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小熊秀雄全集(おぐまひでおぜんしゅう)-13

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 6:59:03  点击:  切换到繁體中文


愛と衝動と叡智

男の強い衝動よ
腕力よ、
呪はれてあれ、

男は力をもつて
女を押しひしぐことは出来る、
強盗のやうに、無頼漢のやうに
女を愛することは自由です、然し、
孕ますことと、
生活をうばふことと、
この二つの必然を生むのはブルジョア的です、
彼等はこの二つを殆んど同時にやつてしまふ、
わたしたちの愛は
孕ますこと、生活を奪ふことは
いつも私達のイデオロギーの
叡智によつて救はれる、
女よ、あなたは正しいときに、
美しい優しい母親とおなりなさい、
それを貴方は愛人に
要求することを忘れぬやうに、
叡智にかがやいた愛の行動を
愛する人のうちに求めるやうに。


文学の大根役者に与ふ
  ――この詩を指導者らしい顔付の男に――

芝居の花道で
あんまり醜態を演ずるな
文学と政治で引つこみの
つかない大根役者は
何時までたつても
指導者らしい顔つきをして
観客が見てゐないのに
まだ引つこまない
君はなんといふ
極左主義的
一徹短慮な浅野内匠守長矩侯だ
忠臣蔵は筋書どほりやりたまへ
吉良上野介を今こゝで
殺してしまはふとジタバタしても無理だ
とにかく我々は敵の眉間みけんだけは
傷つけたのだから
吉良の用心棒に
後から羽掻じめにされたのだから
さう舞台の上で一人で
感情的になつても駄目だ
一応幕にするさ
いつかは吉良を炭小屋のなかから引出して
四十七人は
君の仇をまんまととつて進ぜよう
引つこめ大根役者
文学の世界でいつまでも
政治上の主役らしい顔つきをするな
我々は単なる端役として
つまり四本の馬の脚として
熱い汗だらけになつて
縫ひぐるみの綿のなかから主張する
激しいたゝかひの幕のあげおろしに
意地を張つて芝居をするな
引つこむべきところは
男らしく引つこむのだ
幕があがつたら別な外題に
また新しく顔を塗りなほして君は出てくるさ


転落

すばらしい動揺だ、
このまま私が椅子から
ころげ落ちて死んでも
私はすべてのものに感謝ができる、
その動揺はどこから来た――、
周囲からきた、
私は知つてゐる
風が葉をうごかしてゐるのを
見た、
理解した、
友の眼の色を
感動した
夕日が空をズリ落ちるのに、
いつさいのもの
私の視野のものは束となつて
私をそれで殴りにきた、
立ちあがつてきた
物体、思想、色彩、音響

けつしておそれない、
歴史を背負ひこむのは
あらゆる負担は
私の義務のすべてだ、
あらゆる動揺が
私を転落させるのを
私はむしろそれを待つてゐる。


インテリの硬直

君は何を待つてゐるのか
そのふてぶてしい顔つきをして
その顔つきは悲劇のツラだ、
決して勇壮ではない
むしろインテリらしくないのが滑稽だ、
君は労働者ではない
悲しむときは
如何なるときに
どのやうに泣くかを
知つてゐなければならない
インテリゲンチャな筈だ、

あゝ、だが君はかなしまない、
そして朗らかでもない、
そして何なのだ、
恥じよ、労働者のために、
きよとんと立つてゐる君は、
愚鈍にいつまでも立ちどまるな
君は君の部所につけ
真実のふてぶてしい顔とは
硬ばつた皮膚と
いふ意味ではない
君は陽の照る方へ
あるいてゆけ――、
精神の硬直を
もみほごすために。


喜怒哀楽の歌

悲しみよ
お前おかしな奴
どこまで泣きに行つてきたのか
身をよぢらしてお前は螺旋状の糞をする

怒りよ
可愛い私の下僕
忠実に梶棒をふりあげて
盧頂骨を撃つてこい
敵の骨が何と泣いたか報告しろ
喜びよ、警戒しろ

倒れたことは死んだことにはならない
止めをさすのを忘れるな
商人のやうに勝敗けを
精算してからにしろ
楽しみよ
それはたたかひだ
生来の闘争児のためにだけ
オルガンのペタルを踏み歩くやうに
人生は鳴る

あかね色から朝に変るやうに
夕映ゆうばえから夜にかはるやうに
移りかはり激しく
貧しいものだけが
真実の喜怒哀楽を享楽する。


怖ろしい言葉を

頭を掻きむしつて
詩をかく時代は去つた
立派な発声法によつて
生きた人間の呼吸を吐け
友よ、
労働者詩人よ
詩の古い形式を理解しろ
だが信ずるな
僕はあいつらの
貞操をコヂあけて
砂をぶち込んでやつた
真理でもないものを
真理だと堅く守つてゐたものにとつて
君達も僕のやうに
暴力者となつたらいい
うんと怖しい言葉を吐くのだ
たへがたい悲しみを
痙攣的な憤怒を
立派に整理して
吐露することが
科学的な新しい詩人の役割だ
可愛い雀斑そばかすの娘が
私達の傍にやつてくるだらう
魅力はもうあいつらにないから
あいつらのところには
もう美しいものが
集つていかないだらう
さあ、元気を出して
うたふのだ
呟いてはいけない
口の開けたてを正確にして
生活の歌をうたふのだ


