| 芥川龍之介全集 第四巻 | 
| 筑摩書房 | 
| 1971(昭和46)年6月5日 | 
| 1971(昭和46)年10月5日初版第5刷 | 
| 1971(昭和46)年10月5日初版第5刷 | 
 
  一
 風に靡いたマツチの炎ほど無気味にも美しい青いろはない。
     二
 如何に都会を愛するか?――過去の多い女を愛するやうに。
     三
 雪の降つた公園の枯芝は何よりも砂糖漬にそつくりである。
     四
 僕に中世紀を思ひ出させるのは厳めしい赤煉瓦の監獄である。若し看守さへゐなければ、馬に乗つたジアン・ダアクの飛び出すのに遇つても驚かないかも知れない。
     五
 或女給の言葉。――いやだわ。今夜はナイホクなんですもの。
 註。ナイホクはナイフだのフオオクだのを洗ふ番に当ることである。
     六
 並み木に多いのは篠懸である。橡も三角楓も極めて少ない。しかし勿論派出所の巡査はこの木の古典的趣味を知らずにゐる。
     七
 令嬢に近い芸者が一人、僕の五六歩前に立ち止まると、いきなり挙手の礼をした。僕はちよつと狼狽した。が、後ろを振り返つたら、同じ年頃の芸者が一人、やはりちやんと挙手の礼をしてゐた。
     八
 最も僕を憂鬱にするもの。――カアキイ色に塗つた煙突。電車の通らない線路の錆び。屋上庭園に飼はれてゐる猿。……
     九
 僕は午前一時頃或町裏を通りかかつた。すると泥だらけの土工が二人、瓦斯か何かの工事をしてゐた。狭い路は泥の山だつた。のみならずその又泥の山の上にはカンテラの火が一つ靡いてゐた。僕はこのカンテラの為にそこを通ることも困難だつた。すると若い土工が一人、穴の中から半身を露したまま、カンテラを側へのけてくれた。僕は小声に「ありがたう」と言つた。が、何か僕自身を憐みたい気もちもない訣ではなかつた。
     十   
 夜半の隅田川は何度見ても、詩人S・Mの言葉を越えることは出来ない。――「羊羹のやうに流れてゐる。」
     十一
「××さん、遊びませう」と云う子供の声、――あれは音の高低を示せば、×× San[#「San」は30度位右上がり] Asobi-ma show[#「show」は30度位右上がり] である。あの音はいつまで残つてゐるかしら。
     十二
 火事はどこか祭礼に似てゐる。
     十三
 東京の冬は何よりも漬け菜の茎の色に現れてゐる。殊に場末の町々では。
     十四
 何かものを考へるのに善いのはカツフエの一番隅の卓子、それから孤独を感じるのに善いのは人通りの多い往来のまん中、最後に静かさを味ふのに善いのは開幕中の劇場の廊下、……
(昭和二年二月)
 
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