総督閣下
その翌日から、恐竜島はにぎやかになった。
前夜の危難と恐怖と疲労とで、身も心もへとへとになった探検団員も、朝になると元気をとりもどして、一人また一人とおき出で、肩をならべて沖合に難破しているシー・タイガ号をさしては、昨夜のおそろしい思い出話に時間のすぎていくのもわからないようであった。
タイガ号は恐竜のため船体をまっ二つに割られ、いったん浪にのまれたが、その後また恐竜におもちゃにされてはねとばされたものと見え、船尾の方はずっと島の近くの暗礁の上にのって居り、船首の方はそれから百メートルほどはなれたところに、船首のほんの先っちょと、メイン・マストを波の上に出していた。さんたんたるタイガ号の姿であるが、これを見ても恐竜の力がおそろしく強いことがうかがわれる。
タイガ号の乗組員はどうなったであろうか。かげも姿も見えない。しかしほとんど助かっていないであろう。それに今は下げ潮のこととて、附近の漂流物は沖合へ流されているのだ。
「ああ、総督閣下。お早ようございまする」
がらがら声で団長セキストン伯爵があいさつをした相手を見れば、余人ならず、玉太郎だった。
「ぼくは総督ではありませんよ」
と、玉太郎ははにかむ。
「いや、あなたは総督です。われわれは総督がおられる、この島へ昨日上陸をゆるされたのですからねえ」
伯爵は大げさな身ぶりともののいい方で、玉太郎へ敬意を表した。玉太郎は昨日のことを思い出した。
さびしく海岸にひとり火をたいて睡りについた玉太郎は夢の中で、ラツールと愛犬ポチの姿をもとめていた。そのうちに大きな音がしたので目がさめた。波打際がさわがしい。多人数のののしる声やおびえた声。それにさくさくと、砂をふむ足音。玉太郎はおどろいて枯葉の寝床のうえにすっくと立ち上った。
そのときである。一人の老いたる白人が、銃を手に持って彼の方へ突進してきた。焚火が老人を赤々と照らした。老人は、焚火の前まで来ると、はたと膝を折って砂の上にふした。
「お助け下さい。神の子よ」
老いたる人は祈りの声をあげた。それは玉太郎の姿にむかって、なげられたことは疑いない。火の向こうにすっくと立っている玉太郎の姿は、神々しかったにちがいない。
「神の御子ではありません。この島に住んでいる人の子です」
と、玉太郎はこたえた。
「ああ、それでは総督閣下だ。おお閣下。恐竜に追われてかろうじてこの海岸へたどりついたわれわれ十名の者をあわれみたまえ。閣下の庇護の下に、われわれ十名の者をおかせたまえ」
この芝居じみた対話がはじまって、玉太郎はあやういとこを脱したタイガ号ボートの一団とひきあわされ、そしてその間にもセキストン伯爵から、さかんに「総督閣下」とよばれたのであった。
幸いに彼ら十名は、けがもしていないで、無事だった。しかし心身の疲労はひどく、火のそばへは寄ったものの、誰も立っていられる者はなかった。そのまま、そのところに彼らは泥のような睡りに落ちていったのだ。これから暁がきて、前にものべたように、それらは一人一人起き出して、朝のさわやかな空気をすい、そして自分が平和な島の上に居ることを知って、元気をもりかえしていったのである。
朝食は、玉太郎にとって、この数日中一番の豪華版だった。探検団がボートに積んで来た食糧はここ四五日間をふつうにまかなうに十分であった。空缶の隅についたバターをほじくったり、椰子の実の白い油をかじって空腹をしのいでいた玉太郎にとっては、たいへんな御馳走であり、そしてまた彼に新しい元気をつけたことはたしかであった。
玉太郎は、朝食をとりながら、探検団の人々にむかって、これまでの話をのこらずして聞かせた。話が、ラツール記者と愛犬ポチの行方が今なお分らないというところまですすむと、探検団の連中はざわめきだした。
