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鞄らしくない鞄(かばんらしくないかばん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/8/24 11:16:45 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



   怪異(かいい)は続く


 東京朝夕新報の朝刊八頁の広告欄に、気のついた人ならば気になったであろうところの三行広告が二つ並んで出ていた。

○紛失(ふんしつ)、赤革トランク、特別美且(かつ)大なる把柄(はへい)あり、拾得届出者に相当謝礼、姓名在社三二五番

 もう一つは、次のとおりであった。

○紛失、赤革トランク、特別美且大なる把柄あり、拾得届出者に莫大(ばくだい)謝礼、姓名在社三二六番

 つまり両方とも赤革トランクを返してくれと訴えているものだった。
 前日トラックの運転手は、空トラックを店のガレージの前に停め、車体の点検を行ったとき、ふしぎなことに、後の荷置き場の隅(すみ)に赤革トランクが逆(さか)さになって置かれてあるのを発見した。彼はそれを下へ下ろし、開いても見たが全然見覚(みおぼ)えのないものだった。
 そのうちに朋輩(ほうばい)の誰彼がそのまわりに集って来た。そしてこのようなすてきな鞄を何処で手に入れたのかと知りたがった。
 かの運転手は早速返事をして途中まで喋(しゃべ)ったが、そこであとの言葉を嚥(の)みこんだ。そして俄(にわか)に彼は一つの創作をひねりだしてそれを以て返事に継(つ)ぎ足(た)そうとしたとき、支配人の酒田が割込んで来て、その鞄を欲しがった。結局、運転手はその鞄を百円札五枚で支配人に譲り渡した。売った方も買った方もにこにこしていた。
 酒田はその鞄を手にぶら下げて、そこから程遠からぬところにある彼の邸へ歩いて帰った。彼は目下やもめ暮しであった。家族たちはまだ疎開(そかい)先に釘(くぎ)づけのままだった。東京のこの家には、家政婦の老婆が一人仕えているだけだった。
 酒田はその鞄を持って帰ると、押入を開いて、下の段の奥へ押込んだ。そしてすぐ襖(ふすま)を閉めた。どういうわけでそうしたのか明瞭(めいりょう)でないが、多分あまり安く値切って買ったのが気になっていたのかもしれない。
 夕食後、彼は居間に引籠(ひきこも)った。例の鞄を押入から出して、絨氈(じゅうたん)の上に置いて開いた。それから彼は箪笥(たんす)の引出をあけて中からなまめかしい婦人の衣類を取出し、それを一々電灯の灯の近くへ持っていって眺め、指先で布地を摘(つま)み且つ匂いを嗅(か)いだ。そして二種類に別(わ)けて積んでいったが、その一方を例の鞄の中へていねいに入れ始めた。長襦袢(ながじゅばん)もあるし、錦紗(きんしゃ)もあるし、お召(めし)もあり、丸帯もあり、まるで花嫁御寮(ごりょう)の旅行鞄みたいであった。その上にも彼は、隅の金庫を開いて中から取出した貴金属細工のついた帯留(おびどめ)や指環の箱、宝石入りのブローチの箱、腕環(うでわ)の箱などをその鞄の中、ほどよきところへ押込んだ。最後に特別になまめかしい鹿(か)の子(こ)緋(ひ)ぢりめんの長襦袢を上にのせ、それから鞄の蓋をしめたのであるが、ぎゅうぎゅうに詰まっているので蓋は外に向って太鼓腹(たいこばら)のように膨(ふく)らんだ。そのあとで彼、酒田は意外なことを発見して強く舌打(したうち)をした。
「ちょッ。この鞄には、鍵が二箇もぶら下っているのに、肝腎(かんじん)の錠前(じょうまえ)がついていないじゃないか。見かけによらず、とんだインチキものだ。ええッ、腹が立つ!」
 鍵はあれども鍵穴がない。これでは仕様(しよう)がない。折角(せっかく)トランクに詰めて、明日は横浜へ売りに行こうという寸法だったが、鍵のかからないトランクでは、あっちへ持っていったり、こっちへ預けたりしているうちにあぶないことになりそうだ。だが、折角ぎっしり詰めこんだものを、他のトランクに移すのは面倒(めんどう)だ、今夜はこのままにして、後は明日のことにしようと、闇屋(やみや)の旦那はこのところ聊(いささ)か過労の体(てい)にて、寝椅子の上へ身体をのせた。
