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奈良時代、朝廷には中央官庁が八つあった。中務(なかつかさ)省、治部(じぶ)省などは役所名から職務を言い当てるのもむずかしいが、兵部(ひょうぶ)省なら簡単だろう。軍政一切を取りしきった。
奈良时代(注:公元710~784,以奈良为首都),朝廷中有中央机关有八处。其中中务省、治部省之类很难从名称上猜出其职司。而兵部就容易猜了,统辖所有军务。
明治の初め、新政府は司法省、工部省など官庁名をいくつも考案した。それでも軍事をつかさどる役所には、兵部省の名をあてている。数年で陸軍省と海軍省とに分かれたが、「省」の格は敗戦まで揺るがなかった。
明治初期,新政府也设计了司法省,工部省等几个机关的名称。然而,仍将掌管军事的机关命名为兵部省。尽管几年后分设为陆军省和海军省,但“省”这一级别的地位,直到战败为止从不曾动摇过。
いまの防衛庁の前身は、朝鮮戦争を機に設けられた保安庁だ。省でなく庁にとどめたのは、軍部の暴走を反省した戦後の知恵だった。だが防衛庁内では、省への格上げこそ悲願とされてきた。「庁のままでは予算を取るにも法令を作るにも不自由だ」「国防担当の役所が省でないのは日本くらい」。国会でもたびたび審議され、防衛省のほか国防省とする案も出た。
现在的防卫厅的前身,是借朝鲜战争之机而设置的保安厅。不置“省”而止于“厅”,体现了对旧军部独断横行之反省的明知。但在防卫厅内部,却一直以升格为“省”为夙愿。“停留在厅级,在争取预算和制定法令上都颇受掣肘”“承担国家防务的机关不是省级的也只有日本了”。在国会上也屡经审议,有过的方案除了防卫省甚至还叫国防省的。
とうとう実現するかに見えた「省」構想が、また頓挫しかかっている。8年前の背任事件の記憶も消えないうちに、防衛施設庁幹部らによる談合容疑が発覚した。昇格どころではないだろう。
眼看就要变为现实的“省”的构思,再次遭遇挫折。8年前的渎职事件尚未从人们的记忆中消失,这次的防卫设施厅干部们的招标串通嫌疑又遭败露。还升什么级呢?
林野庁や金融庁など「庁」にもいろいろあるが、たどった道はそれぞれだ。環境庁は5年前、省の仲間入りを果たした。対照的なのは社会保険庁だ。数々の不始末が露見し、「ねんきん事業機構」へと組織が縮小されることになった。降格である。
林野厅、金融厅之类“厅”级机关还有很多,其经历也是各不相同。环境厅在5年前,成功地进入了“省”级行列。与此成鲜明对比的是社会保险厅。因其众多不检点的暴露,终被缩水为“年金事业机构”,降了级。
奈良の都にさかのぼる官界のしにせでも、背任の体質や談合の悪習を改善しない限り、「省」格上げに世論の支持は得られまい。今のままではむしろ「ぼうえい事業機構」と改名されても不思議はない。
尽管是可追溯到奈良时代京城中的官府老字号,只要不整改渎职的体制以及官商勾结的恶习,要想升格为“省”,就得不到舆论的支持。如不洗心革面,那么即便被更名为“防卫事业机构”也是不足为奇的。 |