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花は勁し(はなはつよし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 8:03:03  点击:  切换到繁體中文

底本: 岡本かの子作品集
出版社: 沖積舎
初版発行日: 1990(平成2)年7月20日、1993(平成5)年6月30日新装版
入力に使用: 1993(平成5)年6月30日新装版
校正に使用: 1993(平成5)年6月30日新装版
備考: 古屋照子編

 

青みどろを溜めた大硝子箱の澱んだ水が、鉛色に曇つて来た。いままで絢爛に泳いでゐた二つのキヤリコの金魚が、気圧の重さのけはひをうけて、並んで沈むと、態と揃へたやうに二つの顔をこちらへ向けた。うしろは青みどろの混沌に暈けて二ひきとも前胴の半分しか見えない。箱のそとには黄色い琥珀の粒の眼をつけた縞馬の置物が、水粒が透けて汗をかいたやうな硝子板に鼻を擦りつけてゐる。
 箱の蓋の上に置いてある鉢植のうす紅梅がぽろ/\散つて、逞しい蕊が小枝に針を束ねたやうに目立つ。
 新興活花の師三保谷桂子は、弟子の夫人や令嬢たちが帰つたあとで、材料の残りの枝を集めて、自分だけ慰みの活花をずんどうに挿して、少時しばらく眺め入つてゐたが、俄に変つて来た空の模様を硝子戸越しに注意しながら、少しの天候の変化からもぢきに影響される金魚の敏感な様相を観まもつた。
 空の模様はます/\険悪になり、しぶき始めた雨と一緒に光り出した稲妻の尖端が、窓硝子を透して座敷の中の炭炉にさした。
「金魚、縞馬、花、稲妻――まるで幻想詩派サンボリストの文人たちの悦びさうなシーンだね」
 落ちついて水を持つて来た姪のせん子に、聞かせるといふほどの意志もなく桂子はいつた。
 それから桂子は、桂子がフランスを発つて来る間際まで、世紀末生残りの詩人が、まだ飽きずにこんな感じの詩を作つてゐたことを、ちよつとの間、憶ひ出してゐた。
 未完成のまゝ花器の根元を持つてそつと桂子が押しやつたずんどう花活はないけへ、水を差しながらせん子がいつた。
「先生けふは三十日――あしたは晦日――今夜でも小布施さんにお金を持つてつてあげないぢや」
 小布施は桂子の遠い親戚の息子で、もと桂子が画を習つてゐた時の同門でもあつた。不遇で病弱で、長く桂子に物質的補助をうけてゐる画家であつた。
 桂子は花の屑を包んで膝かけを外しながら、いつも病気勝ちな小布施に何かにつけて気を配るせん子をいぢらしいと思つた。ひよつとしたら内心、小布施を愛してゐるのかも知れない。桂子はそれから襟元を少し掻き寛げ、右手の拇指を右の前脇の帯に突き込んで扱くと同時に、体格のいゝ胴を捻つた。博多の帯がきし/\鳴つた。
「あゝ窮屈だつた。お弟子達には行儀よくしてなくちやならないから辛いね。せん子、お茶でも持つて来ておくれ」
 茶室造りの畳の根太の下に響いて、やゝ烈しい雷鳴が一つしたあとは、ずつと音響が空の遠くへ退いて行つた。桂子は、姪でも内弟子でもあるせん子を相手に麦落雁を二つ三つ撮んでから漆塗りの巻絵の台に載つてゐる紙包の嵩をあつさり掴んだ。これは今日の弟子達が置いて行つた月謝の全部だ。桂子はそれを袱紗に包んで、
「どれ、若い恋人に会ひに行かうかね」
 なかばせん子の気を牽きながらかういつた。
 せん子はまはりを見廻して眉を顰めた。
「冗談にもそんな云ひ方はよくありませんわ。人聴きが悪い……」
 その声には、伯母でもあり先生でもある桂子の身の上を憶ふ、純粋な響きだけだつた。
「ひとり身の女がこんな口を利くやうになるのはよく/\のことよ」
 いくらか桂子は悵然とした口調でかういつた。
 だが空が和んで来て生毛のやうに柔く短く截れて降る春雨を傘に凌いで、内玄関から出て行くときには、桂子は均斉のとれた大柄な身体を、何の蟠りもなくすつくりと伸して、昼間は人目につくと云つて小布施を訪ねるのをとめだてするせん子を見返つて、
「昼間堂々と行く方が、世間の噂に逆襲をして却つていゝんだよ」といつた。
 せん子は今更ながら美しい若い伯母の優しい気立てのなかに、どんな苦労も力強く凌いで行く精神力の潜むのを感じ、それをそのまゝ現はしてゐるやうな桂子の後姿を、信頼の眼差で見送つた。それから自分にもその元気が移りでもしたやうな張つた声で、勝手元の方を向いて云つた。
「ばあや、前庭の桃葉珊瑚あをきに実が一ぱいついてるよ。青い葉の間に混つて青い実がついてるものだから、まるで気がつかなかつたわ。」
 活溌な足音がして内弟子の桑子と書生が、婆やより先にせん子の佇つてゐる洋館の内玄関の扉口の方へ駈けて来た。


