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馬妖記(ばようき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-28 9:28:09 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     二

 人は隣り村の鉄作という若者である。彼は今頃どうしてここへ来て、この陥し穽に落ちたのかと、不思議ながらに引揚げると、鉄作はほとんど半死半生のていで、しばらくは碌ろくに口も利けないのを、介抱してだんだん詮議すると、彼は今夜かの怪しい馬に出逢ったというのであった。
 この村の次郎兵衛という百姓の後家ごけにお福という女がある。お福はことし三十七、八で、わが子のような鉄作とかねて関係を結んでいたが、自分の家へ引入れては母の手前や近所の手前があるので、自分の家から少しはなれた小さい森のなかを逢引きの場所と定めていた。ところが、この頃はかの海馬の騒ぎで、鉄作はちっとも寄りつかない。それを待ちわびしく思って、お福はきょうの昼のうちに隣り村へそっとたずねて行って、今夜はぜひ逢いに来てくれと堅く約束して帰った。年上の女にうるさく催促されて、鉄作は今夜よんどころなく忍んで来ると、さっきから自分の家のかどに立って待ち暮らしていたお福は、すぐに男の手をとって、いつもの森をさして暗い夜道をたどって行くと、狭い道のまん中で突然に何物かに突き当った。
 こっちは勿論おどろいたが、相手も驚いたらしい。大きい鼻息をしたかと思うと、たちまちにひと声高く嘶いた。それがかの怪しい馬であると知ったときに、鉄作は気が遠くなるほどに驚いた。驚いたというよりも、怖ろしさがまた一倍で、彼はもう前後の考えもなく、られている女の手を振払って、一目散にもと来た道へ逃げ出したが、暗いのと慌てたのとで方角をあやまって、かの陥し穽に転げ込んだのである。
 そう判ってくると、騒ぎはいよいよ大きくなって、大勢は松明たいまつをふり照らしてそこらを穿索すると、果して道のまん中に次郎兵衛後家のお福が正体もなく倒れていた。お福は介抱してももう生きなかった。横ざまに倒れたところを、かの馬の足で脇腹を強く踏まれたらしい。あばらの骨がみな踏み砕かれているのを見ても、かの馬がよほど巨大な動物であることが想像されて、人々は顔をみあわせた。
「次郎兵衛後家が海馬にふみ殺された。」
 その噂が又ひろまって、人びとの好奇心は次第に恐怖心に変って来た。海馬だかなんだか知らないが、そんな巨大な怪物に出逢ってはかなわないという恐怖心にとらわれて、その以来はかの馬狩りに加わる者がだんだんに減って来るようになった。暗い夜にはどこの家でも早く戸を閉じてしまった。怪しい馬は相変らず三日目か五日目には異様な嘶きを聞かせて、家々の飼馬をおびやかしていた。
「どうも不思議なことだな。しかし面白い。」と、その噂をきいた城中の若侍たちは言った。
 前に言ったような事情で、かれらは何か事あれかしと待ち構えていたところである。その矢先へこんな風説が耳にはいっては猶予がならない。糟屋甚七、古河市五郎の二人は、すぐに多々良村へ出向いてその実否じっぷを詮議すると、その風説に間違いはないと判った。
「もう三月ではないか。正月以来そんな不思議があったら、なぜ早く俺たちに訴えないのだ。」
 二人はさらに隣り村へ行って、かの鉄作を詮議すると、彼はその後半月あまりも病人になっていたが、この頃はようよう元のからだに戻ったとのことで、甚七らの問いに対して何事も正直に答えた。しかし、自分の出逢った怪物がどんな物であったかを説明することは出来なかった。何分にも暗い夜といい、かつは不意の出来事であるので、半分は夢中でなんの記憶もないのであるが、それは普通の牛や馬よりも余ほど大きい物で、突きあたった一刹那いっせつなに感じたところでは、熊のような長い毛が一面に生えているらしかったというのである。
 その以上のことは判らなかったが、ともかくも一種の怪獣があらわれて、家々の飼馬を恐れさせ、さらに次郎兵衛後家を踏み殺したというのは事実であることが確かめられたので、甚七と市五郎とは満足して引揚げた。城へ帰る途中で、甚七は言い出した。
「しかし貴公、この事をすぐにみんなに吹聴ふいちょうするか。」
「それを俺も考えているのだが、むやみに吹聴して大勢がわやわや付いて来られては困る。いっそ貴公とおれと二人でそっと行くことにしようではないか。」
 いかなる場合にも人間には功名心こうみょうしんがある。甚七と市五郎も海馬探検の功名手柄を独り占めにしようという下心したごころがあるので、結局他の者どもを出しぬいて、二人が今夜ひそかに出て来ることに相談を決めた。
 三月もなかば過ぎて、ここらの春は暖かであった。あたかもきょうは午後から薄陰りして、おそい桜が風のないゆうべにほろほろ散っていた。
「今夜はきっと出るぜ。」
 二人は夜が来るのを待ちかねて、誘いあわせて城をぬけ出した。市五郎は鉄砲を用意して行こうかといったが、飛び道具をたずさえていると門検もんあらためが面倒であるというので、甚七は反対した。二人はただ身軽に扮装いでたつだけのことにして、いぬこくを過ぎる頃から城下の村へ忍んで行くと、おあつらえむきの暗い夜で、今にも雨を運んで来そうな生温なまぬるい南風が彼らの頬をなでて通った。城下であるから附近の地理はふだんからよく知っている。殊に昼のうちにも大抵の見当は付けておいたので、二人は眼先もみえない夜道にも迷うことなしに、目的の場所へ行き着いた。
