二、三羽――十二、三羽(に、さんば――じゅうに、さんば)
以前、あしかけ四年ばかり、相州逗子(そうしゅうずし)に住(すま)った時(三太郎(さんたろう))と名づけて目白鳥(めじろ)がいた。 桜山(さくらやま)に生れたのを、おとりで捕った人に貰(もら)ったのであった。が、何処(どこ)の巣にいて覚えたろう、鵯(ひよ)、駒鳥(こまどり)、あの辺にはよくいる頬白(ほおじろ)、何でも囀(さえず)る……ほうほけきょ、ほけきょ、ほけきょ、明(あきら)かに鶯(うぐいす)の声を鳴いた。目白鳥としては駄鳥(だちょう)かどうかは知らないが、私には大の、ご秘蔵――長屋の破軒(やぶれのき)に、水を飲ませて、芋(いも)で飼ったのだから、笑って故(わざ)と(ご)の字をつけておく――またよく馴れて、殿様が鷹(たか)を据(す)えた格(かく)で、掌(てのひら)に置いて、それと見せると、パッと飛んで虫を退治(たいじ)た。また、冬の日のわびしさに、紅椿(べにつばき)の花を炬燵(こたつ)へ乗せて、籠を開けると、花を被(かぶ)って、密を吸いつつ嘴(くちばし)を真黄色(まっきいろ)にして、掛蒲団(かけぶとん)の上を押廻(おしまわ)った。三味線(さみせん)を弾いて聞かせると、音(ね)に競(きそ)って軒で高囀(たかさえず)りする。寂しい日に客が来て話をし出すと障子の外で負けまじと鳴きしきる。可愛いもので。……可愛いにつけて、断じて籠には置くまい。秋雨(あきさめ)のしょぼしょぼと降るさみしい日、無事なようにと願い申して、岩殿寺(いわとのでら)の観音(かんおん)の山へ放した時は、煩(わずら)っていた家内と二人、悄然(しょうぜん)として、ツィーツィーと梢(こずえ)を低く坂下(さかさが)りに樹を伝って慕(した)い寄る声を聞いて、ほろりとして、一人は袖(そで)を濡らして帰った。が、――その目白鳥の事で。……(寒い風だよ、ちょぼ一風(いちかぜ)は、しわりごわりと吹いて来る)と田越村(たごえむら)一番の若衆(わかいしゅう)が、泣声を立てる、大根の煮える、富士おろし、西北風(ならい)の烈しい夕暮に、いそがしいのと、寒いのに、向うみずに、がたりと、門(かど)の戸をしめた勢(いきおい)で、軒に釣った鳥籠をぐゎたり、バタンと撥返(はねかえ)した。アッと思うと、中の目白鳥は、羽ばたきもせず、横木を転げて、落葉の挟(はさま)ったように落ちて縮んでいる。「しまった、……三太郎が目をまわした。」「まあ、大変ね。」と襷(たすき)がけのまま庖丁(ほうちょう)を、投げ出して、目白鳥を掌(てのひら)に取って据えた婦(おんな)は目に一杯涙を溜(た)めて、「どうしましょう。」そ、その時だ。試(こころみ)に手水鉢(ちょうずばち)の水を柄杓(ひしゃく)で切って雫(しずく)にして、露にして、目白鳥の嘴(くちばし)を開けて含まして、襟(えり)をあけて、膚(はだ)につけて暖めて、しばらくすると、ひくひくと動き出した。ああ助(たすか)りました。御利益(ごりやく)と、岩殿(いわとの)の方(かた)へ籠を開いて、中へ入れると、あわれや、横木へつかまり得ない。おっこちるのが可恐(こわ)いのか、隅の、隅の、狭い処(ところ)で小(ちいさ)くなった。あくる日一日は、些(ち)と、ご悩気(のうけ)と言った形で、摺餌(すりえ)に嘴(くちばし)のあとを、ほんの筋ほどつけたばかり。但(ただ)し完全に蘇生(よみがえ)った。 この経験がある。 水でも飲まして遣(や)りたいと、障子を開けると、その音に、怪我(けが)処(どころ)か、わんぱくに、しかも二つばかり廻って飛んだ。