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血ぬられた懐刀(ちぬられたかいとう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-3 6:55:10 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



闇の中の声

「秋安様の予言どおりに、わたしは小四郎様にあざむかれた」
 さも後悔に堪えないように、声に出して女は呟いたが、他ならぬ娘の萩野であった。
 今宵も忍んで来るがよいと、こういう約束があったので、萩野は恋心をたかぶらせながら、聚楽第じゅらくだいの付近にある、小四郎の住居すまいまで行ったところ、小四郎はどうしたものであろうか、けんもほろろの挨拶をして、萩野を追い返してしまったのである。
「野に在る花は野にあるがよい。其方そなたはやっぱり野にある花だ。しかるにわしは聚楽の家臣、地下の者とは身分が違う。何もお前を嫌うのではないが、これまでの縁はこれまでとして、其方は其方の昔にかえり、私は私の昔にかえろう。で、今後は私も行かぬ。其方も私を訪ねないがよい」
 こういう露骨の言葉をさえ、萩野は小四郎から貰ったのである。
 ことの意外に驚きながらも、どうすることも出来なかった。しかしどうしてそうもにわかに、小四郎の心が変わったのか、萩野には見当が付かなかった。
 で、それだけでも聞きだそうと思って、小四郎の袖を抑えた時、潜戸くぐりどが内からとざされた。で、聞くことさえ出来なかった。
 で、そのまま婢女はしためを連れて、しおしおと家へ帰ったのであったが、悲しさと口惜しさと怒りとで、眠ることなど出来そうもない。
 で、フラフラと家を出て、近くの花園の森へまで、来るともなしに来たのであった。
 萩野は松の木へ額をあて、じっと物思いに沈んでいる。
 木洩れの月光が森の中へ、薄蒼い縞を投げている。それに照らされた萩野の肩の、寂しそうなことと云うものは!
 と、その肩が顫え出した。すすり泣いている証拠である。
「小四郎様と比較ひきくらべて、秋安様の親切だったことは! そういうお方を振りすてて、小四郎様へ気を向けたのは、わたしの愚かというよりも、魔が射したものと思わなければならない。そのあげくに妾は捨られたのだ。誰にも逢わす顔がない。ましてや今さらオメオメと、秋安様とは逢うことは出来ない。ちょっとした心の迷いから、二つの恋を失ってしまった」
 限りない絶望と悔恨とが、今や萩野をとらえたのである。
「ああこの森で秋安様と、幾度媾曳あいびきをしたことやら。そのつど何と秋安様が、妾を愛撫して下すったことやら。思い出の多い花園の森! 一本の木にも一つの石にも、忘れられない思い出がある」
 フラフラと萩野は歩き出した。
「ああここに杉の木がある」
 一本の杉の木へ手を触れたが、しずかに幹を撫で廻した。
「この木の幹に背をもたせかけて、はじめて秋安様がこの妾へ、恋心をお打ち明け下されたのは、一年前の今頃であった。あの時妾はまあどんなに、嬉しくも恥しくも思ったことか。『妾は幸福でござります。妾も貴郎あなた様をお愛しします』と、ぼっとした声でお答えしたはずだ」
 一本の桜の老木があった。木洩れの月光に浮き出して、満開の花が綿のように、森の天井を染めている。
 その桜の木へわったが、萩野は幹へ額をあてた。
「この桜の花の下で、行末のことを語り合い、あのお方の熱い唇を、はじめて額へ受けたことがある。昨日きのうのように思われるが、やはり一年の昔だった」
 松の巨木が聳えている、幹に月光が斑を置いていた。
 その幹へ萩野は寄りかかったが、袂で顔を蔽うようにした。にわかに体がちぢまったのは、根元へうずくまったからであろう。しばらくの間は身動きもしない。何かを思い詰めているらしい。ただ肩ばかりが顫えている。いぜんとして泣いているからであろう。
 やがて心を定めたかのように、萩野はゆるゆると立ち上ったが、腰の辺りを探り出した。
 と、紐がクルクルと解けた。
 仰ぐように顔を上向けて、松の下枝へ眼をやったが、片手を上げて紐を投げた。
 松の枝へかかって下った紐を、両手で握って引いたのは、くびれて死のうとするのでもあろう。
 縊れて死のうとしたのであった。
 しかし紐の端へ頤をかけた時に、背後うしろから二本の腕が出て、萩野の肩を引っかかえた。
「ひとつ御相談にのりましょう。短気はおやめなさりませ。死ぬほどの事情がありましても、生きられる事情にもなりますもので。ひとつ御相談に乗りましょう。私におまかせなさりませ」
 つづいてこういう声がしたが、優しい老人の声であった。


