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疑問の金塊(ぎもんのきんかい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 11:27:33  点击:  切换到繁體中文


「さあ、これでいい。……じゃア、飛びこむのだ」
 私たち三人は、抜き足さし足で、この建物の周囲をグルリと廻った。表の大戸(おおど)は、埃(ほこり)がこびりついていて、動く様子もない。裏手に小さい扉がついていて、敷居(しきい)に生々(なまなま)しい泥靴の跡がついている。これを引張ったが、明かない。
「いいから、内側へ外(はず)して見ろ!」
 経験がいかなる場合も、鮮(あざや)かに物を云った。戸の端(はし)がゴトリと内側へ外れた。それに力を得て、グングン圧(お)すと、苦もなく入口が開いた。――内は真暗だ。
 懐中電灯の光が動いた。階下には、大きな古樽(ふるだる)がゴロゴロ転がっている。その向うには一斗(と)以上も入りそうなそれも大きな硝子壜(ガラズびん)が並んでいる。ひどい蜘蛛(くも)の巣が到(いた)るところに掛っている。埃っぽい上に、なんだか鼻をつくような酸っぱい匂(にお)いがする。しかし犯人らしい人影は見えない。
「じゃあ、おれは入って見る」と折井刑事は低声(こごえ)で云った。「山城君はここで番をして居給え」
「うん」
「私もお供しましょう」と申し出た。
「そうか。……だが危いぞ。おれはピストルを持っているけれど……」
「なーに、平気ですよ」
 折井刑事と私とは、一歩一歩用心しながら建物の中に入った。樽(たる)の間を探してみたが、何も居ない。――刑事は頤(あご)をしゃくった。その方角に梯子段(はしごだん)が斜めに掛っていた。
(階段をのぼるのだな)
 と私は思った。そのとき突然に、刑事の懐中電灯が消えた。
 階段を一歩一歩、息を殺し、足音を忍んで上っていった。いまにも何処かの隅から、ピストルが轟然(ごうぜん)と鳴りひびきそうだった。
 そのとき、折井刑事が私の腕をひっぱった。そして耳の傍(そば)に、やっと聞きとれる位の声で囁(ささや)いた。
「二階に手が届くようになったから、一度懐中電灯をつけて見る。ピストルの弾丸(たま)が飛んでくるかも知れないが動いちゃいけない。その後で懐中電灯を消すから、その隙に階上(うえ)へとびあがるのだ。わかったかネ」
 私は低声(こごえ)で「判りました」と返事した。私を縛(しば)ろうとした刑事と、同じ味方となって相扶(あいたす)け相扶けられながら殺人鬼(さつじんき)に迫(せま)ってゆくのだ。なんと世の中は面白いことよ。
 折井刑事が、また一段上にのぼった。するとサッと一閃(いっせん)、懐中電灯が二階の天井を照した。灯(あかり)は微(かす)かに慄(ふる)えながら、天井を滑(すべ)り下りると、壁を照らした。それから四囲の壁を、グルグルと廻った。――しかし予期した銃声は一向鳴らない。途端にパッと灯が消えた。
(今だ!)
 私は階上に駈け上った。その拍子に、いやというほど、グラグラするものに身体をぶっつけた。見当を違えて、樽にぶっつかったものらしい。
 十秒、十五秒……。
 パッと懐中電灯が点(とも)った。しかし何も音がしない。
(さては、自分の思いちがいだったのか)
 私はイライラしてきた。
「さあ、こんどは君がこいつを持って」と刑事は私に懐中電灯を握らせ「先へ立って、この部屋を廻って呉れ。危険だからネ」そういって彼はピストルで敵を撃つ真似をした。
 私は電灯を静かに横へ動かした。部屋には階下同様、大きな硝子壜だの、樽だのが並んでいた。しかし階下には無かった変な器械が一隅(いちぐう)を占領していた。それは古い化学工業の原書(げんしょ)にあるようなレトルトだの、耐酸性(たいさんせい)の甕(かめ)だの、奇妙に曲げられた古い硝子管(ガラスかん)だのが、大小高低(だいしょうこうてい)を異(こと)にした架台(かだい)にとりつけられていたのだった。
(さてはこの建物は、強酸工場(きょうさんこうじょう)と倉庫とを兼(か)ねているんだな)
 と私は気がついた。これは横浜(はま)へ明治年間に来た西洋人が、その頃日本に珍らしくて且(か)つ高価だった硫酸(りゅうさん)や硝酸(しょうさん)などを生産して儲(もう)けたことがあるが、それに刺戟(しげき)せられて、雨後(うご)の筍(たけのこ)のように出来た強酸工場の名残(なごり)なのだ。恐(おそ)らく震災(しんさい)で一度潰(つぶ)れたのを、また復活させてみたが、思わしくないので、そのまま蜘蛛(くも)の棲家(すみか)に委(ゆだ)ねてしまったものだろう。それにしても……。
 と、突然に、後方にガタンと樽の倒れる音がした。ハッと振りかえる間も遅く、飛び出した黒い影が飛鳥(ひちょう)のように階段を駈け下りた。
「待てッ」
 折井刑事は叫び声をあげるが早いか、怪影(かいえい)を追跡して、階段の下り口へ突進した。そして転がるように、駈け下りた。
 激しい叫喚(きょうかん)と物の壊れる音とがゴッチャになって、階下から響いてきた。出口にいた城山刑事に遮(さえぎ)られて、怪漢は逃げ場を失い、そこで三人入乱(いりみだ)れての争闘が始まっているのであろう。
 しかし私は、懐中電灯を持ったまま、じっと階上の部屋に立ち尽(つく)していた。目の前にある何に使うとも知れない化学装置が、ひどく私の心を捉(とら)えたのだった。それは奇妙な装置でもあったが、私の興味を惹(ひ)いたのは、それが奇妙なことよりも、むしろ生々(なまなま)しい感じがしたからだった。室内は荒れ果て、樽は真白な埃にまみれ、天井には大きい蜘蛛の巣が懸(かか)っているという古めかしさの中に、その化学装置ばかりは、埃のホの字も附着していなかったからであった。
 私は事件の謎が、正(まさ)しくこの場に隠されていることを感づいた。
「よしッ。この秘密を解かずに置くものかッ」私は腕ぐみをしたまま、石のように、何時(いつ)までも立ち尽したのだった。


