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ヒルミ夫人の冷蔵鞄(ヒルミふじんのれいぞうかばん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 6:23:08  点击:  切换到繁體中文


 不良少年として、なにごとにもあれ知らぬこととてはなく、常人としては耐えがたい訓練を経てきた千太郎――ではない万吉郎であったけれど、その広汎なる知識をもってしても遂に想像できなかったほどの超人的女性の俘囚とりことなってしまって、今は黄色い悲鳴をあげるしか術のないいとも惨めな有様とはなった。
「あなた。きょうはまるで元気がないのネ。どうかしたの」
 と、薄ものを身にまとったヒルミ夫人は鏡の前で髪をくしけずりながら、若い夫に訊いた。
「どうしたって、お前――」
 と、万吉郎は天井に煙草の煙をふきあげながら、かすれた声で応えた。
「まあ、――」
 夫人は鏡面ごしに、このところひどく黄いろくしなびた夫の顔を眺めた。だんだんとこみあげてくる心配が、ヒルミ夫人を百パアセントの人妻から次第次第に抜けださせていった。そして間もなく彼女は百パアセントのヒルミ博士となりきった。
「ハハア、分りました」と、ヒルミ夫人は胸を張り鼻をツンと上にのばしていった。それはヒルミ夫人が診察するとき必ず出す癖であった。「男性て、ほんとにか細くできている者ネ。でもあたしがそれに気がついたからには、もう大丈夫よ。すっかり安心していていいわ。当分毎日注射をしてあげましょう」
 ヒルミ夫人が確信をもっていったとおり、萎びたる万吉郎は注射のおかげでメキメキと元気を恢復していった。そして三じゅんを越えないうちに、婿入りの前よりも、ずっとずっと強き精力の持主とはなっていた。
「治療にかけちゃ、うちのかかあは、なかなか大したもんだ」と、万吉郎は鼻の下を人さし指でグイとこすった。「いやそれよりもかかあのあの口ぶりを真似ていうと、現代の医学は実に跳躍的進歩をとげた――というべきであろうかナ、うふん。とにかくこうなると、俺は現代の医学というものにもっと深い関心を持たなくちゃならんて」
 そんなことがあってから後、万吉郎はヒルミ夫人に対し積極的にいろいろの治療をねだったのである。
 ヒルミ夫人にとっては、万吉郎は世界の至宝であったから、少々無理なことでも喜んで聞き入れた。しかし新しい治療をするについては、面倒でも、しっかりした臨床実験の上に立つことが必要であった。そのためにヒルミ夫人は朝早くから夜遅くまで、手術着に身をかため、熱心に入院患者を切ったり縫ったりした。
 ヒルミ夫人の評判は、いよいよ高くなった。博士は結婚せられてたいへん仕事に熱心を加えたという賞讃の声が方々から聞えた。全くヒルミ夫人は、その昔、田内新整形外科術をマスターするために見せた熾烈しれつなる研究態度のそれ以上熾烈な研究慾に燃え、病院のなかに電気メスの把手はしゅを執りつづけたのである。しかしヒルミ夫人の研究熱は、その昔の純粋なのに比べて、これはただ若き夫万吉郎に媚びんがための努力であったとは、純潔女史のために惜しんでもあまりある次第だが、なにがこうもヒルミ夫人を可憐にさせたかを考えるとき、夫人の夫万吉郎に対する火山のように灼熱する恋慕の心を不愍ふびんに思わずにはいられない。
 不愍がられる値打はあったであろうヒルミ夫人の立場であったけれど、その狂愛の対象たる万吉郎にとって、それは必ずしも極楽に座している想いではありかねた。
 早くいえば、不良少年あがりの万吉郎にとっては、ヒルミ夫人一人を守っていることにきしてきたのであった。
 もちろんヒルミ夫人は、その卓越した治療手腕をもって万吉郎の体力を、かのスーパー弩級どきゅう戦艦の出現にたとえてもいいほどの奇蹟的成績をもってすっかり改造してしまったのであった。だから万吉郎は、いまや文字どおり鬼に金棒の強味を加えたわけであった。ヒルミ夫人は自らも過不足なきまでに満足感に達し、万吉郎はいよいよ強豪ぶりを発揮していった。しかも万吉郎の心の隅には、黄いろく萎びた新婚早々のころ、一度ヒルミ夫人に対して抱いた恐怖観念がいつまでも汚点のようにしみこんでいて、それが時にふれ、気がかりな脅威をよび起こし、その脅威はすこしずつヒルミ夫人に対する嫌悪の情に変ってゆくのを、どうすることもできなかった。
 万吉郎は、なんとかしてヒルミ夫人の身体から抜けだしたいと思った。といって完全に抜けだしてしまったのでは、こんどは生活の上に大きな脅威をうける。もう彼は、地道にコツコツ働いて、月給五十円也というような小額のサラリーマン生活をする気はなかった。ヒルミ夫人のもとにいて、懐手をしながら三度三度の食事にも事かかず、シーズンごとに新しい背広を作りかえ、そしてちょっと街へ出ても半夜に百円ちかい小遣銭をまきちらすような今の生活を捨てる気は全然なかった。経済状態はそのようにして置いて、只身体だけをヒルミ夫人のもとから解放したいと思っていたのである。
 そんな贅沢な願望が、うまく達せられるものであろうか?