「これはたいへんだ。恐竜とこの島に同居するのでは、たいへんだ」
「やっぱり恐竜は人間をくうんだね。そこまでは考えなかった」
「人間をくうとは、まだはっきり断定できないだろう」
「いや、あの小さい総督が今いった話によると、ラツールとかいうフランス人がくわれ、ポチという犬が恐竜にくわれたそうじゃないか」
「目下行方不明だというんだろう。くわれたかどうか、そこまではまだわかっていない」
「くわれたにきまっているよ。こんな小さな島で、行方不明もないじゃないか。それにわれわれは母船を失った。あのとおり親船のシー・タイガ号はまっぷたつにちょん切られて、もう船の役をしない。われわれはこれから恐竜島に缶詰めだ。そこで今日は一人、あすは次の一人という工合に、恐竜の食膳へのぼっていくのだ。はじめの話とはちがう。ああ、これはたいへんだ」
「なるほど。これはゆだんがならないぞ」
このざわめき話に、水夫のフランソアとラルサンの二人は、絞首台の前に立った死刑囚のように青くなった。
いがみあい
玉太郎ひとりのときと違い、ともかく十名の探検団員が島の生活にくわわったこととて、仕事はどんどんすすんだ。
この島の小さな社会の中心人物は、やはり実業家のマルタン氏だった。氏は、でっぷりふとった体をかるくうごかして、孤島に半永久の安全な生活をつづけるために、色々と計画をたて、その指揮をして人々を動かした。
マルタンに比べると、団長の伯爵セキストンなんかは隠居の殿様みたいであった。
マルタンの命令により、組員はかわるがわるボートに乗り、沖合の難破船へ漕ぎつけては、船に残っている食糧や布片や器具などをボートにうつして持って帰った。
彼らは、不幸な乗組員には、ついに会うことがなかった。みんな波間に沈んでしまったらしい。もうすこしボートの出発がおそかったら、自分たちはもうこの世の者ではなかったんだと思うと、身ぶるいが出た。
さて島では、その日のお昼すぎに、居住の用意がいちおうととのった。そこで探検隊は、本来の仕事につくことになった。
「まず第一にとりかかることは、ラツール記者の姿が消えたという崖のあたりを捜索することだ。早速みんなで行ってみようじゃないか」
伯爵団長はそういって、隊員の顔をみまわした。
「さんせい。すぐ出かけよう」
「よろしい。われわれもゆく」
マルタンに同意して、ケンとダビットの撮影班も腰をあげた。
ツルガ博士は、娘ネリの手をやさしくなでて、これからはじまる探検にいっしょに行くようにやさしく説いて聞かせた。
それを横から見ていて、玉太郎は胸があつくなった。こんな少女が恐竜島の探検についてくるなんて、なんという無謀なことかと思った。
「子供は、ここへおいておくんだな。恐竜は子供の泣き声を聞きつけると、よろこんであらわれる。こっちが危険のときに、わあわあ子供に泣かれては大迷惑だ。なにしろ生命がけの仕事なんだから……」
そういったのは、すごい紳士モレロだった。彼は顔も口調も、ネリにかみつきそうにしてしゃべったものだから、少女はびっくりして父のふところに抱きついた。
「ネリちゃん。ぼくといっしょに、ここでお留守をしていましょうか」
玉太郎は、気の毒になって、そういった。
するとツルガ博士は、玉太郎のことばにはあいさつも何もしないで、娘の頭髪をしずかになで、
「恐竜は、ばかな獣なのです。ちっともこわくありませんよ。ネリはおとうさんといっしょに行くんだから、大丈夫です」
と、いいきかす。
伯爵団長は、下唇をつきだして、灰色の頭を左右にふった。詩人張子馬は目を細くひらいて、夢を見ながら微笑しているようだ。
