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みなかみ紀行(みなかみきこう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 8:28:45  点击:  切换到繁體中文


 十月廿一日
 朝、縁に腰かけて草鞋を穿いてゐても誰一人聲をかける者もなかつた。帳場から見て見ぬ振である。もつとも私も一錢をも置かなかつた。旅といへば樂しいもの難有いものと思ひ込んでゐる私は出來るだけその心を深く味はひたいために不自由の中から大抵の處では多少の心づけを帳場なり召使たちなりに渡さずに出た事はないのだが、斯うまでも挑戰状態で出て來られると、さういふ事をしてゐる心の餘裕がなかつたのである。
 面白いのは犬であつた。草鞋を穿いてゐるツイ側に三疋の仔犬を連れた大きな犬が遊んでゐた。そしてその仔犬たちは私の手許にとんで來てじやれついた。頭を撫でてやつてゐると親犬までやつて來て私の額や頬に身體をすりつける。やがて立ち上つて門さきを出離れ、何の氣なくうしろを振返ると、その大きな犬が私のうしろについて歩いてゐる。仔犬も門の處まで出ては來たがそれからはよう來ぬらしく、尾を振りながらぴつたり三疋引き添うてこちらを見て立つてゐる。
「犬は犬好きの人を知つてるといふが、ほんたうですね。」
と、幾度追つても私の側を離れない犬を見ながらK―君が言つた。
「とんだ見送がついた、この方がよつぽど正直かも知れない。」
 私も笑ひながら犬を撫でて、
「少し旅を貪り過ぎた形があるネ、無理をして此處まで來ないで澤渡にあのまゝ泊つておけば昨夜の不愉快は知らずに過ごせたものを……。」
「それにしても昨夜はひどかつたですネ、あんな目に私初めて遭ひました。」
「さうかネ、僕なんか玄關拂を喰つた事もあるにはあるが……、然しあれは丁度いま此の土地の氣風を表はしてゐるのかも知れない。ソレ上州には伊香保があり草津があるでせう、それに近頃よく四萬しま々々といふ樣になつたものだから四萬先生すつかり草津伊香保と肩を竝べ得たつもりになつて鼻息が荒い傾向があるのだらうと思ふ。謂はゞ一種の成金氣分だネ。」
「さう云へば彼處の湯に入つてる客たちだつてそんな奴ばかりでしたよ、長距離電話の利く處に行つていたんぢやア入湯の氣持はせぬ、朝晩は何だ彼だとかゝつて來てうるさくて仕樣がない、なんて。」
「とにかく幻滅だつた、僕は四萬と聞くとずつと溪間の、靜かなおちついた處とばかり思つてゐたんだが……ソレ僕の友人のS―ネ、あれがこの吾妻郡の生れなんだ、だから彼からもよくその樣に聞いてゐたし……、惜しい事をした。」
 路には霜が深かつた。峰から辷つた朝日の光が溪間の紅葉に映つて、次第にまた濁りのない旅心地になつて來た。そして石を投げて辛うじて犬をば追ひ返した。不思議さうに立つて見てゐたが、やがて尾を垂れて歸つて行つた。
 十一時前中之條着、折よく電車の出る處だつたので直ぐ乘車、日に輝いた吾妻川に沿うて走る。この川は數日前に嬬戀つまこひ村の宿屋の窓から雨の中に佗しく眺めた溪流のすゑであるのだ。澁川に正午に着いた。東京行沼田行とそれ/″\の時間を調べておいて驛前の小料理屋に入つた。此處で別れてK―君は東京へ歸り私は沼田の方へ入り込むのである。
 看板に出てゐた川魚は何も無かつた。鷄をとり、うどんをとつて別杯を擧げた。輕井澤での不圖した言葉がもとになつて思ひも寄らぬ處を兩人ふたりして歩いて來たのだ。時間から云へば僅かだが、何だか遠く幾山河を越えて來た樣なおもひが、盃の重なるにつれて湧いて來た。午後三時、私の方が十分間早く發車する事になつた。手を握つて別れる。