 桂子は邸宅と商家と肩を闘はして入れ混つてゐる山手の一劃から、窪地へ低まつてゆく坂道を降りて行つた。桜の並木があり、道の縁を取つてゐるまだらな竜の髭に、品格のある庭木が藪からしや烏瓜の蔓に絡まれながら残つてゐる。むかし相当の庭園の入口でゞもあつたものを、庭は住宅に埋められて、道だけ残されたものであらうか。硬い老幹と、精悍な痩せた枝の緊密な組み合せは、鋼鉄と鋳鉄を混ぜ合せて作つた廊門を想はせる。
 桂子はこの鋼鉄の廊門のやうな堅く老いくろずんだ木々の枝に浅黄色の若葉が一面に吹き出てゐる坂道に入るとき、ふとゴルゴンゾラのチーズを想ひ出した。脂肪が腐つてひとりでに出来た割れ目に咲く、あの黴の華の何と若々しく妖艶な緑であらう。世の中には殆ど現実とは見えない何とも片付けられない美しいものがあると桂子は思つた。
 桂子は一人になつて寂しい所を歩いてゐると、チーズのやうな何か強い濃厚しつこいものが欲しくなつた。講習所の先生として、せん子などを相手にお茶請けを麦落雁ぐらゐな枯淡なもので済ます時の自分を別人のやうに思ふ。外国へ行つてから向うの食物に嗜味を執拗にされたためであらうか。
 雨は止んで、日ざしが黄薔薇色の光線を漏斗形に注ぐと、断れ/\に残つてゐる茨垣が、急に膠質の青臭い匂ひを強く立てた。桂子は針の形をしてゐながら、色も姿も赤子のやうに幼い棘の新芽を、生意気にも可愛らしく思つた。
「刺すなら刺してご覧。」
 桂子は、指紋の渦が緻密で完全に巻いてゐる人差指を伸して、棘の尖を押した。
 新芽の棘は軽い抵抗を示しながら、ふによ/\と撓んだ。強く押すと芽の腹の皮の外側は、はち切れさうになり、内側は皺が寄つた。するとその芽が切なく叫んだやうに、赤子の泣き声が桂子の耳の奥に幻聴を起させた。桂子は指を引込めた。
 三十八の女盛りでありながら、子供一人生まなかつたことが、時々自分に責められた。幾人か生んでゐべき筈の無形のこどもの泣声だけが、とき/″\耳についた。今まで数多くうけた処生上の迫害やら脅迫から桂子はいくらか被害妄想にかゝつてゐて、幻想や幻覚はしよつちゆうあつた。桂子は気分を襲つて来た悲惨な蝕斑に少し堪らなくなつて、駆け出して少女のやうに小布施のアトリヱへ転げ込んで、年下の男の友人に何かおいしいものでも喰べさして貰はなければ慰み切れない辛い気持になつた。ごくりと唾を呑むと涙がほろ/\とこぼれた。だが、ふと陽がさしてゐるのに気がついて蛇の目を窄め、無理にぐん/\上りの坂にかゝると、自分の優秀な肉体が、自分の肉体の優秀なのを足駄を踏みかけて行く両股の上に力強く感じた。男と同じほどの背丈があり、それに豊かな白い脂肉が盛りついてゐる自分を崩折れさすわけにはゆかないと、気持が立ち直つて来る。
 坂を上り切つて、晴れかゝる春先の陽の下の町の屋根々々を見返つたときには、桂子の気分の悲惨な蝕斑は薄れて、腹痛の癒りかけたときのやうな感謝すべき、ほつとした気持になつた。笑ひ度いやうな痛痒い鈍痛だけがかすかに残る。するとほの/″\とした野心的アンビシアスなものが頭を擡げた。
