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蠅男(はえおとこ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-25 15:58:08 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



   灰色の奇人館


「オーイ君、なにか臭くはないかア」
 と、帆村は櫓の下から、上を向いて叫んだ。
 上では、丹前に宿屋の帯をしめた若い男が、櫓下でなにかわめきたてているのに気がついた。といって彼は当番で見張り中の消防手なのだから、下りるわけにも行かない。そこでおいでおいでをして、梯子を上ってこいという意味の合図をした。
「よオし、ではいま上る――」
 帆村荘六は、そこで尻端折しりはしょりをして、冷い鉄梯子てつばしごにつかまった。そして下駄をはいたまま、エッチラオッチラ上にのぼっていった。上にのぼるにつれ、すこし風が出てきて、彼は剃刀かみそりで撫でられるような冷さを頬に感じた。
「――なんですねン、下からえらいわめいていてだしたが」
 と、制服の外套のえりあごを深くうずめた四十男の消防手がいた。彼は帆村が下駄をはいて上ってきたのに、すこしあきれている風だった。
「おお、このへんな臭いだ。ここでもよく臭いますね。この臭いはいつから臭っていましたか」
「ああこの怪ったいな臭いですかいな。これ昨夜ゆうべからしてましたがな。さよう、十時ごろでしたな。おう今、えらいプンプンしますな」
「そうですか。昨夜の十時ごろからですか」と帆村はうなずいて、今はもう八時だから丁度十時間経ったわけだなと思った。
「一体どの辺から匂ってくるのでしょう」
「さあ?」
 と、消防手は首をかしげて、帆村の顔を見守るばかりだった。彼はどうやら、帆村の職業をそれと察したらしかった。
「風は昨夜から、どんな風に変りましたか」
「ああ風だすか。風は、そうですなア、今も昨夜も、ちっとも変ってえしまへん。北西の風だす」
 消防手だけに、風向きをよく知っている。
「北西というと、こっちになりますね。どうです、消防手さん。こっちの方向に、なにかこう煙の上っているようなところは見えないでしょうか」
 帆村の指す方角に、人のいい消防手はチラリと目をやったが、
「さよですなア、ちょっと見てみまひょう」
 といって、首にかけていた望遠鏡を慣れた手つきで取出すと、長く伸ばして、一方の眼におしあてた。
「いかがです。なにか見えるでしょう」
「さあ――ちょっと待っとくなはれ」
 と、彼は望遠鏡をしきりにばしたりちぢめたりしていたが、そのうちに、
「――ああ、あれかもしれへん」
 と、頓狂とんきょうな声を出した。
「ええッ、ありましたか」
 帆村は思わず、消防手の肩に手をかけた。
「三町ほど向うだす。岸姫きしひめ町というところだすな。まあ、これに違いないやろ思いまっさ。ひとつのぞいてごらん」
 帆村は、消防手のたすけを借りて、望遠鏡越しにその岸姫町の方をじっと眺めてみた。
「――な、見えますやろ。どえらい不細工ぶさいくな倉庫か病院かというような灰色の建物が見えまっしゃろ」
「ああ、これだな」
「見えましたやろ。そしたら、その屋根の上から突き出しとる幅の広い煙突えんとつをごらん。なんやしらん、セメンが一部がれて、赤煉瓦あかれんがが出てるようだすな」
「ウン、見える見える」
「見えてでしたら、その煙突の上をごらん。煙が薄く出ていまっしゃろ、茶色の煙が……」
「おお出ている出ている、茶色の煙がねえ」
 帆村は、腕がしびれるほど、望遠鏡をもちあげて、破れ煙突から出る煙をジッと見守っていた。
 あの煙突から、昨夜の十時から今朝までも、あのとおり煙が出っ放しなんだろうか? そしてあの煙突の下に、果して臭気の原因があるのだろうか?
「あの建物は、なんですかねえ」
「さあ詳しいことは知りまへんけど、この辺の人は、あれを『奇人館』というてます。あの家には、年齢としのハッキリせん男が一人住んでいるそうやと云うことだす」
「ほう、それはあの家の主人ですか」
「そうだっしゃろな。なんでも元は由緒あるドクトルかなんかやったということだす」
「外に同居人はいないのですか、お手伝いさんとか」
「そんなものは一人も居らへんということだす。もっとも出入の米屋さんとか酒屋さんとかがおますけれど、家の中のことは、とんと分らへんと云うとります」
「そのドクトルとかいう人物とは顔を合わさないのですか」
「そらもう合わすどころやあれへん。まず注文はすべて電話でしますのや。商人は品物をもっていって、裏口の外から開く押入おしいれのようなところに置いてくるだけや云うてました。するとそこに代金が現金で置いてありますのや。それを黙って拾うてくるんやと、こないな話だすな。そやさかい向うの家のじんに顔を合わさしまへん」
「ずいぶん変った家ですね。――とにかくこれから一つ行ってみましょう」
 そういっているところへ、電話のベルがけたたましく鳴りだした。消防手は素早すばやく塔上の小室に飛びこんで、しきりに大声で答えていた。それは同じくこの臭気に関するもののようであった。それは消防手が再び帆村の前に現われたとき明白になった。
「――いま警察から電話がかかってきましてん。このったいなかざがお前とこから見えてえへんか云う質問だす。こら、なんか間違いごとが起ったんですなア。やあえらいことになりましたなあ」


