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三人の双生児(さんにんのそうせいじ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 16:26:43  点击:  切换到繁體中文

底本: 海野十三全集 第2巻 俘囚
出版社: 三一書房
初版発行日: 1991(平成3)年2月28日
入力に使用: 1991(平成3)年2月28日第1版第1刷
校正に使用: 1991(平成3)年2月28日第1版第1刷

 

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 あの一見奇妙に見える新聞広告を出したのは、なにを隠そう、このわたしなのである。
タズネ人……サワガニメル川沿イニ庭アリテ紫ノ立葵タチアオイ咲ク。リョウノ太キ格子コウシヘダテテ訪ネ来ル手ハ、黄八丈キハチジョウノ着物ニ鹿シボリノ広帯ヲ締メ、オ河童カッパニ三ツノアカキ『リボン』ヲ附ク、今ヨリ約十八年ノ昔ナリ。名乗リ出デヨ吾ガ双生児ノ同胞ハラカラ。(姓名在社××××)」
 これをお読みになればお分りのとおり、妾はいま血肉をわけたはらからを探しているのである。今より十八年の昔というから、それは妾の五六歳ごろのことである。といえば妾の本当の年齢が知れてしまって恥かしいことではあるが、まあ算術などしないで置いていただきたい。
 妾の尋ねるはらからについては、それ以前の記憶もなく、またその以後の記憶もない。まるで盲人が、永い人生を通じて只一回、それもほんの一瞬間だけ目があき、そのとき観たという光景がまざまざと脳裏のうりきついたとでもたとえたいのがこの場合、妾のはらからに対する記憶である。思うに、それより前は、はらからと一緒にいたこともあるのであろうが、当時妾は幼くて記憶を残すほどの力が発達していなかったのだろうし、それ以後は、妾とはらからとが何かの理由で別々のところに引き離されちまって記憶が絶えてしまったのであろう。とにかく川沿いの寮の光景はあたかも一枚の彩色写真を見るようにハッキリと妾の記憶に存している。
 なぜ妾がはらからを探すのかという詳しいことについては、おいおいとお話しなければならぬ機会が来ようと思うから、今はまあ云うことを控えて置こうと思う。
 ――とにかく当時は五歳か六歳だった。黄八丈の着物に鹿の子の帯を締め、そしてお河童頭には紅いリボンを三つも結んでいるというのがそのころの妾自身の身形みなりだった。妾の尋ねるはらからというのは、その頃寮の中にしつらえられた座敷牢のような太い格子の内側で、毎日毎日温和おとなしく寝ていた幼童ようどう――といっても生きていれば今では妾と同じように成人している筈だ――のことだった。
「なぜ、あの幼童は、暗い座敷牢へ入れられていたのだろう?」
 今もそれをまことにいぶかしく思っている。どうしたわけで、あの年端としはもゆかぬはらからをいつも暗い座敷牢のなかに入れ置いたのであろう。成人した人間であれば、気が変になって乱暴するとかのような場合には、座敷牢に入れて置くのは仕方ないことだったけれど、あの場合はともかくも五つか六つかの幼童ではないか、乱暴をするといってもせいぜい障子しょうじさんを壊すぐらいのことしか出来る筈がない。それくらいのことのためにわざわざ頑丈な座敷牢を用意してあったことは、全く解きがたい謎である。
 イヤよく考えてみると、あの幼童は別に気が変になっていたようにも思われない。そのころ妾は四度か五度か、或いはもっとたびたびだったかも知れないが、その幼童の座敷牢へ遊びにいった憶えがあるのであるが、決して乱暴を働いているところを見たことがない。乱暴をするどころかその幼童はいつも大人しく寝床の中にじっと寝ていたのであった。ついぞ妾は一度も起きあがっているところを見たことがない。恐らく幼童は病身ででもあったのだろうと思う。一体病身の幼童を座敷牢へ監禁して置くような惨酷ざんこくきわまる親があるだろうかしら。考えれば考えるほど不思議なことではないか。