フランソアとラルサンの二人はしめしあわせて、こそこそ後じさりをはじめた。この席から姿をかくして、第一回の探検には参加しないですむようにしたい心だった。
「団長。子供は連れていかない、はっきり宣言したまえ」
モレロは、ほえる。
「まあ、なんだね、各人の自由行動としておこう。強制するのはこのましくない。また、はじめから小さいことで、折角の隊員がにらみあうのはいやだから……」
団長は、反対のことばをはいた。
「おいおい。いくら老人団長でも、そうもうろくしてもらってはこまるぜ。問題は、われわれの生命にかかっている。危機一髪というところで、子供がわあッと泣いたため、恐竜がわれわれのいることに気がついてとびかかって来たらどうするんだ。われわれの生命の安全のために、われわれは幼児の同行に反対する。さあ、団長。はっきり宣言したまえ」
「それはこまる」
「なにイ……」
「まあ、まちたまえ。団長、モレロ君。恐竜島へ上陸したとたんに、せっかくにここまではるばる仲よくやってきた隊員の間で争いがおこるというのはおもしろくない。よく話し合って、協調点をみつけてくださいよ」
「生命の問題は、ぜったいだ。協調なんかして死ぬのはいやだ」
「今さら、隊員の自由をしばるのはいやだ」
「どっちも、もっともです。しからば、こうしたらどうです。ツルガ博士がゆくときは、モレロ君はあとにのこる。次回はモレロ君がゆき、ツルガ博士はあとへ残る。そんならいいでしょう」
マルタンの調停に、モレロはまだ不服でぐずぐずいっていたが、しかしついに説きなだめられ、モレロはやっと承諾した。そして第一回のときにはツルガ博士が出かけ、第二回のときにはモレロがゆき、二人はいっしょには行かないことに、だきょうがついた。
しかしそのあとでも、モレロはこわい顔をして、がなりまわっていた。
探検隊員出発
その日の午後二時過ぎになって、シー・タイガ号は第一回の探検に出発した。もちろんこれは伯爵団長がひきいていた。そしてツルガ博士のネリはくわわっていたが、モレロはいなかった。
二人の水夫も、第一回には参加しないでいいことになった。それから、中国詩人の張子馬も残ることとなった。
つまり、留守番はモレロ、張、二人の水夫の四名であり、出発したのは玉太郎少年の外に伯爵団長、マルタン、ツルガ博士と娘、ケンとダビットの映画撮影班の七人だった。
玉太郎は、隊長とならんで、先頭に立って密林にはいった。
やがて歩けなくなったので、玉太郎は先頭になり、そのあとに団長がついた。それからツルガ博士と娘。そのあとにマルタンが護衛のようにしたがった。二人の映画班はいつもおくれがちであったが、これはもちろんとちゅうでしばしば目的物をつかまえて、十六ミリ天然色映画をとるので、そうなるのであった。
密林の中を行くとき、玉太郎は伯爵団長に、彼がこの前にこころみたこの恐竜島の探検のことや、もっと前の、例の水夫ヤンの写生画のことなどについて質問した。セキストン団長は、はじめのうちは元気に語っていたが、そのうちにはげしい暑さと強い湿気にあえぎだし、もう苦しくてしゃべれないから、別のときに語ろうといって、物語をやめてしまった。このとき玉太郎が聞いたのは、前に団長がシー・タイガ号の船長などに語ったのと、だいたい同じ程度のものにすぎず、まだ深く、語るというところまではいかなかった。
「おーい。待ってくれーッ」
「おーい」
映画班は、ときどきうしろからよんだ。そのたびに、玉太郎と団長と、博士と、娘にマルタンの五人は足をとめて、映画班の追いついてくるのをまたなくてはならなかった。そんなことが、沼のふちへ出るまでに六七回もあった。
