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その翌日の新聞は、刺戟的の記事で充たされていた。大標題だけを上げることにしよう。
国際的大詐欺師 佐伯準一郎捕縛さる
勿論特号活字であった。 欧米、南洋、支那、近東、こういう方面を舞台とし、十数年間組織的詐欺を、働いていたということや、日本知名の富豪紳士にも、被害者があるということや、数ヶ月前名古屋に入り込み、ために司法部の活動となり、捜索をしていたということや、昨夜何者か密告者があって、始めて所在を知ったということや、家宅捜索をした所、贋物の骨董があったばかりで金目の物のなかったということや、書生や女中は新米で、様子を知らなかったということや、××町の屋敷へは、ほんの最近に移って来たので、まだ近所への交際さえ、はじめていなかったということや、最後に至って別標題を附け、国際的陰謀の秘密結社に、関係あるらしいということなどが、三段に渡って記されてあった。 私と妻とは眼を見合わせた。どうしていいか解らなかった。白金に違いないと思われる、銀三十枚を携えて、警察へ訴え出ることが、とるべき至当の手段ではあったが、そのため同類と疑われ、種々うるさい取り調べを受け、新聞などへ書かれることが、どうにも不愉快でならなかった。と云って保存して置いたなら、いわゆる贓物隠匿として、露見した場合には必然的に、刑事問題を惹き起こすだろう。 「おい、どうしたものだろう?」 「さあ、ねえ」と彼女は考え込んだ。 「訴えて出るのが至当でしょうね」 「うん」と私は考え込んだ。 「変にえこじに調べられると、カッと逆上する性質だからなあ」 「それに貴郎はお忙しいんでしょう」 「うん、目茶々々に忙しいんだ。動揺させられるのが一番困る。今が大事な時なんだからな。せっかくの空想が塞がれてしまう」 「それが一番困りますわね」 彼女は熱心に考え込んだ。 大方の芸術家がそうであるように、一面私は神経質で、他面私は放胆であった。又一面洒落者で他面著しく物臭であった。宿命的病気に取っ付かれて以来、その程度が烈しくなった。この病気の特徴として、いつも精神が興奮した。 だが私は私の病気を、祝福したいような時もあった。「空想」が奔馳して来るからであった。本来私という人間は、空想的の人間であった。空想には不自由しなかった。それが病気になって以来、その量が一層増したらしい。空で行なわれているエーテルの建築! それを破壊する電子の群れ! そんなものが私には、「見える」のであった。だがまだ私は霊媒ではなかった。しかし早晩なるだろう。他界の消息、黄泉の通信、幽霊達の訴言、そういうものだって知ることが出来よう。 物を書きながら苦しむことがあった。後から後からと空想が、駈け足で追っかけて来るからであった。文字にして原稿紙へ書き取る暇さえ、ゆっくり与えてはくれないからであった。そんな時私はゴロリと寝た。動悸の烈しい心臓を抑え、空想の駈け抜けるのを待つのであった。 町を歩きながら立ち止まり、電信柱へ倚りかかり、湧き上って来る空想を、鼻紙の上へ書いたりした。 ある夜空想が湧き上って来た。折悪しく鼻紙を持っていなかった。一軒の商店の板壁へ、万年筆で書き付けた。そうして翌朝出かけて行き、写し取って来たような事さえあった。 今に私は往来の人の、背中へ紙をおっ付けて、そこで書くようになるかもしれない。 創作力に充満ていた。それをこんなつまらないことで、破壊されるのは厭だった。 急に妻は変に笑った。ゾッとするような笑い方であった。それから私をからかい出した。 「無理はないわね、貴郎としては。そうら出入りの呉服屋さん、ちょっと相場で儲けたと云って、白金の腕時計を巻いて来たらニッケルにしちゃアいい艶だって、こんな事を云ったじゃアありませんか、そうかと思うと妾の時計、そりゃあニッケルとしては類なしで、金時計より高価んですけれど、こいつア素晴らしい白金だって、大騒ぎをしたじゃアありませんか。白金だか銀だか解らないのは[#「解らないのは」は底本では「解からないのは」]、ちっとも不思議じゃアありませんわね」
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「何だ莫迦め!」と呶鳴り付けた。 「そんな事を云い出して何になるんだ」 だが彼女はますます笑い、ますます私をからかった。 「貴郎、ペテンに掛かったのよ。ええそうとしか思われないわ。でもどうしてこんなペテンに? いいえさ佐伯とかいう大詐欺師が、どうしてこんな変なペテンに、引っかけなければならなかったんでしょう? 儲かることでもないのにね。かえって大変な損をするのに。これには奥底があるんだわ。そうとしきゃア思われないわ。恐いわねえ、どうしましょう。返していらっしゃいよ、さあ直ぐに」 「莫迦め!」と私はまた呶鳴った。 「牢屋へ持ってって返せってのか」 「では貴郎には手が着かないのね?」 にわかに彼女は冷静になった。 「妾にお委せなさいまし」 「で、お前はどうするつもりだい?」 「貴郎それをお聞きになりたいの? では自分でなさるがいいわ」 彼女は再び揶揄的になった。 「だってそうじゃアありませんか、一切妾に委されないなら」 「だが俺には手が出ないよ」 「お書きなさいまし、原稿をね」 それは歌うような調子であった。 「そうして何にも思わないがいいわ。食い付きなさいまし、お仕事にね。貴郎は可愛いお馬鹿ちゃんよ。組織立ったことをさせるのは、それは無理と云うものよ。お信じなさいまし、妾をね」 私は彼女へ委せてしまった。何にも考えないことにした。さあ仕事だ! さあ創作だ! 空想よ駈り立ててくれ!
