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戯作三昧(げさくざんまい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 16:15:03  点击:  切换到繁體中文



     十四

 茶の間の方では、癇高(かんだか)い妻のお百(ひゃく)の声や内気らしい嫁のお路(みち)の声が賑(にぎ)やかに聞えている。時々太い男の声がまじるのは、折から伜(せがれ)の宗伯(そうはく)も帰り合せたらしい。太郎は祖父の膝にまたがりながら、それを聞きすましでもするように、わざとまじめな顔をして天井を眺めた。外気にさらされた頬が赤くなって、小さな鼻の穴のまわりが、息をするたびに動いている。
「あのね、お祖父(じい)様にね。」
 栗梅(くりうめ)の小さな紋附を着た太郎は、突然こう言い出した。考えようとする努力と、笑いたいのをこらえようとする努力とで、靨(えくぼ)が何度も消えたり出来たりする。――それが馬琴には、おのずから微笑を誘うような気がした。
「よく毎日(まいんち)。」
「うん、よく毎日(まいんち)?」
「御勉強なさい。」
 馬琴はとうとうふき出した。が、笑いの中ですぐまた語(ことば)をつぎながら、
「それから?」
「それから――ええと――癇癪(かんしゃく)を起しちゃいけませんって。」
「おやおや、それっきりかい。」
「まだあるの。」
 太郎はこう言って、糸鬢奴(いとびんやっこ)の頭を仰向けながら自分もまた笑い出した。眼を細くして、白い歯を出して、小さな靨(えくぼ)をよせて、笑っているのを見ると、これが大きくなって、世間の人間のような憐(あわ)れむべき顔になろうとは、どうしても思われない。馬琴は幸福の意識に溺(おぼ)れながら、こんなことを考えた。そうしてそれが、さらにまた彼の心をくすぐった。
「まだ何かあるかい?」
「まだね。いろんなことがあるの。」
「どんなことが。」
「ええと――お祖父様はね。今にもっとえらくなりますからね。」
「えらくなりますから?」
「ですからね。よくね。辛抱おしなさいって。」
「辛抱しているよ。」馬琴は思わず、真面目な声を出した。
「もっと、もっとようく辛抱なさいって。」
「誰がそんなことを言ったのだい。」
「それはね。」
 太郎は悪戯(いたずら)そうに、ちょいと彼の顔を見た。そうして笑った。
「だあれだ?」
「そうさな。今日は御仏参に行ったのだから、お寺の坊さんに聞いて来たのだろう。」
「違う。」
 断然として首を振った太郎は、馬琴の膝から、半分腰をもたげながら、顋(あご)を少し前へ出すようにして、
「あのね。」
「うん。」
「浅草の観音(かんのん)様がそう言ったの。」
 こう言うとともに、この子供は、家内中に聞えそうな声で、嬉(うれ)しそうに笑いながら、馬琴につかまるのを恐れるように、急いで彼の側(かたわら)から飛びのいた。そうしてうまく祖父をかついだおもしろさに小さな手をたたきながら、ころげるようにして茶の間の方へ逃げて行った。
 馬琴の心に、厳粛な何物かが刹那(せつな)にひらめいたのは、この時である。彼の唇には幸福な微笑が浮んだ。それとともに彼の眼には、いつか涙がいっぱいになった。この冗談は太郎が考え出したのか、あるいはまた母が教えてやったのか、それは彼の問うところではない。この時、この孫の口から、こういう語(ことば)を聞いたのが、不思議なのである。
「観音様がそう言ったか。勉強しろ。癇癪を起すな。そうしてもっとよく辛抱しろ。」
 六十何歳かの老芸術家は、涙の中に笑いながら、子供のようにうなずいた。

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