』
『外の方は来てはるのだすやろ。』
『どうだか。』
 と滿は小首こくびかしげて云ふ。
『それは来てはりますとも。』
『さう、畑尾さん。』
 滿は女の様なの声で云つた。
『嬉しいでせう、坊ちやん。』
『ふん、かあさんは何処どこに居るの、畑尾さん。』
 と滿は心配さうに云つた。
彼処あすこにおいでです。』
 と云つて、畑尾は二つ向ふの車を指差ゆびざした。
『嬉しいなあ、畑さん。』
 と滿は云つたが、其処そこへ飛び込んでかうともしないのである。
 もう待草臥まちくたびれたと云ふやうに鏡子が目をとぢて居る所へそのはいつて来て、汽車はぐ動き出した。
『お早くから難有ありがたう御座いました。留守の子供達もいろいろお世話になりまして難有ありがたう御座いました。御親切はきもに銘じてります。』
 鏡子は何時いつの間にかゆかに足が附いて居て、額にあつた氷は膝の上のたなごゝろに載つて居た。
『まあ御病気もたいした事でありませんで結構でした。もつとお弱りかと思ひましてね、案じてりましたのですが。』
 それから清は前に立つて微笑ほほゑみながら母を眺めて居る滿に、
『滿さん、御挨拶をしないの。』
 と優しく云つた。
母様かあさま、おかへり。』
 かう云つて滿は顔をぱつと赤くした。
『滿さん。』
 と云つた母の顔にもうつくしい血がのぼつた。滿はその向側むかふがはの畑尾の傍へ行つてしまつた。鏡子はまた横になつて[#「横になつて」は底本では「横になつ」]しまつた。
うちでもおてるさんが心配して居るらしいですわね、畑尾さんの所へ巴里パリイから来た手紙が余り大層に書いてあつたらしいですわね、さうだもんだから。』
 鏡子はあへぎあへぎ云つた。
『お静かにしていらしつたらどうです、お話はゆつくり伺ひますから。』
 見兼ねて清がさう云つた。
『ええ。』
 と黙頭うなづいて二三分も経つか経たぬに鏡子はまた、
『私ね、あなたも恨んだ事があつたのですよ。彼方あちらで帰りたくなつた時ね。あの!巴里パリイから来いと云つて来ました一番初めの手紙ね、あれが来た時丁度あなたが来ていらつしつて、その事を賛成遊ばしたから、私の心が間違ひ初めたのだなんか思つてね。』
 と前と同じ調子で話しだした。
『はあ、さうですか、ふふ、さうですか。』
 清は病院の見舞客のやうないたはり半分の返辞を続けて居た。
『滿を呼んで下さいな。』
 突然鏡子が云つた。
『滿さん、かあさんの所へ来なくちやあ。』
『なあに。』
 叔父さんは少し坐をけて滿を座らせた。
『皆新橋へ来るの。』
 鏡子は滿の手を取つた。
しんと榮子は来ないけれど。』
『あの人は来なくつてもい。ちさいのだから。』
 と云つて、鏡子はお前は自分の子の中で一番大きな大切な子であると確かめて知らせるやうな目附きで滿を見た。
瑞木みづき花木はなき此頃このごろ泣かなくつて。』
『どうだか、僕は学校へ行つてるからよく知らない。叔母さん僕は三番よ。』
『滿。なあに。』
『僕は三番なのよ。叔母さん、たかしは四番です。』
 滿が続けざまに云ひまちがひをして、そしてそれに少しも気が附かないで居るのが鏡子には悲しかつた。この時のはつめたい涙であつた。
ひでさん、北野丸を見て。』
 滿は向側むかふがは従兄いとこに話しかけた。
『ああ、見たよ。』
『アリヨルと何方どつちが大きい。』
『それは北野丸の方が大きいさ。』
 鏡子は我子の言葉から、春のすゑの薄寒い日の夕暮に日本の北の港を露西亜船ろしやぶねに乗つて離れた影の寂しい女をまぼろしに見て居た。その出立でたちの時に自分はもう此辺このへんからしみじみ帰りたかつたのだとも哀れに思ひ出される。新橋へ着く前に顔を洗ひたいと思つて居ることも実行がむづかしいやうでもあり、昨日きのふ北野丸で上げた儘で、そして夜通しもがき続けたのであるから髪も結ひ替へたいが出来さうにもない。こんなに何事にも力の尽きたやうな今のさまがみじめでならなくも思はれるのであつた。二人の記者は何時いつの間にか席に居なくなつた。畑尾と英也は手荷物の数を読んだり、これこれは配達させようなどと相談をしたりして居た。