「旦那さま。もうここの戸締(とじま)りをいたしてよろしゅうございましょうか」
 婆やの声である。
 酒田が、締(し)めておくれというと、婆やさんは硝子(ガラス)戸をあけて、長い廊下を箒(ほうき)でさらさらと掃(は)き出し、それから戸袋のところへ行って板戸を一枚一枚繰り出し始めたのである。そのとき勝手の方で電話のベルが鳴りだした。婆やさんはそれに気づいて勝手の方へ駆(か)けこんで行く。やがて婆やさんが再び駆け出して来て、酒田へ電話を取りつぐ。そこで酒田は寝椅子(ねいす)からむっくり起上って、婆やと共に勝手の方へ行く。電話機は勝手の廊下の隅にあって、そこは暗いので、婆やさんは電灯を急いで吊(つ)りかえなければならなかった。
 こうして僅か十分足らずの時間、お座敷の方を空虚(くうきょ)にして置いただけで、電話が終ると酒田と婆やさんとは再びお座敷の方へ戻って来て、婆やさんは雨戸(あまど)の残りを戸袋から繰(く)り出すし、酒田はラジオをちょっとひねって、そして男女合唱がとび出して来ると、すぐスイッチをひねって消し、それから煙草をつけて安楽椅子へ腰を下ろしたんだが、忽(たちま)ち彼はバネ仕掛の人形のようにとびあがった。
「あれッ、ここに置いてあったトランクが見えないぞ。……トランク、どこへ持って行った?」
 それからの騒ぎを一々克明にここに写している遑(いとま)はない。とにかくかのトランクは煙のように消えてしまったのである。庭の植込みに隠れていたかもしれない泥坊(どろぼう)の詮議(せんぎ)や、一応は疑われた婆やさんのこと、酒田の物忘れについての疑惑(ぎわく)など、いろいろのことが入りくんでややこしくなったのであるが、誰しもまさかトランクが悠々と絨氈の上から腰をあげ、明け放しの硝子戸の間から、朧月夜(おぼろづきよ)の戸外へと彷徨(さまよ)い出たものとは思わず、その事実を推理し得た者はなかったのである。
 それからそのトランクはどういう出来事にぶつかったか。
 外濠(そとぼり)の堤の松の下の暗闇(くらやみ)を連れだって行く若い女と男とがあった。女は男に対して強硬な態度をとって、男を引放してずんずん足を早めていた。その女はやがて――そのままで推移せば男のために締め殺されて、枯草の上に身を横たえなければならないのであったが、運命のくすしき足取は、女の生命を危局の寸前に救った。それは今や鼠(ねずみ)に向って躍りかかろうとする猫の如きその男の腰に、どすんと突き当った赤革のトランク一箇――女は生命を捨てずに済んだ。男は荒療治(あらりょうじ)を決行するに及ばなかった。男も女も、一応妖異(ようい)に対する恐怖心を起しかかったが、それは慾心によって簡単に撃退された。開いた鞄の中のすごい内容物はあらゆる問題を解決した。女は急に男に対してやさしくなり、そしてその鞄を二人で守って男のアパートへ入り、同棲(どうせい)生活の第一夜を絢爛(けんらん)と踏み出すことに両人の意見は完全なる一致をみたのであるが、この詳細もここにくだくだしく描写している遑(いとま)はない。
 それよりは問題はトランクの運命にある。そのトランクは翌朝両人が目ざめてみると、たしかにそこに置いた筈の夜具の裾(すそ)のところには見当らず、両人は目を皿にして部屋中を匐(は)い廻ったがどこにもなく、そこで両人互いに相手を邪推(じゃすい)して立廻りへと移行したが、両人が相手の顔を捻(ね)じて天井へ向けたときに、そこにぴったり吸いついている前夜のトランクを両人が同時に発見した。そこで両人は再び協力し、誰がトランクを天井の桟(さん)に釘をうってそれへ引掛けたかを怪しみながら、机に椅子を積み重ね、箒や蝙蝠傘(こうもりがさ)やノックバットまで持ちだしてそのトランクを下ろそうと試みた。そのうちにどうした拍子(ひょうし)かトランクの蓋が開いて、その中身が五彩(ごさい)の滝となって下に落ちて来た。両人がそれにとびついて、かき集めている間に、トランクは明いた窓から黙って外へ飛び出していった。
 トランクの後を追って書きつけていると際限(さいげん)がないので、しばらくトランクから離れた話をしようと思う。


