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恐しき通夜(おそろしきつや)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 10:58:03  点击:  切换到繁體中文

底本: 海野十三全集 第1巻 遺言状放送
出版社: 三一書房
初版発行日: 1990(平成2)年10月15日
入力に使用: 1990(平成2)年10月15日第1版第1刷

 

    1


「一体どうしたというんだろう。大変に遅いじゃないか」
 まゆひそめて、吐きだすように云ったのは、あかがおの、でっぷり肥った川波船二かわなみふねじ大尉だった。窓の外は真暗で、陰鬱いんうつ冷気れいきがヒシヒシと、薄い窓硝子ガラスをとおして、忍びこんでくるのが感じられた。
「ほう、もう八時に二分しか無いね。先生、また女の患者にでもつかまってんのじゃないか」
 腕時計の硝子蓋ガラスぶたを、白い実験着のそでで、ちょいと丸くぬぐいをかけて、そう皮肉ったのは白皙はくせき[#底本では「白晢」]長身の理学士星宮羊吾ほしみやようごだった。
 これは第三航空試験所の一部、室内には二人の外誰も見えない。だがこの二十坪ばかりの実験室には、所も狭いほど、大きな試験台や、金具かなぐがピカピカ光る複雑な測定器や、頑丈がんじょうな鉄のフレイムかこまれた電気機械などが押しならんでいて、四面の鼠色ねずみいろ壁体へきたいの上には、妖怪ようかいの行列をみるようなグロテスクきわまる大きい影が、いのぼっているのだった。
「キ、キ、キ、キキキッ」
 ああいやな鳴き声だ。
 ホト、ホトと、入口の重いの叩かれる音。二人は、顔を見合わせた。
 クルクルと把手ハンドルの廻る音がして、ドアがしずかに開く。そのあとから、ソッと顔が出た。
 色の浅ぐろい、苦味にがみの走ったキリリとした顔の持ち主――大蘆原おおあしはら軍医だった。
 室内の先客せんきゃくである川波大尉と星宮理学士との二人が、同時にハアーッと溜息ためいきをつくと、同時に言葉をかけた。
「遅いじゃないか。どうしたのか」と大尉。
「あまり静かに入ってきたので、また気が変な女でもやってきたのかと思ったよ。ハッハッハッ」と星宮理学士が、作ったような笑い方をした。
「いや、遅くなった。患者かんじゃが来たもんで(と、『患者』という言葉に力を入れて発音しながら)手間がとれちまった。だが、おびのしるしに、お土産を持ってきたよ、ほら……」
 そういって大蘆原軍医は、入口のところで何やらざるの中に盛りあがった真黒なものを、さしあげてみせた。
「何じゃ、それは……」
栄螺さざえじゃよ、今日の徹夜実験の記念に、僕がうまく料理をして、御馳走をしてやるからね」大蘆原軍医はそう云ってから、ざるの中から、一番大きな栄螺をつかみあげると、二人のいる卓上テーブルのところまで持ってきた。いそがプーンと高く、三人の鼻をうった。すばらしく大きい、れたばかりとうなずかれる新鮮な栄螺だった。
「大きな栄螺じゃな」と大尉は喜んだ。
「軍医殿は、人間のお料理ばかりかと思っていたら、栄螺のお料理も、おたっしゃなんだね」と、星宮理学士が野次やじった。
 そこで三人の間にどっと爆笑が起った。だが反響の多いこの室内の爆笑は大変にぎやかだったが、一旦それが消えてしまうとなると、反動的に、墓場のような静寂せいじゃくがヒシヒシとせまってくるのだった。
「キキキッ」
 とまた鳴いた。
可哀想かわいそうに、鳴いているな」そう云って大蘆原軍医は、大きい鉄枠てつわくのなかをのぞきこんだ。そこには大きな針金でこしらえたかごがあって、よく肥ったモルモットが三十匹ほど、藁床わらどこの上をゴソゴソ匍いまわっていた。
「じゃ、そろそろ実験にとりかかろうじゃないか」と星宮理学士が、腰をあげて、長身をスックリとのばした。
「よかろう」研究班長の川波大尉は、実験方針書としるしてある仮綴かりとじの本を片手につかみあげた。「第一測定は、午後九時カッキリにするとして、まず実験準備の方をテストすることにしよう。大蘆原軍医殿に、モルモットを硝子鐘ガラスがねのなかに移して貰おう。それから、星宮君は、すぐ真空喞筒しんくうポンプ回転まわしてくれ給え」
 航空大尉と、理学士と、軍医との協同実験が始まった。これは川波大尉が担任する研究題目で、航空学に関する動物実験なので、気圧の低くなった硝子鐘ガラスがねのなかに棲息せいそくするモルモットの能力について、これから一時間毎に、観測をしてゆこうというのだった。大尉はもっぱら指揮を、理学士は器械部の目盛を読むことを、そして軍医がモルモットの動物反応を記録するのが役目だった。この三人の学者は、毎時間に、五分間を観測と記録についやすと、故障の突発しないかぎり、あとの五十五分間というものを過ごすのに、はなはだ退屈たいくつを感ずるのだった。


