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新婦人協会の請願運動(しんふじんきょうかいのせいがんうんどう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-22 10:19:09  点击:  切换到繁體中文


 私の体験を根拠としていえば、恋愛は高く遙かに政治や、法律や、科学や、論理の彼方かなたにあります。熱愛する一対の男女の中に健康診断書の有無が何であろうぞ。あるいは法律に由って恋愛の完成を擁護されることはあっても、如何なる場合にも恋愛が法律に由って拒まるべき性質のものではありません。平塚さんたちが花柳病と恋愛とを相殺されるほど、恋愛について浅薄な考を持たれると思われませんから、恐らくこの請願は、恋愛を無視した因習的結婚を認容した範囲において提出されるものであろうと想像する次第です。そうであるなら、この請願は平塚さんや私たちの恋愛結婚の主張と矛盾して、非常に妥協的なものとなります。この点はどう考えたら好いのでしょうか。
 それから、私の今一つの疑問は、結婚について法律上の形式を無用視し、法律に由って保障される結婚の外に立って「共同生活」の名称の下に恋愛結婚を実現する自由な男女関係と、この請願とが如何にして融和されるかということです。昔からある内縁の夫婦と称する男女関係についてもどう調和されるのでしょうか。現に平塚さん自身が「共同生活」の実行者であって、久しく戸籍上及び民法上の旧式な夫婦生活から解放されておられるのですが、今に及んでこの請願を提出されることは法律の保障する旧式な結婚生活へ逆戻りされることになるように思われますが、どうでしょう。それとも、平塚さん御夫婦だけは「共同生活」の中に立てこもって、一般の男女には恋愛を基礎条件とせずに、健康診断書を重要条件とする法律的結婚に保障されよといわれるのでしょうか。もし反対に、天下の男女が法律的の拘束をうるさがって続々と「共同生活」や内縁の夫婦を実行するに到ったら、平塚さんたちの要求される法律は無用の贅物ぜいぶつとなりはしないでしょうか。私は平塚さんがその自家の「共同生活」を第一に現行法に由って改造しないで置いて、「共同生活」と矛盾した法律的結婚の請願者となられたことを異様に感じます。
 以上の如く考えて来ると、花柳病の予防及び絶滅と結婚とを一つに組み合わして問題とされたことが、失礼ながら平塚さんたちの間違まちがいでなかったかと思います。花柳病の害毒から、ただに家庭婦人と家庭男子とばかりでなく、一切の男女を保護せねばならない事は、文化生活の一条件として今更論ずるまでもないことですが、その実行に到っては別に適当な機会と適当な方法とがあります。平塚さんたちも早くそれを承知されていて、「しかしこれは今述べたような花柳病の一般的取締でなく、むしろその中のほんの一部分に限られています」と明言されているのですが、私は「ほんの一部分」である所のこの請願を以て余計なことだと考えます。花柳病の一部分的取締のために、強いてこれを遂行しようとすれば、前述のようにいろいろの矛盾が生じます。
 殊に私は、結婚については恋愛のみを主として考えたい。殺風景な花柳病などを問題としたく思いません。一概に臭い物にふたをせよと言うのでなく、臭い物は別に始末すれば宜ろしい。美くしい芸術品などの前ではそれを考えたくないと思うのです。こういえば詩人の空想だとわらう人たちがあるかも知れませんが、芸術気質と共に科学気質をも尊重する私は、花柳病の取締は取締で別に出来るだけ厳正であることを望みますが、それを結婚と結び附けることには、私の芸術気質が反対します。健康診断書の有無に由って恋愛の破壊を強制されねばならないような極端な程度にまで何事をも法治国化したくありません。平塚さんたちは欧米の新しい法律をいくつも挙げて花柳病に関する結婚の制限を示されていますが、私たちの恋愛結婚の理想と矛盾しているものである限り、それらの先例が世界の法律に幾百あろうとも、私たちの生活を規制するものとしては到底採用の出来ないものだと思います。
 法律は生活の一部であって、しかもそれが存在の理由としては全体を生かすものでなければなりません。しかるに平塚さんたちの予想される法律は反対に全体を殺す恐れがあります。即ちその法律の一撃で私たちの恋愛は死なねばなりません。
 私たちが芸術思想に由って香味づけられたなつかしい生活を、生活の各部において要求しているのに対し、職業に就くには卒業証書、教育者となるには検定免状、俳優には鑑札、正倉院の拝観には高等官の資格証明書、病院へ行くには診療券、汽車、電車、乗合自動車に乗るには乗車券、買物には廉売券、そうして結婚には花柳病の診断書、こうまで事ごとにせちがらく物質化されねばならない生活を殺風景だと思います。
 今年の元旦の『大阪朝日』に笠原かさはら医学博士が前野良沢まえのりょうたくとゲエテとの事を書かれた美しい一文を読むと、良沢が明和八年四月四日に千住せんじゅ骨ヶ原こつがはら杉田玄白すぎたげんぱく中川淳庵なかがわじゅんあんと、婦人の死屍ししの解剖に立会い、その実験に由って、四年の後の安永三年に、日本で初めて系統的に記載された医書『解体新書』が良沢と玄白との苦心の結果、世の中に公にされた事を叙し、更に博士はそれと対照してワイマルのイルム川のほとりに流れ寄った美くしい少女の死屍を前にして、二人の男が大きな解剖刀を執って何か争っている。老人の方はストラスブルグの大学の解剖学教授ロオブスタイン博士であり、若い男の方はまだ当時医学生であった青年のゲエテである。白いひげの目立つ、黒い上衣を著けた老人は、金髪の少女の死屍の解剖をしきりに若い男に勧めた。白い襟巻えりまきのようなものをぐるぐると首に巻き、空色の長い上衣を著て、半袴はんばかま穿いた、眼の非常に大きい男は、頭を振って「こんなに美しい少女の肉体を、たとい学術上どれだけの利益があるにせよ、支離滅裂にするのは、丁度美くしい宝石を砕くようなものだ」と頑固に抗弁していたが、老人もついには若い男の説をれて解剖刀を捨て、二人ともひざまずいて少女の死屍に祈祷きとうを捧げたという光景を叙して、最後に博士が「美を尊重するゲエテの心持も、真実に対する敬虔けいけんな良沢の心持も、同じように心に受け入れることの出来る科学者は、世界中で一番幸福なものであろう」と結ばれたのを私は非常に嬉しく感じました。科学者のみならず、すべての文化民族の生活が円満に開展して行くには、こういう両様の心持が体験されなければなりません。私は新婦人協会を初め、我国の婦人運動の先駆者たちが、一生涯純粋な恋愛にも触発されず、高雅な芸術にも浸染されない欧米の不幸な女権主義の独身婦人や基督教婦人の偏狭な心持から出た言動に範を取って、最も自由でなければならない熱情の生活、人間創造の生活までを、国家化し、法律化し、科学化し、論理化し、形式化するような、粗野な行動に偏倚へんいされないことを祈ります。
 平塚さんたちは、その請願趣旨に附記して、これに反対の人たちは、参考のためにその理由を述べるようにと望まれています。それで私は以上の反対理由を順序もなく書き並べて見ました。私一人が反対したからといって、有力な人たちの後援される協会の勇しいスタアトには何の差支さしつかえにもなるまいと思いますから、遠慮せずに書きました。(一九二〇年二月)

(『太陽』一九二〇年二月)





底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年8月16日初版発行
   1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「女人創造」白水社
   1920(大正9)年5月初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年5月14日作成
2003年5月18日修正
青空文庫ファイル:
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