そういうときには、はじめのうちは、伯爵団長がぶつぶついっていたが、あとの方になると、彼はそういうときが救いの時きたるとばかりに足を止め、腰をたたき、汗をぬぐい、身体に吸いついている蚊をたたき殺すのであった。
ついに沼が見えた。
この前のとおり、岸をぐるっと右へまわっていった。
するとこんどは、ツルガ博士と娘とマルタンが、後におくれだした。いや、おくれだしたどころではない、ツルガ博士は沼を見ると大興奮のていで、岸のところにしゃがみこんでしまったのだ。博士は、その服装にはふにあいのりっぱなプリズム双眼鏡を取出して、沼の面を念入りに、いくどもいくどもくりかえし眺めるのだった。
「ツルガ博士。くわしく観察するのは後にして、まずみなさんといっしょに、行きつくところまで行ってみようじゃありませんか」
「しいッ、しずかに……」
マルタン氏のことばに、博士のむくいのことばは、おしかりであった。娘のネリまでが、マルタン氏に対して、大きな丸い目をむけて、「おとうさんの、お仕事を、じゃましないでよ」と抗議するようであった。
常識があり、礼節ただしいマルタン氏は、けっして腹を立てなかった。しかしこの博士組と、先行組との間に板ばさみになって、こまってしまった。さりながら、いかなることありとも老博士と幼い女の子だけをここに残していくわけにはならなかったので、自然マルタン氏は博士の動きださないうちは、この沼の岸をはなれることはできなかった。そしていやでも博士のようすに興味をさがしもとめる外なかった。
ツルガ博士の観測は、いつまでたっても双眼鏡で沼の面をなめまわすだけであったから、しまいにマルタン氏もたいくつして、こっくりこっくり居眠りをはじめた。
絶好の舞台
先行組の四人は、この前ラツールがよじ登っていった崖の下に立って、上を見上げていた。
「もしもし、団長さん、早く恐竜を出して下さい。どのへんから出ますか」
映画監督のケンが、伯爵団長にさいそくをした。
「じょうだんをいってはこまる。恐竜はわしが飼っているのではない」
「夜間撮影はだめなんですよ。昨日のように出られても、こっちはとりようがありませんからね。こんどから太陽の光がかがやいているうちに出して下さい」
「まだそんなことをいう。わしは、恐竜動物園の園長でもないし、また恐竜の親でもないんだからね」
「ロケーションは、このへんがもうし分なしですね。あのそぎたったような崖、たおれた大榕樹、うしろの入道雲の群。そうだ、あの丘の上へ恐竜を出しでもらいたいですね。つまり崖の上ですよ。団長さん」
「ああ、なんとでも勝手にいいたまえ。君は昨日の事件で頭がへんになったのにちがいない。あーあ、あわれなる者よ」
「じょうだんでしょう。気がへんになっていては、こんなに見事に仕事の註文をつけられませんよ。僕たちは、この恐竜撮影に成功して、本年の世界映画賞を獲得する確信をもって、やっているんですからね。だから団長さんも、その気になって、僕達に協力してもらいたいですよ」
「ああ、いよいよ、のぼせあがっている。かわいそうに」
「もっと註文をつければ、崖の上のあの丘を舞台にして、右手の方から恐竜を追出してもらいたいですね。そしてでてきたら、恐竜は首をうんと高くのばして入道雲のてっぺんをぺろぺろなめるんです。もちろんそれはかっこだけで、ほんとうに雲のてっぺんをなめなくてもよろしい」
「わしはもう君の相手はごめんだ。わしの方が、頭がへんになる」
「それからこんどは、大恐竜は、おやッという顔をして、長いくびを曲げ、崖の下を見る。そこで崖下にいるわれわれの存在に気がついて、長いくびをのばして、あれよあれよというまに崖の下にいる僕らのうちの誰かの頭にがぶりとかみつき、むしゃむしゃとたべてしまう。大恐竜の口にくわえられた探検隊員は、それでも助かろうとして、手足をばたばたさせる。どうです、すごいじゃありませんか。団長さん。あんたは、恐竜の口にくわえられて、手足をばたばた動かせますか」