   旅行中の貼り札


 帆村はその足で、すぐさま奇人館の前に行った。
 なるほど、それは実に奇妙な建物だった。よく病院の標本室に入ると、大きな砂糖びんのような硝子ガラス器の中に、アルコール漬けになって、心臓や肺臓や、ときとすると子宮しきゅうなどという臓器が、すっかり色彩というものを失ってしまって、どれを見てもただ灰色のかたまりでしかないというのが見られる。この奇人館はどこかそのアルコール漬けの臓器に似ていた。
 灰色の部厚いコンクリートの塀、そのすぐ後に迫って、ふくれ上ったような壁体へきたいでグルリと囲んだ函のような建物。――それらは幾十年の寒さ暑さにって、壁体の上には稲妻のようなひびが斜めにながく走り、雨にさんざんにうたれては、一面に世界地図のような汚斑しみがべったりとつき、見るからにゾッとするような陰惨いんさん邸宅ていたくだった。
 それでも往来に面したところには、赤くびてはいるが鉄柵づくりの門があり、それをとおして石段の上に、重い鉄のドアのはまった玄関が見えていた。
「おおあすこに何か貼り札がしてある!」
 その玄関の扉のハンドルに、斜めになって文字をかいた厚紙が懸っているのを帆村は見た。なんと書いてあるのだろう。彼は光線のとおらないところにある掲示を、苦心して読み取った。
 ――当分旅行ニツキ訪問ヲ謝絶シャゼツス。十一月三十日、鴨下カモシタ――
「ウン、鴨下――というか。ここの主人公の名前だな。その主人公は旅行に出かけたという掲示けいじだ。なアんだ。中は留守じゃないか」
 帆村はちょっとガッカリした。
 だが、よく考えてみると、留守は留守でも、それは十一月三十日に出ていったのだから、一昨日おとといの出来ごとだった。それだのに、昨夜からずっとこの方、煙突から煙が出ているというのは一体どうしたことだろう?
「鴨下ドクトルが、ストーブの火を燃しつけていったのかしら。しかしそれなら、一昨日の夜も昨日の朝も昼間も、別に煙が出なかったのはどうしたわけだろう」
 とにかく無人むじんであるべき家の煙突から、モクモクと煙が上るというのはどう考えても合点がゆかないことだ。どうしても、中に誰か居て、ストーブに火を点けたのでなければ話が合わない。もし人が居るとしたら、誰が居るのだろう。鴨下ドクトルが出ていった後に、一体誰が残っているというのだろう?
 奇人館の怪事を、何と解こうか。
 帆村が門前に腕組をして考えこんでいるときだった。丁度ちょうどそこへ、街の異変を聞きこんだ所轄しょかつ警察署の警官たちが自動車にのって駈けつけてきた。
「さあ、早いとこ、お前はベルを押せ。なにベルがない。探せ探せ。どこかにあるはずや」
 と指揮の巡査部長が大童おおわらわの号令ぶりをみせた。
「――それから別に、お前とお前とで、この鉄の門を越えて、玄関の戸を叩いてみい」
 声の下に、二名の警官が勇しく鉄の門にいなごのように飛びついた。
「さあ、お前ら三名、裏口へ廻れ、一人は連絡やぜ」
 部下を四方へ散らばせると、巡査部長は帽子の頤紐あごひもをゆるめて、頤に掛けた。そして鼻をクンクン鳴らして、
「うわーッ、こらどうもならん臭さや。なにをしよったんやろ、奇人ドクトルは……」
 そのとき帆村は横合よこあいから声をかけた。
「おおこれは帆村はんだすな。まだ御泊おとまりでしたか。えらいところをごらんに入れますわ、ハッハッハッ」
 検事の村松氏に案内されていったとき、知合いになった住吉署の大川巡査部長であった。帆村は邪魔にならぬように、そばについていた。
 裏口に廻った部下の一人が帰ってきて、二階の西側の鎧窓よろいまどに鍵のかかっていないところがあって、そこから中へ這入れると報告をした。大川はよろこんで、