 だが万吉郎も、ただの燕ではなかった。もとを洗えば、不良仲間での智慧袋であり、参謀頭でもあった。奈翁ナポレオンの云い草ではないが、彼のうかがったもので、ついぞ彼の手に入らなかったものなんか一つもなかったぐらいだから、或いは頭脳の絶対的よさくらべをして見ると、万吉郎の頭脳はヒルミ夫人のそれに比して、すこし上手うわてであったかもしれない。
 万吉郎は、この六ヶ敷むずかしい問題の解答をひねりだすために、気をかえて、昔彼が好んで徘徊していた大川端へブラリと出かけた。
 どす黒い河の水が、バチャンバチャンと石垣を洗っていた。発動機船が、泥をつんだ大きな曳船ひきぶねを三つもあとにくっつけて、ゴトゴトと紫の煙を吐きながら川下へ下っていった。かもめが五、六羽、風にふきながされるようにして細長いくちばしをカツカツと叩いていた。河口の方からは、時折なまぐさいうしおの匂いが漂ってくる。
 万吉郎は宿題をゆるゆると考えるために、人気のない川添いの砂利置場に腰を下ろした。
 なにかこう素晴らしい思いつきというものはないか?
 口実をつくって、旅に出ようかとも考えた。だが永くてもせいぜい二、三ヶ月のことであった。一生の永きに比べると、そんな短い期間の解放がなにになろう。
 発狂したことにして、病院に入ったことにしてはどうであろう。しかし病院をしらべられるとすぐお尻がわれる。
 ではヒルミ夫人を巧みに殺害してはどうであろうか。いや人殺しなんて、およそ万吉郎の趣味にあわないことだった。怪しまれでもして、本当に刑務所に送られてしまえば、そんな大きな犠牲はない。
 それでは誰かすこぶるの好男子をさがしだして、不倫をいるようで悪いが、ヒルミ夫人が恋慕するようにはからってはどうであろうか。やっぱりそれもまずい。ヒルミ夫人はそんな多情な女ではない。ただ一人の万吉郎を狂愛しているのであって、そうは簡単に男を変えるような夫人ではない。ではこれも駄目。――
 万吉郎は無意識に砂利場のこいしを拾っては河の面にげ、また拾っては擲げしていた。
 すると突然意外な事件が降って湧いた。万吉郎の前に、河のなかへ落ちこんだ高い石垣がある。その石垣の向うから、不意に人間の首がヌッと現れたのである。
「――よせやい。なんだって俺に石を擲げるんだ。いい気持に、昼寝をしていたのに」
 万吉郎はッと叫んだ。
 石垣の下からヌッと現れたその顔――それはひと目でそれと分る若衆の顔だった。石垣の下には、人一人がゴロリと横になれる狭いスペースがあるのであろう。
 石垣をのぼってきた男に、煙草を与えなどして、万吉郎は彼を自分の横に座らせた。
「旦那、なんか腹のふくれるものは持ってないかい」
 チョコレートではどうであろう。
 棒チョコレートをかじる若い男と、ボソボソと取りとめない話をしているうちに、思いがけなく万吉郎は一つの素敵なアイデアを思いついた。
「うん、これはいい。どうしてそんなことに気がつかなかったろう。ああなんと跳躍的進歩をとげた大医学よ。――」
 万吉郎は悦びのあまり、男の手をとってひき起し砂利場の上で共に抱きあって狂喜乱舞したとは、莫迦莫迦ばかばかしいほどの悦び方だ。
「さあ君、僕と一緒にくるんだ。君のために素晴らしい儲け話を教えてやる。それに女も有るんだ。水のたれるような美味おいしそうな、そして素敵に匂いの高い女なんだ」
 男は大口をあけて呆気あっけにとられていた。
 万吉郎のビッグ・アイデアとはどんなことであったろう?
 さすがに利発なヒルミ夫人だった。
 彼女は早くも、若い夫万吉郎のあだし心に気がついた。
 と云って、万吉郎もすでに知りつくしているように、ヒルミ夫人はいかに若い夫が仇しごとをしようとも、彼を離別するなどとは思いもよらぬことだった。いかなる手段に訴えても、恋しい夫万吉郎を自分の傍にひきとめて置かねばならないと思った。もし万吉郎が、自分のそばを一日でも離れていったときには、自分はきっと気が変になってしまうであろう。
 そんな風に、可憐なるヒルミ夫人は若き夫万吉郎のことを思いつめていたのである。

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