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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)59 蟹のお角

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 19:02:52  点击:  切换到繁體中文


     四

「さあ、これからだ」と、半七はやがて途中で立ちどまった。「島田もお角も神奈川とばかりで、その居どころが判らねえじゃあ少し困る。横浜には島田のほかにも、写真を始めている奴があるだろう。それに訊いたら判りそうなものだが……」
「そうです、そうです」と、三五郎はうなずいた。「横浜にも此の頃は写真を撮る奴が二、三人いる筈です。誰かに訊けば判るでしょう。この暑いのに大勢が駈けまわる事はありません。これは土地っ子のわっしに任せて、おまえさん達はいつもの上州屋で涼んでいて下さい」
 上州屋は去年もおととしも泊まったことがあるので、半七と松吉はここの二階で休息することにして、三五郎と一緒に午飯を食った。
「まあ、横になって昼寝でもしておいでなせえ。夕方までには帰って来ます」
 三五郎は箸をおくとすぐに出て行ったが、ゆう七ツ半(午後五時)頃に、汗をふきながら戻って来た。彼は威勢よく階子はしごを駈けあがって、半七らの座敷に顔を出した。
「いま帰りました」
「やあ、御苦労」と、半七は団扇うちわの手をやすめた。「どうだ、判ったか」
「わかりました。最初に大泉という奴をたずねると、こいつは近ごろ来た人間で、島田のことはよく知らねえと云うのです。それから橋本という奴のところへ行くと、これは大抵のことを知っていました。橋本の話によると、島田は長崎の生まれで、年頃は二十八九、江戸にも二、三年いたことがあるそうですが、おととし頃から横浜へ来て写真を始めたのです。去年の火事に焼けてから神奈川の本宿ほんじゅくへ引っ込んで、西の町に住んでいるそうですが、女房子にょうぼこのない独り者で、吾八という若けえ弟子と二人っきりで男世帯を張っていると云うことです」
「島田の名はなんというのだ」
「庄吉です。酒はすこし飲むが、別に道楽もない様子で、世間の評判も悪くないそうです。写真の修業のためにハリソンのうちへ出入りをしていることは、仲間内でもみんな知っていて、本人もおれは西洋人について修業しているのだなどと自慢していると云うことです。そこで、親分、どうします。あしたは早々に神奈川へ行ってみますか」
「むむ。コックと雇い女を調べてえのだが、引き挙げられていちゃあちっと面倒だ。ともかくもあしたは神奈川へ行ってみよう。本人は留守でも弟子が残っているだろう」
「じゃあ、あした又出直してまいります」
 それから世間話などをして、三五郎は帰った。あしたは早いからと云うので、今夜は五ツ半(午後九時)頃から蚊帳かやにはいったが、あいにくと上州商人あきんどの三人づれが隣り座敷に泊まり合わせて、夜の更けるまで生糸の売り込みの話などを声高こわだかにしゃべっているので、半七らは容易に眠られなかった。横浜は江戸よりも涼しいと聞いていたが、残暑の夜はやはり寝苦しかった。
 きょうは盆の十六日、横浜にも藪入りはあると見えて、朝から往来は賑わっていた。三五郎の来るのを待ちかねて、半七と松吉は早々に宿を出ると、きょうも晴れて暑かった。
「藪入りにはおあつれえ向きだが、おれたちには難儀だな」と、松吉は真っ青な空を仰ぎながら云った。
 宮の渡しを越えて、神奈川の宿しゅくにゆき着いて、西の町の島田の家をたずねると、思いのほかに早く知れた。東海道から小半町も山手へはいった横町の右側で、畑のなかの一軒家のような茅葺かやぶき屋根の小さい家がそれであった。表には型ばかりのあらい垣根をって、まだ青い鶏頭けいとうが五、六本ひょろひょろと伸びているのが眼についた。門の柱には「西洋写真」という大きい看板が掛けてあった。
 門と云っても木戸のような作りで、それを押せばすぐにあいた。
「ごめんなさい」
 三五郎が先ず声をかけると、二十歳はたちばかりの若い男が内から出て来た。
「島田先生はお内ですか」
 男は暫く無言で三五郎の顔をながめていたが、やがて低い声で答えた。
「先生は留守です」
「どちらへお出かけですか」
「江戸へ……」
 入れかわって半七がずっとはいった。
「少しお前さんに訊きたいことがある。わたしらは戸部のお奉行所から来た者です。まあ、縁さきを貸しておくんなさい」
 半七と三五郎は、庭を通って縁さきへ腰をかけた。松吉は裏手へまわって、人の出入りを見張っていた。奉行所から来たと聞いて、男も形をあらためて挨拶した。