     2


「この調子で、暁け方まで頑張るのは、ちと辛いね」と大蘆原軍医が、ポケット・ウィスキーの小さいアルミニューム製のコップを、コトリと卓上テーブルの上に置きながら云うのだった。
「軍医どのの栄螺さざえ料理が無ければ、わしは五十五分間ずつ寝るつもりだった」と川波大尉が、ポカポカ湯気ゆげのあがっている真黒の栄螺のつぼを片手にとりあげ、お汁をチュッと吸ってから、そう云った。
「大蘆原軍医殿は、この栄螺の内臓を珍重ちんちょうされるようだが、僕はこんな味のものだとは、今日の今日まで知らなかった」と、星宮理学士は、長いはしを器用に使って、黄色味がかったプリプリするものをはさみあげると、ヒョイと口の中にほうりこんで、ムシャムシャと甘味うまそうに喰べた。
「そうです、これは一種異様の味がするでしょう。お気に入りましたか星宮君」と軍医は照れたような薄笑いを浮べ、ダンディらしい星宮理学士の口許くちもとに射るような視線をおくった。
「そうかね、僕の方の栄螺は、別に変った味もないが、どうれ……」と大尉は、向うから箸をのばして、星宮理学士の壺焼の中を摘もうとした。
ッ、川波大尉」おどろいたように軍医はそれをさえぎった。「まだ栄螺は、こっちにもドッサリありますから、こっちのをおとり下さい。なにも、星宮君が陶酔とうすいしている分をお取りなさらなくても……」
 そういって、何故か軍医は、大尉の前に別の壺焼を置いたのだった。
「あ、そうか、これはすまない」と、大尉はちょっと機嫌を損じたが、アルコールの加減で、すぐ又元のような上機嫌に回復した。「こんなに新しいと、いくらでも喰えるね」
「いや、今僕の喰ったやつは、中で一番違った味をもっていてね、珍らしい栄螺だった」と、理学士はまだ惜しそうに、からになったからを振り、奥の方に箸をつきこみながら、舌なめずりをした。「やあ、いくら突ついても、もうでてこないや」
「僕の御馳走が、お気に召して恐縮きょうしゅくだ」大蘆原軍医は、ウィスキーをつぎこんでも、一向赤くならない顔をあげていった。「だが、食うものがボツボツ無くなり、こう腹の皮が突っ張ってきたのでは、一層睡くなるばかりだね。――それじゃ、どうだろう。これから皆で、一時間ずつ交替で、なにかこう体験というか、実話というか、かく睡気ねむけます効目ききめのある話――それもなるたけ、あまり誰にも知られていないというやつを、此の場かぎりという条件で、しゃべることにしちゃ、どうだろうかね」
「ウン、そりゃ面白い」と星宮理学士が、すぐ合槌あいづちをうった。
「いま九時をすこし廻ったところだから、これから十時、十一時、十二時と、丁度ちょうど真夜中まよなかまでに、三人の話が一とまわりするンじゃ。川波大尉殿、まず君から、なにかソノ秘話ひわといったようなものを始め給え」
わしに口を開かせるなんて、罪なことだと思うが」と川波大尉は、ちょっと丸苅まるがり坊主頭ぼうずあたまをクルリとでながら、「どうせ三人きりのことだ。一人けたって面白くあるまい。それじゃ、何か話そうか、ハテどんなことをしゃべったものか……」

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