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戦時旅行鞄(せんじりょこうかばん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-25 6:18:49  点击:  切换到繁體中文

底本: 海野十三全集 第10巻 宇宙戦隊
出版社: 三一書房
初版発行日: 1991(平成3)年5月31日
入力に使用: 1991(平成3)年5月31日第1版第1刷
校正に使用: 1991(平成3)年5月31日第1版第1刷

 

   1


 大上海(だいシャンハイ)の地下を二百メートル下った地底(ちてい)に、宇宙線をさけて生活している例の変り者の大科学者金博士(きんはかせ)のことは、かねて読者もお聞き及びであろう。
 かの博士が、今日までに発明した超新兵器のかずかずは、文字どおり枚挙(まいきょ)に遑(いとま)あらず、読者の知って居られるものだけでも十や二十はあるであろう。その超新兵器は、発明されて世の中に出る毎(ごと)に、何かしら恐ろしき騒ぎをひきおこし、気の弱い連中を毎回気絶させている次第であった。
 中でも、かの依存梟雄(いぞんきょうゆう)の醤買石(しょうかいせき)委員長は、同じ民族人なる金博士の発明兵器による被害甚大で、そのためにこれまで幾度生命(いのち)を落しかけたか知れず、醤の金博士を恨(うら)むことは、居谷岩子女史(おいわさん)[#「居谷岩子女史」はママ]が伊右衛門(いえもん)どのを恨(うら)む比などに非(あら)ず、可愛さあまって憎さが十の十幾倍という次第であった。
「えいくそ。この上はなんとかして、わが息のあるうちに、かの金博士めの息の根を止めてくれねば……」
 というわけで、今や醤買石は、執念(しゅうねん)の火の玉と化(か)し、喰うか喰われるかの公算五十パアセントの危険をおかしても一矢(いっし)をむくわで置くべきかと、あわれいじらしきことと相成(あいな)った。
 さて、対金方針は確定した。さらばこの上は、如何なる手段によって、彼でか頭の金博士を抉(えぐ)り殺してしまうべきか。
 醤は、幹部を某所(ぼうしょ)に集めて、秘密会議を開くこと連続三十九回、遂(つい)に会議の結論のようなものが出て来た。
 その結論というのは、次の二つであった。

   金博士始末案件
(一)王水険博士(おうすいけんはかせ)を擁立(ようりつ)し、金博士を牽制(けんせい)するとともに、必要に応じて、金博士をおびき出すこと。
(二)あらゆる好餌(こうじ)を用意して、某国大使館の始末機関の借用方(しゃくようかた)に成功し、その上にて該機関(がいきかん)を用いて金博士を始末すること。

 ここに王水険博士というのは、この程、ソヴェトから帰って来た近代に稀(まれ)なる科学的天才といわれる大学者で、しかも彼は、昔金博士を教えたことがあり、つまり金博士の先生だから、大博士であろうというので、王水険博士の力を借りる計画を樹(た)てたのである。
 それからまた、某国大使館の始末機関というのは、この間新聞にも報道されたから御承知でもあろうが、要するに始末機関とは、人間を始末する機関のことであって、普通われわれの目に日常触れる始末機関を例にとるならば、かの火葬炉の如きは、正(まさ)しく始末機関の一つである。
 どこをどう遣繰(やりく)ったか、とにかく金博士始末計画がうまく軌道(きどう)にのって動きだしたのは、その年の秋も暮れ、急に寒い北西風が巷(ちまた)を吹きだした頃のことである。
 その頃、金博士の許へ、差出人(さしだしにん)の署名のない一通の部厚い書面が届いた。博士が封を切って中を読んでみると、巻紙の上には情緒纏綿(じょうちょてんめん)たる美辞(びじ)が連(つら)なって居り、切(せつ)に貴郎(あなた)のお出(い)でを待つと結んで、最後に大博士王水険上(じょう)と初めて差出人の名が出て来た。
「あらなつかしや王水険大先生!」
 と、金博士は俄(にわ)かに容(かたち)を改めて、その風変りな書面を押し戴(いただ)いたことだった。
「――ぜひ、わが任地(にんち)に来れ。大きな声ではいえないが、わしも近いうちに、大使館を馘(くび)になるのでのう。わしが飜訳大監(ほんやくたいかん)として威張(いば)っとるうちに、ぜひ来て下されや」
 と、王水険博士は、大秘密を洩(も)らして居られる。金博士にしては、かねがねその土地の風光のいいことも聞いていたので、一度はいってみたいと思っていた。そこへ旧師からの誘(さそ)いである。大先生の尊顔(そんがん)も久々(ひさびさ)にて拝(おが)みたいし、旁々(かたがた)かの土地を見物させて貰うことにしようかと、師恩(しおん)に篤(あつ)き金博士は大いに心を動かしたのであった。
 かくて博士は、出発の肚(はら)を決めた。いよいよ上海を出発したのが、それから一週間の後のことであった。出発日までの一週間を、博士は出発の用意に専念した。すなわち、わざわざ大きなトランクを三つ、自製し、そのトランクの中へ、これまた博士自製のこまごましたものをいろいろと詰めこんだ。まことに手数のかかった出発準備であった。私たちが旅行するときには、デパートへいってファイバーのトランクを一つ買い、あとはテンセンストアで、一つ十銭の歯ブラッシや雲脂取(ふけと)り香水や時間表や蚤取粉(のみとりこ)などを買い集めてそのトランクの中に叩きこんで出かける手軽さとは、正に天地霄壌(てんちしょうじょう)の差があった。
 さあ、金博士の後を、われわれは紙と鉛筆とを持って追いかけることにしよう。

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