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箕輪心中(みのわしんじゅう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 0:12:30  点击:  切换到繁體中文


     五

 団十郎の芝居にありそうな仲の町の華麗な桜も、ゆく春と共にあわただしく散ってしまって、待乳(まつち)の森をほととぎすが啼いて通る広重(ひろしげ)の絵のような涼しい夏が来た。五月には廓で菖蒲(しょうぶ)を栽(う)えたという噂が箕輪の若い衆たちの間にも珍らしそうに伝えられたが、十吉は行って見ようとも思わなかった。
 五月のなかごろから暗い日がつづいた。箕輪田圃では蛙(かわず)がやかましく鳴き出した。十吉の家を取り巻いた蓮池には青い葉が一面に浮き出して来て、ここでも蛙が毎日鳴いた。
「蛙がたくさん鳴く年には梅雨(つゆ)がたくさん降る」
 お時が言った通り、ことしの梅雨は雨の量が多かった。
 ここらの藁屋根が腐るほどに毎日降った。陽(ひ)というものがまるで失(な)くなってしまったのではないというしるしに、時どきうすい影を投げることもあるが、それは忽ち暗い雲の袖に隠れてしまった。
阿母(おっか)さん。よく降るねえ」
 十吉は縁側から空を仰いで、つくづく飽き果てたように言った。五月末の夏の日も小やみのない雨に早く暮れて、古い家の隅(すみ)ずみには藪蚊が人をおどすように唸っていた。
「あんまり雨が降るので、きのうも今日もお米坊が見えないね」
「むむ」と、十吉はなんだかきまりの悪いような返事をしていた。お米と十吉とはゆくゆく夫婦にするつもりで、お時も承知、お米の親たちも承知しているのであった。お米の噂が出ると、年の若い十吉はいつも顔を赤くしていた。
 雨戸を閉めてしまって、母子(おやこ)は炉の前にむかい合った。降りつづいた梅雨の夜はうすら寒かった。雨はざあざあ[#「ざあざあ」に傍点]と降っている。近所の田川が溢れるように、ごぼごぼ[#「ごぼごぼ」に傍点]と流れる音が雨にまじってさわがしく聞えた。
 明けても暮れても母子さし向いのこの一家では、別に新しい夜話の種もなかった。二人は黙って別々に自分の思うことを考えていた。若い十吉はお米のことを思うよりほかはなかった。お時はさすがに思うことが多かった。わが子のこと、嫁のこと、それから殿様のこと、それからそれへと毎日同じことがいろいろに考えられた。そのうちでもこの頃のお時の胸をいっぱいに埋めているのは、番町の殿様の問題であった。箕輪と山の手と懸け離れていては、そうたびたびたずねて行く訳にはいかない。たとい近いとしても、うるさく出這入りはできない。ただ、よそながら案じているばかりである。
 先月そっとお屋敷をたずねた時にも、殿様はやはりお留守であった。お嬢さまの顔はいよいよ窶(やつ)れていた。ことしになっても殿様の放埒はちっともやまないとのことであった。お時は又もや涙ぐんでとぼとぼ[#「とぼとぼ」に傍点]と帰って来た。
 自分の力ではどうにもならないとは知りながらも、自然の成り行きに任して置くということは考えるさえも怖ろしかった。
 万々一いよいよ甲府勝手でも仰せ付けられたら、藤枝のお家(いえ)はつぶれたも同様である。お時は自分の乳をあげた若様がそんな不心得な人間になったということは、なんだか自分にも重い責任があるようで、心苦しくってならなかった。
 今夜もそれを繰り返していると、十吉は退屈そうに煤(すす)けた天井を仰いでいた眼を表の方に向けて、雨の音に耳を引っ立てた。
「おお、降る、降る。まるで嵐のようだ」
 なるほど、雨は土砂降りであった。風も少しまじって来たと見えて、庭の若葉が掻き廻されるようにざわめいていた。蛙(かわず)もさすがに鳴く音を止めてしまった。
 跫音(あしおと)は雨のひびきに消されて聞えなかったが、人が門口(かどぐち)に近寄ったらしい。雨戸を叩く音が低くきこえた。母子は眼を見合せた。
「この降るのに誰だろう」
 十吉は起って縁さきに出た。戸を叩く音は又きこえた。
「あい、あい。今あける」
 きしむ雨戸をこじあけて覗くと、闇のなかには竹の子笠をかぶって蓑(みの)を着た人が突っ立っていた。人はしずくの滴(た)れる笠をぬぐと、行燈を持って出たお時がまず驚かされた。それは今も胸に描いていた番町の殿様であった。
 十吉もやっと気がついてびっくりした。なにしろこちらへと慌てて招じ入れると、外記は更にうしろを見返って無言で招いた。
 今まで見いださなかったが、暗い雨の中にはまだ一人の蓑と笠とが忍んでいた。ぬれた蓑の袖からは溶けるような紅の色がこぼれ出していた。
「お前さまもどうぞこちらへ」と、誰だか知らないがお時は取りあえず会釈した。十吉は急いで盥(たらい)の水を持って来た。二人は蓑をぬいで足を洗った。
 外記は浅黄色の単衣(ひとえもの)の裾を高くからげて、大小を落し差しにしていた。女は緋の長襦袢の上に黒ずんだ縮緬を端折(はしょ)って、水色の細紐(しごき)を結んでいた。顔を包むためか、白い手拭を吹き流しにかぶって手に笠を持っていた。二人とも素足であった。女の白い脛(はぎ)に紅い襦袢がぬれてねばり着いているのは媚(なまめ)かしいというよりも痛々しかった。
