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売色鴨南蛮(ばいしょくかもなんばん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-23 10:18:16 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



       十

 年若としわかい駅員が、
「貴方がたは?」
 と言った。
 乗り余った黒山の群集も、三四輛立続けに来た電車が、泥まで綺麗にさらったのに、まだ待合所を出なかった女二人、(別に一人)と宗吉をいぶかったのである。
 宗吉は言った。
「この御婦人が御病気なんです。」
 と、やっぱり、けろりと仰向あおむいている緋縮緬の女を、外套がいとうひじかばって言った。
 駅員の去ったあとで、
唯今ただいま、自動車を差上げますよ。」
 と宗吉は、優しく顔をのぞきつつ、丸髷の女に瞳を返して、
「巣鴨はお見合せを願えませんか。……きっと御介抱申します。わたくしはこういうものです。」
 なふだに医学博士――秦宗吉とあるのを見た時、……もう一人居た、散切ざんぎりで被布の女が、P形に直立して、Zのごとく敬礼した。これは附添の雑仕婦ぞうしふであったが、――博士が、その従弟の細君に似たのをよすがに、これよりさき、丸髷の女にことばを掛けて、その人品のゆえに人をして疑わしめず、つれは品川の某楼の女郎で、気の狂ったため巣鴨の病院に送るのだが、自動車で行きたい、それでなければいやだと言う。そのつもりにして、すかして電車で来ると、ここで自動車でないからと言って、何でも下りて、すねたのだと言う。……丸髷は某楼のその娘分。女郎の本名をお千と聞くまで、――この雑仕婦は物頂面ぶっちょうづらしてにらんでいた。

 不時の回診に驚いて、ある日、その助手たち、その白衣の看護婦たちの、ばらばらと急いで、しかも、静粛に駆寄るのを、おもむろに、左右に辞して、医学博士秦宗吉氏が、
「いえ、個人で見舞うのです……皆さん、どうぞ。」
 やがて博士は、特等室にただ一人、膝も胸も、しどけない、けろんとした狂女に、何と……手に剃刀かみそりを持たせながら、臥床ベッドひざまずいて、その胸に額を埋めて、ひしとすがって、潸然さんぜんとして泣きながら、微笑ほほえみながら、身も世も忘れて愚に返ったように、だらしなく、涙をひげに伝わらせていた。

大正九(一九二○)年五月




 



底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十巻」岩波書店
   1941(昭和16)年5月20日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:今井忠夫
2003年8月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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