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或る女(あるおんな)後編

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 6:28:18  点击:  切换到繁體中文



       三〇

ぼくが毎日――毎日とはいわず毎時間あなたに筆を執らないのは執りたくないから執らないのではありません。僕は一日あなたに書き続けていてもなお飽き足らないのです。それは今の僕の境界きょうがいでは許されない事です。僕は朝から晩まで機械のごとく働かねばなりませんから。
 あなたが米国を離れてからこの手紙はたぶん七回目の手紙としてあなたに受け取られると思います。しかし僕の手紙はいつまでも暇をぬすんで少しずつ書いているのですから、僕からいうと日に二度も三度もあなたにあてて書いてるわけになるのです。しかしあなたはあの後一回の音信も恵んではくださらない。
 僕は繰り返し繰り返しいいます。たといあなたにどんな過失どんな誤謬ごびゅうがあろうとも、それを耐え忍び、それを許す事においては主キリスト以上の忍耐力を持っているのを僕は自ら信じています。誤解しては困ります。僕がいかなる人に対してもかかる力を持っているというのではないのです。ただあなたに対してです。あなたはいつでも僕の品性をとうとく導いてくれます。僕はあなたによって人がどれほど愛しうるかを学びました。あなたによって世間でいう堕落とか罪悪とかいう者がどれほどまで寛容の余裕があるかを学びました。そうしてその寛容によって、寛容する人自身がどれほど品性を陶冶とうやされるかを学びました。僕はまた自分の愛を成就するためにはどれほどの勇者になりうるかを学びました。これほどまでに僕を神の目に高めてくださったあなたが、僕から万一にも失われるというのは想像ができません。神がそんな試練を人の子に下される残虐はなさらないのを僕は信じています。そんな試練にえるのは人力以上ですから。今の僕からあなたが奪われるというのは神が奪われるのと同じ事です。あなたは神だとはいいますまい。しかしあなたを通してのみ僕は神を拝む事ができるのです。
 時々僕は自分で自分をあわれんでしまう事があります。自分自身だけの力と信仰とですべてのものを見る事ができたらどれほど幸福で自由だろうと考えると、あなたをわずらわさなければ一歩を踏み出す力をも感じ得ない自分の束縛をのろいたくもなります。同時にそれほど慕わしい束縛は他にない事を知るのです。束縛のない所に自由はないといった意味であなたの束縛は僕の自由です。
 あなたは――いったん僕に手を与えてくださると約束なさったあなたは、ついに僕を見捨てようとしておられるのですか。どうして一回の音信も恵んではくださらないのです。しかし僕は信じて疑いません。世にもし真理があるならば、そして真理が最後の勝利者ならばあなたは必ず僕にかえってくださるに違いないと。なぜなれば、僕は誓います。――しゅよこのしもべを見守りたまえ――僕はあなたを愛して以来断じて他の異性に心を動かさなかった事を。この誠意があなたによって認められないわけはないと思います。
 あなたは従来暗いいくつかの過去を持っています。それが知らず知らずあなたの向上心を躊躇ちゅうちょさせ、あなたをやや絶望的にしているのではないのですか。もしそうならあなたは全然誤謬ごびゅうに陥っていると思います。すべての救いは思いきってその中から飛び出すほかにはないのでしょう。そこに停滞しているのはそれだけあなたの暗い過去を暗くするばかりです。あなたは僕に信頼を置いてくださる事はできないのでしょうか。人類の中に少なくも一人ひとり、あなたのすべての罪を喜んで忘れようと両手を広げて待ち設けているもののあるのを信じてくださる事はできないでしょうか。
 こんな下らない理屈はもうやめましょう。
 昨夜書いた手紙に続けて書きます。けさハミルトン氏の所から至急に来いという電話がかかりました。シカゴの冬は予期以上に寒いのです。仙台どころの比ではありません。雪は少しもないけれども、イリー湖を多湖地方から渡って来る風は身を切るようでした。僕は外套がいとうの上にまた大外套をかさしていながら、風に向いた皮膚にしみとおる風の寒さを感じました。ハミルトン氏の用というのは来年セントルイスに開催される大規模な博覧会の協議のため急にそこにおもむくようになったから同行しろというのでした。僕は旅行の用意はなんらしていなかったが、ここにアメリカニズムがあるのだと思ってそのまま同行する事にしました。自分の部屋へやの戸にかぎもかけずに飛び出したのですからバビコック博士はかせの奥さんは驚いているでしょう。しかしさすがに米国です。着のみ着のままでここまで来ても何一つ不自由を感じません。鎌倉かまくらあたりまで行くのにもひざかけから旅カバンまで用意しなければならないのですから、日本の文明はまだなかなかのものです。僕たちはこの地に着くと、停車場内の化粧室でひげをそり、くつをみがかせ、夜会に出ても恥ずかしくないしたくができてしまいました。そしてすぐ協議会に出席しました。あなたも知っておらるるとおりドイツ人のあのへんにおける勢力は偉いものです。博覧会が開けたら、われわれは米国に対してよりもむしろこれらのドイツ人に対して褌裸きんこん一番する必要があります。ランチの時僕はハミルトン氏に例の日本に買い占めてあるキモノその他の話をもう一度しました。博覧会を前に控えているのでハミルトン氏も今度は乗り気になってくれまして、高島屋たかしまやと連絡をつけておくためにとにかく品物を取り寄せて自分の店でさばかしてみようといってくれました。これで僕の財政は非常に余裕ができるわけです。今まで店がなかったばかりに、取り寄せても荷厄介にやっかいだったものですが、ハミルトン氏の店で取り扱ってくれれば相当に売れるのはわかっています。そうなったら今までと違ってあなたのほうにも足りないながら仕送りをして上げる事ができましょう。さっそく電報を打っていちばん早い船便で取り寄せる事ににしましたから不日着荷ふじつちゃくにする事と思っています。