 澁川から沼田まで、不思議な形をした電車が利根川に沿うて走るのである。その電車が二度ほども長い停電をしたりして、沼田町に着いたのは七時半であつた。指さきなど、痛むまでに寒かつた。電車から降りると直ぐ郵便局に行き、留め置になつてゐた郵便物を受取つた。局の事務員が顏を出して、今夜何處へ泊るかと訊く。變に思ひながら澁川で聞いて來た宿屋の名を思ひ出して、その旨を答へると、さうですかと小さな窓を閉めた。
 宿屋の名は鳴瀧と云つた。風呂から出て一二杯飮みかけてゐると、來客だといふ。郵便局の人かと訊くと、さうではないといふ。不思議に思ひながらも餘りに疲れてゐたので、明朝來て呉れと斷つた。實際K―君と別れてから急に私は烈しい疲勞を覺えてゐたのだ。然し矢張り氣が濟まぬので自分で玄關まで出て呼び留めて部屋に招じた。四人連の青年たちであつた。矢張り郵便局からの通知で、私の此處にゐるのを知つたのださうだ。そして、
「いま自轉車を走らせましたから迫つ附けU―君も此處へ見えます。」
 といふ。
「アヽ、さうですか。」
 と答へながら、矢つ張り呼び留めてよかつたと思つた。U―君もまた創作社の社友の一人であるのだ。この群馬縣利根郡からその結社に入つてゐる人が三人ある事を出立の時に調べて、それぞれの村をも地圖で見て來たのであつた。そして都合好くばそれ/″\に逢つて行きたいものと思つてゐたのだ。
「それは難有う。然しU―君の村は此處から遠いでせう。」
「なアに、一里位ゐのものです。」
 一里の夜道は大變だと思つた。
 やがてそのU―君が村の俳人B―君を伴れてやつて來た。もう少しませた人だとその歌から想像してゐたのに反してまだ紅顏の青年であつた。
 歌の話、俳句の話、土地の話が十一時過ぎまで續いた。そしてそれ/″\に歸つて行つた。村までは大變だらうからと留めたけれど、U―君たちも元氣よく歸つて行つた。

 十月廿二日
 今日もよく晴れてゐた。嬬戀以來實によく晴れて呉れるのだ。四時から強ひて眼を覺まして床の中で幾通かの手紙の返事を書き、五時起床、六時過ぎに飯をたべてゐると、U―君がにこ/\しながら入つて來た。自宅うちでもいゝつて言ひますから今日はお伴させて下さい、といふ。それはよかつたと私も思つた。今日はこれから九里の山奧、越後境三國みくに峠の中腹に在る法師ほふし温泉まで行く事になつてゐたのだ。
 私は河の水上みなかみといふものに不思議な愛着を感ずる癖を持つてゐる。一つの流に沿うて次第にそのつめまで登る。そして峠を越せば其處にまた一つの新しい水源があつて小さな瀬を作りながら流れ出してゐる、といふ風な處に出會ふと、胸の苦しくなる樣な歡びを覺えるのが常であつた。
 矢張りそんなところから大正七年の秋に、ひとつ利根川のみなかみを尋ねて見ようとこの利根とねの峽谷に入り込んで來たことがあつた。沼田から次第に奧に入つて、矢張り越後境の清水越の根に當つてゐる湯檜曾ゆびそといふのまで辿り着いた。そして其處から更に藤原郷といふのへ入り込むつもりであつたのだが、時季が少し遲れて、もうその邊にも斑らに雪が來てをり、奧の方には眞白妙に輝いた山の竝んでゐるのを見ると、流石に心細くなつて湯檜曾から引返した事があつた。然しその湯檜曾の邊でも、銚子の河口であれだけの幅を持つた利根が石から石を飛んで徒渉出來る愛らしい姿になつてゐるのを見ると、矢張り嬉しさに心は躍つてその石から石を飛んで歩いたものであつた。そしていつかお前の方まで分け入るぞよと輝き渡る藤原郷の奧山を望んで思つたものであつた。
 藤原郷の方から來たのに清水越の山から流れ出して來た一支流が湯檜曾のはづれで落ち合つて利根川の溪流となり沼田の少し手前で赤谷川を入れ、やゝ下つた處で片品かたしな川を合せる。そして漸く一個の川らしい姿になつて更に澁川で吾妻川を合せ、此處で初めて大利根の大觀をなすのである。吾妻川の上流をば曾つて信州の方から越えて來て探つた事がある。片品川の奧に分け入らうと云ふのは實は今度の旅の眼目であつた。そして今日これから行かうとしてゐるのは、沼田から二里ほど上、月夜野橋といふ橋の近くで利根川に落ちて來てゐる赤谷川の源流の方に入つて行つて見度いためであつた。その殆んどつめになつた處に法師温泉はある筈である。