「とんでもないことをいう人だ。わしゃ、かなわんよだ」
「まあ、そのときは、一つ全身の力をふるって、手足を大いにばたばたと、はでに動かして下さいよ。それについて団長とけいやくしましょう。十分映画効果のあるように、はでにばたばたやって下されば、その演技に対して僕は二百五十ドルをあんたにお支払いいたしましょう。どうです、すばらしい金もうけじゃあないですか」
「とんでもない。瀕死の人間が、そんなにはでに手足をばたばたさせられるものか。たとえ、それができるにしても、わしは恐竜にたべられるのは、いやでござるよ」
「ちぇッ。こんないい金もうけをのがすなんて、団長さんも慾がなさすぎるなあ」
映画監督ケンは、残念そうに舌打をしながら、目を丘の上へやった。
そのときだった。
とつぜん、わんわんと、崖の上で犬がほえだした。玉太郎はおどろいた。ポチであろうか。ポチのようでもあるしポチの声とはちがっているようでもある。玉太郎は、かたずをのんで崖の上に目をすえる。
「ほッ、恐竜がないているぞ。ふん、恐竜は犬みたいな声でなくと見える。………おい、カメラ、ようい!」
ケンは、手をあげて撮影技師のダビットに命令した。
と、崖の上を、右から小さい犬が走り出た。まぎれもなく、それはポチであった。
「あッ、ポチ! ポチだ」
と玉太郎は一生懸命、下から呼ぶ。しかしポチには玉太郎の声が聞えないらしく、崖の上で、うしろをふりかえってほえたてる。
「あれッ。あんなチンピラ犬か」
ケンはがっかりした。が、彼はつづいて、爆発するような声でさけんだ。
「あッ、出た。うしろから恐竜が現われた。カメラ、はじめ。ううッ、すげえ、すげえ。そのチンピラ犬。早く恐竜にとびつけ。そしたら懸賞五百ドルをていするぞ」
ケンは、どなり、さけぶ。
大恐竜が、ほんとに現われたのだ。崖の上、右手から長い首だけをぬーッと出して、じろッと崖下の四人の人間を見た。
くやしい失敗
巨獣恐竜とテリアのポチとでは、相撲にならない。
ぬっと恐竜が首を前へつきだすと、ポチはあわてて尻ごみし、そして崖から足をふみはずして、きゃんきゃんと悲命をあげながら、下にすべりおちた。
「ポチ。ポチ。ぼくだよ、しずかにおし」
恐竜の出現よりも、愛犬ポチがぶじにもどって来たのでうれしさに夢中になっている玉太郎だった。ポチは、玉太郎の胸にだかれる。
「ちぇッ。惜しい。もうすこし何か芝居をやってくれればよかったのに、もうひっこんじまった」
映画監督のケンは、残念そうに、崖の上を見上る。恐竜の首は、すでに引込んでしまって、倒れた椰子の木が、そのかわりをつとめているように見える。
「おい、ダビット。“恐竜崖の上に現わる”の大光景は、もちろんうまくカメラにおさめたろうね」
「失敗したよ。怒るな、ケン」
「えッ。失敗したとは、どう失敗したんだ」
ケン監督は、顔色をかえて、ダビット技師の肩をつかんでゆすぶる。
「レンズのふたを取るのを、忘れてたんだ。あやまるよ」
「なに、撮影機のレンズのふたを取るのを忘れたというのか。それじゃ、あの息づまるような恐竜出現の大光景が、たった一こまもとれていないのかい。じょうだんじゃないぜ。生命がけで、こんな熱帯の孤島まで来て苦労しているのに……」
「今後は気をつけるよ、ケン。なにしろ、おれは恐竜のあまりでっかいのにびっくりして、レンズのふたを取るのを忘れてしまったんだ。これからは、こんな失敗はくりかえさない。しかし、ああ、どうも、全くおどろいたね」