 今は夜もだいぶふけました。ハミルトン氏は今夜も饗応きょうおうに呼ばれて出かけました。大きらいなテーブル・スピーチになやまされているのでしょう。ハミルトン氏は実にシャープなビジネスマンライキな人です。そして熱心な正統派の信仰を持った慈善家です。僕はことのほか信頼され重宝ちょうほうがられています。そこから僕のライフ・キャリヤアを踏み出すのは大なる利益です。僕の前途には確かに光明が見え出して来ました。
 あなたに書く事は底止ていしなく書く事です。しかしあすの奮闘的生活(これは大統領ルーズベルトの著書の“Strenuous Life”を訳してみた言葉です。今この言葉は当地の流行語になっています)に備えるために筆を止めねばなりません。この手紙はあなたにも喜びを分けていただく事ができるかと思います。
 きのうセントルイスから帰って来たら、手紙がかなり多数届いていました。郵便局の前を通るにつけ、郵便箱を見るにつけ、脚夫きゃくふに行きあうにつけ、僕はあなたを連想しない事はありません。自分の机の上に来信を見いだした時はなおさらの事です。僕は手紙の束のあいだをかき分けてあなたの手跡を見いだそうとつとめました。しかし僕はまた絶望に近い失望に打たれなければなりませんでした。僕は失望はしましょう。しかし絶望はしません。できません葉子さん、信じてください。僕はロングフェローのエヴァンジェリンの忍耐と謙遜けんそんとをもってあなたが僕の心をほんとうにみ取ってくださる時を待っています。しかし手紙の束の中からはわずかに僕を失望から救うために古藤君と岡君との手紙が見いだされました。古藤君の手紙は兵営に行く五日前に書かれたものでした。いまだにあなたの居所を知る事ができないので、僕の手紙はやはり倉地氏にあてて回送していると書いてあります。古藤君はそうした手続きを取るのをはなはだしく不快に思っているようです。岡君は人にもらし得ない家庭内の紛擾ふんじょうや周囲から受ける誤解を、岡君らしく過敏に考え過ぎて弱い体質をますます弱くしているようです。書いてある事にはところどころ僕の持つ常識では判断しかねるような所があります。あなたからいつか必ず消息が来るのを信じきって、その時をただ一つの救いとして待っています。その時の感謝と喜悦きえつとを想像で描き出して、小説でも読むように書いてあります。僕は岡君の手紙を読むと、いつでも僕自身の心がそのまま書き現わされているように思って涙を感じます。
 なぜあなたは自分をそれほどまで韜晦とうかいしておられるのか、それには深いわけがある事と思いますけれども、僕にはどちらの方面から考えても想像がつきません。
 日本からの消息はどんな消息も待ち遠しい。しかしそれを見終わった僕はきっと憂鬱ゆううつに襲われます。僕にもし信仰が与えられていなかったら、僕は今どうなっていたかを知りません。
 前の手紙との間に三日がたちました。僕はバビコック博士はかせ夫婦と今夜ライシアム座にウェルシ嬢の演じたトルストイの「復活」を見物しました。そこにはキリスト教徒として目をそむけなければならないような場面がないではなかったけれども、終わりのほうに近づいて行っての荘厳さは見物人のすべてを捕捉ほそくしてしまいました。ウェルシ嬢の演じた女主人公は真に迫りすぎているくらいでした。あなたがもしまだ「復活」を読んでいられないのなら僕はぜひそれをお勧めします。僕はトルストイの「懺悔ざんげ」をK氏の邦文訳で日本にいる時読んだだけですが、あの芝居しばいを見てから、暇があったらもっと深くいろいろ研究したいと思うようになりました。日本ではトルストイの著書はまだ多くの人に知られていないと思いますが、少なくとも「復活」だけは丸善まるぜんからでも取り寄せて読んでいただきたい、あなたを啓発する事が必ず多いのは請け合いますから。僕らは等しく神の前に罪人つみびとです。しかしその罪を悔い改める事によって等しく選ばれた神のしもべとなりうるのです。この道のほかには人の子の生活を天国に結び付ける道は考えられません。神を敬い人を愛する心のえてしまわないうちにお互いに光を仰ごうではありませんか。
 葉子さん、あなたの心に空虚なり汚点なりがあっても万望どうぞ絶望しないでくださいよ。あなたをそのままに喜んで受け入れて、――苦しみがあればあなたと共に苦しみ、あなたに悲しみがあればあなたと共に悲しむものがここに一人ひとりいる事を忘れないでください。僕は戦って見せます。どんなにあなたが傷ついていても、僕はあなたをかばって勇ましくこの人生を戦って見せます。僕の前に事業が、そして後ろにあなたがあれば、僕は神の最も小さいしもべとして人類の祝福のために一生をささげます。
 あゝ、筆も言語もついに無益です。火と熱する誠意と祈りとをこめて僕はここにこの手紙を封じます。この手紙が倉地氏の手からあなたに届いたら、倉地氏にもよろしく伝えてください。倉地氏に迷惑をおかけした金銭上の事については前便に書いておきましたから見てくださったと思います。願わくは神われらと共におわしたまわん事を。
  明治三十四年十二月十三日」