 讀者よ、試みに參謀本部五萬分の一の地圖「四萬」の部を開いて見給へ。眞黒に見えるまでに山の線の引き重ねられた中に唯だ一つ他の部落とは遠くかけ離れて温泉の符號の記入せられてゐるのを、少なからぬ困難の末に發見するであらう。それが即ち法師温泉なのだ。更にまた讀者よ、その少し手前、沼田の方角に近い處に視線を落して來るならば其處に「猿ヶ京村」といふ不思議な名の部落のあるのを見るであらう。私は初め參謀本部のものに據らず他の府縣別の簡單なものを開いて見てこの猿ヶ京村を見出し、サテも斯んな處に村があり、斯んな處にも歌を詠まうと志してゐる人がゐるのかと、少なからず驚嘆したのであつた。先に利根郡に我等の社中の同志が三人ある旨を言つた。その三人の一人は今日一緒に歩かうといふU―君で、他の二人は實にこの猿ヶ京村の人たちであるのである。
 月夜野橋に到る間に私は土地の義民はりつけ茂左衞門の話を聞いた。徳川時代寛文年間に沼田の城主眞田伊賀守が異常なる虐政を行つた。領内利根吾妻勢多三郡百七十七箇村に檢地を行ひ、元高三萬石を十四萬四千餘石に改め、川役網役山手役井戸役窓役産毛役等(窓を一つ設くれば即ち課税し、出産すれば課税するの意)の雜役を設けつひに婚禮にまで税を課すに至つた。納期には各村に代官を派遣し、滯納する者があれば家宅を搜索して農産物の種子まで取上げ、なほ不足ならば人質を取つて皆納するまで水牢に入るゝ等の事を行つた。この暴虐に泣く百七十七箇村の民を見るに見兼ねて身を抽んでて江戸に出で酒井さかゐ雅樂守うたのかみの登城先に駕訴をしたのがこの月夜野村の百姓茂左衞門であつた。けれどその駕訴は受けられなかつた。其處で彼は更に或る奇策を案じて具さに伊賀守の虐政を認めた訴状を上野寛永寺なる輪王寺宮に奉つた。幸に宮から幕府へ傳達せられ、時の將軍綱吉も驚いて沼田領の實際を探つて見ると果して訴状の通りであつたので直ちに領地を取上げ伊賀守をば羽後山形の奧平家へ預けてしまつた。茂左衞門はそれまで他國に姿を隱して形勢を見てゐたが、斯く願ひの叶つたのを知ると潔く自首するつもりで乞食に身をやつして郷里に歸り僅かに一夜その家へ入つて妻と別離を惜み、明方出かけようとしたところを捕へられた。そしていま月夜野橋の架つてゐるツイ下の川原で磔刑に處せられた。しかも罪ない妻まで打首となつた。漸く蘇生の思ひをした百七十七箇村の百姓たちはやれ/\と安堵する間もなく茂左衞門の捕へられたを聞いて大いに驚き悲しみ、總代を出して幕府に歎願せしめた。幕府も特に評議の上これを許して、茂左衞門赦免の上使を遣はしたのであつたが、時僅かに遲れ、井戸上村まで來ると處刑濟の報に接したのであつたさうだ。
 舊沼田領の人々はそれを聞いていよ/\悲しみ、刑場蹟に地藏尊を建立して僅かに謝恩の心を致した。ことにその郷里の人は更に月夜野村に一佛堂を築いて千日の供養をし、これを千日堂と稱へたが、千日はおろか、今日に到るまで一日として供養を怠らなかつた。が、次第にその御堂も荒頽して來たので、この大正六年から改築に着手し、十年十二月竣工、右の地藏尊を本尊として其處に安置する事になつた。
 斯うした話をU―君から聞きながら私は彼の佐倉宗吾の事を思ひ出してゐた。事情が全く同じだからである。而して一は大いに表はれ、一は土地の人以外に殆んど知る所がない。さう思ひながらこの勇敢な、氣の毒な義民のためにひどく心を動かされた。そしてU―君にそのお堂へ參詣したい旨を告げた。
 月夜野橋を渡ると直ぐ取つ着きの岡の上に御堂はあつた。田舍にある堂宇としては實に立派な壯大なものであつた。そしてその前まで登つて行つて驚いた。寧ろ凄いほどの香煙が捧げられてあつたからである。そして附近には唯だ雀が遊んでゐるばかりで人の影とてもない。百姓たちが朝の仕事に就く前に一人々々此處にこの香を捧げて行つたものなのである。一日として斯うない事はないのださうだ。立ち昇る香煙のなかに佇みながら私は茂左衞門を思ひ、茂左衞門に對する百姓たちの心を思ひ瞼の熱くなるのを感じた。
