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湯ヶ原より(ゆがわらより)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 9:11:45  点击:  切换到繁體中文

 

 内山君うちやまくん足下そくか
 何故なぜそうきふしたかとのきみ質問しつもん御尤ごもつともである。ぼく不幸ふかうにしてこれきみ白状はくじやうしてしまはなければならぬことに立到たちいたつた。しかあるひはこれがぼくさいはひであるかもれない、たゞぼくいまこゝろたしかに不幸ふかうじてるのである、これをさいはひであつたとることは今後こんごのことであらう。しかし將來このさきこれをさいはひあつたときいへども、たしかに不幸ふかうあるかんずるにちがいない。ぼくらないでい、かんじたくないものだ。
『こゝに一人ひとり少女せうぢよあり。』小説せうせつ何時いつでもこんなふうはじまるもので、批評家ひゝやうかこひ小説せうせつにもき/\したとの御注文ごちゆうもんしか年若としわかいおたがひつては、こと實際じつさい矢張やはりこんなふうはじまるのだからいたかたがない。ぼく批評家ひゝやうか御注文ごちゆうもんおうずべく神樣かみさまぼくおよ人類じんるゐつくつてれなかつたことを感謝かんしやする。
 さる十三にちぼくひとつくゑ倚掛よりかゝつてぼんやりかんがへてた。十いへものてしまひ、そとあめがしと/\つてる。おや兄弟きやうだいもないぼくには、こんなばんすこぶ感心かんしんしないので、おまけに下宿住げしゆくずまひ所謂いはゆ半夜燈前十年事一時和雨到心頭といふ一けんだから堪忍たまつたものでない、まづぼくきだしさうなかほをして凝然じつ洋燈ランプかさつめてたと想像さう/″\たまへ。
 此時このときフとおもしたのはおきぬのことである、おきぬ、おきぬきみ此名このなにはお知己ちかづきでないだらう。きみばかりでない、ぼく朋友ほういううち何人なんぴといま此名このな如何いかぼくこゝろふかい、やさしい、おだやかなひゞきつたへるかの消息せうそくらないのである。『こゝに一人ひとり少女せうぢよあり、其名そのなきぬといふ』とぼく小説批評家せうせつひゝやうかへの面當つらあていま特筆とくひつ大書たいしよする。
 ぼくこの少女せうぢよおもすとともに『こひしい』、『たい』、『ひたい』のじやうがむら/\とこみげてた。きみなんはうとも實際じつさいさうであつたから仕方しかたがない。この天地間てんちかんぼくあいし、またぼくあいするものこの少女せうぢよばかりといふふう感情こゝろもちた。あゝれ『きたるこゝろ』だらうか、何故なにゆゑ自然しぜんあいするこゝろきよたかくして、少女せうぢよ人間にんげん)をふるこゝろは『きたるこゝろ』、『いやらしいこゝろ』、『不健全ふけんぜんなるこゝろ』だらうか、ぼくは一ねんこゝにおよべば倫理學者りんりがくしや健全先生けんぜんせんせい批評家ひゝやうか、なんといふ動物どうぶつ地球外ちきうぐわい放逐はうちくしたくなる、西印度にしいんど猛烈まうれつなる火山くわざんよ、何故なにゆゑなんぢ熱火ねつくわ此種このしゆ動物どうぶつ頭上づじやうにはそゝがざりしぞ!
 ぼくはおきぬなしをむいて、ぼくひとりいつてる浴室よくしつに、そつともつれたことをおもひ、二人ふたり溪流けいりう沿ふて散歩さんぽしたことをおもひ、そのやさしい言葉ことばおもひ、その無邪氣むじやき態度たいどおもひ、その笑顏ゑがほおもひ、おもはずつくゑつて、『明日あすあさく!』とけんだ。
 おきぬとは何人なんぴとぞ、きみおどろなかれ、藝者げいしやでも女郎ぢよらうでもない、海老茶えびちや式部しきぶでも島田しまだ令孃れいぢやうでもない、美人びじんでもない、醜婦しうふでもない、たゞのをんなである、湯原ゆがはら温泉宿をんせんやど中西屋なかにしや女中ぢよちゆうである! いまぼくふでつてうち女中ぢよちゆうである! 田舍ゐなか百姓ひやくしやうむすめである! 小田原をだはら大都會だいとくわい心得こゝろえ田舍娘ゐなかむすめ! このむすめぼくつたのは昨年さくねんなつきみ御存知ごぞんぢごと病後びやうごせき字社じしや醫者いしやすゝめられて二ヶ月間げつかんこの湯原ゆがはら滯在たいざいしてときである。
 十四あさぼく支度したく匆々そこ/\宿やどした。銀座ぎんざ半襟はんえりかんざし其他そのたむすめよろこびさうなしなとゝのへて汽車きしやつた。ぼく今日けふまでをんなよろこばすべく半襟はんえりはなかつたが、むすめ此等これらしなやつたら如何どんなよろこぶだらうとおもふと、ぼくもうれしくつてたまらなかつた。見榮坊みえばう! には見榮みえをんなものつたり、らなかつたりするもの澤山たくさんある。ぼくこゝろからこのまづしい贈物おくりもの我愛わがあいする田舍娘ゐなかむすめ呈上ていじやうする!
