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手紙(てがみ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 14:20:45  点击:  切换到繁體中文


 それは実際何でもない。ただ乾いた山砂の上にこまかいありが何匹も半死半生はんしはんしょう赤蜂あかはちを引きずって行こうとしていたのです。赤蜂はあおむけになったなり、時々けかかったはねを鳴らし、蟻の群をい払っています。が、蟻の群は蹴散けちらされたと思うと、すぐにまた赤蜂の翅や脚にすがりついてしまうのです。僕等はそこに立ちどまり、しばらくこの赤蜂のあがいているのを眺めていました。現にM子さんも始めに似合にあわず、妙に真剣な顔をしたまま、やはりK君の側に立っていたのです。
「時々けんを出しますわね。」
「蜂の剣はかぎのように曲っているものですね。」
 僕は誰も黙っているものですから、M子さんとこんな話をしていました。
「さあ、きましょう。あたしはこんなものを見るのは大嫌い。」
 M子さんのお母さんは誰よりも先きに歩き出しました。僕等も歩き出したのは勿論もちろんです。松林は路をあましたまま、ひっそりと高い草を伸ばしていました。僕等の話し声はこの松林の中に存外ぞんがい高い反響を起しました。殊にK君の笑い声は――K君はS君やM子さんにK君の妹さんのことを話していました。この田舎いなかにいる妹さんは女学校を卒業したばかりらしいのです。が、何でも夫になる人は煙草ものまなければ酒ものまない、品行方正の紳士でなければならないと言っていると云うことです。
「僕等は皆落第ですね?」
 S君は僕にこう言いました。が、僕の目にはいじらしいくらい、妙にてれ切った顔をしていました。
「煙草ものまなければ酒ものまないなんて、……つまり兄貴あにきへ当てつけているんだね。」
 K君も咄嗟とっさにつけ加えました。僕は加減かげんな返事をしながら、だんだんこの散歩を苦にし出しました。従って突然M子さんの「もう帰りましょう」と言った時にはほっとひと息ついたものです。M子さんは晴れ晴れした顔をしたまま、僕等のなんとも言わないうちにくるりと足を返しました。が、温泉宿へ帰る途中はM子さんのお母さんとばかり話していました。僕等は勿論前と同じ松林の中を歩いて行ったのです。けれどもあの赤蜂はもうどこかへ行っていました。
 それから半月はんつきばかりたったのちです。僕はどんより曇っているせいか、何をする気もなかったものですから、池のある庭へおりてきました。するとM子さんのお母さんが一人ひとり船底椅子ふなそこいすに腰をおろし、東京の新聞を読んでいました。M子さんはきょうはK君やS君と温泉宿の後ろにあるY山へ登りに行ったはずです。この奥さんは僕を見ると、老眼鏡ろうがんきょうをはずして挨拶あいさつしました。
「こちらの椅子いすをさし上げましょうか?」
「いえ、これで結構です。」
 僕はちょうどそこにあった、古い籐椅子とういすにかけることにしました。
「昨晩はお休みになれなかったでしょう?」
「いいえ、……何かあったのですか?」
「あの気の違った男の方がいきなり廊下ろうかけ出したりなすったものですから。」
「そんなことがあったんですか?」
「ええ、どこかの銀行の取りつけ騒ぎを新聞でお読みなすったのが始まりなんですって。」
 僕はあの松葉の入れずみをした気違いの一生を想像しました。それから、――笑われても仕かたはありません、僕の弟の持っている株券かぶけんのことなどを思い出しました。
「Sさんなどはこぼしていらっしゃいましたよ。……」
 M子さんのお母さんはいつか僕に婉曲えんきょくにS君のことを尋ね出しました。が、僕はどう云う返事にも「でしょう」だの「と思います」だのとつけ加えました。(僕はいつも一人ひとりの人をその人としてだけしか考えられません。家族とか財産とか社会的地位とか云うことには自然と冷淡になっているのです。おまけに一番悪いことはその人としてだけ考える時でもいつか僕自身に似ている点だけその人の中から引き出した上、勝手に好悪こうおさだめているのです。)のみならずこの奥さんの気もちに、――S君の身もとを調べる気もちにある可笑おかしさを感じました。
「Sさんは神経質でいらっしゃるでしょう?」
「ええ、まあ神経質と云うのでしょう。」
「人ずれはちっともしていらっしゃいませんね。」
「それは何しろ坊ちゃんですから、……しかしもう一通ひととおりのことは心得ていると思いますが。」
 僕はこう云う話の中にふと池の水際みずぎわ沢蟹さわがにっているのを見つけました。しかもその沢蟹はもう一匹の沢蟹を、――甲羅こうらの半ば砕けかかったもう一匹の沢蟹をじりじり引きずって行くところなのです。僕はいつかクロポトキンの相互扶助論そうごふじょろんの中にあった蟹の話を思い出しました。クロポトキンの教えるところによれば、いつも蟹は怪我けがをした仲間をたすけて行ってやると云うことです。しかしまたある動物学者の実例を観察したところによれば、それはいつも怪我けがをした仲間を食うためにやっていると云うことです。僕はだんだん石菖せきしょうのかげに二匹の沢蟹の隠れるのを見ながら、M子さんのお母さんと話していました。が、いつか僕等の話に全然興味を失っていました。
「みんなの帰って来るのは夕がたでしょう?」
 僕はこう言って立ち上りました。同時にまたM子さんのお母さんの顔にある表情を感じました。それはちょっとした驚きと一しょに何か本能的な憎しみをひらめかせている表情です。けれどもこの奥さんはすぐにもの静かに返事をしました。
「ええ、M子もそんなことを申しておりました。」
 僕は僕の部屋へ帰って来ると、また縁先えんさきの手すりにつかまり、松林の上に盛り上ったY山のいただきを眺めました。山の頂は岩むらの上に薄い日の光をなすっています。僕はこう云う景色を見ながら、ふと僕等人間を憐みたい気もちを感じました。……
 M子さん親子はS君と一しょに二三日まえに東京へ帰りました。K君は何でもこの温泉宿へ妹さんの来るのを待ち合せた上、(それは多分僕の帰るのよりも一週間ばかり遅れるでしょう。)帰り仕度したくをするとか云うことです。僕はK君と二人だけになった時に幾分かくつろぎを感じました。もっともK君をいたわりたい気もちのかえってK君にこたえることをおそれているのに違いありません。が、とにかくK君と一しょに比較的気楽きらくに暮らしています。現にゆうべも風呂ふろにはいりながら、一時間もセザアル・フランクを論じていました。
 僕は今僕の部屋にこの手紙を書いています。ここはもう初秋しょしゅうにはいっています。僕はけさ目をました時、僕の部屋の障子しょうじの上に小さいY山や松林のさかさまに映っているのを見つけました。それは勿論戸の節穴ふしあなからさして来る光のためだったのです。しかし僕は腹ばいになり、一本の巻煙草をふかしながら、この妙に澄み渡った、小さい初秋の風景にいつにない静かさを感じました。………
 ではさようなら。東京ももう朝晩は大分だいぶしのぎよくなっているでしょう。どうかお子さんたちにもよろしく言って下さい。

(昭和二年六月七日)




 



底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年2月3日公開
2004年3月10日修正
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