「恐竜を恐れていては仕事ができないよ。あんなものは、針金と布片と紙とペンキでこしらえあげた造り物と思って向えばいいんだ。しっかりしろよ」
「すまん。全く、すまんよ」
「こうなると、次はもっとすごい場面に出あいたいものだ。おお、隊長どの。この次、恐竜はどこに出ますかね」
監督ケンは、どこまでも人をくった質問をして、伯爵隊長の目を丸くさせる。
「わしが恐竜を飼っているわけではあるまいし、そんなことを知るもんかね。……しかし恐竜がこの島にすんでいることだけはまさに証明された。しからば、今日のうちにも恐竜に再会することができるじゃろう」
そういって伯爵隊長は、吐息をつき、胸をおさえた。昨日来、伯爵はおどろき又おどろきで、心臓の工合が少々変調をきたしている。
「あの崖をのぼって、恐竜がさっき首を出したところがどんな場所なんだか、調べてみたらどうですか」
ポチをだきしめている玉太郎が、このとき発言した。
「うん。それは考えないでもなかったが、ちょっとは、できないね」
と、監督ケンが、今までのいきおいににず、尻ごみをする。
「わしは、一たん、うしろへ下って、すこしじゅんびをした上で、恐竜へむかうのがいいと思うね」
これは伯爵隊長のことばだ。
「そうですか。それではぼくひとりで、崖の上へ行ってみましょう。みなさん、ここで待っていて下さい」
玉太郎はポチの頭をなでながら、そういった。
「そりゃ冒険だ。君ひとりで行くのはよろしくない」
ケンとダビットが、このとき顔を見合わせて何かいっていたが、話がきまったと見え、
「よろしい。玉太郎君にさんせい。ぼくたち二人も、君といっしょに崖をのぼるよ。なにしろ百万ドルの賞金をつかむためには、ぐずぐずしていられないからね」
映画斑の二人が玉太郎と共に、崖上へ行くことを承知したので、残る伯爵隊長もお尻がむずむずしてきた。いっしょに行きたくもあるし、危険で行きたくなくもある。
だが、玉太郎と二人のアメリカ人が崖をのぼりだすと、セキストン伯爵も、一番最後から崖へ手をかけてのぼりはじめた。
ポチは、首玉に綱がむすびつけられ、綱のはしは玉太郎のからだにしっかりとしばりつけてあった。
ようやく三人は崖の上にのぼりついた。
ポチがほえた。
崖のとちゅうで、はあはあと息を切っていた伯爵が、はっと体をふせた。またもや恐竜が現われたとかんちがいしたらしい。
「犬ははなしたがいいよ、危険を予知することができるからそうしたまえ」
監督ケンが、玉太郎にいった。
玉太郎も、それはそうだと気がついたので、ポチの首から綱をはずした。ポチはよろこんで、そこら中を嗅ぎながら走りまわる。
しかし、恐竜の首がひこんだ林の奥は、しいんと、しずまりかえっていた。
恐竜の気持
「さあ、出かけましょうか」
玉太郎は、二人の映画班の方へ声をかけた。
「いや、ちょっとまった。隊長が、まだ崖をのぼり切っていないから……」
監督ケンは、そういって、崖のところへ出て、下をのぞきこんだ。
「おーい、隊長。ロープでも下ろしてやろうかね」
ケンは、がむしゃらのようでいて、細心であり、親切であった。
下では、伯爵が何かいったが、玉太郎には聞きとれなかった。
「ダビット。手をかせ」
ケンは、腰につけていたロープをほどくと、一はしをダビットにわたした。わたされた方は、それを胴中に結びつけると、うしろへ下って椰子の木にだきついた。カメラはそばの雑草の上へそっとおいた。
「オー、ケー」
ダビット技師が、うなずいていった。
「よし、分った」ケンはロープを巻いたやつを軽くふりまわしはじめた。
「おーい、隊長。今いくよ」
伯爵が上をむいた。そこへロープは、ぴゅーっとでていった。ケンが右腕をすばやく引く。するとロープのはしの輪が、うまく伯爵の上半身をとらえた。