 この雨の夜に殿様と連れ立って来た美しい女が誰であるかは、お時にもたいてい想像されたので、彼女は十吉に眼くばせして雨戸をぴったり閉めさせた。男はすぐに炉のそばへ寄って来て、ぬれた袂を乾かした。女は手拭をとって、鬢(びん)のしずくが玉と散るのを払ったりしていた。
「殿様。いらっしゃりませ」
 母子がうやうやしく手をついて、ひたいを畳に摺り付けるのを、外記は手をあげて制した。
「いや、その挨拶はやめてくれ。乳母はおれの留守にたびたび来たそうだから、大抵の話は聴いているだろう。くどくは言わない。当分この女を預かってくれ」
 言う尾について女も軽く会釈した。
「わたしは大菱屋の綾衣でおざんす。お前がたの頼もしいことは、主(ぬし)からもかねて承わっていやんした。どうぞよろしく頼みんす」
 お時は挨拶に困って、ただ「はい、はい」と、幾たびか頭を下げていた。十吉は呆気(あっけ)に取られて、透き通るように白い女の顔をぼんやりと眺めていた。
 箕輪田圃の雨にぬれて、この百姓家へ不意に押し掛けて来た二人は、言うまでもなく駈落ち者であった。大菱屋では綾衣の客はますます落ちる。外記はしげしげかよって来る。二人がだんだんに行き詰まって来るのはもう眼に見えているので、はらはら[#「はらはら」に傍点]しながら見張っていると、綾衣が新造の綾浪に頼んで蒔絵(まきえ)の櫛と笄(こうがい)とを質に入れさせた。それは外記のためであるということが判ったので、かねて機会を待っていた大菱屋ではこれを究竟(くっきょう)の口実にして、すぐに茶屋に通じて外記を堰(せ)いた。
 茶屋は年来の馴染みであるから一応は抗議を申し込むべきであったが、これも二人が昨今の突き詰めた有様に不安を懐(いだ)いていたので、当分は足をお抜きになった方がお二人さんのお為でござりましょうと、外記にも意見した。もうこの上は理屈をいっても仕方がない。外記はとうとう大菱屋の二階を堰かれてしまった。
 この場合に外記のために働く者は中間の角助のほかはなかった。彼は主人の内意を受けて、仲の町の茶屋へ行ってうまく口説いた。そうして、外記から綾衣に宛てた手紙を届けてくれと頼んだ。頼まれた茶屋では迷惑したが、断わるにもことわり切れないで、ともかくも其の手紙をそっと綾衣に取次いだ。綾衣からも返事があった。
 今夜の雨を幸いに、外記はおはぐろ溝(どぶ)の外に待っていた。宵の口の混雑にまぎれて、綾衣は櫺子(れんじ)窓を破って屋根伝いに抜け出した。外記は用意して来た蓑笠に二人の姿を忍ばせて、女を曳いて日本堤を北へ、箕輪の里に一旦の隠れ家を求めに来たのであった。
 この話を聴いて、お時は困った事ができたと吐胸(とむね)をついた。困ったとは思いながらも、今さら殿様を責める気にもなれなかった。綾衣を憎む気にもなれなかった。かえって何だか惨(いじ)らしいような気にもなって、二人を列べて見ている彼女の眼がおのずとうるんで来た。
 五百石の殿様と吉原の花魁がこの雨の中を徒跣足(かちはだし)で落ちて来るとは、よくよく思い合っていればこそで、ただひと口に無分別のふしだら[#「ふしだら」に傍点]のと悪くばかり言う訳にもいくまい。二人の身になって見たらば、又どんなに悲しい切ない事情が絡(から)んでいるかも知れない。お家(いえ)も勿論大切ではあるが、こうまで思い詰めている若い二人を無理に引き裂くのは、小雀の眼に針を刺すという世の諺(ことわざ)よりも、猶更むごい痛々しい仕方ではあるまいか。
 困ったことではあるが、もう仕方がない。無理もない。後はともあれ、差しあたってはお世話するよりほかはあるまいと、お時も迷わずに思案を決めた。
「よろしゅうござります。綾衣さまは確かにお預かり申しました。しかし殿様はお屋敷へお帰り下さりませ。お判りになりましたか」
「むむ。おれまでが厄介になろうとは思わない。女だけをなにぶん頼むぞ」
「かしこまりました」
 外の雨は颯(さっ)としぶいて、古い雨戸はがたがた[#「がたがた」に傍点]と揺れた。
湿(ぬ)れて来たせいか寒くなった。もう少し炉をくべてくれ」と、外記は肩をすくめて言った。
「ほんに気がつかずに居りました。お二人ともそのぬれた召し物ではお冷えなさりましょう。まずお召し替えをなされませ」
 お時は戸棚の古葛籠(ふるつづら)の底を探したが、小柄の十吉の着物では間に合いそうもないので、彼女は二枚の女物を引き出した。縞の銘仙の一枚は、外記が五つの袴着(はかまぎ)の祝儀の時にお屋敷から新しくこしらえて頂いたのを、物持ちのいい彼女は丹念に保存して置いたのである。もう一枚の紬(つむぎ)は奥様のお形見として頂戴したもので、いずれも薄綿であった。
「女物ではござりますが、奥様のお形見でござります」と、彼女は外記に紬を着せてやった。綾衣は銘仙を羽織った。
 母の形見に手を通して、外記も懐かしいような寂しいような、なんだか暗い心持ちになった。そのお形見がこういう時の役に立とうとは、お時も夢にも思わなかった。彼女は急に悲しくなって、訳もなしに涙がほろほろ[#「ほろほろ」に傍点]とこぼれた。

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