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恐しき通夜(おそろしきつや)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 10:58:03  点击:  切换到繁體中文



   第一話 川波大尉の話


「大蘆原(おおあしはら)さんが云ったとおり、本当にこれは此場(このば)かぎりの話なんだが、一昨年(おととし)の秋の事、南太平洋で海軍の特別大演習があった時の事だったが、演習もいよいよ峠(とうげ)が見えて来た四日目。場所は、退却を余儀なくされている青軍(せいぐん)の最前線にあたる土佐湾(とさわん)の南方五十浬(カイリ)の洋上だった。
 儂は、この青軍の航空母艦『黄鷲(きわし)』に乗っていて、戦闘機を一台受持ってた。こいつは最新型というやつではないが、儂達(わしたち)には永年(ながねん)馴染(なじみ)の、非常に使いよい飛行機だった。当時儂の配属(はいぞく)は、第十三戦隊の司令で、僚機(りょうき)として、同型の戦闘機二台を引率(いんそつ)していたのだった。わが青軍の根拠地の土佐湾は、いよいよ持ちきれなくなって、横須賀軍港(よこすかぐんこう)へ引移ることに決定した。多分、その日の夜に入(い)ると、北上(ほくじょう)してきた赤軍(せきぐん)は、勢いに乗じて、大挙(たいきょ)土佐湾の夜襲戦(やしゅうせん)を展開することだろうと、想像された。その時刻までに、わが青軍の主力は、前夜(ぜんや)魚雷(ぎょらい)に見舞われて速力が半分に墜(お)ちた元の旗艦(きかん)『釧路(くしろ)』を掩護(えんご)して、うまく逃げ落ちねばならなかった。それには日没前(にちぼつぜん)まで、航空母艦『黄鷲』を中心とする航空戦隊が、赤軍の出てくる鼻先を、なんとかして喰(く)い留(と)めねばならなかったのだった。
 儂達(わしたち)の戦闘第十三戦隊の三機は、幾度(いくたび)となく母艦(ぼかん)の滑走甲板(かっそうかんぱん)から、空中へ急角度に舞いあがって、敵機とわたり合い、軽巡(けいじゅん)の戦隊を脅(おびや)かした。儂達の戦隊の活躍は、自分でいうのは少しおかしいが、実に目覚(めざ)ましいものだったよ。殊に僚機の第二号機に竹花(たけはな)中尉、第三号機には熊内(くまうち)中尉が単身(たんしん)乗りこんでいたが、その水際(みずぎわ)だった操縦ぶりは、演習という気分をとおりすぎて、むしろ実戦かと思われるほど壮快無比なもので、イヤ壮快すぎて、物凄(ものすご)いと云った方が当っているくらいだった。いつも三機雁行(がんこう)の、その先登に立っていた司令機内のこの儂は、反射凸面鏡(はんしゃとつめんきょう)の中に写る僚機の、殺気だった戦闘ぶりを、ちょいちょい眺めては、すくなからず心配になってきたものだ。夕刻に近づくと、かねて気象警報が出ていたとおり、灰色の雲は低く低くたれ下って来、白く浪立(なみだ)ってきた洋上に、霧がすこしずつ濃くなってくるのだった。
(今夜は、どうしても一(ひ)と嵐(あらし)くるな)
 味方にとっては、いよいよ事態は不幸に向っていった。西に傾(かたむ)いた太陽は、密雲(みつうん)の蔭にスッカリ隠れてしまったり、そうかと思うと急にその切れ目から顔を現わして、真赤な光線を、機翼(きよく)に叩きつけるのだった。丁度、そのときだった。あの一大椿事(だいちんじ)が突発したのは……。
 ここまで云えば、君達も感付いたろうが、この椿事は、翌朝の新聞紙に『大演習の犠牲。青軍の戦闘機二機、空中衝突して太平洋上に墜つ。乗組の竹花、熊内両中尉の死体も機影(きえい)も共に発見せられず。原因は密雲(みつうん)のためか……』などと書きたてられたあの事件なのだ。海軍当局の調査も、新聞の報ずるところとは大した相違がなかった。無論、現場(げんじょう)付近にいた唯一(ゆいつ)の人間である儂は、調査委員会の席上で証言をさせられてこんなことを云った。『青軍(せいぐん)の危急(ききゅう)を救うべく、敵前(てきぜん)に於(おい)て危険きわまる低空の急旋転(きゅうせんてん)を行いたるところ、折柄(おりから)洋上には密雲のために陽光暗く、加うるに霧やや濃く、僚機との連絡至難となり、遂に空中衝突を惹起(じゃっき)せるものなり』てなことを云ったので、不可抗力(ふかこうりょく)の椿事(ちんじ)として、両中尉は戦死と同格の栄誉を担(にな)ったわけだった。だが此処(ここ)に話がある!
