海野十三全集 第2巻 俘囚 |
三一書房 |
1991(平成3)年2月28日 |
1991(平成3)年2月28日第1版第1刷 |
1991(平成3)年2月28日第1版第1刷 |
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銀座の舗道から、足を踏みはずしてタッタ百メートルばかり行くと、そこに吃驚するほどの見窄らしい門があった。
「おお、此処だ――」
と辻永がステッキを揚げて、後から跟いてくる私に注意を与えた。
「ム――」
まるで地酒を作る田舎家についている形ばかりの門と選ぶところがなかった。
「さア、入ってみよう」
辻永は麦藁帽子をヒョイと取って門衛に挨拶をすると、スタコラ足を早めていった。私も彼の後から急いだけれど、レールなどが矢鱈に敷きまわしてあって、思うように歩けなかった。そして辻永の姿を見失ってしまった。
私は探偵小説家だ。辻永は私立探偵だった。
だから二人は知り合ってから、まだ一年と経たないのに十年来の知己よりも親しく見えた。それはどっちも探偵趣味に生くる者同士だったからであった。しかし正直のところ辻永は私よりもずっと頭脳がよかった。彼は私を事件にひっぱりだしては、頭脳の働きについて挑戦するのを好んだ。それは彼の悪癖だと気にかけまいとするが、時には何か深い企みでもあるのではないかと思うことさえあった。
「オーイ。こっちだア――」
思いがけない方角から、辻永の声がした。オヤオヤと思って、声のする方に近づいてゆくと一つの古ぼけた建物があった。それをひょいと曲ると、イキナリ眼前に展げられた異常な風景!
夥しい荷物の山。まったく夥しい荷物の山だった。山とは恐らくこれほど物が積みあげられているのでなければ、山と名付けられまい。――さすがは大貨物駅として知られるS駅の構内だった。
辻永は大きな木箱の山の側に立って、鼻を打ちつけんばかりに眼をすり寄せている。早くも彼氏、何物かを掴んだ様子だ。小説家と違って本当の探偵だけに、いつでも掴むのがうまい。あまりうまいので、私はときどき自分が小説家たることを忘れて彼の手腕に嫉妬を感ずるほどだ。
「これだこれだ山野君」と彼は私の名を思わず大きく叫んだ。「例の箱がいつ何処で作られたんだかすっかり判っちまったよ。第一回の箱は七月四日の製造だ。第二回目のは七月十八日の製造だ。そして第三回目のは今から一週間前、実に八月八日の製造だということが判ったよ」
「そりゃどうして?」私はすっかり駭いた。
「ナニこれは殆んど努力で判ったのさ。今日は箱の山がどんな形に、どんな数量を積み重ねてあるかを知りたかったのだ。あとは発送簿の数量を逆に検べてゆくと、あの箱を積んだ日、随ってあれを製造した日がわかるという順序なんだ」
よくは呑みこめなかったけれど、やっぱり頭脳の冴えた辻永だと感心した。
例の箱とは、前後三回に亙って発見された有名なる箱詰屍体事件の、その箱のことなのである。
細かいことは省略するが、その三つの屍体はすべて此の貨物積置場に積まれてあったビール箱の中から発見されたのだった。その箱は人間の身体がゆっくり入るばかりか、ビールがその隙間に五ダースも入ろうという大量入りの木箱だった。
事件を並べてみると、不思議な共通点があった。第一に、屍体の主はいずれも皆、若いサラリーマンや学窓を出たばかりの人達だった。第二にいずれも東京市内の住人だったのも、大して不思議でないとしても、不思議は不思議である。但し三人の住所は近所ではなくバラバラであった。第三に三人の屍体は同様の打撲傷や擦過傷に蔽われていたが、別にピストルを射ちこんだ跡もなければ、刃物で抉った様子もない。もう一つ第四に、三人とも殺されるほどの事情を一向持っていなかったということ。それからこれは附け足りだが、三人が三名とも名刺入れをもっていて、直ぐに身許が判明したそうだ。
ビール会社では、こんな青年の屍体が、どうして箱の中に入っていたか判らないと弁明した。その工場の内部を隅々まで調べてみたが、そんな青年達の忍びこんでいたような形跡は一向見当らなかった。ビール瓶に藁筒を被して自動的に箱につめる大きな器械がある。これは昼となく夜となく二十四時間ぶっとおしで運転しているもので停めたことはないものだが、それをワザワザ停めても調べてみた。その結果もなんの得るところが無かった。
事件はそのまま迷宮へ入った――というのが箱詰屍体事件のあらましである。
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