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大震火災記(だいしんかさいき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-12 9:45:10 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 鈴木三重吉童話集
出版社: 岩波文庫、岩波書店
初版発行日: 1996(平成8)年11月18日第1刷発行
入力に使用: 1996(平成8)年11月18日第1刷発行

底本の親本: 鈴木三重吉童話全集
出版社: 文泉堂書店
初版発行日: 1975年

 


       一

 大正十二年のおそろしい関東大地震の震源地は相模さがみなだ大島おおしま北上きたうえの海底で、そこのところが横巾よこはば最長三海里、たて十五海里のあいだ、深さ二十ひろから百ひろまで、どかりと落ちこんだのがもとでした。
 そのために東京、横浜、横須賀よこすか以下、東京湾の入口に近い千葉県の海岸、京浜間けいひんかん、相模の海岸、それから、伊豆いずの、相模なだに対面した海岸全たいから箱根はこね地方へかけて、少くて四寸以上のゆれ巾、六寸の波動の大震動が来たのです。それが手引てびきとなって、東京、横浜、横須賀なぞでは、たちまち一面に火災がおこり、相模、伊豆の海岸が地震とともにつなみをかぶりなぞして、全部で、くずれたおれたいえが五万六千、焼けたり流れたりしたのが三十七万八千、死者十一万四千、負傷者十一万五千をいだし、損害総額百一億円と計上されています。
 東京の市街だけでも、二里四方の面積にわたって四十一万の家々が灰になり、死者七万四千、ゆくえ不明二十一万、焼け出された人口が百四十万、損害八億一千五百万円にのぼっています。横浜、小田原おだわらなぞはほとんど全部があとかたもなく焼けほろびてしまいました。
 これまで世界じゅうで一ばんはげしかった地震火災は今から十五年まえに、イタリヤのメッシーナという重要な港とその附近とで十四万人の市民を殺した大地震と、十七年前、サンフランシスコの震火で二十八ちょう四方を焼いたのと、この二つですが、こんどの地震は、ゆれかただけは以上二つの場合にくらべると、ずっとかるかったのですが、人命以外の損害のひどかった点では、まるでくらべもつかないほどの大災害だったのです。
 この大きな被害も、つまり大部分が火災から来たわけで、ただ地震だけですんだのならば、東京での死人もわずか二、三千人ぐらい、家屋その他の損害も八、九十分の一ぐらいにとどまったろうということです。
 地震の、東京での発震は、九月一じつの午前十一時五十八分四十五秒でした。それから引きつづいて、余震(ゆれなおし)が、火災のはびこる中で、われわれのからだに感じ得たのが十二時間に百十四回以上、そのつぎの十二時間に八十八回、そのつぎが六十回、七十回と来ました。どんな小さな地震をも感じる地震計という機械に表われた数は、合計千七百回以上にのぼっています。

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