 倉地は事業のために奔走しているのでその夜は年越しにないと下宿から知らせて来た。妹たちは除夜の鐘を聞くまでは寝ないなどといっていたがいつのまにかねむくなったと見えて、あまり静かなので二階に行って見ると、二人ふたりとも寝床にはいっていた。つやには暇が出してあった。葉子に内所ないしょで「報正新報」を倉地に取り次いだのは、たとい葉子に無益な心配をさせないためだという倉地の注意があったためであるにもせよ、葉子の心持ちを損じもし不安にもした。つやが葉子に対しても素直な敬愛の情をいだいていたのは葉子もよく心得ていた。前にも書いたように葉子は一目見た時からつやが好きだった。台所などをさせずに、小間使いとして手回りの用事でもさせたら顔かたちといい、性質といい、取り回しといいこれほど理想的な少女はないと思うほどだった。つやにも葉子の心持ちはすぐ通じたらしく、つやはこの家のために陰日向かげひなたなくせっせと働いたのだった。けれども新聞の小さな出来事一つが葉子を不安にしてしまった。倉地が双鶴館そうかくかん女将おかみに対しても気の毒がるのを構わず、妹たちに働かせるのがかえっていいからとの口実のもとに暇をやってしまったのだった。で勝手のほうにも人気ひとけはなかった。
 葉子は何を原因ともなくそのころ気分がいらいらしがちで寝付きも悪かったので、ぞくぞくしみ込んで来るような寒さにも係わらず、火鉢ひばちのそばにいた。そして所在ないままにその日倉地の下宿から届けて来た木村の手紙を読んで見る気になったのだ。
 葉子は猫板ねこいたに片ひじを持たせながら、必要もないほど高価だと思われる厚い書牋紙しょせんしに大きな字で書きつづってある木村の手紙を一枚一枚読み進んだ。おとなびたようで子供っぽい、そうかと思うと感情の高潮を示したと思われる所も妙に打算的な所が離れ切らないと葉子に思わせるような内容だった。葉子は一々精読するのがめんどうなのでぎょうから行に飛び越えながら読んで行った。そして日付けの所まで来ても格別な情緒を誘われはしなかった。しかし葉子はこの以前倉地の見ている前でしたようにずたずたに引き裂いて捨ててしまう事はしなかった。しなかったどころではない、その中には葉子を考えさせるものが含まれていた。木村は遠からずハミルトンとかいう日本の名誉領事をしている人の手から、日本を去る前に思いきってして行った放資の回収をしてもらえるのだ。不即不離の関係を破らずに別れた自分のやりかたはやはり図にあたっていたと思った。「宿屋きめずに草鞋わらじを脱」ぐばかをしない必要はもうない、倉地の愛は確かに自分の手に握り得たから。しかし口にこそ出しはしないが、倉地は金の上ではかなりに苦しんでいるに違いない。倉地の事業というのは日本じゅうの開港場にいる水先みずさき案内業者の組合を作って、その実権を自分の手に握ろうとするのらしかったが、それが仕上がるのは短い日月にはできる事ではなさそうだった。ことに時節が時節がら正月にかかっているから、そういうものの設立にはいちばん不便な時らしくも思われた。木村を利用してやろう。
 しかし葉子の心の底にはどこかに痛みを覚えた。さんざん木村を苦しめ抜いたあげくに、なおあの根の正直な人間をたぶらかしてなけなしの金をしぼり取るのは俗にいう「つつもたせ」の所業と違ってはいない。そう思うと葉子は自分の堕落を痛く感ぜずにはいられなかった。けれども現在の葉子にいちばん大事なものは倉地という情人のほかにはなかった。心の痛みを感じながらも倉地の事を思うとなお心が痛かった。彼は妻子を犠牲に供し、自分の職業を犠牲に供し、社会上の名誉を犠牲に供してまで葉子の愛におぼれ、葉子の存在に生きようとしてくれているのだ。それを思うと葉子は倉地のためになんでもして見せてやりたかった。時によるとわれにもなく侵して来る涙ぐましい感じをじっとこらえて、定子に会いに行かずにいるのも、そうする事が何か宗教上の願がけで、倉地の愛をつなぎとめる禁厭まじないのように思えるからしている事だった。木村にだっていつかは物質上の償い目に対して物質上の返礼だけはする事ができるだろう。自分のする事は「つつもたせ」とは形が似ているだけだ。やってやれ。そう葉子は決心した。読むでもなく読まぬでもなく手に持ってながめていた手紙の最後の一枚を葉子は無意識のようにぽたりひざの上に落とした。そしてそのままじっと鉄びんから立つ湯気ゆげが電燈の光の中に多様な渦紋かもんを描いては消え描いては消えするのを見つめていた。
 しばらくしてから葉子は物うげに深い吐息を一つして、上体をひねってたなの上から手文庫を取りおろした。そして筆をかみながらまた上目でじっと何か考えるらしかった。と、急に生きかえったようにはきはきなって、上等のシナ墨をがんの三つまではいったまんまるいすずりにすりおろした。そして軽く麝香じゃこうの漂うなかで男の字のような健筆で、精巧な雁皮紙がんぴしの巻紙に、一気に、次のようにしたためた。

