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中国怪奇小説集(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)17閲微草堂筆記(清)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 18:07:01  点击:  切换到繁體中文


   鬼影

 せん州の人が或る夜、ともしびの前で自分の影をみかえると、壁に映っているのは自分の形でなかった。
 不思議に思ってよく視ると、大きい首に長い髪が乱れかかって、手足は鳥の爪のように曲がって尖っている。その影はたしかに一種の鬼であった。しかも、その怪しい影は自分の形に伴っていて、自分の動く通りに動いているのである。大いにおどろいて家内の者を呼びあつめると、その影は誰の眼にも怪しく見えるのであった。
 それが毎晩つづくので、その人も怖ろしくなった。家内の者もみなおそれた。しかしその子細は判らないので、唯いたずらに憂い懼れていると、となりに住んでいる塾の先生が言った。
「すべての妖はみずからおこるのでなく、人に因って興るのである。あなたは人に知られない悪念をいだいているので、その心の影が羅刹らせつとなって現われるのではあるまいか」
 その人は慄然りつぜんとして、先生の前に懴悔ざんげした。
「実はわたくしは或る人に恨みを含んでいるので、近いうちにその一家をみな殺しにして、ここを逃げ去って、賊徒の群れに投じようかと考えていたところでした。今のお話でわたくしも怖ろしくなりました。そんな企ては断然やめます」
 その晩から彼の影は元の形にかえった。

   茉莉花

 ※(「門<虫」、第3水準1-93-49)みんちゅうの或る人の娘はまだ嫁入りをしないうちに死んだ。それを葬ることかたのごとくであった。
 それから一年ほど過ぎた後、その親戚の者がとなりの県で、彼女とおなじ女を見た。その顔かたちから声音こわねまでが余りによくているので、不意にその幼な名を呼びかけると、彼女は思わず振り返ったが、又もや足を早めて立ち去った。
 親戚は郷里へ帰ってそれを報告したので、両親も怪しんで娘の塚をあけてみると、果たして棺のなかはからになっていた。そこで、そのありかをたずねてゆくと、女は両親を識らないと言い張っていたが、そのわきの下に大きいあざがあるのが証拠となって、彼女はとうとう恐れ入った。その相手の男をたずねると、もうどこへか姿をかくしていた。
 だんだんその事情を取調べると、※(「門<虫」、第3水準1-93-49)中には茉莉花まつりかを飲めば仮死するという伝説がある。茉莉花の根をって、酒にまぜ合わせて飲むのである。根の長さ一寸を用ゆれば、仮死すること一日にして蘇生する。六、七寸を用ゆれば、仮死すること数日にしてなお蘇生することが出来る。七寸以上を用ゆれば、本当に死んでしまうのである。かの娘はすでに約束の婿がありながら、他の男と情を通じたので、男と相談の上で茉莉花を用い、そら死にをして一旦いったん葬られた後に、男が棺をあばいて連れ出したものであることが判った。男もやがて捕われたが、その申し立ては娘と同様であった。
 ※(「門<虫」、第3水準1-93-49)の県官呉林塘ごりんとうという人がそれを裁判したが、棺をあばいた罪に照らそうとすれば、その人は死んでいないのである。薬剤をもって子女を惑わしたという罪に問おうとすれば、娘も最初から共謀である。さりとて、財物を奪ったとか、拐引かどわかしを働いたとかいうのでもない。結局、その娘も男も姦通かんつうの罪に処せられることになった。