 夜來やらいあめはあがつたが、空氣くうきしめつて、そらにはくもたゞよふてた。なつはじめたびぼくなによりもこれすきで、今日こんにちまで數々しば/\この季節きせつ旅行りよかうした、しかしあゝ何等なんら幸福かうふくぞ、むねたのしい、れしい空想くうさういだきながら、今夜こんやむすめはれるとおもひながら、今夜こんやきよんだ温泉をんせんはひられるとおもひながら、この好時節かうじせつ旅行りよかうせんとは。
 國府津こふづりたとき日光につくわう雲間くもまれて、新緑しんりよくやまも、も、はやしも、さむるばかりかゞやいてた。愉快ゆくわい! 電車でんしや景氣けいきよくはしす、函嶺はこね諸峰しよほうおくゆかしく、おごそかに、おもてあつしてちかづいてる! かるい、淡々あは/\しいくもおきなるうみうへたゞよふてる、かもめぶ、なみくだける、そらくもくした! うすかげうへを、うみうへう、たちままたあかるくなる、此時このときぼくけつして自分じぶん不幸ふしあはせをとことはおもはなかつた。またけつして厭世家えんせいかたるの權利けんりかつた。
 小田原をだはらいて何時いつかんずるのは、自分じぶんもどうせ地上ちじやうむならば此處こゝみたいといふことである。ふるしろたかやまてんらなる大洋たいやう樹木じゆもくしげつてる。洋畫やうぐわつててやうといふぼく空想くうさうとしては此處こゝ永住えいぢゆういへちたいといふのも無理むりではなからう。
 小田原をだはらからさきれい人車鐵道じんしやてつだうぼくは一ときはや湯原ゆがはらきたいのできな小田原をだはら半日はんにちおくるほどのたのしみすてて、電車でんしやからりて晝飯ちうじきをはるや人車じんしやつた。人車じんしやると最早もはや半分はんぶんはらいたになつた。この人車鐵道じんしやてつだう目的もくてき熱海あたみ伊豆山いづさんはらごと温泉地をんせんちにあるので、これにれば最早もはや大丈夫だいぢやうぶといふになるのは温泉行をんせんゆき人々ひと/″\同感どうかんであらう。
 人車じんしや徐々じよ/\として小田原をだはらまちはなれた。ぼくまどからくびしてる。たちまちラツパをいさましくてゝくるま傾斜けいしやぶやうにすべる。そら名殘なごりなくれた。海風かいふうよこさまにまどきつける。かへりみるとまち旅館りよかんはた竿頭かんとうしろうごいてる。
 ぼくかしらてんじて行手ゆくてた。すると軌道レール沿ふて三にん田舍者ゐなかもの小田原をだはら城下じやうかるといふ旅裝いでたちあかえるのはむすめの、しろえるのは老母らうぼの、からげたこし頑丈ぐわんぢやうらしいのは老父おやぢさんで、人車じんしやぎゆくのをけるつもりでつて此方こつちいてる。『オヤおきぬ!』とおももなくくるまぶ、三にんたちままどしたた。
『おきぬさん!』とぼくおもはずげた。おきぬはにつこりわらつて、さつとかほあかめて、れいをした。ひとくるまとのあひだる/\とほざかつた。
 同車どうしやひとかつたらぼく地段駄ぢだんだんだらう、帽子ばうしげつけたゞらう。ぼくつて、眞面目まじめかほして役人やくにんらしい先生せんせいるではないか、ぼくだがつかりしてこまぬいてしまつた。
 はでもるおきぬ最早もはや中西屋なかにしやないのである、父母ふぼいへかへり、嫁入よめいり仕度したくりかゝつたのである。昨年さくねんなつ女中ぢよちゆうから小田原をだはらのお婿むこさんなどなぶられてたのを自分じぶんつてる、あゝ愈々いよ/\さうだ! とおもふとぼくいやになつてしまつた。一口ひとくちへば、うみやまもない、おき大島おほしまれがなんだらう。大浪おほなみ小浪こなみ景色けしきなんだ。いまいままでぼくをよろこばして自然しぜんは、たちまちのうちなん面白味おもしろみもなくなつてしまつた。ぼくとは他人たにんになつてしまつた。
 湯原ゆがはら温泉をんせんぼくなじみふかところであるから、たとひおきぬないでもぼくつて興味きようみのないわけはない、しかすでにおきぬつたのちぼくには、おきぬないことはむし不愉快ふゆくわい場所ばしよとなつてしまつたのである。不愉快ふゆくわい人車じんしやられてびしい溪間たにまおくとゞけられることは、すこぶ苦痛くつうであつたが、今更いまさら引返ひきかへすこと出來できず、其日そのひ午後ごゝ時頃じごろ此宿このやどいた。突然とつぜんのことであるから宿やど主人あるじおどろかした。主人あるじ忠實ちゆうじつひとであるから、非常ひじやう歡迎くわんげいしてれた。はひつてると女中ぢよちゆう一人ひとりて、
小山こやまさんおどくですね。』
何故なぜ?』

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