訴訟狂のやうに

わが友よ
君に激昂の日が
幾日あつたか
数へて見よ
詩人を名乗るくせに
感情的になつた経験があるか
僕は訴訟狂のやうに
民衆に訴へてゐる
純粋な快楽は
権利を主張する瞬間にある
心や肉体の
すりへることを恐れてゐて
一篇の詩も
一個のボタンもつくれやしない
争ひをさけてゐて
勝つことが出来ないやうに
労働をさけてゐて
何物も産れない
可哀さうに君等は
敵を見失つてゐるのだ
戦の前線から
幾度も君を馬車が迎へにきたのに
君は乗らうとしなかつた
いさぎよく詩人よ
発狂しろ
憤りや悲しみや悦びで
頭を破裂させてみたらいい、
君は頭の中が
ゼンマイでできてゐるやうな
錯覚を起してゐるのだ
僕が保証する
君の頭の中は時計より
緻密にできてゐる
決して狂ひもこはれもしないだらう
怖ろしいことは
使はない頭の中の
観念は亡びることだ。


カミナリ

昼頃から雨雲が一つ、空に浮んでゐるが動かない。夕方になつたが鋪道は熱い。
そのころ雲はやつと、位置を変へはじめた。
高い雲の間で電光は、癇癖らしく光る。雷鳴もはげしく呟きだすと、人々は一斉に空を仰いだ。そして俄か雨を期待した。
なんて自然は、人間のやうな感情家だらう。
空を走る電光は、人間の額を走る青筋のやうだ。
空のあちこちでは、陶器を乱雑にこはしまはる男が駈けまはつてゐるやうに鳴る。
突然大劇場の屋根の避雷針のあたりに光と音との突然の衝撃が、冷めたい青い光を投げ下ろした。
通行の女達はキャッと叫んで、傍らの男にしがみつく。私も傍の女の人に、しがみつかれて、天の鳴物が私に、思ひがけない幸福を恵んでくれた。
私は、カミナリの激しさに命が惜しくてならない――といつたあわてぶりで逃げまはる群衆をみて、思はず或る一つのことを思ひ出して微笑が湧く。
ロシアの詩人レルモントフが夜、雷の激しさに感動して、扉をひきあけて戸外にとびだし、いきなり電光を手掴みにしようとしたことを。
それは少しも奇矯な行為ではない。詩人の感情がいかに高い衝動のために、いつも用意されてゐるかを示すものだ。
しかもレルモントフは、自由を愛し、それを求める態度は、手の中にイナビカリを捉へようとした激情に似たものをもつて、短かな一生をたたかつた。



小説家は滑稽なものだ

詩人は公然と語る喜びをもつ
その喜びをわかつために歌ふ、
青褪めた顔を
布切れにくるんで
様子ぶつた日本人が歩いてゐるのは
私にとつては滑稽に見えるだけだ、
市民は忙がしいので
スタイリストになるひまがない
文士ばかりがシャラしやらと
平凡なことを難しさうに
言ふために
どこかに向つて歩いてゆく、
長々しい小説
そんなものを読む義務を
押しつけるのはファシストのやることだ、
真理は君の小説の何処にあるのだ、
手探りで書いた小説を
眼あきに読ませようとしてゐる
なんと愚劣な形式の長さよ、
私は小説を読む位なら
鶏卵を転がして眺めてゐるはうが
はるかに楽しく真理を教へられる。


勝つたのさ

私といふ成り上り者のために
上品な奴等が路をひらいたのさ
なんて汚ならしい詩を書く
私は名誉なことだ
千年も黙殺してゐたらいゝのだ
ただ私は品よく構へた奴等の
頭へ千杯も汚ならしい詩を
マヨネーズソースをぶちかけてやる
さあ騒げ、騒げ、同志よ、
わかり易い言葉で
痛はしい国民のために祷るのだ、

私のやうに詩でないやうな
詩をつくることに成功しろ、
なんてチンマリと頁の空白に
収まりかへつた彼等のもの思ひだらう、
太陽が黄色く見えると――歌ふ
もつともだ、お前の眼玉は
生きた眼玉ではない、
煮られた魚のやうな眼でみるから、
そしてお前の精神は日毎に
草のやうに枯れてゆく
私はイデオロギーといふ
ホルモン料理を喰つてゐるから
永遠不死の歌うたひだ、
僕は勝つたのさ、
勝負を誰よりも愛したからだ、
なんて楽しい、フリュートのやうに
悪態を吐く、お株は私のものだ、
なんて嬉しい、サキソホーンのやうに
吹いては唾を吐き、吹いては唾を吐く、
毒舌のオーケストラよ。
地球は裏返しになつても
私は歌ひやめないであらう、
私の心に悔いはないが
時にひと知れず泣いてゐないか?
それは皆様の御想像にまかす、
ただ私を歌に駆りたてるものを
私が知つてゐる間は私は悔いない。

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