仔雀は、うとりうとりと居睡(いねむり)をしていたのであった。……憎くない。 尤(もっと)もなかなかの悪戯(いたずら)もので、逗子(ずし)の三太郎……その目白鳥(めじろ)――がお茶の子だから雀の口真似(くちまね)をした所為(せい)でもあるまいが、日向(ひなた)の縁(えん)に出して人のいない時は、籠のまわりが雀どもの足跡だらけ。秋晴(あきばれ)の或日(あるひ)、裏庭の茅葺(かやぶき)小屋の風呂の廂(ひさし)へ、向うへ桜山(さくらやま)を見せて掛けて置くと、午(ひる)少し前の、いい天気で、閑(しずか)な折から、雀が一羽、……丁(ちょう)ど目白鳥の上の廂合(ひあわい)の樋竹(といだけ)の中へすぽりと入って、ちょっと黒い頭だけ出して、上から籠を覗込(のぞきこ)む。嘴(はし)に小さな芋虫(いもむし)を一つ銜(くわ)え、あっち向いて、こっち向いて、ひょいひょいと見せびらかすと、籠の中のは、恋人から来た玉章(たまずさ)ほどに欲しがって駈上(かけあが)り飛上(とびあが)って取ろうとすると、ひょいと面(かお)を横にして、また、ちょいちょいと見せびらかす。いや、いけずなお転婆(てんば)で。……ところがはずみに掛(かか)って振った拍子(ひょうし)に、その芋虫をポタリと籠の目へ、落したから可笑(おかし)い。目白鳥は澄まして、ペロリと退治(たいじ)た。吃驚仰天(びっくりぎょうてん)した顔をしたが、ぽんと樋(とい)の口を突出(つきだ)されたように飛んだもの。 瓢箪(ひょうたん)に宿る山雀(やまがら)、と言う謡(うた)がある。雀は樋の中がすきらしい。五、六羽、また、七、八羽、横にずらりと並んで、顔を出しているのが常である。 或(ある)殿(との)が領分巡回(りょうぶんめぐり)の途中、菊の咲いた百姓家に床几(しょうぎ)を据えると、背戸畑(せどばたけ)の梅の枝に、大(おおき)な瓢箪が釣(つる)してある。梅見(うめみ)と言う時節でない。「これよ、……あの、瓢箪は何に致すのじゃな。」 その農家の親仁(おやじ)が、「へいへい、山雀の宿にござります。」「ああ、風情(ふぜい)なものじゃの。」 能の狂言の小舞(こまい)の謡(うたい)に、
「いまはじめて相分(あいわか)った。――些少(ちと)じゃが餌(え)の料(りょう)を取らせよう。」 小春(こはる)の麗(うららか)な話がある。 御前(ごぜん)のお目にとまった、謡(うたい)のままの山雀は、瓢箪を宿とする。こちとらの雀は、棟割長屋(むねわりながや)で、樋竹(といだけ)の相借家(あいじゃくや)だ。 腹が空くと、電信の針がねに一座ずらりと出て、ぽちぽちぽちと中空(なかぞら)高く順に並ぶ。中でも音頭取(おんどとり)が、電柱の頂辺(てっぺん)に一羽留(とま)って、チイと鳴く。これを合図に、一斉(いっとき)にチイと鳴出す。――塀(へい)と枇杷(びわ)の樹の間に当って。で御飯をくれろと、催促をするのである。 私が即(すなわ)ち取次いで、「催促(やっ)てるよ、催促(やっ)てるよ。」「せわしないのね。……煩(うるさ)いよ。」 などと言いながら、茶碗に装(よそ)って、婦(おんな)たちは露地へ廻る。これがこのうえ後(おく)れると、勇悍(ゆうかん)なのが一羽押寄(おしよ)せる。馬に乗った勢(いきおい)で、小庭を縁側(えんがわ)へ飛上(とびあが)って、ちょん、ちょん、ちょんちょんと、雀あるきに扉(ひらき)を抜けて台所へ入って、お竈(へッつい)の前を廻るかと思うと、上の引窓(ひきまど)へパッと飛ぶ。「些(ち)と自分でもお働き、虫を取るんだよ。」 