「書けばきりがございません。伺えばきりがございません。だから書きもいたしませんでした。あなたのお手紙もきょういただいたものまでは拝見せずにずたずたに破って捨ててしまいました。その心をお察しくださいまし。
 うわさにもお聞きとは存じますが、わたしはみごとに社会的に殺されてしまいました。どうしてわたしがこの上あなたの妻と名乗れましょう。自業自得と世の中では申します。わたしも確かにそう存じています。けれども親類、縁者、友だちにまで突き放されて、二人ふたりの妹をかかえてみますと、わたしは目もくらんでしまいます。倉地さんだけがどういう御縁かお見捨てなくわたしども三人をお世話くださっています。こうしてわたしはどこまで沈んで行く事でございましょう。ほんとうに自業自得でございます。
 きょう拝見したお手紙もほんとうは読まずに裂いてしまうのでございましたけれども……わたしの居所をどなたにもお知らせしないわけなどは申し上げるまでもございますまい。
 この手紙はあなたに差し上げる最後のものかと思われます。お大事にお過ごし遊ばしませ。陰ながら御成功を祈り上げます。
 ただいま除夜の鐘が鳴ります。
    大晦日おおみそかの夜
   木村様
葉より」

 葉子はそれを日本ふう状袋じょうぶくろに収めて、毛筆で器用に表記を書いた。書き終わると急にいらいらし出して、いきなり両手に握ってひと思いに引き裂こうとしたが、思い返して捨てるようにそれを畳の上になげ出すと、われにもなく冷ややかな微笑が口じりをかすかに引きつらした。
 葉子の胸をどきんとさせるほど高く、すぐ最寄もよりにある増上寺ぞうじょうじの除夜の鐘が鳴り出した。遠くからどこの寺のともしれない鐘の声がそれに応ずるように聞こえて来た。その音に引き入れられて耳を澄ますと夜の沈黙しじまの中にも声はあった。十二時を打つぼんぼん時計、「かるた」を読み上げるらしいはしゃいだ声、何に驚いてか夜なきをする鶏……葉子はそんな響きを探り出すと、人の生きているというのが恐ろしいほど不思議に思われ出した。
 急に寒さを覚えて葉子は寝じたくに立ち上がった。

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