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六の宮の姫君(ろくのみやのひめぎみ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 6:14:51  点击:  切换到繁體中文

底本: 現代日本文学大系 43 芥川龍之介集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1968(昭和43)年8月25日
入力に使用: 1968(昭和43)年8月25日初版第1刷

 

    一

 六の宮の姫君の父は、古い宮腹みやばらの生れだつた。が、時勢にも遅れ勝ちな、昔気質むかしかたぎの人だつたから、官も兵部大輔ひやうぶのたいふより昇らなかつた。姫君はさう云ふ父母ちちははと一しよに、六の宮のほとりにある、木高こだか屋形やかたに住まつてゐた。六の宮の姫君と云ふのは、その土地の名前につたのだつた。
 父母は姫君を寵愛ちようあいした。しかしやはり昔風に、進んでは誰にもめあはせなかつた。誰か云ひ寄る人があればと、心待ちに待つばかりだつた。姫君も父母の教へ通り、つつましい朝夕を送つてゐた。それは悲しみも知らないと同時に、喜びも知らない生涯だつた。が、世間見ずの姫君は、格別不満も感じなかつた。「父母さへ達者でゐてくれれば好い。」――姫君はさう思つてゐた。
 古い池に枝垂しだれた桜は、年毎に乏しい花を開いた。その内に姫君も何時いつの間にか、大人寂おとなさびた美しさを具へ出した。が、頼みに思つた父は、年頃酒を過ごした為に、突然故人になつてしまつた。のみならず母も半年ほどの内に、返らない歎きを重ねた揚句、とうとう父の跡を追つて行つた。姫君は悲しいと云ふよりも、途方に暮れずにはゐられなかつた。実際ふところ子の姫君にはたつた一人の乳母うばの外に、たよるものは何もないのだつた。
 乳母はけなげにも姫君の為に、骨身を惜まず働き続けた。が、家に持ち伝へた螺鈿らでん手筥てばこや白がねの香炉は、何時か一つづつ失はれて行つた。と同時に召使ひの男女も、誰からか暇をとり始めた。姫君にも暮らしのつらい事は、だんだんはつきりわかるやうになつた。しかしそれをどうする事も、姫君の力には及ばなかつた。姫君は寂しい屋形のたいに、やはり昔と少しも変らず、琴を引いたり歌をんだり、単調な遊びを繰返してゐた。
 すると或秋の夕ぐれ、乳母は姫君の前へ出ると、考へ考へこんな事を云つた。
をひの法師の頼みますには、丹波たんば前司ぜんじなにがしの殿が、あなた様に会はせて頂きたいとか申して居るさうでございます。前司はかたちも美しい上、心ばへも善いさうでございますし、前司の父も受領ずりやうとは申せ、近い上達部かんだちめの子でもございますから、お会ひになつては如何いかがでございませう? かやうに心細い暮しをなさいますよりも、少しはしかと存じますが。……」
 姫君は忍びに泣き初めた。その男に肌身を任せるのは、不如意な暮しをたすける為に、体を売るのも同様だつた。勿論それも世の中には多いと云ふ事は承知してゐた。が、現在さうなつて見ると、悲しさは又格別だつた。姫君は乳母と向き合つた儘、くずの葉を吹き返す風の中に、何時までも袖を顔にしてゐた。……