何も、肯分(ききわ)けるのでもあるまいが、言(ことば)の下に、萩(はぎ)の小枝を、花の中へすらすら、葉の上はさらさら……あの撓々(たよたよ)とした細い枝へ、塀の上、椿(つばき)の樹からトンと下りると、下りたなりにすっと辷(すべ)って、ちょっと末(うら)を余して垂下(たれさが)る。すぐに、くるりと腹を見せて、葉裏(はうら)を潜(くぐ)ってひょいと攀(よ)じると、また一羽が、おなじように塀の上からトンと下りる。下りると、すっと枝に撓(しな)って、ぶら下るかと思うと、飜然(ひらり)と伝う。また一羽が待兼(まちか)ねてトンと下りる。一株の萩(はぎ)を、五、六羽で、ゆさゆさ揺(ゆす)って、盛(さかり)の時は花もこぼさず、嘴(はし)で銜(くわ)えたり、尾で跳ねたり、横顔で覗(のぞ)いたり、かくして、裏おもて、虫を漁(あさ)りつつ、滑稽(おど)けてはずんで、ストンと落ちるかとすると、羽をひらひらと宙へ踊って、小枝の尖(さき)へひょいと乗る。 水上(みなかみ)さんがこれを聞いて、莞爾(にっこり)して勧めた。「鞦韆(ぶらんこ)を拵(こしら)えてお遣(や)んなさい。」 邸(やしき)の庭が広いから、直ぐにここへ気がついた。私たちは思いも寄らなかった。糸で杉箸(すぎばし)を結(ゆわ)えて、その萩の枝に釣った。……この趣(おもむき)を乗気(のりき)で饒舌(しゃべ)ると、雀の興行をするようだから見合わせる。が、鞦韆(ぶらんこ)に乗って、瓢箪ぶっくりこ、なぞは何でもない。時とすると、塀の上に、いま睦(むつま)じく二羽啄(ついば)んでいたと思う。その一羽が、忽然(こつねん)として姿を隠す。飛びもしないのに、おやおやと人間の目にも隠れるのを、……こう捜すと、いまいた塀の笠木(かさぎ)の、すぐ裏へ、頭を揉込(もみこ)むようにして縦に附着(くッつ)いているのである。脚がかりもないのに巧(たくみ)なもので。――そうすると、見失った友の一羽が、怪訝(けげん)な様子で、チチと鳴き鳴き、其処(そこ)らを覗(のぞ)くが、その笠木のちょっとした出張(でっぱ)りの咽(のど)に、頭が附着(くッつ)いているのだから、どっちを覗いても、上からでは目に附かない。チチッ、チチッと少時(しばらく)捜して、パッと枇杷(びわ)の樹へ飛んで帰ると、そのあとで、密(そっ)と頭を半分出してきょろきょろと見ながら、嬉(うれ)しそうに、羽を揺(ゆす)って後から颯(さっ)と飛んで行く。……惟(おも)うに、人の子のするかくれんぼである。 さて、こうたわいもない事を言っているうちに――前刻(さっき)言った――仔どもが育って、ひとりだち、ひとり遊びが出来るようになると、胸毛の白いのばかりを残して、親雀は何処(どこ)へ飛ぶのかいなくなる。数は増しもせず、減りもせず、同じく十五、六羽どまりで、そのうちには、芽が葉になり、葉が花に、花が実になり、雀の咽(のど)が黒くなる。年々二、三度おんなじなのである。 ……妙な事は、いま言った、萩(はぎ)また椿(つばき)、朝顔の花、露草(つゆくさ)などは、枝にも蔓(つる)にも馴れ馴染(なじ)んでいるらしい……と言うよりは、親雀から教えられているらしい。――が、見馴れぬものが少しでもあると、可恐(こわ)がって近づかぬ。一日でも二日でも遠くの方へ退(の)いている。尤(もっと)も、時にはこっちから、故(わざ)とおいでの儀を御免蒙(ごめんこうむ)る事がある。物干(ものほし)へ蒲団(ふとん)を干す時である。 お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい心持(こころもち)になって、ふっくりと、蒲団に団欒(だんらん)を試みるのだから堪(たま)らない。