 堂のうしろの落葉を敷いて暫く休んだ。傍らに同じく腰をおろしてゐた年若い友は不圖ふと何か思か出した樣に立ち上つたが、やがて私をも立ち上らせて對岸の岡つゞきになつてゐる村落を指ざしながら、
「ソレ、あそこに日の當つてゐる村がありませう。あの村の中ほどにやゝ大きな藁葺の屋根が見えませう、あれが高橋お傳の生れた家です。」
 これはまた意外であつた。聞けば同君の祖母はお傳の遊び友達であつたといふ。
「今日これから行く途中に鹽原太助の生れた家も、墓もありますよ。」
 と、なほ笑ひながら彼は附け加へた。
 月夜野村は村とは云へ、古めかしい宿場の形をなしてゐた。昔は此處が赤谷川あかたにがは流域の主都であつたものであらう。宿を通り拔けると道は赤谷川に沿うた。
 この邊、赤谷川の眺めは非常によかつた。十間から二三十間に及ぶ高さの岸が、楯を並べた樣に並び立つた上に、かなり老木の赤松がずらりと林をなして茂つてゐるのである。三町、五町、十町とその眺めは續いた。松の下草には雜木の紅葉が油繪具をこぼした樣に散らばり、大きく露出した岩の根には微かな青みを宿した清水が瀬をなし淵を作つて流れてゐるのである。
 登るともない登りを七時間ばかり登り續けた頃、我等は氣にしてゐた猿ヶ京村の入口にかゝつた。其處も南に谷を控へた坂なりの道ばたにちらほらと家が續いてゐた。中に一軒、古びた煤けた屋根の修繕をしてゐる家があつた。丁度小休みの時間らしく、二三の人が腰をおろして煙草を喫つてゐた。
「ア、さうですか、それは……。」
 私の尋ねに應じて一人がわざ/\立上つて煙管で方角を指しながら、道から折れた山の根がたの方に我等の尋ぬるM―君の家の在る事を教へて呉れた。街道から曲り、細い坂を少し登つてゆくと、傾斜を帶びた山畑が其處に開けてゐた。四五町も畦道を登つたけれども、それらしい家が見當らない。桑や粟の畑が日に乾いてゐるばかりである。幸ひ畑中に一人の百姓が働いてゐた。其處へ歩み寄つてやゝ遠くから聲をかけた。
「ア、M―さんの家ですか。」
 百姓は自分から頬かむりをとつて、私たちの方へ歩いて來た。そして、畑に挾まれた一つの澤を越し、渡りあがつた向うの山蔭の杉木立の中に在る旨を教へて呉れた。それも道を傳つて行つたのでは廻りになる故、其處の畑の中を通りぬけて……とゆびざししながら教へようとして、
「アツ、其處に來ますよ、M―さんが。」
 と、叫んだ。囚人などの冠る樣な編笠をかぶり、辛うじて尻を被ふほどの短い袖無半纏を着、股引を穿いた、老人とも若者ともつかぬ男が其處の澤から登つて來た。そして我等が彼を見詰めて立つてゐるのを不思議さうに見やりながら近づいて來た。
「君はM―君ですか。」
 斯う私が呼びかけると、ぢつと私の顏を見詰めたが、やがて合點が行つたらしく、ハツとした風で其處に立ち留つた。そして笠をとつてお辭儀をした。斯うして向き合つて見ると、彼もまだ三十前の青年であつたのである。
 私が上州利根郡の方に行く事をば我等の間で出してゐる雜誌で彼も見てゐた筈である。然し、斯うして彼の郷里まで入り込んで來ようとは思ひがけなかつたらしい。驚いたあまりか、彼は其處に突立つたまゝ殆んど言葉を出さなかつた。路を教へて呉れた百姓も頬かむりの手拭を握つたまゝ、ぼんやり其處に立つてゐるのである。私は昨夜沼田に着いた事、一緒にゐるのが沼田在の同志U―君である事、これから法師温泉まで行かうとしてゐる事、一寸でも逢つてゆきたくて立ち寄つた事などを説明した。
「どうぞ、私の家へお出で下さい。」
 と漸く色々の意味が飮み込めたらしく彼は安心した風に我等を誘つた。なるほど、ツイ手近に來てゐながら見出せないのも道理なほどの山の蔭に彼の家はあつた。一軒家か、乃至は、其處らに一二軒の隣家を持つか、兎に角に深い杉の木立が四邊あたりを圍み、濕つた庭には杉の落葉が一面に散り敷いてゐた。大きな圍爐裡端には彼の老母が坐つてゐた。