 どこという確かなあてもないが、怪しい馬は水から出て来るらしいというのを頼りに、二人は多々良川に近いところに陣取って、一本の大きいはじの木を小楯こだてに忍んでいると、やがて一ときも過ぎたかと思われる頃に、どこからか大きい足音がきこえた。
「来たらしいぞ。」
 二人は息をころして窺っていると、彼らの隠れ場所から十けん余りもはなれたところに、一つの大きい黒い影の現れたのが水明かりでぼんやりと見えた。黒い影はにぶく動いて水にはいって行くらしかった。つづいて水を打つような音が幾たびか聞えたので、甚七は市五郎にささやいた。
「水から出て来るのではない。水にはいるのだ。」
「どうもさかなを捕るらしいぞ。」
「馬が魚を食うかな。」
「それが少しおかしい。」
 なおも油断なく窺っていると、黒い影は水から出て来て、暗い空にむかって高くいなないた。それを合図のように二人はつかつかと進み寄って、袖の下に隠していた火縄ひなわを振り照らすと、その小さい火に対して相手は余りに大き過ぎるらしく、ただ真っ黒な物が眼のさきに突っ立っているだけで、その正体はよく判らなかった。それと同時に、その黒い影はほたるよりも淡い火のひかりを避けるように、体をひるがえして立去ろうとするのを、二人はつづいて追おうとすると、目先の方に気を取られて火縄をふる手が自然おろそかになったらしい。あたかも強く吹いて来る川風のために二つの火縄は消されてしまった。はっと思う間もなしに、市五郎ははたかれたか蹴られたか、声を立てずにその場に倒れた。
 甚七はあわてて刀をぬいて、相手を斬るともなく、自分を防ぐともなく、半分は夢中で振廻すと、黒い影は彼をそのままにして静かに闇の奥に隠れて行った。甚七はまだ追おうとすると、わが足は倒れている市五郎につまずいて、これも暗いなかに倒れた。彼は起きかえりながら小声で呼んだ。
「市五郎、どうした。」
 市五郎は答えないで、唯うめくばかりである。暗いのでよくは判らないが、彼は怪物のために手ひどい打撃を受けたらしい。こうなるとまず彼を介抱しなければならないと思ったので、甚七は暗いなかを叫びながら里の方へ走った。
「おい、おい。誰かいないか。」
 馬狩りの群れはこの頃いちじるしく減ったのであるが、それでも強情に出ている者も二組ほどあった。その六、七人が甚七の声におどろかされて駈け集まって来た。相手が城内の侍とわかって、かれらはいよいよ驚いた。用意の松明に火をとぼして、市五郎の倒れている場所へかけ付けると、彼は鼻や口からおびただしい血を流して、上下の前歯が五本ほども折れていた。市五郎は怪物のために鼻や口を強く打たれたらしい。取りあえずそこから近い農家へ運び込んで、水や薬の応急手当を加えると、市五郎はようように正気づいたが、倒れるはずみに頭をも強く打ったらしく、容易に起き上がることは出来なかった。
 これには甚七もひどく困った。城内へ帰って正直にそれを報告する時は、いかにも自分たちの武勇が足らないように思われるばかりか、無断で海馬探検などに出かけて来てこの失態を演じたとあっては、組頭くみがしらからどんなに叱られるか判らない。さりとて今さら仕様もないので、彼は市五郎の看護を他の人びとにたのんで、自分だけはひとまず城内へ戻ることにした。戻ると、果して散々さんざんの始末であった。
「お留守をうけたまわる身の上で、要もない悪戯いたずらをして朋輩を怪我人にするとは何のことだ。侍ひとりでも大切という今の場合を知らないか。」と、彼は組頭から厳しく叱られた。
「いったい我れわれを出し抜いて、自分たちばかりで手柄をしようとたくらむから悪いのだ。」と、彼は他の朋輩からも笑われた。
 叱られたり笑われたりして、覚悟の上とはいいながら甚七も少しく取り逆上のぼせたらしい。かれは危うく切腹しようとするところを、朋輩どもに支えられた。それを聞いて組頭はまた叱った。
「市五郎が怪我人となったさえあるに、甚七までが切腹してどうするのだ。他の者どもを案内して行って、早く市五郎を連れて帰れ。」
 朋輩共も一旦は笑ったものの、ただ笑っていて済むわけのものではないので、組頭の指図にしたがって、十人はすぐに支度をして城を出た。甚七は無論その案内に立たされた。神原君の先祖の茂左衛門基治はその当時十九歳の若侍で、この一行に加わっていたのである。
 その途中で年長としかさの伊丹弥次兵衛がこんなことを言い出した。
「組頭はただ、古河市五郎を連れ帰れというだけの指図であったが、海馬の噂は我れわれも聞いている。そのままに捨てておいては、おいえの威光にかかわる事だ。殊に甚七と市五郎がかような不覚をはたらいたのを、唯そのままに致しておいては、他国ばかりでなく、御領内のたみ百姓にまであざけり笑わるる道理ではないか。まず市五郎の容態を見届けた上で、次第によっては我れわれもその馬狩りを企ててはどうだな。」
 人びとは皆もっともと同意した。かれらが里に近づいた頃に、家々の飼馬は一度に狂い嘶いて、かの怪物がまだそこらに徘徊していることを教えたので、人々の気分はさらに緊張した。年の若い茂左衛門の血は沸いた。

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