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戦時旅行鞄(せんじりょこうかばん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-25 6:18:49  点击:  切换到繁體中文



     2


 最初金博士は、三つのトランクを担(かつ)いで飛行場へ駈けつけたが、直ちに断わられてしまった。
「まことにお気の毒ですが、こんな重い大きな荷物は、会社の飛行機には乗りませんので……」
「大きいけれど、そんなに重くはないよ」
「……それに御行先(おゆきさき)の方面は只今気流がたいへん悪うございましてエヤポケットがナ……それにもう一つ残念ながら御行先の方の定期航路は一昨日(おととい)以来当分のうち休航ということになりましたので……それに……」
「ああ、もうよろしい」
 金博士は、サービス係の言葉を押し止(とど)め、
「何かこう、古くて役に立たない飛行機があったら、一つ売って貰いたいものじゃが、どうじゃろう」
「古くて、役に立たない飛行機といいますと」
「つまり、翼(よく)が破れているとか、プロペラの端(はし)が欠(か)けているとか、座席の下に穴が明いとるとか、そういうボロ飛行機でよいのじゃ。兎(と)に角(かく)、見たところ飛行機の型をして居り、申訳でいいから、エンジンもついて居り、プロペラの恰好をしたものがついて居ればいいのだ」
「そういう飛行機をどうなさいますので……」
「なあに、わしが乗って、自分で飛ばすのじゃ」
「そんな飛行機が飛ぶ道理がありませんですよ」
「わしが乗れば、必ず飛ぶんだ。詳(くわ)しいことを説明している暇はないがね、兎に角、そういう飛行機を売ってくれるか売ってくれないか、一体どっちだい」
「売ってさし上げても差支(さしつか)えはないのでございますが、生憎(あいにく)そんなボロ飛行機は只今ストックになって居りませんので……」
「無いのかい。そ、それを早くいえばいいんだ。この忙(せわ)しいのに、だらだらとくそにもならん話をしてわしを引きつけて置いて……ほう、早く行かにゃ、大先生と約束の時間に、○○へ入市できないぞ」
 博士は腕に嵌(は)めた大きな時計を見、例の大きな三つのトランクを軽々と担ぐと、大急ぎで飛行場を出ていった。
 後を見送ったサービス係は、長大息(ちょうたいそく)と共に小首(こくび)をかしげ、
「でも力のある老人じゃなあ。あの大きいトランクを、軽々と担いでいくとは……」
 金博士の姿は、こんどは埠頭(ふとう)に現れた。幸(さいわ)いに八千噸(トン)ばかりの濠洲汽船が今出帆しようとしていたところなので、博士はこれ幸いと、船員をつき突ばして、無理やりに乗船して、サロンの中へ陣取った。
「もしもし、どなたかしりませんが、もう船室がありませんので」
 事務長がこわい顔をして博士のところへやって来た。
「船室? 船室はあるじゃないか。このとおり広い部屋があいているじゃないか」
「これはサロンでございまして、船室ではありません。御覧の通り、おやすみになるといたしましても、ベッドもありませんような次第です」
「いや、このソファの上に寝るから、心配しなさんな」
「それは困ります。では何とか船室を整理いたしまして、ベッドのある部屋を一つ作るでございましょう」
「何とでも勝手にしたまえ。わしは汽船に乗ったという名目(めいもく)さえつけばええのじゃ」
「え、名目と申しますと……」
「それは、こっちの話だ。ときにこの汽船は何時に○○港へ入る予定になっとるかね」
「はい、○○港入港は明後日(みょうごにち)の夕刻(ゆうこく)でございます」
「何じゃ明後日の夕刻? ずいぶん遅いじゃないか。わしは、そんなに待っとられん」
「待っとられないと仰有(おっしゃ)っても、今更予定の時間をどうすることも出来ません」
「ああもうよろしい。わしは明朝(みょうちょう)には○○港着と決めたから、もう何もいわんでよろしい」
「はあ、さいですか」
 金博士のことを、船内では気が変でないと思わない者は、ひとりもなかった。

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