「よし、そこから這入はいれ、三人外に残して、残り皆で這入るんや。俺も這入ったる」
 巡査部長は、佩剣はいけんを左手で握って、裏口へ飛びこんでいった。帆村もそのまま一行の後に続いていった。
 樋を伝わって、屋根にのぼり、グルリと壁づたいに廻ってゆくと、なるほど四尺ほど上に鎧戸の入った窓がポッカリ明いていて、そこから一人の警官がヒョイと顔を出した。
「中は、ひっそりかんとしてまっせ」
「そうか。――油断はでけへんぞ。カーテンの蔭かどこかに隠れていて、ばアというつもりかもしれへん。さあ皆入った。さしあたり煙突に続いている台所とかストーブとかいう見当けんとうを確かめてみい」
 勇敢なる巡査部長は、先頭に立って、くさりかかった鎧戸を押して、薄暗い内部にとび下りた。一行は、最初の警官を窓のところに張り番に残して、ソロソロと前進を開始した。
 帆村も丹前のはしを高々と端折はしょって、腕まくりをし、一行の後からついていった。
 たいへん曲りくねって階段や廊下がつづいていた。外から見るような簡単な構造ではない。大小いくつかの部屋があるが、ことごとく洋間になっていて、日本間らしいものは見当らなかった。
 家の中に入ると、不思議とあの変な臭気は薄れた。そしてそれに代って、ひどく鼻をつくのが消毒剤のクレゾール石鹸液の芳香ほうこうだった。
「ここ病院の古手ふるてと違うか」
「あほぬかせ。ここの大将が、なんでも洋行を永くしていた医者や云う話や」
「ああそうかそうか。それで鴨下ドクトルちゅうのやな。こんなところに診察室を作っておいて、誰をるのやろ」
「コラ、ちと静かにせんか」
 巡査部長の一喝いっかつで、若い警官たちはグッと唇をつぐんだ。
 いくら跫音あしおとを忍ばせても、ギシギシ鳴る大階段を、下に下りてゆくと、思いがけなく大きい広間に出た。スイッチをパチンと押して、電灯をつけてみる。
「ああ――」
 これは主人の鴨下ドクトルの自慢の飾りでもあろうか、一世紀ほど前の中欧ドイツの名画によく見るような地味な、それでいてどことなく官能的な部屋飾りだ。高い壁の上には誰とも知れぬがプロシア人らしい学者風の人物画が三枚ほど懸っている。横の方の壁には、これも独逸ドイツ文字でギッシリと説明のつけてある人体解剖図と、骨骼及び筋肉図の大掲図だいけいずとが一対をなしてダラリと下っている。
 色がせたけれど、黒のふちをとった黄色い絨毯じゅうたんが、ドーンと床の上に拡がっていた。そして紫檀したんに似た材で作ってある大きな角卓子テーブルが、その中央に置いてある。その上には、もとは燃えるような緑色だったらしい卓子掛けが載って居り、その上には何のつもりか、古い洋燈ランプがただ一つ置かれてあった。
 室内には、この外に、奇妙な飾りのある高い椅子が三つ、深々とした安楽椅子が四つ、それから長椅子が一つ、いずれも壁ぎわにキチンと並んでいた。
 もう一つ、書き落としてはならないものがあった。それはこの部屋にはむしろ不似合なほどの大暖炉ストーブだった。まわりは黒とあいとの斑紋はんもんもうつくしい大理石に囲われて居り、大きなマントルピースの上には、置時計その他の雑品が並んでいた。しかもその火床かしょうには、大きな石炭がほうりこまれて居り、メラメラと赤い焔をあげて、今や盛んに燃えているところだった。
「これやア。えろう燃やしたもんや。ムンムンするわい」
 と、巡査部長はストーブの方に近づいた。
「ほほう、こらおかしい。傍へよると、妙なかざがしよる――」
「えッ。――」
 一同は、おどろいてストーブの傍に駆けよった。

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