   怪(あや)しき取引(とりひき)


 その次の日の夕方、私は同じ伊勢佐木町で、素晴らしい晩餐(ばんさん)を執(と)っていた。前日と違っているところは、連れが一人あることだった。壮平爺(そうへいじい)さんという頗(すこぶ)る風采(ふうさい)のあがらぬ老人が、私の客だった。
「ほんに政どん」と壮平爺さんは眼をショボショボさせて云った。「あんたに巡(めぐ)りあわなければ、今頃わしゃ首をくくっていたかも知れん。あのカンカン寅が、人殺しの嫌疑(けんぎ)でお上(かみ)に捕(つかま)ったと聞いたときは、どうしてわしゃ、こうも運が悪いのかと、力もなにも一度に抜けてしまってのう」
 カンカン寅というのは例の仙太の親分に当る男で、昨夜(ゆうべ)あの海岸通の古建物で、折井山城の二刑事に捕った怪漢のことだった。彼は始め階上に潜(ひそ)んでいたが、私たちをうまくやり過ごしたところで階段を下りて逃げだしたが、出口に頑張(がんば)っていた山城刑事に退路(たいろ)を絶(たた)たれ、逡(たじ)ろぐところを追いすがった折井刑事に組みつかれ、そこで大乱闘の結果、とうとう縛(ばく)についたというわけだった。二人の刑事は、案(あん)の定(じょう)大手柄を立てたことになった。その悦(よろこ)びのあまり、一旦不審(ふしん)を掛(か)けた私だったが、何事もなく離してくれたのだった。
 しかし捕(とら)えたカンカン寅というギャングの顔役は、当局の訊問(じんもん)に対して、思うような自白をしなかった。彼の手先である赤ブイの仙太殺しの一件を追求しても、首を横に振るばかりか、例の証拠をさしつけても一向恐(おそ)れ入(い)らなかった。かねがね手強(てごわ)い悪党だとは考えていたが、あまりにもひどく否定しつづけるので、係官もすこし疑問を持つようになったと、きょう折井刑事が不満そうに語ったことだった。
 それに引きかえ、カンカン寅捕縛(ほばく)と共に、明かな失望を抱いたのは、この壮平爺さんだった。彼はあの古い建物の持ち主だった。彼は本牧(ほんもく)で働いている彼の一人娘清子(きよこ)を除いては、この古い建物が彼の唯一の財産だった。ところで壮平爺さんは、目下大変な財政的ピンチに臨(のぞ)んでいるのだった。それは先年(せんねん)、ついウカウカと高利貸(こうりがし)の証文(しょうもん)に連帯(れんたい)の判を押したところ、その借主がポックリ死んでしまって、そのために気の毒にも明日が期限の一千円の調達(ちょうたつ)に老(おい)の身を細らせているのだった。下手をすれば、娘の清子を棲(す)みかえさせて、更に莫大な借金を愛児の上に掛けさせるか、それとも首をくくって死ぬより仕方がなかったのだった。詮方(せんかた)なく、物は相談と思い、カンカン寅の許を訪ね、あのボロボロの建物を心ばかりの抵当(ていとう)ということにして(あれでは二百円も貸すまいと云われた)、一千円の借金を申込んだ。
 寅は何と思ったか、それを二つ返事で承知して、壮平爺さんを帰らせた。それは今から一月前のことだった。しかしカンカン寅は一向に金の方は渡す様子がない。それで催促(さいそく)にゆくと、期限の前日までに渡してやろうという話だった。ところが明日が約束の日という昨夜になって、カンカン寅が突然警察へ監禁(かんきん)されてしまったので、爺さんは失心(しっしん)せんばかりに駭(おどろ)いた。顔色を変えてカンカン寅の留守宅へ行って、いままでの事情を話すと共に、この際是非に融通(ゆうずう)を頼むと歎願(たんがん)をした。しかし留守を預る人達は、老人の話を鼻であしらって追いかえした。親分がこんなになっていて、そんなことが聞(き)かれると思うか、いい年をしやがってという挨拶(あいさつ)だった。
 心臓が停まるほど驚いた壮平爺さんは、泣く泣く我が家へ帰っていった。路々(みちみち)、この上は娘に事情を云って新しい借金を負(お)わせるか、さもなければ首をくくろうかといずれにしても悲壮な肚(はら)を決めかけていたところへ、私が背後(うしろ)から声をかけたのだった。爺さんとは、私が少年時代からの知り合いの仲だった。――と、まアこういう訳だった。
「じゃあ爺さん。私がカンカン寅に代って、あれを千円で譲(ゆず)りうけようと思うが、どうだネ」
 と、事情を訊いた私は、相談を持ちかけた。
「えッ。あんたが、代って千円を」爺さんは目を瞠(みは)って云った。

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