秋安の館

 ちょうど同じ晩のことであるが、秋安の屋敷の一間の中で、廻国風の美しい娘と、北畠秋安とが話していた。
 秋安の父は秋元あきもとと云い、北畠親房ちかふさの後胤として、非常に勝れた家柄であった。学者風の人物であるところから、公卿にも、武家にも仕えようとはせずと、豪族の一人として閑居していた。
 聚楽第じゅらくだいの西の花園の地に、手広い屋敷を営んで、家の子郎党も多少貯え、近郷の者には尊敬され、太閤秀吉にも認められ、殿上人にも親しまれて、のびやかに風雅にくらしていた。しかし身分は無位無官で、地下侍には相違なかった。
「人間の栄華というようなものは、そうそう長くつづくものではない。よし又長くつづいたところで、大して嬉しいものではない。栄華には栄華の陰影かげとして、不安なものがあるものだ。人の本当の幸福は、小慾にあり知足にある」
 これが秋元の心持であった。従って伏見桃山の栄華や、聚楽の豪奢に対しても、全くのところ風馬牛であった。
 とは云え関白秀次の態度――すなわち兇暴と荒淫との、交響楽じみた態度については、苦々しく思っていた。
「今にあの卿は亡ぼされるであろう」と、人に向かって噂などもした。
 そういう秋元の子であった。秋安も閑雅の人物であったが、若いだけに覇気があって、飯篠長威斎いいささちょういさいの剣法を学び、極意にさえも達していた。
 そういう豪族の居間である。
 秋安と美しい廻国風の娘と、語り合っているその部屋には、狩野山楽かのうさんらくの描いたところの、雌雄孔雀の金屏風が、紙燭の燈火ひかりを明るく受けて、さも華やかに輝いている。
「……そういう訳でございまして、わたしの父母と申しますものは、秀次公に滅ぼされました、佐々隆行ささたかゆきの一族で、相当に栄華にくらしました。でも両親が宗家と共に、城中で切腹いたしまして、妾一人が乳母や下僕に、わずかに守られて城を出てからは、昔の栄華は夢となり、丹波たんばの奥の狩野かのの庄で、みすぼらしく寂しく暮らしました。その中に親切な乳母も下僕も、この世を去ってしまいましたので、いよいよ妾は一人ぼっちとなり、途方にくれたのでござります。今は天下は治まりまして、秀次公には関白職、そうして妾は女の身分、それに戦いで滅ぼされましたは、戦国時代の習慣としまして、誰も怨もうこともなく、で、わたくしといたしましては、今さら父母の仇敵と、秀次公を狙おうなどとは、決して思っては居りませぬどころが、手頼たより無い身でござりますので、いっそ両親の菩提のために、諸国の神社仏閣を、巡拝いたそうと存じまして、京都へ参ったのでございました。でもともかくも秀次公に仕える聚楽第の若いお侍に、手籠めに合いなどいたしましたら、逝き父母に対しては申訳なく、妾自身に対しましては、恥しい次第にございます。……ほんにあの時お助け下され、何とお礼を申してよいやら、有難い次第にござります。……それにこのようにご親切に、お屋敷へさえお連れ下され、手厚い介抱を受けまして、いよいよかたじけなく存じます」
 その娘の名はおべにと云い、北国の名家、佐々隆行、その一族の姫なのであった。その父の名は時明ときあきら、その母の名はお園の方、一時はときめいた身分なのであった。
 それであればこそお紅という娘も、貧しい貧しい廻国風の姿に、身を※(「にんべん+肖」、第4水準2-1-52)してはいるけれど、臈たけいまでに[#「臈たけいまでに」はママ]品位があり、容貌が打ち上って見えるのであった。
 素性を聞いたために秋安が、いよいよお紅という娘に対して、いわれぬ愛着と尊敬とを、感じたことは言うまでもない。
 で、幾度も頷いたが、
「いずれ由緒よしあるお身の上とは、最初から存じて居りましたが、そのような名家の遺兒わすれがたみとは、思い及びも致しませんでした。そういうお方をお助けしたことは、この秋安にとりましては、名誉のことにござります。で、お尋ねいたしますが、今後はいかようになされます? やはりご廻国なさいますお気で?」
「はい」と云うと娘のお紅は、寂しそうに顔を俯向けたが、
「手頼り無い身にござります。一人ぼっちの身にござります。やはり諸国を巡りまして、神社仏閣を参拝し、この一生を終わります他には、手段はないように存ぜられます。今宵一夜だけお泊め下されて。明日はお許し下さりませ。早々においとまいたしまして……」
「旅へ立たれるおつもりなので?」
「そう致しとう存じます」
「が、またもや悪漢どもが、苦しめましたならどうなされます」

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