   帆村探偵登場


 冬日の暖くさしこんだ硝子(ガラス)窓の下に、田鍋(たなべ)捜査課長の机があった。課長と相対しているのは、長髪のてっぺんから地肌(じはだ)がすこし覗いている中年の長身の紳士だった。無髭無髯(むしむぜん)の顔に、細い黒縁(くろぶち)の眼鏡(めがね)をかけ、脣が横に長いのを特徴の、有名なる私立探偵帆村荘六(ほむらそうろく)だった。一頃から思えば、この探偵も深刻にふけて見える。
「猫の子が宙を飛べるものなら、鞄が宙を飛んだって、仔猫の場合以上にふしぎだとはいえないわけですね」
「いや帆村君、それは違うだろう。猫の子が宙を飛ぶのは許さるべきとしても、生(せい)なき鞄が宙を飛ぶのは怪談だよ。その怪談に怯(おび)やかされてわが五百万の都民は枕を高うして睡(ねむ)れないと山積する投書だ。あれあの籠(かご)を見たまえ」と課長は、二つ三つ向こうの部下の机上を指す。それは尤(もっと)もな風景を見せていた。
「怪談ということでは、この事件の解決はちょっとむずかしいですよ。物理学で行くなら、仔猫も鞄も同じ格です。そしてそらに飛ぶ場合も考えられないことはない。課長さん、そのことについて赤見沢博士の助手の何とかいう婦人に糾(ただ)してみましたか」
「だめだ、あの小山すみれは。ああいう女は、一旦依怙地(えこじ)となったら、殺されても喋(しゃべ)らないものだ。赤見沢はさすがにそれを心得て雇っている。沈黙女史は今のところそっとして置くしかない。しかし――帆村君。生もない鞄がなぜ飛び得ると考えるのか、怪談以外の考え方に於て……。ねえ君、林檎(りんご)も落ちるよ、星も落ちる、猿も木から落ちる」
「万有引力が正常普通に作用するかぎり、それはその通りです。猫の子が宙を飛び、鞄が空(くう)を走るためには、それらの物体に万有引力と反対の方向に作用する相当の力が働いていると断定して間違いないわけでしょう。課長さん、これに答えて下さい」
「さあ、わしには分らんね、全く……」
「万一に考えられることは、特別の浮力です。物体が空気の中にあるために、自分が排除(はいじょ)する容積だけの空気の重量に等しい浮力が、万有引力と反対方向に働いているのですが、こんなことは断るまでもない常識事です。そしてその浮力が仔猫の場合に於ても、鞄の場合に於ても万有引力に比して殆んど省略し得る程度の微小(びしょう)なる力です。これはこれで片づいたとして第二に考えられることは……」
「頭の痛くならんように喋(しゃべ)ることはできないものかね」
「ご尤(もっと)もです。……それでそれは――第二に考えられることは、万有引力常数を変えてしまうこと。第三には第三の物体を誘致(ゆうち)し来(きた)って、それによる引力を、万有引力以上に効(き)き目を持たせること。それから第四に、アインシュタインの設定した万有引力テンソルを……」
「待った。もうたくさん」
「第四は、今の場合論じなくてもすみますから、横へどけて」
「みんな横へどけて、怪談へ戻ろうじゃないか」
「とんでもない。要するに、第二又は第三の素因(そいん)によって、仔猫が宙を飛び、鞄が空を走るものと推定し得られないことはない。赤見沢博士のユニークな頭脳はそれを装置化することに成功したのではないか。仔猫が飛び鞄が走るは、その装置化の成功を語っているのではないか。しからばもはや鞄が深夜(しんや)の焼跡(やけあと)をうろつこうと、真昼のビル街を掠(かす)めようと問題ではない。そうでしょうが……」
「いや、おかしいよ。鞄は必ずしも空中を泳いでばかりはいない。神妙に下に落着いていることもある」
「そんなことは仕掛の工合(ぐあい)でどうにでもなりますよ。たとえぼ、鞄の把柄を手に持って鞄を下げているときには、スイッチが外(はず)れるようになっていて異変(いへん)は起らない。しかし把柄が握られていないときはスイッチが入って、鞄は例の素因(そいん)により万有引力に勝(まさ)って浮きあがる――つまり鞄とその中身との重さが一枚の羽毛ほどの重さに変わってしまう。そういうわけでしょうな」
「実際に出来るのかね、そんな仕掛が……」
「発明が出来れば、あとは仕掛を作ることなんか極(きわ)めて容易(ようい)ですよ」
「ふうん、そんな鞄がどんどん現れて管下一円(かんかいちえん)を脅(おびやか)すことになれば、わし達は鞄狩りに手一杯となり、他の仕事が出来なくなるだろう。とにかく怪談にせよ引力にせよ、一大事件だ。早いところその核心(かくしん)を摘出(てきしゅつ)して、犯人を検挙せにゃいかん」
「犯人というほどのものじゃないでしょうに。それに赤見沢博士は今も人事不省(じんじふせい)を続けていて、何一つ出来ない」
「わしは赤見沢が真実不能者かどうか、厳重に監視をしている。序(ついで)に、あの女も小使夫婦も見張っている。赤見沢たちの犯行は、例の臼井という若僧や前知事の目賀野が出て来れば分ると思うんだが、どういうわけか彼等は姿を見せん。それはなぜだろうか、どうも分らない」
「その臼井氏や目賀野氏の行方こそ、即急(そっきゅう)に突きとめなければならないですね。それから、鞄は一日も早く取り押えなければならない。それと例の仔猫です。あの仔猫はどうなったか、あれはぜひ突き留めなければならないですね」
「はあ、仔猫か。あんなものは大したことはあるまい」
「いや、そうじゃないですよ。あれこそ最も重視すべきものだ」
「もうそろそろ本格的に化(ば)け猫になる頃だという意味かね」
「あの助手女史が保管していないでしょうか」
「あっ、そうか。よし、白状させてみる。不都合な奴だ」

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