 鏡子はもう幾ふんかののちせまつた瑞木や花木やたかしなどとの会見が目に描かれて、泣きたいやうな気分になつたのを、まぎらすやうに。
『私は苦しいのでね、まだ顔を洗はないのですよ。』
 清に話しかけた。
『なあに、宜しう御座いますよ。』
『あなたのところかほるさんや千枝子さんはどうしていらつしつて。』
 鏡子は弟の子の事を今迄念頭に置かなかつたやうに思はれはしないかと、かう云つたあとで少し顔を染めた。
『皆壮健たつしやります。』
『大きくおなりでしたらうね。』
 鏡子自身がかう云つた言葉のわざとらしいのに満足が出来なかつた。
『私は千枝子さんが真実ほんとうに好きなんですよ。』
 と云つて見たがこれも木に竹を継いだやうでいやに思はれた。[#「。」は底本では「、」]良人をつとの外に言葉の通じぬ世界の生活に続いて、船の中で部屋づきのボオイや給仕女に物を云ふ以外に会話らしい会話もせず三十八日居た自分は当分普通の話にも間の抜けた事を云ふのであらうとこれなども味気あぢきなく鏡子には思はれるのであつた。先刻さつきから銀の針で目の横を一寸ちよつと刺されたなら、出てもいと言はれた涙は流れに流れて、あの恐しいものだつた海と同じ程にもなるだらうとそんな感じが鏡子にするのであつたが、そのおさへて居ると云ふのは喜びに伴ふ悲哀でも[#ルビの「な」は底本では「なん」]んでもない、良人をつとと二人で子の傍へ帰つて来る事の出来なかつたのがあからままに悲しいのである。得難いものの様に思つて居た子を見る喜びと云ふものと楽々目前もくぜんに近づいて居るのを思ふと、それはもう何程のあたひある事とも鏡子には思へないのであらう。
『叔母さん。かあさん、もう新橋よ。』
 と云つて、滿が母の傍へ来た。
『もう参りました。』
 と清が云つた。
 鏡子は滿が想像してた程大きくなつて居なかつた事が実は嬉しくてならなかつたのであつたが、瑞木と花木はその割合よりも大きかつた。さうであるから悲しい涙がこぼれた。そして紫の銘仙のあはせの下に緋の紋羽二重の綿入わたいれの下着を着て、被布ひふは着けずにマントを着た姿を異様ななさけない姿に思はれた。
たかしは。』
 鏡子は前後を見廻してから云つた。
『健さん、何処どこに行つてるのでしよう。』
 お照は人に隔てられて一二けん先に立つて居た健の手を引いて来た。
『健。』
『うう、おかへり。』
 顔も声もこれは最も変つて居なかつた。鏡子は意識もなしに先刻さつきから時々その人に物を云つて居た黒目鏡めがねが南の夏子であることに漸く気が附いて来た。
『お変りなくつて、南さんもね。』
『南も参るので御座いますがね、どうしても出なければならない講義がありましてね、私ばかり参りましたの、[#「、」は底本では脱落]皆様がおほよろこびで大変で御座いましたの、奥様まあおめでたう御座います。』
 静かにではあるがかう続けざまに夏子は云つた。
一寸ちよつとお写真を取らして戴きます。』
 先刻さつき同車して来た記者は写真師をれて来た。
『困るわ、私まだ顔も洗はないのだから。』
 鏡子はお照に云ふともなく記者に云ふともなく云つて、夏子の肩に手を掛けて顔を蔭へ隠すやうにした。
『ねえ、かうしてね。』
 小声こごゑで云つた。
『困つてしまひますね。』
 夏子は写真師にきこえるやうな声で云つた。お照は鏡子のやつれた横顔を身もふるふ程寒く思つて見て居た。
 改札口の所には平井夫婦、外山とやま文学士などと云ふ鏡子の知合しりあひが来て居た、靜の弟子で株式取引所の書記をして居る大塚も来て居た。十年余り前に靜と鏡子が渋谷でしん世帯を持つた頃に逢つたり逢はない昔馴染なぢみ小原をはらも来て居た。鏡子の帰朝の不意だつたこと、ともかくも衰弱のすくなく見えるので嬉しいと云ふことなどが皆の口から出た。鏡子は自身でも歯がゆく思ふやうなぐずぐずした挨拶をして居たが、急に晴やかな声を出して、