 親といったので、また一つ思いだしたけれど、妾がそのはらからの幼童のところへ遊びにいったときは、いつも必ず座敷牢の中に、妾の母がつきそっていた。母はやさしく、寝ている子供のために機嫌をとっていたようである。広告文にもちょっと書いておいたことだけれど、妾はそのころ髪をお河童にして、そこに紅いリボンを二つならず三つまでもカンカンに結びつけてよろこんでいた。なぜそれをハッキリ憶えているかというと、座敷牢のなかの妾のはらからは、そのカンカンに結びつけた紅いリボンがたいへん気に入ったとみえて、或る日妾がツカツカと寮に入っていったとき丁度なにかのことで無理を云って附添いの母を困らしていたかの幼童は、涙のいっぱい溜った眼で妾のカンカンを見ると、突然ピタリと機嫌を直してしまったのだった。
 妾はその後もたびたび母に特別賞与の意味でお菓子を貰った上、その座敷牢へ連れてゆかれたように思うが、いつもそのカンカンに紅い三つのリボンを結んでゆくのがお決りだった。それにつけて、また不思議なことをもう一つ思い出すが、妾はそのとき得意になって暗い座敷牢の格子に駈けより、
「いいカンカンでしょ、ばア……」
 と顔と髪とをさし入れたのであったが、寝ているはらからはそのたびに味噌っ歯だらけの口を開けてキャッキャッと嬉しそうに笑うのであった。それはいいとして暫くするとそこで母はきっと妾によびかけて、ちょっと庭の方へ行って、立葵の花を一枝折ってきてくれと云いつけるのであった。それはいかにも唐突とうとつな云いつけであった。そんなときはらからの顔はいかにも不満そうにキュウと唇を曲げて母の方をにらむようにするのであるが、母はそれを優しく慰め、それから妾の方を向いて声をはげまし、早く庭へ下りて用事を果すように厳然げんぜんと云いつけたのであった。
 妾はしぶしぶ云いつけられたとおり庭に下り、梅雨つゆちかい空の下に咲き乱れる立葵の一と枝をとっては、大急ぎでまた元の座敷牢へとび上っていった。
「いいカンカンでしょ、ばア……」
 妾は立葵を格子の中になげこむと、同じ言葉をくりかえしていうのであった。それを云わないと、母は妾を叱り必ず同じことを云わせられたものだった。幼童のはらからは再び妾のカンカンを見て、いかにも面白そうにゲラゲラと笑うのであった。そういうときに妾は奇妙な思いをしたことがあった。それは大口を明いて笑う幼童の歯並が、或るときは味噌ッ歯だらけで前が欠けていたと思うのに、或るときは大きい前歯が二本生え並んでいたことがあった。これは幼い妾にとっては奇妙なことというより外に仕様のないことだった。
 妾はそのほかにも、舌切雀の遊戯を踊ったりして寝ているはらからを悦ばせることをやったけれど、必ずその途中で母の命令が出て、妾は庭へ下りると立葵の花を折ってきたり、蜻蛉草かたばみを摘んできたり、或いはまた大笹の新芽から出てきた幅の広い葉で笹舟を作ってもってきたりするのであった。しかしながら子供ごころにも気のついたことは、庭へ下りて持ってくるのが、立葵であっても蜻蛉草であっても、それからまた笹舟であっても、どれであろうと大した違いがないのだった。つまり妾のはらからにしても、またそれを云いつけた妾の母にしてもが、折角せっかく持ってきてやったものを殆んど見向きもしないで、ただ妾が、
「いいカンカンでしょ、ばア……」
 と同じことをやるのに対して、たいへん悦び合うのだった。だから妾はたびたび庭に下りさせられるのがすこし不満になった。あまり悦ばれもしないのに、そういちいち力を出して花や草を折ってくるのが莫迦ばからしくなった。それで一度に草花を沢山とって懐中にねじこんで置き、母が庭へ下りて取ってこいと云いつけると、待っていましたとばかり、懐中からヒョイと草花を取出して格子の中に投げ入れたのだった。すると母は顔を赤くして、そんなずるいことをしてはいけない、すぐ庭に下りて新しいのを取ってくるようにと恐い顔をして云いつけるのであった。妾はまたしても無駄骨でしかないことを庭に降りて繰りかえさねばならなかった。その代り、母たちは妾の手折ってくる花や草が、たとえ破けていようが、汚れていようが、決して叱りはしなかった。とにかく妾は必ず庭に一度降りてきて、それからまた座敷に上ってきて、もう一度はじめから同じことをして、かの不幸なはらからを慰めることが必要であったのだ。だがなぜにそんな煩わしいことを繰返す必要があったのか、どうも妾の腑に落ちかねる。
 この紅いリボンのカンカンはよほど妾のはらからの気に入ったものらしく、或る日妾が何の気もつかずいつものような紅いカンカンを結んで座敷牢に近づくと、座敷牢に寝ていた幼童はさも待ちかねたという風に、いつになく頭を振っていまだ一度も見たことのないほど悦び騒いだ。妾は何ごとが起ったのだろうと訝しく思っていると、傍に附添っていた母が、