「苦しい人生をせめて花で慰め度い。私の花を溢らせ度い……。せめてこの都にだけでも一ぱいに……」
 桂子の人生に対する愛撫に似たものが、野心に張り拡げられて、蝋銀色のうすものゝ翼となつて、陽炎の立ちかけてゐる大東京の空を軽く触れ去るやうに感じた。
 桂子は巴里の美術服装家マレイ夫人に招聘されて六年間の仏蘭西滞在中、ロンドン在留同胞有志の懇望で、海一つ越えて一ヶ月程活花を教へに行つた。夜は毎夜露き出しの夜会服の背中を寒がりながら、シーズンの演劇を見て廻つた。一流劇場のクイーン座でバーナード・シヨウの「セント・ヂヨン」を見た。一般の批評では、この著者は仏蘭西の聖少女を痛快に揶揄したやうに取沙汰された。しかし、桂子は聖少女がこの著者の気持よげに薙ぎ廻す皮肉の刃を、身に遣り過して一つも傷をとゞめない不逞の正体を感じ取つた。女には女の観る女の正体がある。他の人意の批判は目の触りにならない。自分でも意識し尽せぬ深い天然の力が、白痴であれ、田舎娘であれ、女に埋蔵されてゐて、強い情熱の鈎にかゝるときに等しくそれが牽き出される。それが場合によつては奇蹟のやうなこともする。または一生埋れ切る場合もある。どつちが女としての幸福か知れないけれど。
 桂子は巴里へ帰つてから、その劇のことをマレイ夫人に話すと、
「しば/\作者の意図以上のものが出てしまふのが天才の芸術だといひますね。シヨウはたぶん天才でせう」
 白けてはゐるが敬虔に媚びた笑を交へた彼女独得の美しい笑ひ方をした。
丹花たんくわを口に銜みて巷を行けば、畢竟、惧れはあらじ」
 これは女学校友達の女流文学者K――女史が、桂子の講習所を開くとき掛額に書いて呉れた詞句だ。講習所の娘たちの間に、これを読んで、「丹花の呪禁まじなひ」だといつて、活け剰りの花を口に銜へ、腰に手を当てゝ、映画に出て来るジヨルヂユ・サンドのやうな気取つた恰好で濶歩するのが一時流行つて、やがて廃れたが――。
 桂子は坂の上り口から雨上りの人少なの一筋道に遠見がついて、その両側に邸宅が稀で、新旧の商家がずらりと、行人に対して好奇心に貪慾な大小の口のやうな店先を開けて待ち受けてゐるのを見渡すと、今更たぢろぐ思ひが湧く。小布施へ通ふ桂子の噂がこゝらに一ぱい拡がつてゐるのを、かねて桂子は知つてゐた。桂子を敵視する同業者の家もあつた。ふと、あのK――女史が書いて呉れた詞句のやうに、花の茎でもぎつちり糸切歯と糸切歯の間に噛み締めて歩いて行くなら、この惧れに堪へられさうに思へた。一時の間でも花に離れてはならない。彼女は肩を一つ揺つて、また、肉体の雄勁な感覚から自信を取り出して、真直ぐに歩きだした。

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