 お茶や松茸の味噌漬が出た。私は圍爐裡に近く腰をかけながら、
「君は何處で歌を作るのです、此處ですか。」
 と、赤々と火の燃えさかる爐端を指した。土間にも、座敷にも、農具が散らかつてゐるのみで書籍も机らしいものも其處らに見えなかつた。
「さア……。」
 羞しさうに彼は口籠つたが、
「何處といふ事もありません、山でゝも野良でゝも作ります。」
 と、僅かに答へた。私が彼の歌を見始めてから五六年はたつであらう。幼い文字、幼い詠みかた、それらがM―といふ名前と共にすぐ私の頭に思ひ浮べらるゝほど、特色のある歌を彼は作つてゐるのであつた。
 收穫時の忙しさを思ひながらも同行を勸めて見た。暫く默つて考へてゐたが、やがて母に耳打して奧へ入ると着物を着換へて出て來た。三人連になつて我等はその杉木立の家を立ち出でた。恐らく二度とは訪ねられないであらうその杉叢が、そゞろに私には振返へられた。時計は午後三時をすぎてゐた。法師までなほ三里、よほどこれから急がねばならぬ。
 猿ヶ京村でのいま一人の同志H―君の事をM―君から聞いた。土地の郵便局の息子で、今折惡しく仙臺の方へ行つてゐる事などを。やがてその郵便局の前に來たので私は一寸立寄つてその父親に言葉をかけた。その人はゐないでも、矢張り默つて通られぬ思ひがしたのであつた。
 石や岩のあらはに出てゐる村なかの路には煙草の葉がをりをり落ちてゐた。見れば路に沿うた家の壁には悉くこれが掛け乾されてゐるのであつた。此の頃漸く切り取つたらしく、まだ生々しいものであつた。
 吹路ふくろといふ急坂を登り切つた頃から日は漸く暮れかけた。風の寒い山腹をひた急ぎに急いでゐると、をり/\路ばたの畑で稗や粟を刈つてゐる人を見た。この邊では斯ういふものしか出來ぬのださうである。從つて百姓たちの常食も大概これに限られてゐるといふ。かすかな夕日を受けて咲いてゐる煙草の花も眼についた。小走りに走つて急いだのであつたが、つひに全く暮れてしまつた。山の中の一すぢ路を三人引つ添うて這ふ樣にして辿つた。そして、峰々の上の夕空に星が輝き、相迫つた峽間はざまの奧の闇の深い中に温泉宿の燈影を見出した時は、三人は思はず大きな聲を上げたのであつた。
 がらんどうな大きな二階の一室に通され、先づ何よりもと湯殿へ急いだ。そしてその廣いのと湯の豐かなのとに驚いた。十疊敷よりもつと廣からうと思はるゝ湯槽が二つ、それに滿々と湯が湛へてゐるのである。そして、下には頭大の石ころが敷いてあつた。乏しい灯影の下にづぶりつと浸りながら、三人は唯だてんでに微笑を含んだまゝ、殆んどだんまりの儘の永い時間を過した。のび/\と手足を伸ばすもあり、蛙の樣に浮んで泳ぎの形を爲すものもあつた。
 部屋に歸ると炭火が山の樣におこしてあつた。なるほど山の夜の寒さは湯あがりの後の身體に浸みて來た。何しろ今夜は飮みませうと、豐かに酒をば取り寄せた。罐詰をも一つ二つと切らせた。U―君は十九か廿歳、M―君は廿六七、その二人のがつしりとした山國人の體格を見、明るい顏を見てゐると私は何かしら嬉しくて、飮めよ喰べよと無理にも強ひずにはゐられぬ氣持になつてゐたのである。
 其處へ一升壜を提げた、見知らぬ若者がまた二人入つて來た。一人はK―君といふ人で、今日我等の通つて來た鹽原太助の生れたといふ村の人であつた。一人は沼田の人で、阿米利加に五年行つてゐたといふ畫家であつた。畫家を訪ねて沼田へ行つてゐたK―君は、其處の本屋で私が今日この法師へ登つたといふ事を聞き、畫家を誘つて、あとを追つて來たのださうだ。そして懷中から私の最近に著した歌集『くろ土』を取り出してその口繪の肖像と私とを見比べながら、
「矢張り本物に違ひはありませんねヱ。」
 と言つて驚くほど大きな聲で笑つた。

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