 儂は僚友のために、実は偽(いつわ)りの報告をしたのだった。事実はこうだった、いいかね。あのとき、洋上を飛翔(ひしょう)していた儂は、いつの間にやら僚機から遠く離れてしまっているのに気がついたのだった。吃驚(びっくり)して後を見ると、遙か下の空で、二機はしきりに横転(おうてん)をやっているじゃないか。これは無論、儂の指令じゃない。なにか故障を起したのかなとも考えたので、儂は方向舵(ほうこうだ)を静かに廻しながら、尚(なお)も注意していると、どうも故障とは様子がちがう。一機が他の一機を執拗(しつよう)に追いかけているようなのだ。一機が、思いきった逆宙返(ぎゃくちゅうがえ)りをうって遁(のが)れると、他の一機も更に鮮(あざや)かな宙返りをうって迫り、機翼と機翼とがスレスレになるのだった。儂は、この追駆(おいか)けごっこが、冗談ではないことに直ぐ気がついた。このまま抛(ほう)って置けば、二人とも死ぬ。何とかして二人を引離す頓智(とんち)はないものかと考えたが、咄嗟(とっさ)のこととて巧(うま)い術策(すべ)が浮かんでこない。
 望遠鏡を目にあてて、よくよく眺めてみると、歯を剥(む)いて追っかけている方は、熊内中尉だった。追いかけられているのは竹花中尉、中尉の顔が、丁度雲間から現われた斜陽(はすび)を真正面に浴びて、儂のレンズの底にハッキリと映じたが、彼は飛行帽も眼鏡もかなぐり捨てて、片手を空(むな)しく顔前(がんぜん)にうち振り、彼の顔はキリストの前に立った罪人のように、百の憐愍(れんびん)を請(こ)うているのだった。『おれが悪かった! 何でも後から相談に応じるから、おれを死なせないで呉れ給え』と、そんな風に見える真青(まっさお)の顔だった。そして尚も、助かろうとして逃げた。竹花中尉には、熊内中尉の恐ろしい決心のほどが、ハッキリと判るのだった。
 実は二人の間には、こんな訳があるのだった。二人は元々K県出の、たいへん仲の善い僚友(りょうゆう)だったが、あの事件の時から一年程前に、儂も識(し)っているがAという若い女が、二人の間近かに現われてからというものは、急に二人は背(そむ)いて行った。そのAという女は、非常に眼と唇とのうつくしい、そして色がぬけるように白くて、真紅な帯や、真紅な模様の羽織なんかがよく似合う少女だった。笑うと、ちょいと開いた唇の間から、真白な糸切(いとき)り歯(ば)がニッと出てくるのが、また何とも云えない程可愛らしく見えた。そのAさんという少女に、二人が同時に惚れこんだのも、全く無理のないことだった。しかしお互に、相手の気持を知ると、二人は二十幾年の友情も、プッツリ忘れてしまった。彼等は、表面は何喰わぬ顔で勤務をしていながら、内心では蛇と狼とのように睨(にら)み合(あ)っていたのだ。彼等は悪竦(あくらつ)な手段で、お互(たがい)を陥(おとしい)れ合った。自分の血で、相手の骨を洗った。
 その結果、Aという女は、遂に竹花中尉の方へ傾いてゆき結納(ゆいのう)までとりかわされ、この演習が済むと、直ちに水交社(すいこうしゃ)で婚礼が挙げられることにまで、事がきまっていたのだった。あわれ、恋に敗れた熊内中尉は、悪魔におのが良心を啄(ついば)むに委せた。そこで中尉の恐ろしい復讐が計画されたのだった。
『竹花にあの女を与えてなるものか。また、自分を此処まで引張(ひっぱ)りまわした女に、素直に幸福を与えてなるものか』そういって熊内中尉は歯を喰いしばったのだった。『ようし、見て居(お)れ、竹花のやつを、地獄へひきずりこんでやるんだ。やつが、おれの計画に感付いたとき、どんな泣きッ面をするか。そいつを見ることが、ああ、せめてもの娯(たの)しみだ。吠(ほ)えろ、喚(わめ)け、竹花中尉!』
 熊内中尉の計画は見事に効を奏したのだった。儂があの時覗いた竹花中尉の『死』への反発『生』への執着(しゅうちゃく)に腫(は)れあがった相貌(そうぼう)は、あさましいというよりは、悪鬼のように物凄いものだった。さすがの儂も眼を蔽(おお)った。やがて気がついてみると、二機は互に相手の胴中を噛合(かみあ)ったような形になり、引裂かれた黄色い機翼を搦(から)ませあい、白煙をあげ海面目懸けて墜落してゆくのが見えた。それが遂に最後だった。戯(たわむ)れに恋はすまじ、戯れでなくとも恋はすまじ、そんなことを痛感したのだった。儂は、あの日のことを思い出すと、今でも心臓が怪しい鼓動(こどう)をたてはじめるのじゃよ」
 そう云って川波大尉は、額の上に水珠(みずだま)のように浮き出でた油汗を、ソッと拭(ぬぐ)ったのだった。丁度(ちょうど)その時、時計は午後十時のところに針が重(かさな)ったので、三人はその儘(まま)、黙々(もくもく)と立って、測定装置の前に、並んだのだった。

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