「あげるよ」
ケンは下へ、そういってから、うしろのダビットへ合図をする。
そこで二人は、呼吸を合わせてロープをたぐった。玉太郎もうしろへまわって、ロープのはしをにぎった。
やがて伯爵隊長の帽子が見え、それからふとったからだが現われた。
「やれやれ、助かった。どうもありがとう」
伯爵は、地面に膝をつき、胸をおさえた。彼の背中で、自動銃がゆれた。
一息いれるために、ケンとダビットは煙草に火をつけた。伯爵にもすすめたが、彼はそれをことわって、腰にさげていた水筒から少しばかり液体をコップの形をしたふたにとって、口の中へほうりこんで、目をぱちぱちさせた。強いブランデー酒らしい。
ケンは、玉太郎へ、チュインガムをくれた。ポチにも、ポケットから四角なかたそうなビスケットを出して……。
「ねえ、隊長。恐竜てえのは、猛獣の部類なのかね。それとも馬や水牛なみかね」
監督ケンが、たずねた。
「君の知りたがっているのは、恐竜が人間を見たらたべてしまうかどうかということかな」
伯爵は二杯目をつぎながら、相手にたずねた。
「そうだ。そのことだ。それを知っていないと、これから恐竜とのつきあいにさしつかえるからね」
「そのことだが、恐竜は猛獣のように荒々しいともいえるし、そうでもないともいえるし」
「なんだ、それじゃ、どっちだかはっきりしないじゃないか」
「いや、はっきりしていることはしているのだ。つまり相手によりけりなんだ。自分の気にいらない相手だと、くい殺してしまうし、自分の好きな相手なら、羊のようにおとなしい」
「恐竜は、好ききらいの標準をどこにおいているんだろうね」
「まず、虫が好くやつは好きさ。虫が好かんやつはきらいさ」
「それはそうだろうが、もっとはっきりと区別できないかな」
ケンは伯爵の返答にしびれをきらす。
「わしの経験では、或る種のエンジンの音をたいへんきらうようだ。ほら、昨日シー・タイガ号が恐竜におそわれて、あのとおりひどいことになったが、あれは恐竜がエンジンの音が大きらいであるという証明になると思う」
「好きなエンジンもあるんだろうか」
ケンは、ダビットが手にしている撮影機へ目をはしらせる。この撮影機の中にバネがあって、撮影をはじめるとそのバネが中で車をまわすが、そのときにさらさらと、エンジンのような音を出す。だからケンは、急に心配になった。
「鍛冶屋のとんてんかんというあの音は好きらしい。蓄音器のレコードにあるじゃないか。“森の鍛冶屋”というのがね」
「それはエンジンの音ではないよ」
「飛行機のエンジンの音が問題だ。こいつはまだためしたことがないから分らない。そうそう、原地人の音楽も、恐竜は好きだね。あのどんどこどんどこと鳴る太鼓の音。あれが鳴っている間は、恐竜はおとなしいね」
伯爵隊長の話は、どこまでいってもきりがない。とにかく恐竜は、音響に敏感で、好きな音ときらいな音とがあるという伯爵の結論は、ほんとうらしい。
「さあ、みなさん。出かけましょうよ」
玉太郎は、一同をうながした。
「ああ、出かけようぜ」
監督ケンが、ダビット技師に合図をおくって、煙草をすった。
伯爵隊長も、大切な酒入りの水筒を背中の方へまわしてひょろひょろと立ち上った。
旧火口か
一行は、ついに問題の崖上の密林の中へ足をふみこんだ。
せんとうは、もちろん玉太郎の愛犬ポチであった。ポチも一行にだいぶんなれて、むやみにほえなくなった。
「玉ちゃん。あまり前進しすぎると、あぶないよ」
うしろから監督ケンが注意をする。
そのうしろには、ダビット技師が、手持撮影機をさげ、のびあがるようにして前方のくらがりをのぞきこんで歩く。
そのうしろに、伯爵隊長が、猟銃を小脇にかかえて、おそるおそるついて来る。