「なにか御用でございますか」
「おまえさんは先生のお弟子さんかえ」と、半七はいた。
「はい。吾八と申します」
 見たところ、彼は正直そうな、おとなしやかな若者であった。
「先生は江戸へ何しに行ったのですね」
「商売のことで時々江戸へまいります。今度も大方そうだろうと思います」
「ここのうちへお角さんという人が来ますかえ」
 吾八は少し躊躇したが、それでも隠さずに答えた。
「はい」
「先生の親類ですかえ」
 吾八は黙っていた。
「それとも色女かえ」
 半七は笑いながら訊いた。吾八はやはり黙っていた。
「お角は始終ここの家に寝泊まりしているのですか」
「いいえ、時によると半月ぐらい泊まっていることもありますが……」
「先生は異人館のハリソンのところへ、始終出這入りをしているそうですね」
「はい。毎月五、六度ぐらいは参ります」
「お角もハリソンのうちに行ったことがありますかえ」
 吾八はまた黙ってしまった。
「おまえさん、正直そうな顔をしていながら、お角のことを訊くと、はっきり云わねえのはどういうわけだね」と、半七は又笑った。「先生はお角を異人館へ連れて行って、蟹のほり物を裸で写させたろう。わたしはその写真を見て来たのだ」
 吾八はやはり黙っていた。
「おまえさんは知らねえかえ」
「知りません」と、吾八は小声で答えた。
「お角は今どこにいるね」
「知りません」
「先生と一緒に江戸へ行ったのじゃあねえかね」
「知りません」
「おまえさんは先生が江戸で殺されたのを知っているかえ」
「え」と、吾八は驚いたように相手の顔をみあげた。「それは本当ですか」
「むむ。早桶へ入れたままで大川へほうり込まれた。その額には犬という字が書いてあったよ」
「犬……」と、彼は更に顔の色を変えた。
 半七は手をのばして、吾八の腕をつかんだ。
「さあ、正直にいえ。犬がどうした。犬と聞いて、貴様の顔色の変ったのがおかしいぞ。ハリソンの洋犬カメは貴様たちが殺したのか」
 それには答えずに、吾八は声をふるわせて叫んだ。
「お願いでございます。先生のかたきを取ってください」
「そのかたきをとってやろうと思って、わざわざ江戸から出て来たのだ」と、半七は声をやわらげてさとすように云った。「おまえの先生はお角が殺したのだろう」
「お角です。きっとお角に相違ありません」
「おれもそうだろうと思っていた。こうなったら何もかも正直に云ってくれねえじゃあ困る。一体、先生とお角とはどうして心安くなったのだ。前からの知り合いかえ」
「前からの知り合いだと云っていますが、どうもそうじゃあ無いらしいのです」と、吾八は答えた。「去年の冬、わたくし共がここへ引っ越して来て間もなくの事です。先生は江戸へ写真を売りに行って、その帰り道でお角に逢って、一緒に連れ立って帰って来ました。それから当分は夫婦のように暮らしていて、正月になってからお角は又どこへか出て行きました。その後はどうしているのか知りませんが、十日目か半月目ぐらいに帰って来て、暫くいるかと思うと又どこへか出て行って、うちの人のような、よその人のような工合いで、出たり這入ったりしていました。そのうちに、この四月の初めでした。ハリソンさんが本牧の写真を撮りに来て、そのついでにこの家へたずねて来ますと、丁度その時にお角も来ていて、ハリソンさんと顔を見合わせてお互いにびっくりした様子でした。ハリソンさんは去年の九月、江戸の団子坂で菊人形を見物しているときに、女の巾着切りに逢いました。それが間違いのもとで、ハリソンさん夫婦も連れのヘンリーさんも、大勢に追っかけられてひどい目に逢いました。そのときの巾着切りがお角であったそうで、思いがけない再会に、ハリソンさんも一旦はおどろきましたが、お角はどこまでも自分が取ったのではないと云い張ります。わたしの先生もハリソンさんをなだめて、この女は自分の親類で、決して悪いことをする者ではないと、いろいろに弁解しましたので、ハリソンさんもようよう納得なっとくしました。尤も団子坂でお角をつかまえた時に、お角はなんにも持っていなかったと云いますから、確かに巾着切りだという証拠も無いわけです。それが縁になって、お角も先生と一緒に、ハリソンさんのうちへ時々たずねて行くようになりました」
「先生は金儲けのためにお角を連れて行ったのか」
「さあ、それはどうだか判りませんが、その後お角はひとりで、ハリソンさんの家へ行ったこともあります。ハリソンさんと二人づれで、神奈川の台の料理茶屋へ遊びに行ったこともあるそうです」
 お角の腕は半七の想像以上に凄いものであるらしかった。

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