   仏陀の示現

 景城けいじょうの南に古寺があった。あたりに人家もなく、その寺に住職と二人の徒弟とていが住んでいたが、いずれもぼんやりした者どもで、わずかに仏前に香火を供うるのほかには能がないように見られた。
 しかも彼等はなかなかの曲者くせもので、ひそかに松脂まつやにを買って来て、それを粉にして練りあわせ、紙にまいて火をつけて、夜ちゅうに高く飛ばせると、その火のひかりは四方を照らした。それを望んで村民が駈けつけると、住職も徒弟も戸を閉じて熟睡していて、なんにも知らないというのである。
 又あるときは、戯場しばいで用いる仏衣を買って来て、菩薩や羅漢の形をよそおい、月の明るい夜に家根の上に立ったり、樹の蔭にたたずんだりする事もある。それを望んで駈け付けると、やはりなんにも知らないというのである。或る者がその話をすると、住職らは合掌して答えた。
「飛んでもないことを仰しゃるな。み仏は遠い西の空にござる。なんでこんな田舎の破寺やれでら示現じげんなされましょうぞ。おかみではただいま白蓮教びゃくれんきょうをきびしく禁じていられます。そんな噂がきこえると、われわれもその邪教をおこなう者と見なされて、どんなおとがめをこうむるかも知れません。お前方もわれわれに恨みがある訳でもござるまいに、そんなことを無暗に言い触らして、われわれに迷惑をかけて下さるな」
 いかにも殊勝な申し分であるので、諸人はいよいよ仏陀の示現と信じるようになって、檀家の布施ふせ寄進きしんが日ましに多くなった。それに付けても、寺があまりに荒れ朽ちているので、その修繕を勧める者があると、僧らは、一本の柱、一枚の瓦を換えることをも承知しなかった。
「ここらの人はとかくにあらぬことを言い触らす癖があって、後光ごこうがさしたの、菩薩があらわれたのと言う。その矢さきに堂塔などを荘厳そうごんにいたしたら、それに就いて又もや何を言い出すか判らない。どなたが寄進して下さるといっても、寺の修繕などはお断わり申します」
 こういうふうであるから、諸人の信仰はいや増すばかりで、僧らは十余年のあいだに大いなる富を作ったが、又それを知っている賊徒があって、ある夜この寺を襲って師弟三人を殺し、貯蓄の財貨をことごとくかすめて去った。役人が来て検視の際に、古い箱のなかから戯場しばいの衣裳や松脂の粉を発見して、ここに初めてかれらの巧みが露顕したのであった。
 これはみん崇禎すうていの末年のことである。

   強盗

 斉大せいだいは献県の地方を横行する強盗であった。
 あるとき味方の者を大勢おおぜい連れて或る家へ押し込むと、その家の娘が美婦びふであるので、賊徒はせまってこれをけがそうとしたが、女がなかなか応じないので、かれらは女をうしろ手にくくりあげた。そのとき斉大は家根に登って、近所の者や捕手の来るのを見張っていたが、女の泣き叫ぶ声を聞きつけて、降りて来てみるとこのていたらくである。彼は刃をぬいてその場におどり込んだ。
「貴様らは何でそんなことをする。こうなれば、おれが相手だぞ」
 餓えたる虎のごとき眼をひからせて、彼はあたりを睨みまわしたので、賊徒は恐れて手を引いて、女の節操は幸いに救われた。
 その後に、この賊徒の一群はみな捕えられたが、ただその頭領の斉大だけは不思議に逃がれた。賊徒の申し立てによれば、逮捕の当時、斉大はまぐさおけの下に隠れていたというのであるが、捕手らの眼にはそれが見えなかった。まぐさ桶の下には古い竹束が転がっていただけであった。

   張福の遺書

 張福ちょうふく杜林鎮とりんちんの人で、荷物の運搬を業としていた。ある日、途中で村の豪家の主人に出逢ったが、たがいに路を譲らないために喧嘩をはじめて、豪家の主人は従僕に指図して張を石橋の下へ突き落した。あたかも川の氷が固くなって、そのかどは刃のように尖っていたので、張はあたまを撃ち割られて半死半生になった。
 村役人は平生からその豪家を憎んでいたので、すぐにかんに訴えた。官の役人も相手が豪家であるから、この際いじめつけてやろうというので、その詮議が甚だ厳重になった。そのときに重態の張はひそかに母を豪家へつかわして、こう言わせた。
「わたしの代りにあなたの命を取っても仕方がありません。わたしの亡い後に、老母や幼な児の世話をして下さるというならば、わたしは自分の粗相そそうで滑り落ちたと申し立てます」
 豪家では無論に承知した。張はどうにか文字の書ける男であるので、その通りに書き残して死んだ。何分にも本人自身の書置きがあって、豪家の無罪は証明されているのであるから、役人たちもどうすることも出来ないで、この一件は無事に落着らくぢゃくした。
 張の死んだ後、豪家も最初は約束を守っていたが、だんだんにそれを怠るようになったので、張の老母は怨み憤って官に訴えたが、張が自筆の生き証拠がある以上、今更この事件の審議をくつがえす事は出来なかった。
 しかもその豪家の主人は、ある夜、酒に酔ってかの川べりを通ると、馬がにわかにおどろいたために川のなかへ転げ落ちて、あたかも張とおなじ場所で死んだ。
 知る者はみな張に背いた報いであると言った。世の訴訟事件には往々おうおうこうした秘密がある。獄を断ずる者は深く考えなければならない。


 

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