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狂人日記(きょうじんにっき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 15:49:27  点击:  切换到繁體中文

底本: 魯迅全集
出版社: 改造社
初版発行日: 1932(昭和7)年11月18日
入力に使用: 1932(昭和7)年11月18日

 

某君兄弟数人はいずれもわたしの中学時代の友達で、久しく別れているうち便りも途絶えがちになった。先頃ふと大病たいびょうかかった者があると聞いて、故郷こきょうに帰る途中立寄ってみるとわずかに一人に会った。病気に罹ったのはその人の弟で、君がせっかく訪ねて来てくれたが、本人はもうスッカリ全快して官吏候補となり某地へ赴任したと語り、大笑いして二冊の日記を出した。これを見ると当時の病状がよくわかる。旧友諸君に献じてもいいというので、持ち帰って一読してみると、病気は迫害狂の類で、話がすこぶるこんがらがり、筋が通らず出鱈目でたらめが多い。日附ひづけは書いてないが墨色すみいろも書体も一様でないところを見ると、一に書いたものでないことが明らかで、間々まま聯絡れんらくがついている。専門家が見たらこれでも何かの役に立つかと思って、言葉の誤りは一字もなおさず、記事中の姓名だけを取換えて一篇にまとめてみた。書名は本人平癒後自ら題したもので、そのまま用いた。七年四月二日しるす。



        一

 今夜は大層月の色がいい。
 乃公おれは三十年あまりもこれを見ずにいたんだが、今夜見ると気分がことほかサッパリして初めて知った、前の三十何年間は全く夢中であったことを。それにしても用心するに越したことはない。もし用心しないでいいのなら、あの趙家ちょうけの犬めが何だって乃公の眼を見るのだろう。
 乃公が恐れるわけがある。

        二

 今夜はまるきり月の光が無い。乃公はどうも変だと思って、早くから気をつけて門を出たが、趙貴翁ちょうじいさん目付めつきがおかしいぞ。乃公を恐れているらしい。乃公をやっつけようと思っているらしい。ほかにまだ七八人もいるが、どれもこれも頭や耳を密著くっつけて乃公の噂をしている。乃公に見られるのを恐れている。往来の人は皆そんな風だ。中にも薄気味の悪い、最もあくどい奴は口をおッぴろげて笑っていやがる。乃公は頭の天辺てっぺんから足の爪先つまさきまでひいやりとした。解った。彼らの手配がもうチャンと出来たんだ。乃公はびくともせずに歩いていると、前の方で一群の子供がまた乃公の噂をしている。目付は趙貴翁と酷似そっくりで、顔色は皆鉄青てっせいだ。一体乃公は何だってこんな子供から怨みを受けているのだろう。とてもたまったものじゃない。大声あげて「お前は乃公にわけを言え」と怒鳴ってやると彼らは一散に逃げ出した。
 乃公と趙貴翁とは何の怨みがあるのだろう。往来の人にもまた何の怨みがあるのだろう。そうだ。二十年前、古久こきゅう先生の古帳面ふるちょうめんを踏み潰したことがある。あの時古久先生は大層不機嫌であったが、趙貴翁と彼とは識合しりあいでないから、定めてあの話を聞伝ききつたえて不平を引受け、往来の人までも乃公に怨みを抱くようになったのだろう。だが子供等は一体どういうわけだえ。あの時分にはまだ生れているはずがないのに、何だって変な目付でじろじろ見るのだろう。乃公を恐れているらしい。乃公をやっつけようと思っているらしい。本当に恐ろしいことだ。本当に痛ましいことだ。
 おお解った。これはてっきりあいつ等のお袋が教えたんだ。

        三

 一晩じゅうねむれない。何事も研究してみるとだんだん解って来る。
 彼等は――知県ちけんに鞭打たれたことがある。紳士から張手はりでくらったことがある。小役人からかかあを取られたことがある。また彼等の親達が金貸からとっちめられて無理死むりじにをさせられたことがある。その時の顔色でもきのうのようなあんな凄いことはない。
 最も奇怪に感じるのは、きのう往来で逢ったあの女だ。彼女は子供をたたいてじっとわたしを見詰みつめている。「おじさん、わたしゃお前に二つ三つみついてやらなければ気が済まない」これにはわたしも全くおどかされてしまったが、あの牙ムキ出しの青ッつらが何だかしらんが皆笑い出した。すると陳老五ちんろうごがつかつか進んで来て、わたしをふんづかまえてうちへ連れて行った。うちの者はわたしを見ても知らん振りして書斎に入るとかぎを掛け、まるで鶏鴨とりがものように扱われているが、このことはどうしてもわたしの腑に落ちない。
 四五日前に狼村おおかみむらの小作人が不況を告げに来た。彼はわたしのおおアニキと話をしていた。村に一人の大悪人だいあくにんがあって寄ってたかって打殺うちころしてしまったが、中には彼の心臓をえぐり出し、油煎あぶらいりにして食べた者がある。そうすると肝が太くなるという話だ。わたしは一言ひとこと差出口さしでぐちをすると、小作人と大アニキはじろりとわたしを見た。その目付がきのう逢った人達の目付に寸分違いのないことを今知った。
 想い出してもぞっとする。彼等は人間を食いれているのだからわたしを食わないとも限らない。
 見たまえ。……あの女がお前に咬みついてやると言ったのも、大勢の牙ムキ出しの青面あおつらの笑も、先日の小作人の話も、どれもこれも皆暗号だ。わたしは彼等の話の中から、そっくりそのままの毒を見出し、そっくりそのままの刀を見出す、彼等の牙は生白なまじろく光って、これこそ本当に人食いの道具だ。
 どう考えても乃公は悪人ではないが、古久先生の古帳面に蹶躓けつまづいてからとてもツかしくなって来た。彼等は何か意見を持っているようだが、わたしは全く推測が出来ない。まして彼等が顔をそむけて乃公を悪人と言いらすんだからサッパリわからない。それで想い出したが、大アニキが乃公に論文を書かせてみたことがある。人物評論でいかなる好人物でもちょっとくさした句があると、彼はすぐに圏点けんてんをつける。人の悪口あくこうを書くのがいいと思っているので、そういう句があると「翻天妙手ほんてんみょうしゅ、衆と同じからず」と誉め立てる。だから乃公には彼等の心が解るはずがない。まして彼等が人を食おうと思う時なんかは。
 なんに限らず研究すればだんだんわかって来るもので、昔から人は人をしょっちゅう食べている。わたしもそれを知らないのじゃないがハッキリ覚えていないので歴史を開けてみると、その歴史には年代がなく曲り歪んで、どの紙の上にも「仁道義徳」というような文字が書いてあった。ずっとねむらずに夜中まで見詰めていると、文字の間からようやく文字が見え出して来た。本一ぱいに書き詰めてあるのが「食人」の二字。
 このたくさんの文字は小作人が語った四方山よもやまの話だ。それが皆ゲラゲラ笑い出し、気味の悪い目付でわたしを見る。
 わたしもやっぱり人間だ。彼等はわたしを食いたいと思っている。

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