您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 岡本 綺堂 >> 正文

半七捕物帳(はんしちとりものちょう)63 川越次郎兵衛

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 19:07:51  点击:  切换到繁體中文


     六

「お話が長くなりました」と、半七老人は云った。「これで大抵はお判りでしょう」
「そうすると、江戸城の一件は菓子屋の息子たちの悪戯いたずらなんですか」と、私は笑いながら訊いた。
「そうです。悪戯というよりも、こんな悪い洒落をして喜んでいたのですね。さっきもちょっと申し上げました田舎源氏の一件というのは、堀田原の池田屋の主人が友達や芸者太鼓持を連れて、柳亭種彦の田舎源氏のこしらえで向島へ乗り出したのです。田舎源氏は大奥のことを書いたとかいうので、非常に事が面倒になって、作者の種彦は切腹したという噂もあるくらいです。それを平気で、みんな真似をしたのですから、無事に済む筈はありません。関係者二十六人はみんなお咎めに逢いました。それでも懲りないで、とかくに変った事をやって見たがる。江戸の人気じんきがそんなふうになったのも、つまりは江戸のほろびる前兆かも知れません。増村の息子たちもやはりそのお仲間で、向島の大七という料理屋で飲んでいる時に、お城の玄関に立って天下を渡せと云う者があれば、五十両の褒美をやると冗談半分に云い出したのが始まりで、それを引き受けるという者があらわれたのです」
「それは何者です。太鼓持か落語家はなしかですか」
「堀の太鼓持、つまり山谷堀さんやぼりの太鼓持で、三八という奴です。なにしろ縄抜けをするくらいですから、唯の芸人じゃあないと睨んで、庄太にだんだん調べさせると、この三八というのは以前は上州の長脇指ながわきざし、国定忠治の子分であったが、親分の忠治が嘉永三年にお仕置になったので、江戸へ出て来て太鼓持になったという奴。これも向島の大七に集まった一人であることが知れましたから、恐らくこいつだろうと見込みを付けて、引き挙げてみると案の通りでした。こいつは不断からお葉のうちへ出這入りしているので、次郎兵衛の笠を見つけて、これ幸い、詮議の眼をくらますのに丁度いいと思って、そっと持ち出したというわけで、次郎兵衛こそ飛んだ災難でした」
「じゃあ、その三八が野州の粂次郎なんですね」
「三八というのは芸名、生まれは野州宇都宮在で、粂蔵のせがれ粂次郎。こんな奴でもやはり昔の人間で、臍緒書ほぞのおがきはちゃんと持っていたのです。もちろん太鼓持の姿で入り込んでは、すぐに正体があらわれますから、田舎者に化けてお城へ乗り込み、いざというときにはにせ気違いで誤魔化す計略。その芝居が万事とどこおりなく運んで、みんなからも大出来と褒められて、約束の五十両を貰って、三八はいい心持で引き退さがったのですが、ここに又一つの面倒が起こりました。と云うのはのお葉、こいつなかなか食えない奴で、この一件を知ったから黙っていない。相手は大店おおだなの若旦那株だから、おどかせば金になると思ってくらい付きました」
「その相摺りは三八ですか」
「三八は五十両でおとなしく黙っていたのですが、お葉の亭主の松五郎には銀六という子分がある。そいつを連れて、お葉は増村へ嚇かしに行く。それも二十両や三十両なら、増村の息子も器用に出すでしょうが、お葉は三百両くれろと大きく吹っかける。いくら大店でも、その時代の三百両は大金で、部屋住みの息子の自由にはならない。といって、例の一件を親や番頭にも打ち明けられないので、自業自得とはいいながら、増村の息子は弱り切っていたのです。ほかに同じ遊び友達があるのに、お葉がなぜ増村ばかりを責めていたのかと云うと、増村の身代が一番大きいのと、最初にお城の一件を云い出したのは増村の息子だというので、専らここばかりへ押して行って、口留め金をくれなければ其の秘密を訴えると云う。これは強請ゆすりの紋切形ですが、ゆすられる身になると、それが世間へ知れては大変、わが身ばかりか店の暖簾のれんにもかかわる大事ですから、今さら後悔しても追っ付かない。その最中に事がれて、まあ大難が小難で済みました」
「三八は高見たかみの見物ですか」
「いや、それだから大難が小難と云うので……」と、老人は顔をしかめて云った。「三八は自分も係り合いだから、仲へはいって三十両か五十両でまとめようと骨を折ったのですが、お葉は容易に承知しない。三八も素姓が素姓だから気があらい。もう一つには、万一お葉の口からその秘密を洩らされたら自分の首にも縄が付く一件ですから、油断は出来ない。これがもう少しごた付いていると、三八は度胸を据えて、お葉と銀六を殺してしまう覚悟であったそうです。恐ろしい太鼓持もあったもので……。そんな事にでもなったら何もかもめちゃくちゃで、結局は万事露顕になるのでしたが、そこまで行かずに食い止めたのは仕合わせでした。
 しかしここに困った事は、三八を表向きに突き出すと、増村の店に迷惑がかかる。見逃がしてしまうと、わたくしが八丁堀の旦那に済まない。板挟みになって困ったのですが、増村の番頭と相談の上で、お葉の方は三十両でかたを付け、八丁堀の坂部さんの方へは番頭同道で相当の物を持参、それでまあ勘弁して貰いました。つまりは一人も怪我人を出さずに済んだわけです。
 いや、怪我人といえば彼の次郎兵衛、姉から知らせてやったのでしょう、この一件が無事に済んだ事を知って怱々に江戸へ戻って来ましたが、江戸はおそろしい所だと云ってすぐに故郷へ帰ろうとするのを、姉夫婦にひき留められて、例の蝋燭問屋の万屋へ奉公することになりました。そうすると、その年の十二月二日は安政の大地震、店の土蔵が崩れたので、その下敷きになって死んでしまいました。どうしてもこの男には江戸がたたっていたと見えます。
 この地震で、花川戸のお葉も死にました。お磯は吉原へ行って、逢染あいそめとかいう源氏名で勤めていたそうですが、これも地震で潰されたと云うことでした」
「みんな運の悪い人たちでしたね」と、わたしは溜め息をついた。
「増村の家に地震の怪我人は無かったそうですが、店は丸焼けになったので、その後は商売も寂れたようでした。今になって考えると、江戸三百年のあいだに、どんな悪戯をしても、どんな悪洒落をしても、江戸城の大玄関前へ行って天下を渡せと呶鳴ったものはない。全くこれが天下を渡す前触れだったのか知れませんね」
 老人も嘆息した。





底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:菅野朋子
2000年1月12日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

上一页  [1] [2] [3] [4] [5] [6]  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告