年が改たまって新年となった。 妻の様子が変わって来た。 彼女と私とは恋愛によって、一緒になった夫婦であった。彼女は私を愛していた。ところがこの頃愛さなくなった。 「ねえ、お馬鹿ちゃん」 「ねえ、凸坊」 これが私への愛称であった。この頃ではそれを封じてしまった。彼女はひどく剽軽であった。途方もない警句を頻発しては、私を素晴らしく喜ばせてくれた。 「ね、ご覧なさいよ、ベッキイちゃんを、てまつくしているじゃアありませんか」 よく彼女はこんなことを云った。ベッキイというのは飼い犬であった。活動俳優の天才少女、ベビー・ベッキイの名を取って、彼女が命名けた犬の名であった。てまつくというのは手枕のことで、その飼い犬が寝ている様子を、そう形容して云ったのであった。 これは何でもない云い方かもしれない。しかし彼女が云う時は、光景が躍如とするのであった。犬ではなくて人間の、可愛い可愛いベッキイという少女が、さも愛くるしく手枕をして、眠っているように思われるのであった。 しかし彼女はこの頃では、もうそんなことも云わなくなった。私が散歩でもしようとすると、彼女はきっと呼び止めた。立ったまま私を抱き介え、少しおデコの彼女の額を、私の額へピッタリと食っ付け、梟のように眼を見張り、嚇かすように頬を膨らせ、 「いい事よ、行っていらっしゃい」 こう云ってようやく放してくれた。が、それも遣らなくなった。 泣くことの好きな女であった。ある朝私は顔を洗い、冷たい手をして居間へ行った。と、彼女が化粧をしていた。胸が蒼白くて綺麗だった。冷たい手先をおっ附けてやった。それが悲しいといって泣き出した。大変美しい泣き方であった。勿論拵えた媚態であった。それが彼女には似つかわしかった。が、それもやらなくなった。 笑うことの上手な女であった。「無智の笑い方」が上手であった。利口な彼女が笑い出すと、無智な無邪気な女に見えた。それこそ実際男にとっては、有難い笑いと云わなければならない。瞬間に苦労が癒えるからであった。が、それもやらなくなった。 彼女は不思議な女であった。千里眼的の所があった。ウイスキイの二三杯もひっかけて――私は元は非常な豪酒で、一升の酒は苦しまずに飲んだ――門の格子を静かにあけると、きっと彼女は云ったものである。 「ご機嫌ね、柄にないわ」 ……時々交際で旗亭へ行き、さり気なく家へ帰って来ると、三間も離れて居りながら、 「厭な凸坊、キスしたのね。若い綺麗な芸子さんと。襟に白粉が着いてるわ」 ……だが彼女はこの頃では、もうそんな事も云わなくなった。 私が戸外で何をしようと、気に掛けようとはしなかった。 これは一体どうしたのだろう? 何が彼女を変えたのだろう? 彼女は丸髷が好きであった。いつかそれを王女髷に変えた。 家に居たがる女であった。ところがこの頃では用もないのに、戸外へばかり出たがった。 驚くべきことが発見された。彼女は実に僅かな間に、奇蹟的に美しくなり、奇蹟的に気高くなった。 「美粧倶楽部へでも行くのだな。恋人でも出来たのではあるまいか? 恋人が出来ると女という者は、急に美しくなるものだ」 私の心は痛くなった。憂鬱にならざるを得なかった。
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