『平井さんの小説が大層評判がいさうですね。』
 と云つた。
『此頃は無暗むやみに書きたいのですよ。』
 平井は微笑ほゝえみながら云つた。その人の妻は口を覆ふて笑ふて居た。
『車を持つて来させて御座います。』
 清は鏡子を車寄せの方へ導いて行つた。旅客りよかくは怪しむ様に目をこの三十女さんじうをんなに寄せた。
『滿がね、私の事を叔母さん叔母さんと間違へて云ふのですよ。』
 車に乗らうとして横に居た外山にかう云つた鏡子の言葉尻はおろおろと曇つて居た。
『ああ、さうですか。』
 外山は満面にゑみたゝへて云つて居た。瑞木が鏡子の前へ乗つた。花木も乗りたさうな顔をして居たのであつたがうしろの叔母の車に居た。瑞木を膝に乗せた車が麹町へあがつてく。こんな空想を西洋に居た時に何度鏡子はした事か知れない。滿、瑞木、健、花木、晨、榮子と云ふ順に気にかゝるとは何時いつも鏡子が良人をつとに云つて居た事で、瑞木は双子ふたごの妹になつて居るのであるが、身体からだも大きいし、脳の発達も早くからすぐれて居たから両親には長女として思はれて居るのである。容貌きれうい。赤ん坊の時から二人の女中が瑞木の方を抱きたいと云つて喧嘩をしたりなどもした。鏡子はまた子供の中で自身の通りの目をしたのは瑞木だけであると思ふから、永久と云ふ相続さるゝ生命は明らさまに瑞木に宿つて居るやうにも思ふのである。どうしても今日けふ母に抱かれる初めの人は瑞木でなければならないのであつた。
『お悧口りこうにして居た。』
 むすめの顔を上からのぞき込んで鏡子が云つた。
『ええ。』
 瑞木は不安らしくかう云つたのである。大きい目には涙がたまつて居る。それを見ると鏡子も悲しくなつて来た。汽車から持つて出た氷を包んだタオルはこの時まだ大事さうに鏡子の手に持たれて居たので、指ににじむそのしづくつめたく思つたのは十月のすゑの日比谷の寂しい木立の中を車の進む時であつた。
にいさん、おとう様の帰る時は僕も神戸へ行くよ。』
れて行つて上げるよ。』
にいさんにれて行つて貰はないでもかあさんとくのだよ。』
『ぢやあきなさいよ。僕なんかもうこれから君と一緒に学校へかない。何時いつでも先行つちまふからい。』
『いやあ、にいさん。』
『およしなさいよ。ぎやあの大将。』
 二番目の車に居る二人は三宅阪をまがる時にこんな争ひをして居た。麹町のとほりから市ケ谷へ附いた新開の道を通る時、鏡子は立つ前の一月ひとつき程この道を通つて湯屋へ子供達をれて行く度に、やがて来る日の悲しさが思はれて胸がいつぱいになつた事などの思ひ出が氷のしづくと同じやうに心からしみ出すのを覚えた。その事を云つて巴里パリイでかこつた相手の事も思ひ出される。車屋の角をまがるともう美阪家みさかけの勝手の門が見えた。
『ををばあさあん。』
 と大きい声で云つて居るのが塀しにきこえた。同じ節で同じ事を云ふ低い声もきこえる。大きいのが女の子の声で低いのが男の子の声である。この刹那せつなに鏡子はお照から来た何時いつかの手紙にも榮が可愛くなつたとばかり書いてあつて、[#「、」は底本では「。」]ついぞ晨の事の無かつたのと、自身が抱かうとするとりかへつて、
『いやだあい。』
 と幾度も繰り返した榮子の気の強さを思つて、その子が叔母の愛の前に幅をひろげて晨は陰の者になつて居るのではないかと胸がとゞろいた。早く晨を抱いて遣らねばならないと思はず鏡子の身体からだは前へ出た。
『おかへりい。』
 門の戸は重い音を立てゝけられた。瑞木を車夫が下へおろすのと一緒に鏡子はころぶやうにして門をくゞつた。

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