       二

 しかし姫君は何時の間にか、夜毎に男と会ふやうになつた。男は乳母の言葉通りやさしい心の持ち主だつた。顔かたちもさすがにみやびてゐた。その上姫君の美しさに、何もも忘れてゐる事は、ほとんど誰の目にも明らかだつた。姫君も勿論この男に、悪い心は持たなかつた。時には頼もしいと思ふ事もあつた。が、蝶鳥てふとり几帳きちやうを立てた陰に、燈台の光をまぶしがりながら、男と二人むつびあふ時にも、嬉しいとは一夜も思はなかつた。
 その内に屋形は少しづつ、花やかな空気を加へ初めた。黒棚やすだれも新たになり、召使ひの数もえたのだつた。乳母は勿論以前よりも、き活きと暮しを取りまかなつた。しかし姫君はさう云ふ変化も、寂しさうに見てゐるばかりだつた。
 或時雨しぐれの渡つた夜、男は姫君と酒をみながら、丹波の国にあつたと云ふ、気味の悪い話をした。出雲路いづもぢへ下る旅人が大江山の麓に宿を借りた。宿の妻は丁度その夜、無事に女の子を産み落した。すると旅人は生家うぶやの中から、何とも知れぬ大男が、急ぎ足に外へ出て来るのを見た。大男は唯「年は八歳、めいは自害」と云ひ捨てたなり、たちま何処どこかへ消えてしまつた。旅人はそれから九年目に、今度は京へ上る途中、同じ家に宿つて見た。所が実際女の子は、八つの年に変死してゐた。しかも木から落ちた拍子に、鎌をのどへ突き立ててゐた。――話は大体かう云ふのだつた。姫君はそれを聞いた時に、宿命のせんなさにおびやかされた。その女の子に比べれば、この男を頼みに暮してゐるのは、まだしも仕合せに違ひなかつた。「なりゆきに任せる外はない。」――姫君はさう思ひながら、顔だけはあでやかにほほ笑んでゐた。
 屋形の軒に当つた松は、何度も雪に枝を折られた。姫君は昼は昔のやうに、琴を引いたり双六すごろくを打つたりした。夜は男と一つしとねに、水鳥の池に下りる音を聞いた。それは悲しみも少いと同時に、喜びも少い朝夕だつた。が、姫君は不相変あひかわらず、このものうい安らかさの中に、はかない満足を見出してゐた。
 しかしその安らかさも、思ひのほか急に尽きる時が来た。やつと春の返つた或夜、男は姫君と二人になると、「そなたに会ふのも今宵こよひぎりぢや」と、云ひくさうに口を切つた。男の父は今度の除目ぢもくに、陸奥むつかみに任ぜられた。男もその為に雪の深い奥へ、一しよに下らねばならなかつた。勿論姫君と別れるのは、何よりも男には悲しかつた。が、姫君を妻にしたのは、父にも隠してゐたのだから、今更打ち明ける事は出来悪できにくかつた。男はため息をつきながら、長々とさう云ふ事情を話した。
「しかし五年たてば任終にんはてぢや。その時を楽しみに待つてたもれ。」
 姫君はもう泣き伏してゐた。たとひ恋しいとは思はぬまでも、頼みにした男と別れるのは、言葉には尽せない悲しさだつた。男は姫君の背を撫でては、いろいろ慰めたり励ましたりした。が、これも二言目には、涙に声を曇らせるのだつた。
 其処へ何も知らない乳母は、年の若い女房たちと、銚子てうし高坏たかつきを運んで来た。古い池に枝垂しだれた桜も、つぼみを持つた事を話しながら。……

       三

 六年目の春は返つて来た。が、奥へ下つた男は、遂に都へは帰らなかつた。その間に召使ひは一人も残らず、ちりぢりに何処かへ立ち退いてしまふし、姫君の住んでゐた東のたいも或年の大風に倒れてしまつた。姫君はそれ以来乳母と一しよにさむらひほそどの住居すまひにしてゐた。其処は住居と云ふものの、手狭でもあれば住み荒してもあり、僅に雨露あめつゆしのげるだけだつた。乳母はこのほそどのへ移つた当座、いたはしい姫君の姿を見ると、涙を落さずにはゐられなかつた。が、又或時は理由もないのに、腹ばかり立ててゐる事があつた。
 暮しのつらいのは勿論だつた。棚の厨子づしはとうの昔、米や青菜に変つてゐた。今では姫君のうちぎはかまも身についてゐる外は残らなかつた。乳母はき物に事を欠けば、立ち腐れになつた寝殿しんでんへ、板をぎに出かける位だつた。しかし姫君は昔の通り、琴や歌に気を晴らしながら、ぢつと男を待ち続けてゐた。
 するとその年の秋の月夜、乳母は姫君の前へ出ると、考へ考へこんな事を云つた。
「殿はもう御帰りにはなりますまい。あなた様も殿の事は、お忘れになつては如何いかがでございませう。就てはこの頃或典薬之助てんやくのすけが、あなた様にお会はせ申せと、責め立てて居るのでございますが、……」
 姫君はその話を聞きながら、六年以前まへの事を思ひ出した。六年以前には、いくら泣いても、泣き足りない程悲しかつた。が、今は体も心も余りにそれには疲れてゐた。「唯静かに老い朽ちたい。」……その外は何も考へなかつた。姫君は話を聞き終ると、白い月を眺めたなり、ものうげげにやつれた顔を振つた。
「わたしはもう何もらぬ。生きようとも死なうとも一つ事ぢや。……」
        *      *      *
 丁度これと同じ時刻、男は遠い常陸ひたちの国の屋形に、新しい妻と酒をんでゐた。妻は父の目がねにかなつた、この国のかみの娘だつた。
「あの音は何ぢや?」
 男はふと驚いたやうに、静かな月明りの軒を見上げた。その時なぜか男の胸には、はつきり姫君の姿が浮んでゐた。
「栗の実が落ちたのでございませう。」
 常陸の妻はさう答へながら、ふつつかに銚子の酒をさした。

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