「あッ、大きな穴がある。噴火孔みたいな大きな穴が……」
玉太郎が、おどろいて立ちどまると、前方をさす。
「おお。やっぱりそうだ。あれは恐竜の巣の出入口なんだろう。おい、ダビット。カメラ用意だぞ」
「あいよ」
伯爵団長が大きな声をあげた。
「ふしぎだ。この前来たときには、こんな穴はなかったのに……」
彼は顔一面にふきだした玉なす汗をぬぐおうともせず、目をみはった。
「え、この前には、こんな穴はなかったんですか」
玉太郎が、きいた。少年は、仲よしのラツールが今ゆくえが知れないので、彼の運命がいいか悪いかを考えて、すべてのことが一々気になってしようがなかった。
「この前、わたしたちがここを通ったときにはね、ここらあたりは赤土の小山だったがね、たしかに、穴なんかなかった」
「じゃあ、いつの間にか、その小山が陥没して穴になったんでしょうか」
「そうとしか思えないね。まさか道をまちがえたわけではないだろう」
玉太郎と伯爵隊長が、大穴のできた原因について話し合っている間に、監督ケンは、穴のふちをのりこえて、斜面をそろそろ下へ下りて行く。ポチは、いそいそと先に立っている。ダビット技師は、撮影機を大事そうに頭上高くさしあげて、こわごわ下る。
「深い穴がある。木や草がたおれている。たしかにこれは恐竜の出入りする穴だぞ」
ケンは、昂奮してさけぶ。
玉太郎も、伯爵をうながして、穴の中へ下りはじめた。
「ふーン。このにおいだて。これが恐竜のにおいなんだ」
伯爵が、首をふって立ちどまった。
なにか特別のにおいが、さっきから玉太郎の鼻をついていた。生ぐさいような、鼻の中をしげきするようないやなにおいだった。
はっくしょい!
伯爵が大きくくさめをした。
するとそのくさめがケンとダビットにうつった。最後に玉太郎も、くしんと、かわいいくさめをした。
「くさめの競争か。これはどうしたわけだろう」
監督ケンがにが笑いをした。
「思い出したぞ。このにおいは、附近に恐竜の雌がいるということを物語っているんだ。警戒したがいい」
伯爵が、顔をこわばらせていった。
「えっ、恐竜にも雌がいるのかい」
ケンが、調子はずれな声をあげた。
「あはは、あたり前のことを。あははは」
ダビット技師が、ふきだして笑う。
「笑いごとじゃない。先へ行く人は、大警戒をしなされ。はっくしょい」
伯爵は、うしろで又大きなくさめを一つ。
穴をしたへおりるほど、砂がくずれ、枯れた草木がゆくてをさえぎり、前進に骨がおれる。が、誰もこのへんでもときた方へ引返そうなどと弱音をふく者はなかった。そうでもあろう。こわいとか危険だとか恐ろしいとかいっているものの、万里の波濤をのりこえて恐竜探検にここまでやってきた一行のことであるから、一刻も早く恐竜にはっきり面会したくてたまらない人々ばかりだった。
「おや、こんなものがひっかかっているぞ。カーキー色の上衣の袖らしい」
監督ケンが、岩と倒れた木の間を抜けようとしたときに、木の枝に、それがひっかかっているのを見つけたのだ。
玉太郎は、それを聞くと、ぎくりとした。すぐさま彼はケンのそばへすべりおりていって、それを見た。
「あ、これはラツールおじさんの服だ」
袖のところに、ペンとフランスの三色旗を組合わせたぬいとりがあったから、それはうたがう余地がなかった。
「ラツールおじさんは、やっぱりここを下へ下りていったんだな」
下りていって、それからどうしたのであろう。その消息は不明であるが、玉太郎は安否を知りたい人のあとについて今おいかけていることはまちがいないと知り、元気をくわえたのであった。
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