ぼとぼとと、あとが、ふんだらけ。これには弱る。そこで工夫をして、他所(よそ)から頂戴して貯(たくわ)えている豹(ひょう)の皮を釣って置く。と枇杷(びわ)の宿にいすくまって、裏屋根へ来るのさえ、おっかなびっくり、(坊主びっくり貂(てん)の皮)だから面白い。 が、一夏(ひとなつ)縁日(えんにち)で、月見草(つきみそう)を買って来て、萩(はぎ)の傍(そば)へ植えた事がある。夕月に、あの花が露を香(にお)わせてぱッと咲くと、いつもこの黄昏(たそがれ)には、一時(ひととき)留(とま)り餌(え)に騒ぐのに、ひそまり返って一羽だって飛んで来ない。はじめは怪(あや)しんだが、二日め三日めには心着(こころづ)いた。意気地(いくじ)なし、臆病。烏瓜(からすうり)、夕顔などは分けても知己(ちかづき)だろうのに、はじめて咲いた月見草の黄色な花が可恐(こわ)いらしい……可哀相(かわいそう)だから植替(うえか)えようかと、言ううちに、四日めの夕暮頃から、漸(や)っと出て来た。何、一度味をしめると飛(とび)ついて露も吸いかねぬ。 まだある。土手三番町(どてさんばんちょう)の事を言った時、卯(う)の花垣をなどと、少々調子に乗ったようだけれど、まったくその庭に咲いていた。土地では珍しいから、引越す時一枝(ひとえだ)折って来てさし芽にしたのが、次第に丈(たけ)たかく生立(おいた)ちはしたが、葉ばかり茂って、蕾(つぼみ)を持たない。丁(ちょう)ど十年目に、一昨年の卯月(うづき)の末にはじめて咲いた。それも塀を高く越した日当(ひあたり)のいい一枝だけ真白に咲くと、その朝から雀がバッタリ。意気地なし。また丁(ちょう)どその卯の花の枝の下に御飯(おまんま)が乗っている。前年の月見草で心得て、この時は澄ましていた。やがて一羽ずつ密(そっ)と来た。忽(たちま)ち卯の花に遊ぶこと萩に戯(たわむ)るるが如しである。花の白いのにさえ怯(おび)えるのであるから、雪の降った朝の臆病思うべしで、枇杷塚(びわづか)と言いたい、むこうの真白の木の丘に埋(うずも)れて、声さえ立てないで可哀(あわれ)である。 椿の葉を払っても、飛石の上を掻分(かきわ)けても、物干に雪の溶けかかった処(ところ)へ餌(え)を見せても影を見せない。炎天、日盛(ひざかり)の電車道(でんしゃみち)には、焦(こ)げるような砂を浴びて、蟷螂(とうろう)の斧(おの)と言った強いのが普通だのに、これはどうしたものであろう。……はじめ、ここへ引越したてに、一、二年いた雀は、雪なんぞは驚かなかった。山を兎(うさぎ)が飛ぶように、雪を蓑(みの)にして、吹雪を散らして翔(か)けたものを―― ここで思う。その児(こ)、その孫、二代三代に到って、次第おくり、追続(おいつ)ぎに、おなじ血筋ながら、いつか、黄色な花、白い花、雪などに対する、親雀の申しふくめが消えるのであろうと思う。 泰西(たいせい)の諸国にて、その公園に群(むらが)る雀は、パンに馴れて、人の掌(てのひら)にも帽子にも遊ぶと聞く。 何故(なぜ)に、わが背戸(せど)の雀は、見馴れない花の色をさえ恐るるのであろう。実(げ)に花なればこそ、些(ちっ)とでも変った人間の顔には、渠(かれ)らは大(おおい)なる用心をしなければならない。不意の礫(つぶて)の戸に当る事幾度(いくたび)ぞ。思いも寄らぬ蜜柑(みかん)の皮、梨の核(しん)の、雨落(あまおち)、鉢前(はちまえ)に飛ぶのは数々(しばしば)である。
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