「ホラたまちゃん(妾の名、珠枝たまえというのが本当だけれど)――このカンカンをみておやりよ……」
 と妾に云うので、それで始めて気がついてよくよく幼童の髪を見ると、向うでも髪に、妾と同じような紅いリボンを、数も同じく三つつけていたのであった。
「カンカン。……」
 と廻らない舌で叫び、あとはキャーッというような奇異な声をあげて、彼女――カンカンをって喜ぶのだから、まさか「彼」ではあるまい、「彼女」にちがいあるまい――妾と同じカンカンをつけているというので、たいへんな悦びようであった。母はいつも彼女の背後に坐り、その頭の後方にある真黒な切布を覆った枕とも蒲団ともつかない塊の上に手をかけて、妾たちを見守っているのであったが、このカンカン競べのあったときは、どうしたものかその黒い切布をかぶったものがまるで自ら動きでもしたように捲かれてきた。そのとき妾はその黒布の下に、また別な紅いリボンがヒラヒラしているのを逸早いちはやく見てとったものだから、たちまち大変気色を悪くしてしまった。
「ずるいわずるいわ、あんたはあたいよりも沢山リボンを持っていて、隠したりなんかしているんですもの……」
 と妾は格子につかまって駄々をこねだした。母はその内側でなにかひそひそ優しく叱りつけている様子であったが、それは妾を叱りつけているわけではなかった。と云ってヘラヘラ笑いつづけている機嫌のよい幼童を叱っているのだとも、すこし違っているように思えた。母は暫くしてから格子の外の妾の方を向き、
「珠ちゃん、リボンの数は皆同じよ。ホラよくごらんなさい……」
 といった。そういわれてからよく見ると、妾のはらからの頭にはチャンとリボンが三つついていた。さっき四つか五つぐらいに見えたのは思いちがいだったんだわと思ったことであった。もちろんその日も、妾は次の順序として、庭に追いやられた。それから再び座敷へ上ってきてから、
「あんたも今日はいいカンカンしているわねエ、皆同じだわネ」
 と同じ祝詞しゅくしを呈して、再びはらからの大騒ぎをして悦ぶさまを見たのであった。
 格子のなかの妾のはらからについては、妾はそれ以外に多くを憶えていない。第一どうしても思いだせないのは、彼女の名前だった。母は格子の中に寝ている子供を指して、これはお前のはらからで、同じ年である。お前の方がお姉さまだから、温和しく可愛いがってあげるのですよといったのは憶えているのだが、どうしてもそのはらからの名前が思い出せない。ひょっとすると、母はそのはらからの名前を妾に云わなかったのかも知れない。
 妾がはらからについて記憶していることは大体右のような事だけである。その後のことについては全く知らない。その後のことは、座敷牢のはらからのことだけではなく、妾の母についても知るところがない。なぜなら妾はそれから間もなく、母と不幸なはらからとに別れてしまったからである。それは突然の別れであった。それについては、いずれ後に述べることになるが、とにかく思いがけない事件が、妾から母と妹――カンカンを結って喜んでいたはらからのことを、妹と呼んでいいだろう――とを奪ってしまったのだ。
 その後ある機会に、妾の母は死んでしまったことを知った。そして残るのは妾の妹(?)の消息だけなのであるが、いま妾の企てている探索がもし成功しないとすれば、あの川添いの家でカンカンを見せ合ったときが、実に母と妹とに対する最後の別れとなるのである。
 だが実を云えば、あの新聞広告は、妾のあのはらからの生死を確めることも目的ではあるけれども、妾としてはもっともっと重大な意味があることを一言申しあげて置かねばならない。それはいかなるわけかと云えば、最近妾は偶然の機会から船乗りだった亡父の残していった日記帳を発見し、その中に、実に何といったらいいか自分の一身上について、大きな謎に包まれた記載文を発見したのである。その文意は、気にしないでいるのにはあまりに奇々怪々に過ぎるのである。
 ――いまから二十三年前の二月十九日の父の日記帳には、次のようなことが書きつけてあった。
「二月十九日。――呪われてあれ、今日さずかりたる三人の双生児!」

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